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ジゼルの花  作者: 夏野菜
第一部 一年生編
8/42

運動会ですね


 ✿


休暇が明け、まず最初の学年の行事は実は中間試験ではない。その行事とはわたしがこの世で最も苦手とする、運動会である。運動会といっても、杜乃宮学園は運動に力を入れているわけではないため、内容としてはそんなに過激ではない。むしろ他校と比べると競技が少なすぎるくらいだ。


運動会では、各学年の八組を二組ごとにまとめ、計4つのチームが結成される。そこで競技ごとに得点を加算していき、一番得点の多いチームが優勝といったところだ。競技といってもその場で誰でもすぐにできるようなものばかりで、運動が苦手な人間にとってはとてもありがたい運動会なのだ。


「お疲れ!」

「今の良かったよ」

「次の競技なんだっけ」

「みんな水飲んでおいてね~」


わたしの組は六組と結成された、赤の南チームだ。チームは東西南北で名前がつけられており、青の東チーム、白の西チーム、赤の南チーム、黒の北チームになっている。


「陽野っち、同じ玉入れだよね?がんばろ」

「がんばりましょう!」


わたしは同級生たちと笑い合った。しかし内心ではどうやってみっともない姿をさらさないようにするかで頭が一杯だ。


「すご!」

「はっや」

「運動神経良すぎだろ」


歓声が聞こえてグラウンドを見る。安城鈴矢が走っていた。百メートル走だ。八人で走っているが、安城鈴矢がぶっちぎりで一位である。


「いいなあ」


風を切って走る安城鈴矢を見て、わたしは小さく呟いた。しかしすぐに首を振る。人を尊敬するのはいいが、妬む行為はジゼルの花らしからぬ行為だ。自分には自分にできることをやらねば。


「玉入れ入場ゲートに集合だって、陽野さん行こ」

「はい、行きましょう!」


玉入れは団体競技だ。しかし、個々の能力があって勝利が決まる。別にチームの勝利がジゼル花に関係することはないが、物事に全力で向き合うのがジゼルの花らしいだろう。チームに貢献できるよう、全力を尽くす。そうわたしは決意した。

しかし決意をしたとして、運動能力が向上するかと言えば全然そうではないのが現実だ。


「…どうして」


玉入れが開始され、数分が経過してわたしは愕然とする。何個も何個も落ちた布でできた球を籠に向かって投げるが、それらは一個も籠に入らない。


「くっ!」


それでも数打てば入るかもしれない精神で、わたしは周囲の同級生よりも早く拾っては投げを繰り返す。しかしどれも入らない。やばい。さすがに一個も入れないのはチームのお荷物でしかない。とにかく入れなければ。


「お願い…!」


終了時間が迫る中、一個一個自分なりに微調整をしながら大事に投げた。しかし、どれも想定外の方向に飛んでいくばかりで、籠へ入らず地面に落ちる。


「…!」


もうだめだと思いながら投げたひとつが、偶然綺麗な弧を描いた。


「入った…!」

「はい、そこまでー。球の数を数えますので、皆さんその場にしゃがんでください」


競技終了の放送が響く。わたしは大きく息をつき、その場にしゃがんだ。結果は、わたしのチームは2位だった。他の仲間たちの腕が良かったのだろう。わたしは良かったと胸をなでおろした。


そして次の競技は、3年生による借り人競争だ。これは例年人気の競技で、1年と2年は借り「物」をするのに対して3年生は「人」を借りる。同級生たちと楽しく競技を観戦していると、同級生たちがざわめき始めた。


「あの人だれ?」

「見たことない」

「綺麗な人」


なんだと思って次に待機している走者を見る。そこには、長い髪をひとつに束ね、見たこともない体操服姿の宮子師匠が立っていた。


「え?」

「陽野ちゃん、あの人知ってる?」


同級生に話しかけられ、わたしは動揺しながら頷く。


「はい、あれは蛇子先輩ですよ」


「蛇子?」

「蛇子家三兄弟の長女?初めて見た」

「もしかして、お前の姉?」


そんな声が聞こえて、わたしはその声の方を向く。そういえば、一年にも弟がいると言っていた。蛇子が付く名前といえば、この学年にひとりしかいなかった。その名前は、蛇子季陽じゃす きよう


