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ジゼルの花  作者: 夏野菜
第一部 一年生編
6/42

夏になります


 ✿


 入学して初めての期末試験が行われた。一学期終了の節目として行われる試験で、これが終わると一か月の夏季休暇がやってくるので生徒たちは初めての試験に緊張しながらもどこか浮足だっている。


「やば、ここ覚えてないかも」

「期初試験よりは範囲決まってて楽だな」

「これって最下位になったらどうなるの?」

「平均取れれば上々でしょ」


 同級生の会話を耳にしながら、わたしは参考書と自分のノートを淡々と読み込んでいた。安城鈴矢にああ言ったからには、半端な成績を残すことができないと余計に勝負心が燃えていたのだ。


「今回も安城が一位じゃない?」

「いやいやうちの陽野さんかもよ」

「早く休暇にならないかな」

「どこか遊びに行こうよ」


 あの階段での邂逅後、安城鈴矢とは会っていないしなんなら姿も見ていない。もちろん、大波蛍ともだ。研究書は学園には持ってこず、寮の机にしまっておくことにした。自分の知らないところで誰かに敵対心や懐疑心を持たれるのはごめんだ。ジゼルの花を目指すことには変わりないが、学園生活を普通に楽しみたいというのもわたしの目標なのだ。


「はい、ではみなさん。試験を始めますよ、席についてください」


 先生が教室に入ってきて、同級生たちはそわそわと席についた。わたしは参考書を閉じて、ほんの数秒目をつむる。


『大丈夫、菜乃日ならできるよ』


 ふと、サヤがよく微笑みながら頭をなでてくれながら言ってくれた言葉を思い出した。ここはサヤがいた学園で、サヤが吸った空気が流れている場所だ。何も怖いことはない。落ち着いていこう。わたしは目を開いて背筋を伸ばした。サヤは試験を受ける時どんな気持ちだったのだろうかと、少しだけ気になった。


「はい、ではこれで試験の全科目は終了です。初めての期末試験お疲れ様でした。試験結果は試験が全て返却されてから公開予定ですので、お楽しみに」


 期末試験の全科目が終了し、教室の中は緊張から解かれた安堵の息で包まれた。


「夏季休暇まではもうしばらくありますが、休暇明けにはすぐ中間試験がありますので、あまり気を抜かないように気を付けてくださいね」


 中間試験は期末ほどの科目はなく、知識の定着の確認が目的とされるため基礎的な問題が中心になる。そのため、期末試験ほど肩肘を張る必要はない。しかしわたしにはすでに夏季休暇も中間試験の対策と今後の授業の予習を行う予定がある。それを伝えると、茉夏は目を丸くして驚いた。


「菜乃日ちゃん、家帰らないの?寮だよね?」


 夏季休暇中は基本的には食事がないため、寮に住んでいる生徒のほとんどは夏季休暇は家に帰る。しかし強制ではない。


「数日帰りますよ。でも家よりこっちの方が捗るんです」

「それはわかるけど…菜乃日ちゃん、勉強以外のことしてる?」


 茉夏はどこか神妙な顔つきだ。わたしは少し学園に入学してから今日までの日々を思い返す。


「茉夏に勧めてもらった本を読んでます」


 求めていた回答と少し違ったのだろうか、茉夏は小さく項垂れる。


「ま、まあ菜乃日ちゃんがいいならいいけどね。そうだ、休暇中にどこか一緒に出掛けようよ」

「いいですね、行きましょう」


 確かに茉夏の言う通り、わたしは学園に入学して勉強という勉強しかしていない。ジゼルの花が成績がいいのはもちろんだが、交友関係が幅広いのも歴代のジゼルの花の特徴のひとつにはあった。勉強以外にも、少し視界を広げる必要があるかもしれない。


 ✿


 日中の気温が上昇し、暑い日が増してきたころ学期末集会が講堂で開かれた。


「大いに身体を休めてもらい、充実した日を過ごしてくれたまえ」


 壇上の学園長はそう言って豪快に笑った。講堂から退出するまでの待機時間で、わたしは教師陣の方を横目で見た。入学式の時には名前もわからない人も多かったが、今は大体の名前も顔も知っている。


