入学しました
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まだ朝は気温が低いけれど、お日様の優しい暖かさを感じるようになった某日。王立杜乃宮学園の講堂に、紺色の真新しい制服を身にまとったその年の入学生たちが集まっていた。
「諸君、入学おめでとう」
一番高いところに現れた髭を蓄えた学長が口を開いた。
「我が王立杜乃宮学園にようこそ、これから実りのある三年間を楽しんで過ごしてくれたまえ」
そう言って微笑む学長。それはもちろんその通りだと心の中でわたしは呟く。気合を入れて高く結いあげてきた髪が揺れて首に触れた。
「そして忘れてはならぬのが我が学園のジゼルの花である。忘れるな、諸君には等しくジゼルの花を目指す資格があり、権利がある」
わたしはさらに大きく頷いた。
「諸君から誰がジゼルの花に選ばれるのか、楽しみにしている」
それが結びの言葉だったのだろう、教師陣から拍手があがる。そちらに目を向けると、資料で見た著名な方々が並んでいた。映画俳優たちを見るような心持ちでわたしは教師席を横目でみた。あの人パンフレットで見た人だ、あっちはテレビで見た。あれ、一番後ろの人って、と順に目で追っていると進行役の人の声が響く。
「では以上で入学式を終了する。礼」
号令であわてて意識を元に戻す。教師陣は後でしっかり顔を名前を覚えよう。大事なのは、この毎日であり、その一歩だ。わたしは背筋を伸ばして前を向く。
わたし陽野菜乃日は、ジゼルの花になるためにこの学園に入学したのだ。
「ジゼルの花」、それは王立杜乃宮学園において学園生活で花のように咲き誇った人に贈られると言う栄光ある名誉の称号である。3年生の冬に学年ごとにひとりだけ選ばれる「ジゼルの花」は、学外でも褒賞として掲げることができ、名門大学や大手企業への推薦切符ともなる。それを得るために少女青年は力を尽くし、自らを磨きあげていくのが王立杜乃宮学園の伝統だ。
「はじめまして」
「これからよろしくね~」
入学式が終了し、生徒たちは教室に戻る。ひと通り自己紹介は終わっているので、顔と名前はもう覚えた。改めて見てもさすが王立の学園。名家が勢揃いである。
この国には、王がいる。そしてこの学園は王が(正確には王が所轄する団体が)運営している。王立の学校はこの杜乃宮学園を含めて3校しかなく、競争率も高い。この杜乃宮学園は家柄で入学試験の合否を決めることがないことで有名の為、余計に出願者が多い。
さらにこの国には、家紋制度がある。家紋とは、国とって歴史的、有用的な功績をあげた家に王から贈られる称号のことである。王家の家紋は「桜」となっており、続いて「菊」、「梅」、「椿」、「藤」という順序付けがされている。家紋を持っている家は通称紋家と呼ばれ、家紋を持たない家は民家と呼ばれる。ちなみに我が陽野家は民家である。
王立の学校は基本的には紋家の人間が優先されるため、入学者の大半が紋家となるが、杜乃宮学園だけはそうではない。純粋に入学試験の結果のみで合否が判断される。だから、杜之宮の入学者は他と比べて民家の人間が多い。紋家でも民家でも、「ジゼルの花」を目指すことができる。それが何より少年少女たちにとっては輝かしい場所なのだ。
昨年度のジゼルの花は31代目。わたしたちの学年から生まれるであろうジゼルの花は34代目になる計算だ。それだけ歴史もある制度だ。
「ねえ、聞いた?隣の組、安城家の次男がいるんだって」
「うそ、菊家の?」
「仲良くなりたいな、今後の付き合いの為にも」
「めちゃくちゃ綺麗な顔してるって!後で覗きに行こう」
菊家とは、菊の家紋をもつ家のこと。すなわち、安城家は菊の家紋ということだ。菊の家紋を持つ家は、この国では王家の次に力を持つ家なので世間に与える影響も大きい。どの時代にも菊の家紋を持つ家は3つしかなく、菊の御三家とも言われる。ちなみに現在の菊の御三家は、安城家、月代家、御影家だ。同級生たちの会話を聞きながら、わたしは自分の机でノートを開く。『研究書』と書かれたノートはわたしのお手製だ。
