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Cafe Shelly

Cafe Shelly さよなら、さよなら

作者: 日向ひなた

「私、もうすぐ死ぬの」

 あなたはそんな言葉を突然言われたことがあるだろうか? 私は今、目の前でその言葉を伝えられた。しかも、ほんのちょっと前まではまったく知らない赤の他人からである。

 目の前にいるのはアキと名乗る少女。性格な年齢は聞いていないが、おそらく十六、七の高校生。ちなみに私は三十六歳、独身の男。しがないサラリーマンをやっている。

 そんな私がどうしてこのアキと知り合ったのか。これは偶然といえば偶然、でも意図的といえば意図的。恥ずかしながら、私はメイドカフェ通いをしている。ご主人様、と言われることに快感を覚えた、なんてほどではない。ただ男としてちやほやされる扱いを受けることが心地良くて。

 で、アキはそのメイドカフェにアルバイトに来ている少女。しかも新人である。さらに、どうやら私がアキにとって一番最初のお客様らしい。開店とほぼ同時にお店に行く私も私だが。

「おかえりなさい、ご主人様」

 アキはにこやかに笑って私にごあいさつ。行きつけのお店であったが、初めて見る顔のアキにちょっと心が弾んだ。

 いつものようにカフェオレを注文。そしてアキが注文の品を運んできて、私が座っているカウンター席の前に位置した。

 運ばれてきたカフェオレをひとすすり。そんな私をアキはほおづえをついてじっと見ている。

「なに、顔になんかついてる?」

 私はアキの視線が気になって、そんな言葉を発してみた。

「ううん、ご主人様」

 なんだかちぐはぐな会話。この店、こんなコンセプトだったっけ?

「あのさ」

 今度はアキの方から声をかけてきた。

「なに?」

「ご主人様、ゲームしませんか?」

 このお店はメイドとゲームをするためにチップを購入しなければならない。当然、それがウリではあるのだが。若い女の子と触れ合う機会の少ない私にとっては、そんな時間がとても貴重。

 ちなみにこのチップをどれだけ我々から購入させたかで、バイトの給料も変わるらしい。そのため、ゲームの売り込みがあるのは当然のこと。

「いいよ」

 そう言って千円分のチップを購入。アキの顔がほころんだ。だが、その笑顔の奥になんとなく暗い影があるような気がした。

 それからアキとゲームで楽しんだ。今まで何度もこの店に足を運んで、いろいろな女の子と遊んだ。が、アキはなんとなく気になる存在。恋愛感情とかそんなのではない。はしゃぐ姿に何か違和感があるのだ。なんだろう、これ。

 ゲームが終わり、チョコパフェを注文した。私の最大の楽しみはここにある。

「はい、アーンして」

 なんて言ってもらいながら、パフェをメイドの女の子に食べさせてもらえるのだ。こんな恋人みたいなことを女性と行うのは、今の私ではどう転んでもありえない。独身中年男のささやかな願望である。

 今回もアキがそうやって食べさせてくれる、はずだった。アキがチョコパフェを運んできた。さぁ、いよいよだ。だがアキはふぅっとため息。そのとき、さっきの暗い影をまた見せた。

「あのね、ご主人様」

「ん、なに?」

 ちょっと沈黙。アキは暗い顔で下を向いている。

が、すぐに明るい顔に変わり、にっこりとして私を見た。そしてこの一言。

「私、もうすぐ死ぬの」

 えっ!? さすがに突然出てきたこの一言には驚いた。何かのギャグ?

「死ぬって、どういうこと?」

 まだ何のことか理解出来ない私。

「うそっ、冗談よ。さ、食べましょ。ご主人様、アーンして」

 アキは何かをごまかすように私にチョコパフェを食べさせて始めた。

「あ、はい。アーン」

 アキにパフェを食べさせてもらう。本来ならば至高の時のはずなのに。私の頭の中は「私、もうすぐ死ぬの」という言葉がグルグルと巡っていた。これが本当なら、あの暗い影は説明がつく。

 この日、私はメイドカフェを心から楽しむことができなかった。アキの言葉がずっと心にひっかかっていたからである。その真意を確かめたくても、いざという時にそれが言葉に出てこない。結局その日は退散せざるを得なかった。

 次の休みの日。私はすぐにメイドカフェに足を運んだ。目的はアキに会うため。

 この一週間、頭の中はアキの言葉でいっぱいだった。もうすぐ死ぬ、ということは何か病気なのだろうか。それとも自殺をほのめかしているのだろうか。いや、やはり女子高生ならではのジョークなのだろうか。いろんな考えが頭の中をかけめぐっていた。

「おかえりなさい、ご主人様」

 入り口で応対してくれたのは残念ながらアキではなかった。

「あの…アキちゃんは?」

 このお店は指名制度がある。気に入ったメイドがいれば、専属でサービスをしてくれるというもの。

「アキ、ですか…」

 一瞬、目の前のメイドが目線を落とした。

「アキは今日は休みになっています」

 休み、ということはやはり病気かなにかか?

「アキちゃんになにかあったの?」

「えっ、どうしてそれを?」

 メイドがつい口走ったその言葉。やはり何かあったに違いない。

「な、何があったか教えてくれないか。頼むよ」

 私が入り口でしつこくメイドの子に迫るものだから、店長らしき男性が現れた。

「お客さん、ちょっと困るんですけど」

「あ、すいません…」

 気弱な私はその一言で退散。ふぅっとため息を付いて肩を落とす。そうなるとなおさらアキちゃんのことが気になる。さて、どうしたものか。

「あの…」

 ふいに声をかけられた。振り向くと、さっきとは別のメイドがそこに立っている。

「あの、あなたよくいらっしゃるご主人様ですよね」

 その子はときどき私の相手をしてくれるメイドで見覚えがある。

「アキ、先週あなたのことをすごく話していたんです。初めて相手にしたご主人様がとてもいい人だったって。でも、アキは…」

「アキちゃん、何があったの?」

 さっきのメイドと同じように、この子も目線を落とす。そしてポツリとこう言った。

「アキ、入院したんです。昨日の夕方もアルバイトに入っていたんですけど。突然ふらりと倒れて」

 まさか、やはりあの告白は本当だったのか!?