 その中に普段の学校生活でも、入学式でも見かけなかった顔があることに気付いた。しかし、どこかで見たことがある。初老の品の良い感じの女性だ。わたしの視線に気付いたのか、すぐ後ろに立っていた同級生が声をかけてきた。


「どうかした?陽野さん」

「あの人、どなたでしたっけ」


 わたしは視線だけでその女性を示す。


「見ない人だね…あ、もしかして理事長じゃない?資料で見たことあるかも」

「なるほど、理事長…」


 そう言われると学園の資料の表紙に載っていたかもしれない。しかし理事長が集会に参加するものなのだろうか。そのうち放送で退出を支持されたので、人が動き始める。わたしはもう一度だけその女性を見て、ふと思い出す。


『ジゼルの花の制度を作ったのは、理事長だよ』


 サヤがそんなことを言っていた気がする。そうなるとジゼルの花を研究する身から見れば、とても興味深い人間だ。しかしさすがに一生徒が理事長と話せる機会なんてまああるはずがないので、わたしはそっと肩を落とした。


 そうして、王立杜乃宮学園に入学して初めての夏季休暇が始まった。



 夏季休暇になり、気が付けばもう半分過ぎていた。序盤は家に帰ったり、寮の掃除をしたり、夏季休暇の特別課題をしたりと何かと忙しかったが、中盤になると急ぎすることもなくなり穏やかに日々を過ごしていた。


「こんにちは、陽野さん。今日も勉強?」

「こんにちは、そうです」

「暑いから無理しちゃだめだよ」

「はい、ありがとうございます」


 日中は寮にいるより図書館の方が集中できるので通っていたら、いつの間にか司書の人に顔と名前を覚えられた。


「そうだ、陽野さん。もし外に出る予定があったら、中庭の花壇の向日葵ひまわりの写真撮ってきてくれない?昨日見たら丁度綺麗に咲いてたんだ」


 そう言って司書さんはデジタルカメラを取り出した。


「いいですけど、どうしてですか?」

「図書館の飾りに使えるかと思って。僕致命的に写真撮るのが下手だからさ…」


 司書さんは少し照れたように笑う。わたしは頷いて、カメラを受け取った。


「わかりました。外に休憩に行くときに撮ってきますね」

「助かるよ」


 そして数時間後の間だ陽が高いうちに、わたしは図書館を出て写真を撮りに中庭に出ていった。


「おお」


 良く晴れた日だったので気温はすでに高いが、その分向日葵は生き生きと天に向かって花を開いていた。何枚かカメラで撮影し、その撮れ具合を見る。


「まあ悪くないんじゃない」


 わたしは満足し、大量に汗をかく前にその場を去ろうとした。その時だった。


「あっごめんなさーい!」

「えっ」


 声の方を見ると、バレーボールが飛んでくるのが視界に入ってきた。しかしそれは緩やかに山を描いており、普通にキャッチできそうな角度だ。


「はーい」


 普通なら、そのボールを手で受け止めることができただろう。しかし、だ。両手を出したその数秒後、わたしは見事に顔面でボールを受け止めることになった。


「ぶっ」

「えっ!」


 なぜならわたしは、致命的に運動音痴だったからだ。わたしは強打した鼻を抑えながら強がって笑ったが、すぐに生ぬるいものが鼻から出てくる感覚がした。


「ち、血が…」


 わたしが慌ててハンカチで鼻を抑えると、バレーボールを投げたであろう体操服の女子生徒が焦ったように声をかけてくる。


「大丈夫です。すみません、取れなくて」

「ご、ごめんね…保健室一緒に行こうか?」


 恐らく上級生であろう女子生徒がそう言ってくれたが、わたしは手を振って断る。


「いえ、大丈夫です。ひとりで行けますので」

「そう、本当にごめんね…」


 こちらこそ綺麗に受け止めることができなくて申し訳なかったので、わたしはそそくさとその場を離れた。汗を拭うようでハンカチを持っていてよかった。ハンカチが血で汚れてしまうのはいい、もし制服やカメラを血で汚してしまったら大変だったろう。