「安城家の次男って、長男よりもすごいって聞いたことある」
「これじゃあ俺らの代のジゼルの花は、安城で決まりだな」
「長男は別の王立出身だったような?なんでわざわざ杜乃宮に来たんだろ」
「コネだけ作っとこうぜ。同級生に安城がいたってだけで話のネタになるだろ」
ノートの一頁目を開く。
”ジゼルの花になるための三個条”
”ひとつ、常に成績優秀であること”
”ひとつ、常に言動に落ち着きがあること”
”ひとつ、常に他人思いやる慈愛の心を持つこと”
「明日の期初試験嫌だな、何がでるんだろ」
「他に上位の紋家ってどこかいるの?梅家のひといたっけ」
「食堂のごはん美味しそうだった~」
「ね、陽野さん。陽野さんはどこの中学出身?」
声をかけられて、わたしはノートを閉じて微笑んだ。
「わたしの中学結構遠いから、聞いてもご存じないかもしれません」
「あ、もしかして寮生?」
「そうです」
「いいなー学園から近いし、綺麗だよね」
杜乃宮学園の寮は学園のすぐ隣に位置している。決して広くはないが全室個室であり、食堂もある。
「ぜひ遊びに来てください」
「行く行く、そういえばなんで同い年なのに敬語?」
当然の質問にもわたしは平静な態度で返す。
「両親が厳しくて昔から敬語で話すのに慣れてしまっていて…これが標準なので気にしないでください」
「そうなんだ、大変だね」
同級生は憐れんでくれたが、これは嘘である。敬語なのは地の言葉の粗さを隠すためだ。荒い言葉使いをするジゼルの花なんていないから、あえてそうすると入学前に決めたのだ。杜乃宮学園に入学するためにはそれなりの学力と人間性が必要となるため、同級生たちは軒並み落ち着いているように見えた。動物園のようだった中学の時とは大違いだ。
「はい、ではみなさん。ホームルーム始めますよ」
「はーい」
教室に入ってきた先生の掛け声で、同級生たちはそれぞれ席に着く。
「では、今日は主に学園の説明を行います。校則や施設についてなど、初日から覚えることが多いですが、三年間充実して過ごすために頑張ってくださいね」
そうしてその日は主に校則や規則の説明、施設案内で一瞬で時間が過ぎ去っていった。
「ただいま戻りました」
「おかえり」
寮へ戻ると、寮の管理人の女性が微笑んでくれた。
「夕食は18時からだから、それまでゆっくりしておいてね。学園はどうだった?」
「刺激的でした。これからが楽しみです」
「ふふ、それはよかったわ」
管理人に一礼してわたしは自分の部屋に行く。寮の部屋は、シングルベッド、勉強机、本棚がひとつという簡素な作りだ。お風呂、トイレ、洗濯機は共同で、自由に使える寮生のための共同台所もあるらしい。
「ふー」
わたしは行儀悪く制服のままベッドに寝そべって、窓から空を見た。初日ということで今日は終わりの時間が早いため、まだ日は落ちていない。
「…」
ぼんやりと空を眺めていると、じわじわと実感が込み上げてくる。とうとう来たんだ、杜乃宮学園に。
「あっそうだ」
わたしは起き上がって、部屋着に着替える。部屋を出て向かうのは、一階においてある共同の電話である。受話器を取って、暗記してある番号を押す。
「…もしもし?お母さん?菜乃日だよ、あ違う。菜乃日です」
『あら、もう授業終わったの?』
受話器からはおっとりとした母の声が流れる。
「今日は説明だけでしたし、明日は試験ですから」
『そうなの、試験頑張ってね』
「はい、楽しみです。あそれと!もしサヤから連絡があったら教えてくださいね、絶対」
『はいはい、わかってるから。むやみにサヤの名前は出さない方がいいわよ』
「あっそうですね、気を付けます」
『じゃあまた電話楽しみにしてるわ、またね』
「はい、また」
わたしは受話器を置き、周囲に人影がないか見渡す。誰もいない。今の会話は誰にも聞かれてはいないようだ。
サヤ、という人物は月代サヤ(つきしろさや)。菊家である月代家の一人娘であり、わたしの異母姉である。杜乃宮学園の先代のジゼルの花のひとりであり、わたしが杜乃宮学園に入学する動機を作り出した人であある。
そして現在は行方不明となっている。