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ジゼルの花  作者: 夏野菜
第一部 一年生編
5/42

誤解です


 ✿


 春から季節は移り変わり、雨が多い時期になった。新入生たちも学園に馴染んできて、穏やかな空気が流れている。しかし一方で初めての期末試験が近づいているということで、図書館の自習室は春より人が増えていた。


「菜乃日ちゃん、ここは?」

「そこはですね、この公式を使うんです。これが、ここ。これはこっちに」

「あ、なるほど。ここで使うんだ」


 わたしは茉夏と図書館で勉強することも増えた。窓の外から雨の音が聞こえてくる中、わたしたちは例題を解いていた。


「なるほど…やっぱり菜乃日ちゃんってすごいね」

「ありがとう。茉夏もいい調子ですよ」

「うん、中の上に行けるように頑張る…」


 茉夏はペースこそ遅いが地頭が悪いわけではなく、勉強をすればしっかり点が取れるようだった。一方私は目指せ一番!を掲げ、どんな応用が来ても良いように参考書をひたすら解き込んでいた。


「はー今日も頑張った…」

「お疲れ様でした」

「じゃあわたしはこれで。また明日ね、菜乃日ちゃん」


 茉夏は家から学園に通っているため、わたしよりも早めに家に帰る。そのころには図書館の人間はまばらになっていた。


「はい、また明日」


 わたしは茉夏を見送って、参考書を見る。すこし集中力が切れたので、わたしはジゼルの花の研究書を手に取った。研究書は三個条から始まり、可能な限り調べた歴代のジゼルの花の情報が書かれている。一番新しい頁には安城鈴矢の情報と、最近の反省すべき言動などがかかれている。そこから前に徐々に遡ってみた。


”第31代 織戸村咲世おとむらさきよ

”弦楽部所属。頭脳明晰、容姿端麗。名前をもじって、通称”紫の君”と呼ばれ、生徒からも教職員からも多大な信頼を寄せられていた。いかにも理想的なジゼルの花。”


”第30代 百郷朱虎ひゃくごうあかとら

”部活無所属。どんな時も学年のムードメーカーであり、生徒からの莫大な人気があった。”


”第29代 薊礼愛あざみれあ

”園芸部所属。天真爛漫。学園中の植物を管理し、職員から頼られていた。”



 わたしはある頁で紙をめくる手を止めた。



”第24代 月代サヤ”


”生徒会所属。三年時は生徒会長を務める。容姿端麗、頭脳明晰。自分に厳しく、他人に優しい。人の為にすることを苦とせず、何事も率先して動く。たまに見せる無垢な笑顔が可愛い。”


 最後の一文は完全にわたしの主観だが、世間的なサヤの評価はとても高い。歴代のジゼルの花でも、ここまでできた人間はいないほどだと言われていたらしい。サヤがこの学園にいた頃わたしは小学校に入ったばかりの幼い子供だったため、実際にサヤがどんなことを考えていたのかはわからないが、いつも綺麗な後ろ姿はよく覚えている。そして、楽しそうに学園の話をしてくれるサヤが大好きだった。わたしが杜乃宮学園に入学が決まった時、本当に喜んでくれたと思う。しかしそれから、サヤとの連絡が取れていない。


 月代サヤの行方不明については、世間的にはまだ明らかにされていない。そもそもサヤは次期月代家の当主として、研鑽を積むために大手民間企業に入社した。しかしそこを突然休職し、海外へと旅立ってしまったのだ。月代家からは、サヤが行方不明になったことは世間に公表しないようにと口止めをされている。最初サヤが音信不通になったのを聞いた時、わたしとお母さんはそれはもうひどく動揺したけれど、祈りを込めて無事を信じて待つことにした。


 早く、会って話したい。


 期初試験で三番を取ったこと、茉夏という友人ができたこと、声楽部がなくなっていたこと、文楽同好会を作ったこと、それとそれと。


「…」


 窓の外の雨の音も相まってなんだか寂しくなってきた。涙がこぼれそうになったのでわたしは慌てて立ち上がり、自習室から出てお手洗いを目指した。急いで立ったので、わたしはジゼルの花の研究書を無防備に置いてその席から離れてしまった。