「…うう」


 ジゼルの花を目指すにあたり、この運動音痴が懸念事項だった。サヤは運動神経も良かったため実技の成績も良かったが、わたしは運動に関しては常人に二歩も三歩も劣るので、実技の成績は正直に言って良くはない。真面目にやる気を持って受けることで、なんとかそこで評価をもらえないか画策しているところだった。ちなみに安城鈴矢は運動神経も良い。


「失礼します…」


 氷嚢を借りるために保健室に直行し、扉を開けた。


「…あれ?」


 初めて保健室に入ったが、そこには少し消毒液の香りが漂うだけで誰もいなかった。


「…困ったさんだな」


 一時的に席を外してるだけかもしれないと思い、わたしは部屋の中に置いてある小さな椅子に腰かけた。空調がよく効いているので、廊下よりかなり涼しい。


「…ん?」


 ぼんやりと保健室に掲示してあるポスターを見ていると、廊下から足音が聞こえてきた。先生かなと思い椅子から立ち上がると同時に、扉が開く。


「…」

「…失礼しています」


 扉を開けた人物は、白衣を着た髪の長い小柄な女性だった。扉を開けた瞬間に固まってしまったので、わたしはおずおずと挨拶をする。


「あの、ボールを顔で受けてしまったので氷嚢を借りたいんですけど…」


 そう言ってわたしが血で赤く染まったハンカチを見せると、女性は目を瞬かせて保健室に入る。


「……そこ、座ってて」

「はい、ありがとうございます」


 やはり保健室の先生だったようだ。女性は手際よく氷嚢を準備して、わたしに手渡す。


「ありがとうございます」

「あと、ちょっと顔すりむいてる。そのままにしてて」

「え、はい」


 女性は消毒液を含ませた脱脂綿をわたしの頬に当てた。少ししみたので、ボールを受け止めたときにすりむいたのだろう。


「はい。これでいいよ」


 少しハスキーな、女性にしては低くて耳障りのいい声がすぐ近くで聞こえて、少し緊張した。


「ありがとうございます」

「あと少ししたら保健室締めるから、それ持って行っていいよ。また適当な日に返しに来て」


 女性は無表情のままそう言った。


「はい、わかりました。ありがとうございます」


 わたしは一礼して保健室を出た。氷嚢を鼻に当てながら廊下を歩き、そういえばと思わず呟いた。


「あ、名前聞きそびれた」


 運動音痴ではあるものの健康には自信があったので、今まで保健室には縁がなかった。だから先生の名前を憶えていなかったのだ。氷嚢を返しに行くときにそれとなく聞こうと思い、わたしは図書館に戻った。氷嚢を持ったわたしを見て、司書さんはその日誰より心配してくれた。