「…」


同級生に話しかけられ、タオルを頭からかぶっていた蛇子季陽が小さく頷くのが見えた。別の組だが、同じチームなのでテントが同じのようだった。見られているのに気付いたのか、蛇子季陽が視線を動かす。


「…」


なるほど、あまり温度を感じられない目が宮子先輩によく似ている。


「…」


ほんの数秒目があったが、蛇子季陽は何も言わずにグラウンドの方に顔を向けた。


「あ、次走るみたいだよ」

「次のお題は何かな~」

「あれ、固まっちゃった」


走り出してから、数メートル先にお題の紙が地面に置いてある。それを拾って、走者は人を借りるために奔走し始めるのだが、宮子師匠だけお題を拾ってその場に立ち尽くした。


「…どうしたんだろ」

「たまに変なお題あるもんね」

「あれ、もうゴールに向かってる人いる」


「……宮子先輩!頑張ってください!!」


大声を出すのはあまりジゼルの花らしくないが、宮子師匠が困っている姿をただ静かに見るのは耐えられなかった。さすがに公衆の面前で師匠呼びはできなかったけど。すると、宮子師匠は紙から顔をあげた。


「…」


目が合った。と、思った瞬間宮子師匠が走り出す。他の走者はすでに借り人を見つけ、続々とゴールへ向かっていた。


「…ん?」


あれっと気付いた時には、宮子師匠が目の前にいた。


「菜乃日、来てくれる?」


宮子師匠が少しぎこちなく、わたしにそう言う。


「はい!」


宮子師匠にそう言われて、断れる人間がいるだろうか。いるはずがないのだ。わたしは元気よく返事をして、立ち上がった。同級生たちは驚いたり、不思議そうにしたりしていたがすぐに応援してくれる声が背後から聞こえた。


「陽野ちゃんがんば~!」

「陽野っちいけー!」

「陽野さんいいぞー」


しかし、わたしは思わぬイベントに高揚し忘れていたのだ。自分が、絶望的に運動神経が悪いことを。


「おっと、最後の走者がゴールに向かっています!」


そして、予想外に宮子師匠の足が早かった。


「あっ」


宮子師匠の足についていけなかった足はもつれ、わたしはあえなく地面に転んだ。


「あーっと!ここで、借り人が転びました!大丈夫かー!」

「菜乃日!」


情けなさに涙が出そうになりながら、わたしは宮子師匠の手を取って立ち上がりふたり並んで歩きながらゴールに到着した。他の走者はすでに走り終えており、ゴールで暖かい拍手を受けることになった。さらに泣きたくなった。


「菜乃日、足すりむいてるでしょ。救護テントに行くよ」

「…はい」


「あっさっきこけた子?お大事に」

「いい走りっぷりだったね」

「ナイスファイト!」


救護テントに行くまでに名前も知らない同級生に声をかけられ、わたしは苦笑いをするしかなかった。


「すみません、転んじゃって」


救護テントでパイプ椅子に座らされ、わたしは申し訳なさで頭を下げる。


「いやこちらこそ。菜乃日がどんくさいの忘れてたよ」

「…」


反論できずにわたしは唇を噛みしめる。せめて人並みに走れるくらいの運動神経は持ち合わせておけばよかった。


「菜乃日ちゃん、勢いよく転んだわね」


救護テントには保健室の先生がおり、たいそう笑いながらわたしの膝にできた擦り傷を見た。


「そういえば、お題はなんだったんですか?いて」


傷口に消毒液を無遠慮にかけられる。


「ああ」


宮子師匠は手に持っていた紙をこちらに向ける。


『ともだち』


「あはは!」


保健室の先生が明るい笑い声をあげた。


「私同級生に友だちなんていないからどうしようかと思ったんだけど、菜乃日の声が聞こえてさ」

「わたしのところに来たのも驚きましたけど、宮子師匠が走者として立ってたのにも驚きましたよ」

「それは…」

「それは、私が計画したの」


宮子師匠の言葉にかぶせて、別の人の声が聞こえた。


「…香住さん」

「え?」


いつの間にか、救護テントに香住志伸がいた。


「あっ志伸ちゃん!計画大成功ね!」

「は?」


親しげに香住志伸に話しかけたのは、保健室の先生だ。


「はい、先生もご協力ありがとうございました。」

「え?」


香住志伸が柔らかい表情で軽く笑う。


「…なるほど。そういうこと」

「どういうことですか?」


宮子師匠が少し苦い顔をして呟いたので、わたしは首を深く傾げる。宮子師匠は香住志伸と保健室の先生を横目で見ながら口を開いた。


「今年も運動会でないつもりだったんだけど、先生に今年は体操服着てこいって言われて、保険室で留守番してた。そしたらグラウンドでけが人が多数でたから手助けに来てほしいって言われて、外に出たらいつの間にか借り人競争の走者のところに連れて行かれた」

