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ジゼルの花  作者: 夏野菜
第一部 一年生編
9/42

歌は得意です



「あ、菜乃日ちゃん」


備品室に入ると、小さい机にノートを開いていた茉夏が顔をあげた。


「すみません、待ちましたか」

「ううん全然。どうしたの?なんか顔疲れてるけど」

「ちょっと上級生に絡まれまして」

「また?運動会終わってから増えたね」


そう、運動会で宮子師匠と走ってから学内で上級生に声をかけられることが異常に増えた。こけっぷりを笑う者もいれば、宮子師匠との関わりについて疑問に思う者など様々な理由があるようだが、変な目立ち方をしてしまっているなと少し困っている。しかしどうすることもできないので、落ち着くまで時が過ぎ去るのを待つしかない。


「そんなことより今は文化祭に向けて気合を入れましょう」


わたしが拳を握ると、茉夏も同じように拳を握った。


「そうだね。ね、題目の候補見せて」

「これです」


わたしはメモ帳を茉夏に渡す。わたしたちは文化祭での文楽同好会としての発表についての打ち合わせをするために、今日は集まっていた。


杜乃宮学園の文化祭は、言わば文化部の活動発表会としての意味合いが強い。運動会は運動部の活躍の場、文化祭は文化部の活躍の場ということになっている。文化部が多い杜乃宮学園では無限に増え続ける文化部を抑制するために、年に一度の文化祭では必ず成果を発表しなければならない取り決めがある。もちろんそれは同好会も例外ではなく、わたしたち文楽同好会でも成果を発表しなければならないのだ。


発表内容の決定については、話は運動会前まで遡る。


「困ったね」

「困ったさんですね」


わたしたちは文化祭の文楽同好会としての発表に頭を悩ませていた。


「文芸部はこの小冊子を発行していて…」


茉夏は本棚に並んだ冊子を見る。


「声楽部は舞台で合唱をしていた…」


わたしは文化部・同好会に配られた文化祭概要を見つめる。


「成果発表としては、部誌発行、舞台発表、教室発表が学園的に認められているものだけど…」

「どうしようね」


わたしと茉夏は頭を悩ませる。文楽同好会を立ち上げたはいいものの、していることと言えばただ備品室にある無数の部誌を読んでいるだけだ。主に茉夏が。


「部誌発行が一番手っ取り早いけど」

「二人だけで発行するにはかなりの文字を書かなければいけません」


概要を見るに、部誌を発行するためには最低50頁が必要とのことだ。必死になれば不可能ではないだろうが、中身の薄いものができてしまったら学園から却下になる可能性もある。


「私は読む専門だからな…」

「わたしもです」


うーんとお互いが考えこむと、開け放した外から発声練習の声が聞こえる。それを聞いたのか、茉夏が真剣な表情をしてこう言う。


「歌でも作って、う、歌う?」

「いや、それは茉夏が困るでしょう。しかも、軽音部があるから歌は被るし…ああ、そうか」

「え?」

「詠えばいいんですよ」

「ん?」


首を傾げる茉夏の手元にあった部誌を手に取る。


「朗読をするのはどうでしょう」

「なるほど!」


ということで、わたしたち文楽同好会は文化祭では朗読発表ということで文化祭の管理を務める生徒会に申請をした。すると後日、舞台発表はスケジュールがかなり詰まっているので代わりに放送を通して朗読発表をしてはどうかと提案があった。人前に立つことに抵抗があった茉夏とわたしは大いに喜んで、その提案に乗ることにした。


そして現在は、なにを朗読するのかということで話し合っている。


「貰った時間は30分。そこをどうするか」


文化祭では、ラジオのように放送部が終日放送を行っている。放送部の企画のものもあれば、わたしたちのように別の部活や同好会が成果発表としての場になることもあるそうだ。