 次の日いつも通りの時間に図書館に行くと、司書さんに小さな紙袋を手渡された。


「お中元でもらったから、おすそ分け。寮生なんだろう?」

「わあ、ありがとうございます。嬉しいです」


 その紙袋には6個ゼリーが入っていた。


「いやいや、写真のお礼だよ。ありがとうね」

「またいつでも言ってください」


 わたしは調子に乗ってそう言った。その日は氷嚢を返しに行くため、勉強もそこそこにわたしは早々に図書館を出る。ついでに紙袋も持って行く。


「失礼します」

「…ああ」


 保健室に入ると、そこには昨日手当してくれた女性が保険室の中心に置いてある大きな机の前に座っていた。


「氷嚢を返しに来ました」

「うん」


 昨日と同じ無表情だ。なるほど、それがこの先生の基本姿勢なのだろう。杜乃宮学園の先生たちは人当たりが良い人が多いので、こういう少しそっけない人は新鮮に感じた。


「あと、これ好きなの選んでください」

「…?」


 わたしが紙袋を差し出すと、女性は不思議そうに首を傾げた。


「おすそ分けのおすそ分けですけど。氷嚢と、手当のお礼です」


 女性は何度か瞬きをして、わたしの顔を見る。


「どうぞ!」

「…私は」


 女性が何かを言いかけた瞬間、保健室の扉が開いた。


「ごめん、宮子ちゃん!また留守番させて!お待たせ」


 そう言って入ってきたのは、妙齢の女性だった。


「あら。お客さん?どこか怪我したの?」

「え?」


 わたしは妙齢の女性から、小柄な女性に目を移す。小柄な女性は、表情を変えずに首を振る。


「いえ先生。この人は昨日氷嚢を貸した人です」

「ああ、顔面ボールの生徒さんね」

「えっ」


 どうして知っているんだと思い、わたしは妙齢の女性を見る。すると、小柄な女性がこう言った。


「保健室の先生はこの人だよ」

「えっ?」

「そうよ~、初めましてかしらね」


 わたしはもう一度小柄な女性を見て、そこで気付く。今日も白衣を着ているが、その下は制服だ。


「…え?」

「わたしは三年の蛇子宮子じゃすみやこ。ごめん、多分勘違いしてるなって気付いてたけど言い出せなかった」

「あ、宮子ちゃん。またリボンタイ外してるわね」

「暑いし、生徒指導の先生も休暇中はいないので」


 蛇子宮子は白衣のポケットからリボンタイを取り出した。暑いのに白衣を着ているのかという突っ込みは置いといて、確かに三年生の色だ。するとふたりから視線を向けられて、わたしは慌てて名乗る。


「一年の陽野菜乃日です。この度は蛇子宮子さんに助けて頂いて…」


 微妙に混乱したままなので、口走った言葉がおかしい。


「ふ、何でフルネーム」


 そこで初めて、蛇子宮子の柔らかい表情を見た。


「ボールの件は私から先生に話したの。あれから大丈夫だった?」

「は、はい。大丈夫です」


 わたしが頷くと、蛇子宮子も少し微笑んで頷いた。そんなやりとりをしていたわたしたちの肩を保健室の先生が優しくたたく。


「まあせっかく来たんだから、ゆっくりしていって。あら、なに持ってるの?」

「あ、これは図書館の司書さんから貰ったおすそ分けで…先生もどうですか?」


 わたしが紙袋の中を見せると、保健室の先生はパッと顔を明るくする。


「あらいいの?せっかくだし、冷蔵庫で冷やしてから食べようかしら。宮子ちゃんもそうしなさいな。また明日も来るでしょ?」

「はい」


 その会話を聞いてわたしが不思議そうな顔をしているのに気付いたのか、蛇子宮子がこちらを向いた。


「私、だいたい毎日ここにいるから」

「じゃあわたしと同じですね。わたしも毎日図書館にいますよ」


 わたしが笑うと、保健室の先生は紙袋からゼリーをひとつ取って冷蔵庫をあけた。


「あらじゃあ陽野さんも冷蔵庫で冷やしておく?私か宮子ちゃんがいる時に来て食べていいわよ」

「え」


 ちらと見えた冷蔵庫の中には、スポーツドリンクやプリンやヨーグルトが入っているのが見えた。


「勉強の合間に冷たいもの食べると、いい気分転換になるわよ」


 わたしはなるほど、と頷いた。こちらとしても都合の良い理由付けだ。


「それにここにいる宮子ちゃんは頭がいいから、きっといい先生になってくれるわ」


 そう言われて視線を移すと、蛇子宮子は淡々とこう言った。

 

