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(13)卒論テーマ難民

 タカハシは猛烈に忙しかった。

 そもそも何でこんなことになったかと言えばサトルの祖父の引退である。


 サトルの祖父は大里彦左と言い、高校の経営母体『大里会』の会長であった。妻の梅子が副会長。


 この彦左というのが絵に描いたような老害。毎日会長室で新聞読んでるだけで年収2000万。たまに出てきたかと思えば、説教・昔話・自慢のオンパレード。


 入学式や卒業式には出張って長時間の演説である。周りは何とかして辞めさせたかったが、トップの中のトップなので手が出せなかった。


 サトルは高校の一数学教師として長年冷や飯を食わされてきたというわけだ。


 その彦左がいよいよ弱ってきた!


 最後は『旦那。あっしにもそろそろ老妻孝行させてくださいよ』と秘書の殿坂とのさかが直談判。ようやく、渋々、引退してくれる気になったのだ。


 サトルの両親が会長と副会長に昇進。空いた統括部長と本部長の座にサトルとタカハシが収まる手はずになっていた。

(タカハシはすぐ昇進するわけではなく当面サトルの秘書として働く予定だった)


 ところが。ここで問題が起きる。いや、問題と言っていいのか?


 将来の会長『久保悟』がYouTubeで大ブレイクした。高校入学希望者が殺到したために教職を辞めるわけにいかなくなってしまった。


 次の年にはテレビに出演し大大ブレイク。広告塔として()()()教職を辞められなくなるのだ。


 サトルが生み出す広告効果(YouTube+テレビ+メディア出演)を試算してもらったところ1億5千万なんだそうで、これを全部投げ打ち統括部長をやらせるのは大里会としても大損。部長の代わりはいてもサトルの代わりはいない。


 困ったのが高橋是也であった。


 講師として現代国語を教えながら、秘書業務を覚えていったわけだが……肝心の将来会長が……サトルが……本部の仕事をやる暇を無くした。


 そこでタカハシにサトルの分まで仕事がのしかかってきた。急遽秘書の殿坂を呼び戻したものの、『殿坂が復帰するならワシも』と言い出した彦左のせいで現場大混乱。事態の収拾に土曜も日曜も走り回るはめになった。


 紫陽の卒論なんざ『どうでもいい』わけで紫陽は相談先を無くしてしまったのだ。


 そんなこと言ったって武川にテーマを提出しなければならない。


 朝ネクタイを締める夫の前に回り込み

「あのー。『与謝野晶子と森鴎外』なんてどうでしょう」と言ってみた。


 紫陽の父はスーツを着ない人だった。ネクタイが珍しい。手品みたいに1本の布がネクタイに変わっていくのを見るのが好きだった。


「いいんじゃない」


「森鴎外はすっごく与謝野晶子をかってたんですよね」

「そうだよ」

「晶子も子供の名前を鴎外につけてもらったりして」

「長女の八峰やつをと次女の七瀬ななせね」


 タカハシ、即答。


「そんな2人だから文学的にも影響しあってたんじゃないかな〜っと」


『森鴎外』と『与謝野晶子』いかにも武川好みの『ビックネーム対決』である。


「いいね。じゃあ。森鴎外の作品全部読むところから始めないとね」

「ヒッ。全部ですか!?」

「ただ読むだけじゃダメだよ。初出を全て調べて、晶子の作品の初出と比較検討しないと」


 えっ。


「お互いの影響を知りたいならいつ雑誌に掲載されたか確認するのは当たり前だろう」


『じゃあ、行ってきます』と夫は足早に家を出て行った。忙しそう……。


 紫陽は森鴎外の作品をいくつか読み全てを諦めた。なんかこう美文過ぎて無理。鴎外私には無理。


 紫陽が学んだのは『森鴎外の子供は全員大正時代のキラキラネーム』ということだけだった。







「平塚らいてうと与謝野晶子でどうでしょう?」


これだって結構なビックネームじゃん!


 帰ってきてソファーに座り込む夫に恐る恐る声をかけた。もう午前0時だが、なかなか顔を合わせられないので今しかない。

 両手を太ももの上でぐったり組み合わせている。

 ごめんなさい。疲れているのに。


 タカハシは目をつぶって暗唱しだした。

=======================

元始、女性は太陽であった。真正の人であった。

今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く、病人のような蒼白い顔の月である。

=======================


「それです! その平塚らいてうです!」


 雑誌『青鞜せいとう』を主宰し革新的な思想を唱えた平塚らいてう!


「筆名だと『平塚明子』になっている場合もあるから気をつけなさい。2人を扱うということは『母性保護論争』だね」

「はい!」


「いいんじゃない。平塚らいてうなら家に全集があるよ」


 ぎっえ〜。何でも全集で持ってんなお前。


「与謝野晶子は『青鞜』創刊号の賛助員だからね。欧州旅行のときは平塚らいてうが見送りにいってるし。2人の付き合いは深くて長いものだったんだよ」

「あ? え? そうなんですか?」


「そのテーマで行くなら、当時の女性の立場を知らなければならない」

「『男尊女卑』ですか?」

「そう」


 夫は立ち上がって『中原中也全集』をもってくるといきなりページを開けた。


「この写真だけどね……」


 え〜。パラパラしなかったじゃん。何これ。どこに何の写真があるか記憶してるってこと? 恐ろしすぎるよタカハシ。


=======================

父中也儀かねて病気の所二十二日午前零時十分死去仕候間此段御通知申上候


追而十月二十四日午後三時半より四時半まで鎌倉町寿福寺に於いて告別式相營可申候


昭和十ニ年十月二十二日


      鎌倉町寿福寺境内


                   中原愛雅

                   親戚一同

                   友人一同

=======================


 ハガキの写真だった。内容からいって告別式の連絡である。


「中原中也が死亡した昭和12年は晶子59歳なんだけど、何か気づかない?」


「…………あっ。この『愛雅よしまさ』って中也の息子ですよね?」

「そう」

「まだ1歳になってないのでは……」


 年表を確認した。


 愛雅誕生 昭和11年12月15日

 中也死亡 昭和12年10月22日


「え? ここって喪主を書くところですよね? どうして奥さんでなく11ヶ月の赤ん坊なんですか?」


 ハッとなった。


「…………女は喪主になれなかった?」

「そう」


 これを『男尊女卑』と言わずしてなんと言おうか。


「ここを読み間違えると何も語れないよ。平塚らいてうの『青鞜』を読むのは当然として、論争に参加した山田わかと山川菊栄の評論文も参照するべきだね」


 タカハシはそのまま立ち上がるとお風呂に入りに行ってしまった。


 一応関連するとこだけ全集を読んだが、紫陽はあくまで与謝野晶子の『恋』に興味があるのであって、母性保護論争はピンと来なかった。

❇︎表示できない旧字体は現代のものに直してあります。


(例)『予+象』→『かねて』



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【次回作はこちら】『16万年前の隣人』
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[一言] 卒論のレベルじゃなくない?( ˘ω˘ )
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