(11)ナイスミディたちと会食
「「「え〜っかっわいそ〜〜〜〜!!!」」」
ナイスミディのオネーサマ方に囲まれ紫陽は首を縮めた。
39歳前後の女性たちである。総勢17名。
20畳はある広いお座敷に長方形のテーブルが幾つも並べられていた。細かく仕切られた懐石弁当には赤飯だの、炊き込みご飯だの、ブリの西京焼きだのが少しづつ入っている。ビールがコップに並々注がれて場は「オホホ」「オホホ」の嵐であった。
靴箱の鍵が木札の店。
紫陽は夫タカハシの大学同級生に呼び出されていた。
簡単に言うと『話題に飢えた中年女性のオモチャ役』である。
同窓会で『あのタカハシクンに17も年下の爆乳嫁が!!!』と盛り上がった女たちが、紫陽を座敷に呼び出したわけだ。
女たちは懐石弁当を忙しく口に運びながら紫陽を質問責めにした。
「武川ねぇ〜? 馬鹿じゃないの!?」
「大学の時も、大学院に残ってからもやる気なかったくせにねぇ!?」
「タカハシクンの嫁だからって張り切っちゃって!」
「タレ川のくせに!」
「ね〜え! タレ川スネ樹のくせに!!」
たるんだ肉にむせかえる香水が群れになってグイグイ紫陽に迫ってくる。
首に食い込んだネックレスを思わず見つめた。18金かなぁ。コレ…………。
「タレ川なんてタカハシクンの足下にも及ばないんだからぁ」
「タカハシクンは別格よねぇ」
「ハイッ!アタシレポートみてもらったっ」
1人が勢いよく手を上げた。
「アタシも」「アタシも」波が盛り上がるように次々手が上がり、波が収まるように引いていった。
『それはそれは……主人がお世話しました……』
と思ったがむろん口にはしない。紫陽なんざ現役でタカハシにレポート見てもらっているのだ。どうりでレポートの指導がうまいと思ったわ。年季が違う。
「昔っからさぁ武川はタカハシクンにライバル心むき出しだったわよねぇ」
「タカハシクンは相手にしてなかったけどねぇ」
「しないでしょ! あんなザコ!」
いや〜。本人がいないからって言いたい放題だね。このオバ……じゃなくてナイスミディたちは。
「え……。そうでもないわよ。タカハシクンだってライバル心あったわよぉ」
「まっさか〜。」
武川智樹は『口は災いの元』を地でいく男だったらしい。
最初に同級生をギョッとさせたのがゼミの飲み会。ふとしたことでタカハシの両親がいないことを知った武川(当時18歳)は
『何お前? 親いないの? かっわいそ〜!』
と言い放ったらしいのだ。周り中ハラハラしたが、タカハシは何も言わず笑っていたのだという。
「ところがさぁ〜」
タカハシは水面下で武川に復讐を始めた。次々と優秀なレポートを提出しては教授陣を唸らせ全ての教科で『A』を取った。
そして4年後『首席』になると、卒業式でツカツカと武川の前に歩み寄り『ニッコリ』した。
『両親がいなくてもかわいそうじゃないよ』
静かな声。右手に首席だけがもらえるトロフィーを抱えていたそうだ。
武川はポッカーンとしていたが、ゼミの飲み会に参加していた全員が
『ヤベェ! タカハシ! 4年かけて復讐してきた!』
と気づいた。
「あの時のトロフィー忘れられないわよ! 三角形の金ピカトロフィーでさぁ」
「メトロノームみたいなやつね! 下に『DOKISYA UNIVERSITY』って書いてあるやつ!」
「紫陽ちゃん。タカハシクンね。ちょっと気をつけた方がいいわよ。そういうとこあるからね」
「ニコニコしてるからって怒ってないとは限らないのよね」
「ていうか誰よりも怒っていたのよね。あの時!」
なんとなくわかる。
紫陽が高校時代、騒がしい教室でもタカハシはけして怒らなかった。
ただ静かに『騒ぎの元』へ向かうと、その場でしゃがみ込んでじっと当該女子高生を見つめた。
『得体の知れない鬼太郎』に見つめられた女子高生は不気味さに押し黙る。教室はそれで静かになってきた。
今ならわかる。