「別にいいけど」

「…じゃあ、そうします」


 わたしはそう言って、紙袋からゼリーを取り出す。保健室の先生の提案で油性ペンでゼリーにひとりひとつ自分の名前を描いて、冷蔵庫に入れた。


「じゃあゼリーは冷えるまでお預けとして、今日は冷たい麦茶でもどうかしら」

「いいですね」

「頂きます!」


 そうしてわたしは涼しい保健室で、冷たい麦茶をごちそうになることになった。なんだか特別なことをしているようで、少し胸が高鳴る。


「そういえば顔面にボールだなんて、痛かったでしょう」


 保健室の先生がそう切り出して、わたしは苦笑いした。


「痛かったですけど、実はただ受け止め損ねただけでして…」

「ええ?そうだったの?」


 保健室先生と蛇子宮子が呆れた表情になる。そこからわたしは図書館の司書さんは撮影が下手なこと、向日葵が綺麗に咲いていること、バレーボールが飛んできたこと、それから蛇子宮子に手当してもらったことを伝えた。


「司書さんと仲良くなるくらい図書館に通い詰めてるなんて、すごいわね」

「わたしこれくらい勉強しないとついていけないので…」


 これは事実で、わたしは生まれつき頭がいいわけではない。授業の復習とサヤの過去問でなんとかここまでの成績にくらいついている。


「あら、期末試験成績悪かったの?」

「いえ、一番を目指していて」

「えっすごい!聞いた?宮子ちゃん、一番目指してるんですって!宮子ちゃんと同じね」

「え?」


 保健室の先生は嬉しそうに蛇子宮子を見たが、彼女は無表情にほんの一滴悲壮感を混ぜたような顔をした。保健室の先生は事情を知っているのか、優しく微笑む。


「ね?」

「…私、学年の一番」

「えっ!」


 わたしは驚きの声をあげ、蛇子宮子をまじまじと見る。


「宮子師匠…って呼んでいいですか」

「なんで」

「あはは、弟子ができてよかったわね宮子ちゃん」

「…別にいいけど」


 宮子師匠はわたしたちから視線を反らした。


「それで嫌な想いしても私は知らないからね」

「大丈夫です、わたし誰にも負けないので」


 それは成績のことを言ったつもりで、かつまだ安城鈴矢には負けたままだったが、宮子師匠は目を丸くして吹き出した。それに続いて、保健室の先生も声をあげて笑った


「なにそれ。最強じゃん」

「面白い、陽野さん面白いわ」


 そこから、たわいもない話をした。入学して学園生活はどうだったかとか、秋にある文化祭についてとか、とても穏やかな時間が過ぎていった。



「それでは、失礼します」


 わたしが保健室を退出する頃には、麦茶のコップについた水滴がしっとりと机を濡らしていた。

「また来てね~」


 保健室の先生は始終穏やかで愉快な人だった。それに対して、宮子師匠は無口で無表情だが、たまに発する一言がなかなか面白い。


「はい、ごちそうさまでした」


 わたしは保健室を出たその足で、三年の掲示板へと向かう。先生や師匠の話を信じていないわけではないが、やはり聞いた情報と自分の目で見る情報は質が違う。


「あった」


 基本的に試験の成績は次回の試験の結果が張り出されるまで継続して掲示されている。掲示板はそれぞれの校舎の一階にあり、学園の人間なら誰でも見ることができる。普段は人通りも多い掲示板周辺だが、さすがに夏季休暇中は人がいない。


”第三学年 一学期期末試験 結果”

”一番 蛇子 宮子”

”二番 香住 志伸”

”三番 生川 幸利”


 確かにそこには宮子師匠の名前があった。まじまじと見て、わたしはせっかくだからと二年の掲示板にも向かってみる。


”第二学年 一学期期末試験 結果”

”一番 吉峯 明英”

”二番 市川 昌也 ”

”三番 与座 裕莉子”


 上位陣の名前は知らない人ばかりだが、紋家の人がちらほらといるのがわかる。並んだ名前を目でなぞっていると、知っている名前を見つけた。


”十七番 大波 蛍”


 あの一件依頼、図書館の場所は変えていないにしても窓の外を見るのはやめた。誤解だとわかったにせよ、大波蛍はきっとわたしにいい感情を抱いてはないだろうからだ。万が一依目があってしまった時に不愉快な感情は抱かせたくはない。


”八十一番 美桜 珠李”