「あまりに稚拙だと、同好会を存続の危機にさらすことにもなりかねませんので、いいものにしたいですね」

わたしたちはそれぞれが良いと思った本や詩集を書き出し、そこから選ぶことにしたのだ。

「うーん、これは長いんじゃないですかね。登場人物も多いし…」

「やっぱりそうかな。いい話なんだけど」


茉夏が提案した本は、どれも少し量があるようだ。


「でも詩集だと短すぎるかもね」

「そうですね」


わたしが提案したものは詩集が多い。


「うーん、この部誌くらいの短編でいいのがあればと思ったけど、うまくいかないね。私も短編はあんまり守備範囲じゃないんだよね」

「…その部誌は駄目なんですかね?」

「うん?…ああ!」


茉夏はその手があったかと目を輝かせる。


「そっか!この部誌の中から選んで朗読すればいいんだ」

「これだけありますからね。過去の部誌の存在を亡き者にしないためにも、いいんじゃないでしょうか」

「さっそく選んでいい?」

「いいですよ。ここの部誌に一番詳しいのは茉夏ですから」


茉夏は目をきらきらさせながら部誌を手に取っていく。今の時点で何冊くらい読んでいるのだろうとふと疑問に思う。


「そういえば、菜乃日ちゃんって声楽部希望だったんだよね」


茉夏が部誌を数冊手に取り椅子に座る。


「そうですよ」

「合唱曲とかって歌えるの?」

「まあ知ってるものだけなら」


茉夏の瞳が鋭く光る。


「ね、ちょっと歌ってみてくれない?」

「え?今ですか?」

「そう、いま!」


わたしは少し考えたが別に減るものではないし、断る理由がなかったので早々に頷いた。


「いいですよ。あまり大きな声は出せないですけど。なんでもいいですか?」

「うん!やった」


そんなに興味があるんだろうかと思いながら、ふとサヤに自分の歌を聞かせていた頃を思い出す。


「じゃあ、合唱曲”うさぎのたより”から一小節からサビまで」


わたしは立ち上がって、茉夏に向かって軽く一礼する。


「わ、それっぽい」


茉夏が可笑しそうに笑う。わたしも微笑みながら、息を吸った。



歌ったのは、久しぶりだった。家にいる時はサヤに聞かせたり、自分で練習してみたりと何かとよく歌っていたが、寮となると他の部屋の人に迷惑をかけないようにするために極力音は立てないようにしているし、何しろ勉強ばかりしているのでそんな余裕がなかったこともある。


『菜乃日の歌って、元気になる。すごく上手だよ』


歌い終わったわたしに、サヤはよくそう言ってくれていた。今ならお世辞だったとわかるが、褒めてくれたサヤのためにも自分の歌は磨いていこうと心の中の小さな目標になっている。



歌い終わって、一息つく。しかし、茉夏が何も言わないのでわたしは不安になって茉夏に尋ねた。


「…どうでした?」

「…え…」


やっぱりサヤのはお世辞だったんだなと少し寂しくなりながら、わたしが椅子に座ると茉夏が机をダンと叩いた。


「わっ」

「いや、上手すぎる!え、歌手?すごい!すごいよ菜乃日ちゃん!」

「えっ…」


茉夏の目の輝きが先ほどよりも増している気がする。


「声楽部ないのもったいないな~こんなにうまい人いたら、絶対コンクールとかで上位いけるでしょ!」

「いや合唱はひとりがうまくても賞はとれないんです」

「そうだけど、そうじゃなくて!こんな宝の持ち腐れ…そうだ、朗読に歌うとこ無理やり作ろうよ!」

「いやいや、そんなことしたらミュージカルになっちゃいますよ」


茉夏とわたしがそんな話をしていると、廊下からパタパタと足音がした。気付いた茉夏が首を傾げる。


「菜乃日ちゃん、誰か来たみたい」

「そうですね、もしかしてわたしの声が大きかったんですかね」

「いや、そんなことないと思うけど…」


茉夏がそう言った瞬間、バタンと備品室の扉が開いた。


「失礼する」


そう言って入ってきたのは、同じ色のリボンタイをつけた女子生徒だ。顔は見たことがある気がするが、名前は知らない。茉夏も知らない人なのか、途端に身体をびくつかせている。


「…」

「こんにちは」

「ああ、こんにちは」


女子生徒だが、声は少し低くてハスキーだ。短い髪が開け放した窓から入ってくる風にさらさらと揺れた。風、なるほど。


「もしかして今の歌外にも聞こえました?」

「そう、そうだ。今の歌を歌ってたのは、どちらの姫かな?」

「ひ、姫…?」


なんだろう。言葉選びが演技かかっている気がする。なんとなく即答するのに気が引けて、茉夏を横目で見た。しかし、彼女は彼女で人見知りを発動してしまっているので、瞬きを繰り返すばかりだった。