「わあ…」

「だって宮子ちゃん、運動会出たことなかったでしょ」

「一年の時は出ましたよ」

「でも借り人競争は三年しかできないでしょ?」

「…まあそうですが」


宮子師匠は香住志伸を見る。


「…良かったの、私が出て」

「…いいよ」


香住志伸の声は、静かだ。


「私は謝らないから」


その言葉に思わず立ち上がりそうになるが、保険室の先生に小声で止められる。


「それがいい。謝ったら、あなたが主導したと認めることになるからね」


一方、宮子師匠は飄々としていた。


「言ってなかったかもしれないけど、私はあなたのことを結構買ってるんだ」

「…」

「私のことは邪魔しないでほしいけど、私はあなたにも自分の思うままに進んでほしいと思ってる」

「…うん」

「借り人競争、なんだか楽しかったよ。多分こうでもされないと、私でなかったと思うし」

「なら良かった」

「他のお題はどんなのあったの」

「恋人とか」

「…なにそれ」


宮子師匠と香住志伸が話しているのを保健室の先生と眺める。よほどわたしが変な顔をしていたのか、先生が小さくわたしの肩を叩いて微笑む。


「あの二人は、一年の時は結構仲が良かったのよ」

「…そうだったんですね」


お互いの事情と、周囲の人の想いによって歪んで、絡まったふたりの縁。それが、いまようやく解かれようとしてるのかもしれない。宮子師匠と至極普通の会話をした香住志伸は、誰かに呼ばれて救護テントから出て行った。ちらと横目で見られたような気がする。


「菜乃日の手当は終わったの」

「まだよ~ちょっと待っててね」

「いで」


保健室の先生に傷口にガーゼを当てられた。


そうして運動会は大きな問題もなく幕を閉じた。ちなみに我がチームは2位。安城鈴矢、香住志伸らがいるチームが優勝となった。




そして訪れた中間試験。わたしは万全の状態で挑み、手ごたえを感じていた。結果が張り出される日、登校すると同級生たちに口々に声をかけられた。


「陽野ちゃん、すごいね!おめでとう」

「マジで頭いいよな、陽野っちって」

「この組の平均点高くない?」

「あの安城をとうとう抑えたか」


わたしが慌てて掲示板を見に行くと、そこにはわたしが待ち焦がれていた文字があった。


一位 陽野 菜乃日

二位 安城 鈴矢


「…やった!」

「おめでとう、菜乃日ちゃん」


聞きなれた声がして、わたしは横を向く。


「茉夏、おはようございます」

「おはよ。菜乃日ちゃん、すごいね。一位取っちゃうなんて。私の組でも朝からその話で持ち切りだよ」

「ありがとうございます。そうだ、今日の同好会の活動なんですけど…」

「あ、そうそう。それ話したいと思ってた。教室行きながら話そうよ」


わたしと茉夏は教室に向かって話しながら歩いていたが、向かい側から複数人が歩いてくるのに気付いて会話をやめる。


「安城くんだ」

「そうですね」


安城鈴矢は同級生の複数名の男女とにこやかに会話しながら廊下を歩いてい来る。安城鈴矢は入学時はそれこそいろんな思惑の多くの人間に囲まれていたようだが、今は少し落ち着いているように見えた。それでも並んで歩く人間は毎回見ることに変わっており、安城鈴矢の人脈の広さというのがありありと示されていた。ちなみにわたしは、安城鈴矢とは花火の一件からは一言も会話もしていない。