あれは内心激怒していたのだ。表に出さないだけだ。怖っ。タカハシ怖っ。
夫は振り幅が狭いだけでけして感情を持ってないわけではないのである。結婚して2年でようやく紫陽もわかってきた。
気の毒なのは武川であった。タカハシが大学を卒業した後も無限に『どうしてお前が大学に残ったんだ』『タカハシが良かった』『お前じゃない! タカハシこそ教授になるべきだ』と教授陣に言われ続けたわけだから。
でもさぁ。その『恨み』を私にぶつけるのはヤメテよ! 私はあくまで『奥さん』で本人じゃないんだからさぁ。
卒論がタカハシと武川の『第二次戦争』になるのかと思うと気が滅入った。
ナイスミディたちとの会合帰り際1人の女性に声をかけられた。
「そういえばタカハシクン。前髪切ったんだって?」
そう高橋是也という男は左目が隠れるくらい前髪が長かった。それを紫陽との結婚でキッパリサッパリ切ったのである。今は両眼ともみえている。
「タカハシクン。大学に入学したときは前髪切ってたのよねぇ」
「えっ。そうなんですか」
「ある日突然前髪を伸ばし始めてねぇ」
「え? なんでですか」
「誰にも訳を言わないんだけど。その前あたりにちょっとした事件があったのよねぇ」
「事件?」
ほぼ感情を動かすことのないタカハシが、一度だけ武川を睨みつけたことがあるらしい。
「武川君。ゼミで何の気なしに言ったのよねぇ」
『なんだタカハシ。お前良く見ると中原中也に似てるな』
◇
「はい。論文」
夫にプリントを手渡されて紫陽は押し黙った。
『『みだれ髪』設立背景』と題名に書いてある。
「えっと……これは……」
「ちょうどいいのがあったから印刷しておいたよ」
夫の仕事部屋にコーヒーを持っていったときのことだった。プリンターが『ゔ、ゔ、ゔ、ゔ』と唸りながら紙を吐き出す。
確かに『三重桑名短期大学 国文科助教授 朝倉大和』と書いてある。
「その……三重県の大学の論文を先生が持っているというのは?」つい昔の癖で夫を『先生』と呼んでしまった。
「学会誌をいくつか取っているからね」
高橋是也という男は! 大学教授でもないのに学会誌を取り寄せているのである! 最近はパソコンでも見れるらしい。それにしても『趣味で』学会誌を読むとかなんなの!? 紫陽は単位を取るために仕方なく論文を読んでいるのだ!
「朝倉先生なかなかいいことをおっしゃってるよ。最後の参考文献を参照しなさい」
タカハシが何を言っているか説明しよう!
論文の最後には『参考文献』が載っている。それを読む。その参考文献の最後にやはり参考文献が載ってるのでそれを読み、その参考文献の参考文献の参考文献をさらに読んでいくのだ。無限に遡っていくのだ。でないと論文を真に理解することはできない!
ありがたいことに大学というのは他の図書施設に比べれば圧倒的に論文を保管してくれているので、無限に論文が読めるのです。泣きそう!
「え……あの……私まだ『源氏物語』の『須磨』なんですけど……」
「与謝野晶子の全集と並行して論文を読んでいくんだよ。早くテーマを決めなさい」
『テーマ』というのは論文の主題を指している。『みだれ髪』と言っても、その中の品詞について論じるのか、設立背景について論じるのか、他の作者との比較について論じるのかで当然調べる方向性が変わる。
『「みだれ髪」の何を論じるのか早く決めろ』と言われたわけだ。
そんなこと言ったって〜〜〜〜〜〜〜〜。
◇
タカハシがくれるコピーはあっという間に山になった。
こんなに与謝野晶子が研究されているとはびっくりだ。
学生仲間に話すと『自分でコピーしなくていなんて羨ましい〜』『自動検索機じゃ〜ん』と明るく言われたが、この山を見てから言って欲しい!
『源氏物語』だけで4000ページ超えるってのに泣きそう!
しかもこの『山』を手がかりにその参考文献、参考文献、参考文献と遡っていかなければならないのだ。
無理無理! 無理無理無理!