「…わたしです」

「そうか、突然すまない。私は浦滝遊海うらたきゆうかい。演劇部所属の一年だ。君の名前は?」


浦滝遊海。多分民家の人。そして演劇部とは、いかにもといったところだろうか。


「わたしは陽野菜乃日。文楽同好会の一年です。こっちは同じく一年の、日暮茉夏」


「菜乃日と茉夏だね。僕のことは遊海って呼んでくれていいよ。ねえ、菜乃日。君、演劇部に入らないかい?」


遊海は整った顔をぐいとわたしに近付けてそう言った。


「演劇部?」

「な、なんですかあなた!突然来て!」


わたしが面食らっていると、少し震えた声で茉夏が言う。


「菜乃日ちゃんは渡しませんよ!」

「やあすまない。別に横取りするつもりはないんだ。ただ、君の歌声があまりに素晴らしかったのでつい」


遊海は少し申し訳なさそうな顔をして一歩下がった。主張がやや強いが、別に悪い人ではなさそうだ。ジゼルの花は他人への思いやりの気持ちを持つことが重要なので、わたしはとりあえず話を聞いてみることにする。


「どういうことですか?」

「実際に見てもらった方がいいかもしれない。お二人とも、今日は時間はあるかい?」


わたしと茉夏は顔を見合わせ、首を傾げながらも頷いた。


「ありがとう」


遊海は微笑んだ。思わず見とれてしまいそうな、麗しい綺麗な微笑みだった。



遊海に連れられて、わたしたちは演劇部の活動場所である杜会館に来ていた。杜会館とは小さい建物で、たまに外部の人を読んで小規模の集会や公演をしている場所である。道中簡単に演劇部について教えられたが、杜乃宮学園の演劇は現在は全員で30名ほどの規模であり、一年は7名ほどいるらしい。


「あ、遊海!発声もう終わっちゃったよ、何してたの」

「すみません先輩、ちょっと卵を見つけてしまって口説いてました」

「また?飽きないね」


遊海は運動着を着た上級生と気軽に言葉を交わしている。どうやら、このような勧誘は遊海にとっては日常茶飯事のようだ。


「…一年生なのに、すごいね」


遊海たちを目で追っていた茉夏が小さく呟いた。確かに、と思う。遊海はわたしたちと同じ一年なのに、すでに演劇部の中では一目置かれているような存在に見えた。


「あれ、陽野さん?」


遊海が別の人間と話している間、会館の隅に立っていたわたしたちに声がかけられた。同じ組の同級生の男子生徒だ。不思議そうにわたしの顔を見ている。茉夏にも目を向けたが、例にならって人見知りを発動した茉夏はわたしの背後にまわる。


「どうしたの、見学?」

「まあそういうものです。あ、そうだ。遊海って何者なんですか?」


そう尋ねると、何かを察したのか男子生徒は笑う。


「なるほど、陽野さんも遊海のお眼鏡にかなったわけだ」

「有名な人なんですか?」

「演劇界隈ではね、遊海は最年少の脚本作家なんだよ」

「脚本…?」


茉夏が反応して顔を出してきた。本という単語に弱い人である。男子生徒は茉夏の態度を特段気にすることなく、簡単に説明してくれた。


浦滝遊海は幼いころから演劇に触れてきた人間であり、中学の時に書いた脚本で中学部門の賞を取り、そのあと一般部門でも賞を受賞したすごい脚本家らしい。学園に入学が決まった時から本人の希望で演劇部への入部が決まっており、入学前から演劇部の活動に参加していたため上級生たちともすでに気心しれているという。


「そうなんですね」

「文化祭の演劇も、もう遊海の脚本ですることになってるんだ」

「そんなすごい脚本家だったの…」


茉夏がしみじみと呟く。そんな凄い人物には見えなかったので、わたしもとても驚いていた。男子生徒とそんな話をしていると、遊海が戻ってきた。


「やあ、僕の話かな?」

「遊海、お客さんを一人にしちゃだめだよ」

「すまない、ありがとう」


男子生徒はそう言ってわたしたちから離れていった。


「脚本家なんですね」

「まだまだ見習いさ」

「わたしたちに見せたいのは、文化祭の演劇?」

「そう。文化祭の稽古をしているんだ」


しばらくして、文化祭の演目の練習が始まった。遊海はわたしたちと並んで、会館の隅で練習風景を眺めた。遊海がわたしに声をかけたのかどうしてか、すぐに分かった。劇の途中に、役者の歌唱の場面があったのだ。