 安城鈴矢とよくいるもうひとりの二年生だ。ちなみに杜乃宮学園は年によって若干の変動はあるが一学年は六組あり、それぞれの組は三十名未満で構成されている。よって一学年の人数は180人程度だ。美桜珠李は成績だけで見ると中間くらいの位置らしい。安城鈴矢、大波蛍とは恣意的ではない交流があったが、そういえば美桜珠李とはまだ接触していない。


「…」


 しかし穏やかに学園生活を過ごすなら、あの三人とはあまり関わらない方が良いのかもしれない。しかしジゼルの花に近しいと思われる人間の言動は実に参考になるので、あまり無視もしたくない。そのように思い悩みながら、わたしは図書館に戻るために渡り廊下へ向かった。その時対面からやってくる女子生徒の顔を見て、わたしは変な声も表情も出ないように一瞬で唇を結んだ。


「…はあ」


 無事その女子生徒とすれ違い、わたしは思わず周囲を見渡す。その辺に安城鈴矢もしくは大波蛍が歩いている可能性を考慮してだ。そのすれ違った女子生徒が、美桜珠李だったから。美桜珠李は特にわたしに興味を持つことなく、上機嫌で横を通り過ぎて行った。まさか休暇中に出会うとは思っていないかったので、動揺してしまった。


 そりゃ何かの用があって学園に来ることはあるよなと考え直す。休暇中は人気があまりないため、かなり素の状態で過ごしていたがちゃんと人目があるということも意識しておかなければいけない。そんなことを思いながら、わたしは次の日も、その次の日も休憩がてら保険室に行った。


「失礼します。あれ、宮子師匠おひとりですか」

「うん」


 保健室に入ると、宮子師匠が席に座ってノートを開いていた。ここ数日でわかったことだが、宮子師匠は常に白衣を着ていてついでにわたしと同じく常に勉強をしている。そしてそれは、学園の勉強というよりは医学関係のものだとわかった。最初はお互いの距離感を推し測っていたが三日続けて顔を合わせていると、壁がなくなったように感じてくる。