 席を離れたのは、ほんの数分だったと思う。


「…あれ?」


 荷物が置いてある自分の席に戻ると、異変に気付いた。先ほどまで置いてあったノートが、その場所にない。わたしは慌てて参考書や自分の鞄をあさるが、ジゼルの花の研究書が姿を消していた。盗難かと思い、一応自分の財布も見たがそれは中身も無事にあった。


「…?」


 周囲を見渡すがノートはどこにもなく、自習室にいるひとたちの机の上にもその姿はなかった。盗られたにしては、あのノートだけ狙うのは明らかに違和感がある。盗むような理由はあのノートにはないからだ。


 わたしは理由がわからず首をかしげる。しかしなんとなく気味が悪いので、その日は早々に寮に戻ることに決めた。翌日も落ちていないか図書館やその周辺を探してみたが、やはりノートはどこにもなかった。物が物なだけに学園に紛失届を出すのも気が引けて、わたしはまあ仕方ない新しく作ればいいかの気持ちでそのノートの捜索を早々に諦めた。



 それから数日後の雨の日のことだ。授業後にいつも通り図書館に向かっていた私の前に、そのジゼルの花の研究書を持った人間が現れた。


 大波蛍だった。


「…」


 驚きと困惑で声がでないわたしを、大波蛍は鼻で笑った。


「陽野菜乃日だな」

「……はい」

「このノートの持ち主はお前だな?」

「………はい」


 やけに威圧的に話しかけてくるが、わたしにはその理由について思い当っていない。怖いよりも、何故?という感情がわたしの頭を駆け巡っていた。敵意向けてくるけど、なんで?この前、目があったから?あれがもしかして大波家流の決闘の合図とかだったりした?

しかしどんな理由があっても事は荒立てたくないわたしは、なるべく平静に大波蛍の話を聞くことにした。


「そのノートを持って行ったのは、先輩ですか?」

「先にこちらを詮索したのはお前だろう」

「…は?」


 良くわからない返答についこちらも圧の強い返事になってしまった。いけない。平静に落ち着いた対応をしなければ。こちらの内情を他所に、大波蛍はわたしのノートを片手で持ち、ぱさぱさと揺らす。


「安城の弱みでも握って、蹴落とそうとしたんだろうがそれはさせない」


 大波蛍はノートをめくり、とある頁をわたしにむける。


”34代目候補 安城鈴矢について”


「…」


 そこでなんとなく大波蛍が考えている、言わんとしていることに勘付いた。しかし何と切り出していいかわからず、とりあえず押し黙る。


「監視していた場所はすぐに分かった。あの時、あの場所に来たのは間違いだったな。まああそこで合わなくても時期に居場所はわかったが」


 あの夕暮れの日に渡り廊下で会ったことを言ってるのだろう。


「いつも視線がうっとおしかったからな」


 そこは素直に申し訳ない。しかし別に、安城鈴矢たちだけを見ていたわけではない。人の声がしたら窓の外を見ていただけだ。


「そのうちお前みたいな輩が現れるとは思っていたが、こんなにしっぽを出すのが早かったとはな」


 大波蛍は、まるでごみでもみるような目つきでわたしを見る。わたしはその目を、少し呆れた感情を含んだ目で見返す。きっと大波蛍は安城鈴矢ととても親しい間柄なのだろう。それこそ兄弟のような、家族のような。大波蛍は少しばかり過剰な心配と、過保護のようなもので安城鈴矢を守ろうとしているのだ。


「このノートを返してほしければ、今後は安城の邪魔をするな。ジゼルの花になるのは、安城だ」

「それは違うと思います」


 そこは間髪入れずに反対をしておいた。今まで黙っていたわたしが口を開いたので、少し驚いた後大波蛍は嗤う。


「何が違うんだ?」

「ジゼルの花を決めるのは、あなたじゃないと思います」


 真っ直ぐに大波蛍を見る。二年生だからって怖気づいてはいられない。ジゼルの花はいつだって毅然としているものだ。


「それにわたしが安城鈴矢を邪魔しようとしていると思っているなら、それはただの勘違いです」

「言い逃れする気か?」

「まずそのノートですが、別に弱みを握るためのものじゃありません。わたしがジゼルの花を研究した内容をまとめただけのものです」

「じゃあ安城の頁はなんなんだ」


 もう正直に言わないと彼の怒りは収まらなさそうだ。


「同級生たちが次期ジゼルの花は安城鈴矢だというので、その立ち居振る舞いを参考にさせてもらおうと思っていました。その証拠に、そこに書いてあることを見てください」


 恐らく大波蛍は字面だけ軽く見て、中身はよく見ていないのだろう。そうでなければこんな態度はとらないはずだ。 


”34代目候補 安城鈴矢について”


