後編
「あると思って探せばある、か」
子供達と別れた猫は、裏通りの隅、普段あまり気にしない部分を、しゃがみ込んでじっくり眺めていた。
「でもなぁ、ソレを使って化けて出たからって、あいつが幽霊かどうかとは関係ないだろう?」
「そうなんですけどね。そもそもコレがこんなところにあるのは、何故なんでしょうね」
大して人の通らない、ビルの裏。スピーカーと投影機を同期させたシステム。それを自己だと認識する何者か。
「向こうも見に行きましょうか。そんなに広い範囲じゃないと思うんですよ」
幽霊に出会ったところを通り過ぎて、少し行ったところ。
「おっと」
向こうから来る道いっぱいのガベージコレクタ。要はゴミ拾いマシンだが、規格化されたゴミ箱のおかげで自動的に回収していける。容量を稼ぐために背が高いのが特徴だが、猫は傘をさしたまま器用にその上に飛び乗った。
「間が悪いねぇ」
「いつもと違う時間にうろついてるからなぁ」
「仕方ないだろう?明るいうちの方がやりやすい事ってのもあるんだよ」
あまり長く乗っていると元来たところに運ばれてしまう。猫はすぐにガベージコレクタの反対側に飛び降りた。
「それにしても、まるで大きな壁だね。世が世ならあれが妖怪扱いされてそうだよ」
振り返って見送りながら、そう呟く。
「なんかそんな有名なやつ、居た気がするな」
「会ったことはないけどねぇ。ほら、こっちにもあるよ」
猫はどうにも得心の行かない顔をしていた。
「まあそんなわけでね、種と仕掛けはわかったんだが……どうもはっきりしないのはアンタだよねぇ」
周囲はすでに薄暗い。もう夜と言ってもいい時間だ。
「ワタシですか?てっきり、ワタシがその投影機とスピーカーで構成されるという話なのかと。こんなもやもやじゃなくて、体があると聞いてほっとしたんですケド」
「それでいいのはお化けだけだよ。茶碗だって走り回るし目玉だけのがいてもいい。が、アンタは人間なんだろう?」
猫の目が細くなる。しかし目を細めてもぼやけた顔がはっきり見えたりはしない。
「アンタが幽霊だとしてだよ。その化けて出る手段がこの町らしいからくりだとしてだ」
よく見えはしないが、そしてそこに実体がないことはもうわかっているが、猫はその顔をじっと見つめながら言葉を続ける。
「それでも人間なら……人間として生きた体が、そして生きた記憶とか証ってやつがあるんじゃないのかね」
「体……生きた証……」
もやがゆがんだように見える。相変わらず、顔であることはわかるし何らかの変化があったこともわかるのだが、表情は読みとれない。
「……本当ですね。なんで気にならなかったんだろう」
声の方はクリアに落ち込みを伝えてくる。
「あとね、もうひとつ、こっちは思い出さない方が良いことかもしれないんだがね」
猫は少し切り出すのをためらって、その後でこう続けた。
「幽霊ってのは、そうなる理由があってなるものだ。たとえ化けて出る手段が変わっても、そうして化けて出たい思いって奴なしには出てこないはずだ」
猫の目はおぼろげに浮かんだ顔を見ている。少しの動きも見逃すまいとするように。その視線をそもそもこの幽霊は、感じているのかどうか。
「お化け屋敷ってのがあってね。知ってるかい?大昔の見せ物さ。中身は作り物のお化けたち。からくり仕掛けのね。それだって、金を取って人を驚かしたいという理由があってそこにあったんだ」
目つきが少し柔らかくなる。
「ま、幽霊じゃなくったって、ただのからくりだってそうさね。そこにあるには理由があるはずだ。そうだろう?」
何かの意味があるのか、単なる話の区切りなのか。傘を少し上下に動かす。パンっという小気味よい音とともに水滴が花を咲かせる。
「なんだってアンタは化けて出たんだい?」
少しの間の後。
「……わから、ない」
呆然としたような声。
「思い出せない。化けて出た理由だけじゃない。その前に何をしていたのか。この体の前に、どんな体で、どんな生活をしていたのか」
声は混乱をそのまま声に出していた。唯一知っている、自分の行動原理。
「機械の体でないもの。自由に拡張や改造を繰り返すものでない存在。そういうものへの……なんだろう……何かそれを……」
猫はヒゲを一度しごくと、話題を変えるように明るい声を出した。
「では、ログはどうだろうか」
唐突な質問。キョトンとしたのが、解像度の極端に低い顔からも伝わってきた。
「起動から今までの、さまざまな行動のログ。そういうものがあるとして」
あくまで仮定の話、そのような口調で猫が続ける。
「あると思って探せばある、そんなことはないだろうか?」
質問。あるいは探し方のヒント。あくまで軽く。無責任なネコらしく。
「そんなわけ……そんな……」
わなわなと震える顔。直後、周囲を包み込むような、広範囲に響き渡る絶叫が裏通りの数ブロックを支配した。
「呪いだったのか、単なるいたずらだったのか、本体はどこにあったのか、再起動したらまた動き出すのか」
なにかを見つけて、道の隅に寄る。
「本当のところはわからんよ。いつから動いていたのかもわからない。ただ、あの『幽霊』は、少なくとも幽霊としての、あるいは元人間としてのアイデンティティは消えた。そして」
隅にあったのは小さな投影機。それを抜いた刀で貫く。
「こうして、化けて出るからくりも壊れてしまった」
「壊してんじゃねぇか」
傘があきれる。
「細かいことはいいんだ。細かいことは」
「一件落着って事で、良いじゃないか」
そう言うと猫はまた、傘をパンッと鳴らした。水滴が丸く、花輪のように散る。
この町の雨は、止むことがない。