「菜乃日、今日は何してたの」


宮子師匠と保健室の先生は、二日目からわたしのことを名前で呼ぶようになった。


「今日は数学です。この辺とか」


休憩を名目にしているが、今日は手持無沙汰だったため参考書を持参した。


「それ二年の内容じゃない?」

「先に見ておかないと不安で…」


わたしが笑うと、宮子師匠の瞳にふと真剣な光が宿る。


「…菜乃日はどうして勉強で一番を目指してるの?」

「ジゼルの花を目指しているんです」

「えっ?」


宮子師匠は目を丸くした。


「へえ、なんか以外」

「そうですかね」

「理由は聞いてもいいの?」


こちらを伺うように宮子師匠はそう言った。わたしは少し考えて、宮子師匠なら大丈夫かと口を開く。


「あんまり人に言うことじゃないんですけど、わたしの知り合いが失踪してて」

「え?」


わたしはまあまあと宮子師匠に手ぶりをした。


「その知り合いは昔ジゼルの花になっていて、その時にジゼルの部屋に自分自身に手紙を残しているそうなんです」

「ジゼルの部屋…?ああ、ジゼルの花になった人だけが入れる特別室のことか」

「そうです。わたしはその手紙を読みたくて、ジゼルの花を目指しているんです」


宮子師匠は呆然とわたしの顔を見る。


「…本気なの?」

「もちろん」


わたしは笑って頷いた。


「すごいね、家のためとか将来のためにジゼルの花を目指すって人は山ほど聞いてきたけど、そうか、そうなんだ」


宮子師匠は苦々しく笑った。


「花に何の価値があるって思ってたけど、それは話が違うね」

「わたしはジゼルの花になれるように日々研鑽を積んでるんです。ここに来たのも、宮子師匠を見てると何か得られるかなと思って」

「…私は成績は一番だけど、ジゼルの花にはならないよ」

「どうしてですか?」

「私が保健室にいるのは、休暇だからじゃない。わたしはもうここ一年くらい一度も教室には入ってない」

「…」


なんとなくそうじゃないかと思っていたので、そんなに驚きはしなかった。


「成績が良くても、そんな人間じゃジゼルの花にはなれないよ」

「…宮子師匠はどうしてそれでも勉強してるんですか?」


わたしは宮子師匠の参考書に視線を落とす。


「私はね、家を継がずに医者になりたいんだ」

「お医者さん!似合います」

「ふ、ありがとう。でもね、私は蛇子家の長女だからずっと親から反対されてるんだ」

「え」

「蛇子家は歴史の古い家でね、一番目に生まれた子どもが必ず家を継ぐっていう制度がある。私はそれを壊すためにこの学園に来た」

「壊す…」

「杜乃宮学園は王立の中で一番偏差値が高いから、そこで三年間成績を一番取り続ければ認めてやるって言われてね。親は絶対無理だと思ったんだろう、でも絶対認めさせてやるって思って」

「…」

「試験結果はここまでずっと一番を取り続けてきた。あと少しで私は胸を張って家から旅立てる」

「すごいですね」

「勉強は医者になるためにはどうせしなきゃいけなかったし、苦ではなかったよ。でもここには別の問題があった」

「問題?」

「この学年には同じような目的を持った人がもう一人いた」

「えっ」

「その人は、家のためにジゼルの花を目指していた。だからその人も試験で常に一番を目指していた。でも、今までずっと私が勝っている」

そこでわたしは数日前掲示板で見た名前を思い出した。

「私が常に一番を取るものだから、焦らせてしまったんだろう。いつからか、その人は私をひどく敵対視するようになってしまった」

「そんなのひどい」

「私の話だけ聞けばそうかもね。でも、その人はひたむきに真っ直ぐに努力していて、誰とでも仲良くしてて愛されてて、それはもうすごい人なんだ」


宮子師匠の瞳に切なさが滲む。


「周囲の人間はみんなその人の助けになるように動くのは当然のことだった」

「…それで」

「気にしないでいようと思ってたんだけど、一度ここにくると気が楽で。もうそれからはずっとこの保健室がわたしの学園の全てだ」

「そうだったんですね…」


宮子師匠は部屋を見合して、天井を仰ぐ。


「もういっそ家のしがらみも全部投げ出してもよかったんだけど、ここには弟たちがいてね。彼らに変なものを背負わせたくはなかった」

「弟?弟さんがいるんですか?」

「そう。年子だから、二年と一年に。菜乃日の学年にもいるよ。そのうち顔を合わせるだろう」

「それは楽しみです」


わたしがそう言うと、宮子師匠の表情が少し明るくなった。


「とにかく、ジゼルの花にはその人がなると思う。私もその人がふさわしいと思ってる。けど、成績は譲らない。そのつもり」

「さすが師匠です」


笑うわたしに、宮子師匠が真剣な目を向ける。


「菜乃日も頑張ってね、自分の目的のために」

「はい」


わたしが強く頷くと、保健室の扉が開いた。


「戻りましたー、あら菜乃日ちゃんも。いらっしゃい」

「失礼してます」


そしてわたしたちは最後のゼリーを食べて、その日も穏やかな時間を過ごした。


「失礼しました」


 保健室を出て、わたしの足は再び三年の掲示板へと向かっていた。


”第三学年 一学期期末試験 結果”

”一番 蛇子 宮子”

”二番 香住 志伸”


 多分、この香住志伸が宮子師匠が言っていた”その人”ではないだろうか。試験結果には総得点も記載があり、この上位二人だけ他の人より抜きんでている。


「…」


 ジゼルの花は成績は重要だが、第一ではない。でも、この人にもきっと何か事情があるんだろう。わたしは自分の事情でジゼルの花を目指しているが、もちろん別の人にも理由がある。きっと安城鈴矢にだってジゼルの花を目指す明確な理由があるのだ。それだけは忘れないようにしないととわたしは強く思って、静かにその場を後にした。


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