”頭脳明晰で容姿端麗、さらにはカリスマ性ももった紳士的な人間。常に微笑みを絶やさず、周囲の人間を気遣う懐の深さ。”


「…」


 予想していたものと違ったことが書かれていたのだろう。大波蛍が静かになった。


「図書館から見下ろしていたのはすみませんでした、でもあれはほんとうに偶然見ていただけです。監視しようと思ったらあんな中途半端な場所で監視なんかしませんよ。話してる内容だって聞こえません。今から試してみてもいいですよ」


 わたしは淡々と事実を述べる。


「なんならそのノートは差し上げます。誰が調べても出てくる情報しか書いていません。煮るなり焼くなり好きにしてください」


 さすがに人前で晒しあげられると恥ずかしいかもしれないが、別に自分の名前を書いているわけでもない。


「ちなみに一応言っておきますと、わたしはジゼルの花を狙っています」


 そう言うと、大波蛍の瞳が危うく光る。しかし彼が口を開く前にわたしは言う。


「候補だと思われてる人間を蹴落としたからって、ジゼルの花になれるわけではありません」


 背筋を伸ばして笑ってやる。


「ジゼルの花にふさわしい人間が、ジゼルの花になるんです」


 それを捨て台詞にして、わたしは大波蛍に背を向けて歩き出した。


✿✿


 陽野菜乃日の姿が見えなくなったのを確認して、俺は廊下に出た。そこには行き場を失ったノートを持った蛍が呆然と立っていた。


「蛍、やられたな」

「鈴矢…!もしかして聞いてたのか」


 俺が肯定するように口角をあげると、蛍は苦い顔をする。俺を出し抜こうとするからこうなるんだ。俺は蛍が持っていたノートを手に取る。


「これが?俺を蹴落とすためのものだって?」

「…」


 頁を数枚めくってみる。確かに陽野菜乃日の言う通り、ただの歴代のジゼルの花の情報が淡々と綴られているだけのようだ。


「ジゼルの花になるための三個条。ひとつ、常に成績優秀であること。ひとつ、常に言動に落ち着きがあること。ひとつ、常に他人思いやる慈愛の心を持つこと。へえ、本気でジゼルの花になろうとしてんだ」