茉夏が声を抑えて呟く。


「菜乃日ちゃんの方が上手いね」


それに遊海が頷いた。


「僕もそう思ったよ。一応彼女は部内で一番歌が上手い人なんだけどね」

「まさかとは思いますが、わたしをあそこに立たせようとしました…?」


若干冷や汗をかきながらわたしがそう尋ねると、遊海は優艶な微笑みを浮かべて優雅に首を振る。


「そうしたかったが、今回は彼女があの役だからね。もし菜乃日がその気になってくれれば、菜乃日専用の脚本を書くよ。今、劇中歌が熱いんだ」


遊海の瞳が爛と輝く。冗談ではなさそうだ。その後休憩が入り、わたしと茉夏はその時間に練習場から退出した。


「どうだった?魅力的だと思うんだが」


遊海がそう尋ねてきたが、わたしはきっぱりと首を振る。


「わたしは、役者にはなれないです」

「どうして?」

「わたしはやるなら歌だけでいいですし、それに…」


わたしは視線を泳がせる。


「聞いてもらった方が早いかもしれません」


不思議そうな顔をしている茉夏と遊海を引き連れて、備品室に戻ってきた。わたしは本棚から適当に部誌を一冊手に取り、適当な頁を開く。登場人物が何かを話している場面がいい。


「菜乃日ちゃん…?」

「ごめんなさい、茉夏にはこれから言おうと思ってたことなんですけど」

「一体何が始まるんだい?」


遊海は戸惑いながらも少し面白そうだという顔をしていた。わたしは息を吸い、紙に印刷された文字を心を込めて呼んだ。


『そろそろミヅキちゃんに会いたいな!』


あからさまに遊海と茉夏の表情が固まったのがわかる。


『ミヅキちゃん、また来てくれるかな』


茉夏が何かを納得したようにうなずき、手のひらを額に当てる。


『きっと来てくれるさ』


遊海が耐え切れない、といった感じで手のひらをわたしの目の前に出した。


「ちょ、ちょっと待ちたまえ」

「どうでしたか」


わたしは真面目な顔で遊海を見る。遊海は察したように一瞬目を伏せ、真面目な顔でわたしを見る。


「…わざとではないのだな?」

「…残念ながら」

「あんなにひどい棒読み聞いたの、生まれて初めてだよ」


茉夏が呆然と呟いた。そう、わたしは演技が本当に下手なのである。どれだけ感情を込めたつもりでも、機械音声のような一辺倒の話し方しかできない。幼いころの学芸会でそれが発覚し、母やサヤは手を叩いて笑い、小学校中学校の国語の朗読の時間は同級生たちから呆然と爆笑を誘ってきた。しかし、別に演技ができないからと言って生活に何の不便もない。だから、これでいいと思っている。


「だから朗読の本詩集しか持ってこなかったんだね、菜乃日ちゃん」


その通り。詩集であれば棒読みでも雰囲気がでるのでなんとかなると思ったのだ。


「ここまでの人を見たのは初めてだ…」


茉夏と遊海が深刻そうな顔で顔を見合わせた。


「ということで、わたしには役者は無理です」


茉夏が朗読どうしようと小さく呟いた。詩集なら聞くに堪えないことにはならないとは思う。


「まあ、でも練習すれば演技はどうとでもなるさ!」


遊海が思ったより前向きな発言をしたので、わたしは少し面食らう。


「あれを聞いてそれが言えるのはすごいですね…」

「あの演技を差し引いても、君の歌は魅力ということさ」


遊海は片目をつぶって微笑む。こういう仕草が似合う人だ。


「ありがとうございます」

「今日は稽古に戻るが、また声をかけるよ。じゃあまたね」


そう言って、遊海は颯爽と部屋から出て行った。二人になった備品室に静寂が訪れる。


「…じゃあ、菜乃日ちゃんの朗読力を踏まえて題材決めよっか」


茉夏が少しきりりとした顔でそう言った。わたしは素直に頭を下げる。


「はい、よろしくお願いします…」


それから度々、遊海は文楽同好会の活動日を狙って備品室にやってきた。わたしが備品室に入った時にはすでに茉夏と話しているようなときもあり、茉夏は遊海が書いた脚本を見せてもらっているようだった。人見知りの茉夏に友人が増えるのはいいことだが、なんとなく外堀を埋められている気がしなくもない。


わたしは学園で歌うのは控えようと、心に決めるのであった。


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