「おはよう、日暮さん、陽野さん」

「おはようございます」

「お、おはよう」


挨拶をされて少し驚いたが、ごく普通に返す。逆に同じ組であるはずの茉夏が口どもっていた。挨拶だけして、安城鈴矢ご一行はすれ違って行った。別の組の人が多いので、ほかに知り合いはいなかった。多分これから掲示板を見に行くのだろうが、安城鈴矢はどんな顔をするのだろう。


「そういえば」

「はい?」

「安城くん、運動会で菜乃日を応援してたよ」


茉夏が思い出したようにそう言った。


「え?借り人競争の時ですかね」


あの時はいやおうなしに人の視線を集めてしまったから、安城鈴矢がわたしを見つけるのにも合点がいく。


「ううん、玉入れの時」

「は?」


わたしが間抜けな顔をして聞き返すと、茉夏はにこと笑って頷いた。まさかあの何にも活躍していない、むしろ無様な結果に終わったあの玉入れのことだろうか。それは合点がいかない。


「じゃあまた放課後でね」

「あ、はい」


首を傾げているうちに教室にたどり着き、茉夏と別れた。もっと深く尋ねれば良かったのだろうが、別にそこまでその状況が知りたいわけではない。あの時わたしはあの時玉をひとつしか籠の中に入れられなかったので、そんなに思い出したい出来事ではなかったからだ。


自分の教室に入ると同級生たちはいまだ掲示板の話で盛り上がっており、わたしの姿を見つけると口々に賞賛してくれた。やはり一番は嬉しいので、調子に乗らないように気を付けつつも喜びを噛みしめているうちに、安城鈴矢のことは頭から消えていた。


放課後になり、せっかくだからもう一度視界に焼き付けておこうということでわたしは掲示板に向かった。するとそこに思わぬ人物が立っており、わたしは距離を開けて立ち止まる。10メートルくらいの距離があったが、その人物は足音を不審に思ったのか振り返った。


「…」


大波蛍だ。わたしは表情を変えずに、身構える。すると大波蛍はほんの少し眉を下げた。申し訳なさそうに。


「…こんにちは」


別にそんな顔をさせるつもりはなかったので、わたしは身構えを解いてごく普通に挨拶をした。大波蛍と話すのも、あの花火の一件依頼だ。とは言っても花火の時は一言挨拶を交わしただけで、会話という会話はしていない。ちなみにあれから美桜珠李とは花火以降も学内で何回か話している。


「一位、おめでとう」

「ありがとうございます」

「昼休みに会った鈴矢の様子がおかしかったから、見に来た」

「安城鈴矢が?」


その時、わたしたちの間を生徒たち会話しながら通り過ぎて行った。部活動に向かう生徒の人通りも多いその場所で、傍から見てあからさまに距離を開けて会話をするのには違和感があるだろう。意地を張っていたのは自分かもしれないなと思い、わたしは歩みを進めて大波蛍の隣に立った。


「悔しがってた」


大波蛍は掲示板に顔を向けたままで口元に笑みを作る。それがどこか面白そうに見えて、わたしは首を傾げる。


「意外ですね。大波先輩は安城鈴矢の味方だと思ってました」

「もちろんそうだが」


大波蛍の瞳がわたしに向けられる。


「今までこんなことはなかっただろうから、鈴矢にはいい経験になるだろう」


前にも思ったことだが、やはり大波蛍は安城鈴矢の兄のような話し方をする。


「前は勘違いして、悪かった」


大波蛍が頭を下げた。わたしは内心慌てながら、平静を装ってすぐに声をかける。


「頭をあげてください。あれはわたしの行動も良くなかったですから」


大波蛍の頭が元の位置に戻る。周囲に他の生徒がいなくてよかった。リボンタイの色で学年は一目でわかる。生徒会でもある二年の大波蛍が一年のわたしに頭を下げているところなんて見られたら、また誰かに変な勘違いをされる恐れがある。


「その話はここまでにしましょう。もうそんな顔はしないでください」

「…ありがとう」

「いえ、では部活があるので失礼します」


わたしは微笑んで、その場から歩き出した。すると、背後から声が聞こえた。


「運動会の走りっぷり、良かった」

「…ありがとうございます…」


わたしは振り返って、苦い顔をしてから無理やりに微笑んだ。大波蛍が少しおかしそうに笑う。食えない人だ、と思いながらわたしはそれ以降は振り返らずに茉夏の待つ備品室へと速足で向かった。



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