 どこかで名前を聞いたことがあるような気がしていたが、期初試験で三番目にいた民家の人間だ。上位はほとんど紋家の人間だったため、なんとなく印象に残っていた。


「心配性なんだよ、蛍は」

「…すまない。珠李は?」

「先に生徒会室に行かせてるよ。このこと聞いたら怒るぞ」

「…それは参ったな」


 蛍が情けなく笑う。


「んで?このノートはどうする?煮るなり焼くなりするか?」

「…」

「じゃあ、俺が返すよ」

「い、いや。それはさすがに悪い」

「陽野菜乃日と話すとまた押されるぞ。いいから俺に任せとけって」


 蛍はああいう芯の強い人間に弱いはずだ。


「…すまない」

「いいって、ありがとな。俺のこと心配してくれて。ほら珠李が待ってる。行こう」


 俺は蛍の肩を軽くたたいて歩き出す。窓の外を見ると雨が弱まっていた。帰りに傘はいらなさそうだ。


 ✿


 後日、同好会の時間にわたしは大波蛍と話したことを茉夏に話してみた。さすがにノートを盗まれたことは伏せておいたけど。


「え、ええっ大波先輩とそんなことが…」

「…どう思います?」

「どうって、さすがに梅家の人間に喧嘩売るようなことはまずいんじゃないかな。しかも生徒会の人でしょ?」


 茉夏は眉を下げて困った表情になる。


「喧嘩は売ったつもりはないんですけど」

「そう聞こえても仕方ないってことだよ!菜乃日、敬語だから口調がおとなしそうに聞こえるけど、たまに物騒なこと言ってるよ」

「えっそうですか。気を付けます」


 どれだけ敬語で武装しても、滲むものはあるらしい。もっと根本的に意識改革をしなければならない。


「ジゼルの花の研究はしばらくストップしておきます」

「それがいいかもね。全然もう詳しいとは思うけど」


 そこで話は終了し、わたしたちは参考書を開いた。いつもならそれぞれの読書の時間になるのだが、試験が近づいているこの時期は勉強時間に充てることにしたのだ。


「そういえば、菜乃日は期末試験は何番狙うの?」

「もちろん一番です」

「菜乃日ならやっちゃいそう。頑張ってね」


 茉夏はお世辞が含まれていないような優しい笑みでそう言った。開け放した備品室には風が時折入ってくる。雨は終わり、もうすでに暑い季節の予感がするような風だ。



 下校時間になり、わたしたちは備品室を出て別れた。わたしは風を楽しみながら廊下を歩いていたが、わたしを呼び止める声がした気がして階段の前で足を止めた。


「…」


 声は気のせいではなく、見上げた階段の先に人が立っていた。夕暮れの太陽を背にして立っているので、少し顔が見えにくい。


「君が、陽野菜乃日だな」


 よく通る、綺麗な声だなと思った。


「…安城鈴矢」


 思わず名前を口にして、慌てて口を噤む。


「これを返しに来た」


 そう言って安城鈴矢が手にしたのは、わたしのジゼルの花の研究書だ。煮るなり焼くなり好きにしろとは言ったが、安城鈴矢本人の手元に行ってしまったのか。あの文を本人見られるのは少し恥ずかしい。わたしが微妙な顔をした一方、安城鈴矢は綺麗に笑う。それは年相応ではなく、洗練された笑顔に見えた。


「…ありがとうございます」


 ここはもう素直に受け取ってすぐに去ろう。そう決意したわたしは階段を上って安城鈴矢に近付く。安城鈴矢も数段降りてきた。


「悪かった」


 わたしがノートを手に取ると、安城鈴矢はそう言った。わたしは思わず彼の顔を見る。


「蛍は人一倍人の視線に敏感で、なにより心配性でな」


 その顔は同級生の男子というより、身内の失敗を謝罪する親のような、兄のような顔だった。わたしは少し考えて、こう答える。


「拾ったノートを届けてくれただけなんですから、謝罪は必要ないかと思います」


 安城鈴矢は頭がいい。今の言葉でわたしは何も気にしていないと伝わるはずだ。紋家と変に関わると後々面倒なことになりそうなので、これで一旦関係を白紙にしておきたい。もとはといえば若干紛らわしいことをした自分が呼びこんだ事柄だ。


「そうか」


 安城鈴矢が少し柔らかい表情で頷いた。


「では」


 わたしはすぐにこの場を去ろうと体をひねりかけた瞬間、安城鈴矢の声が耳に入る。


「ジゼルの花になるのは俺だが、せいぜい頑張れ」


 一度そらした目を、再び安城鈴矢に向ける。そこには、およそ紳士的には見えない得意げな笑みを浮かべた安城鈴矢が立っていた。さきほどの笑顔よりは、年相応に見えるけど。わたしはその顔を見た瞬間そんなことを思ったが、一方で喧嘩を売られたことに動揺をした。刹那、売られた喧嘩を買うのはジゼルらしからぬ行為ではないかというわたしと、ここで引き下がったらジゼルの花への思いがその程度なのかと思われるのではないかという脳内会議が行われる。


「…」


 脳内会議はほんの数秒で終了し、わたしは安城鈴矢に向かって足を進めてそのまま彼とすれ違って階段を駆け上がった。そして階段の一番上で、振り返って安城鈴矢を見下ろす。


「言われずともかなり頑張っていますので、そちらこそご健闘をお祈り申し上げます」


 安城鈴矢のような綺麗な笑みは作れないが、精一杯の作り笑いをしてやる。


「では、失礼します」


 これ以上言い返されると言葉遣いが怪しいことになりそうなので、わたしは自信満々に言い放っておきながら逃げるようにそのまま階段を駆け上ってその場から離れた。


「…はあ」


 勢いのまま最上階まで駆け上って、わたしは息をつく。言葉を放った瞬間の、呆然とは言わないがあっけにとられた顔の安城鈴矢を思い返した。喧嘩は買ってないということにしよう。お互いの健闘を祈った、今のやりとりはそういうことにしよう。わたしは帰ってきたノートの表紙をそっと撫で、大事に腕に抱えて歩き出した。



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