「で、アキちゃんは今どこに?」

「昨日運ばれたのは橋本記念病院だって聞いています」

「わかった、ありがとう!」

 私はそれを聞くと、足が勝手に動き出していた。行き先はもちろん橋本記念病院。

 急げ、急げ、急げ!

「あの、アキという子がこちらに入院をしていると思うのですが」

 私は息せき切って、病院の受付に駆け込んだ。

「あ、アキと言われましても…苗字はなんでしょうか?」

 そういえばアキの苗字も知らない。どう答えればいいのか。あ、そうだ。

「そうそう、昨日救急車で運ばれてきた高校生の女の子です」

「あ、東原亜希さんですね」

「それそれ、東原さん。病室はどこですか?」

「それでしたら二階の210号室になります」

「ありがとうございます」

 私は聞き出した病室へと向かう。ここまでは何も考えずに、がむしゃらに走ってきた。が、何と言って会いに行けばいいのだろうか。よく考えたら、私はアキにとってはただの客でしかない。ここまでお見舞いにくる義理もない。これじゃただのストーカーだ。

 それに、ひょっとしたらアキのご家族もそこにいるかもしれない。何と言って会いに行けばいいのだろう。

 けれど足は勝手に病室へと向いている。そして病室の前でパタと足を止めた。入るべきか、入らざるべきか。

「あれ、この前のご主人様」

 えっ!?

 慌てて振り返ると、そこにはアキがいた。

「あ、アキちゃん!?」

 私はびっくりしてそれ以上言葉が出てこなかった。

「どうしたんですか?」

「あ、いや、その、お見舞いに…」

「あぁ、お友達かなにか入院されているんですね」

「そ、そうなんだ、あははは」

 まさかアキが心配で来た、なんて言えない。ここは友達のお見舞いにきたことにしておこう。

「と、ところでアキちゃんはどうしてここに?」

 私がそう尋ねると、アキはこの前見せた暗い影の表情をした。そして、ゆっくりと顔を上げ、またこの言葉をぼそりと吐いた。

「私、もうすぐ死ぬの」

 この言葉に、私はまたドキリとした。今度は冗談にはとらえられない。

「アキちゃん、この前もそれ言ったよね。どういう意味? 詳しく教えてよ」

 アキは無言のまま病室へ移った。そしてうつむいたままベッドに腰掛け、何も言わない。私は病室に入ろうかどうしようか迷ったが、そのアキの姿を見ると居ても立ってもいられなくなった。

「アキちゃんのこと、心配だよ。この前、お店でももうすぐ死ぬんだって言ったよね。あれからアキちゃんのことが頭の中に残って。だから、だから…」

「ご主人様、ありがとう」

 アキはまだうつむいたまま。そしてポツリと自分のことを語りだした。

「私ね、急性の白血病なんだって。このままだと半年の命なんだ」

 もうすぐ死ぬ、というのは本当だったのか。

「アキちゃん、大丈夫だよ。ちゃんと治療すれば、死ぬなんてことないよ。だから、だから…」

 こんな言葉は気休めに過ぎないのはわかっている。けれど、こんな言葉しか出てこない。そんな自分を腹立たしくも思う。

「えへっ、大丈夫ですよ。私、もう覚悟はできているから。だから今はやりたいことをやっていきたいんだ。でも、せっかく始めたメイドカフェのアルバイトも、一週間しかもたなかったけどね」

 そう言ってアキは顔を上げ、元気そうな振る舞いを見せた。その姿がいじらしく見える。

 このとき、アキのためならなんでもやってあげたいという気持ちが湧いてきた。でも、それは迷惑にならないだろうか。ひょっとしたらアキには彼氏がいて、私の存在なんか目に入っていないかもしれない。

 えぇいっ、そんな気弱なことでどうする。目の前にいる一人のか弱い女の子が、死ぬ覚悟を決めて何かに取り組もうとしているんだ。よし、ここは思い切って。

「私に協力できることがあれば遠慮無く言って。

せっかく知り合ったんだし、アキちゃんのためならなんでもやってあげるよ」

「ご主人様…ありがとう」

 アキが私の胸にもたれかけてきた。このとき、アキの目から涙が流れてくるのを感じた。

 それから私の病院通いが始まった。アキは結局入院をしたまま。外出もままならない身体になっていた。こんな中年男が女子高生の病室に通って、変な目で見られないかって?

 実はアキが自らの命に覚悟を決めているのにはもう一つ理由があった。アキには両親がいない。三年前、アキの両親は夫婦で旅行に出たときに自動車事故で亡くしている。今はアキのおばあちゃんと二人暮らし。アキはおばあちゃんに私のことをこう紹介していた。

「あのね、この人は学校の先生なんだよ。いつもアキのことを気にかけてくれて、こうやってお見舞いに来てくれているの」

 しがないサラリーマンがいつの間にか学校の先生へと変わっていた。私もそのつもりでアキの病室へと足を運んでいる。そのおばあちゃんにアキの病状を聞いてみた。

「お医者様が言うには、あまりよくないらしいんです。若いから病気も進行が早くて。どうすればいいのか…先生、あなただけが頼りです」

 アキだけではなくとうとうおばあちゃんにまで頼られるようになってしまった。

「ご主人様、私ね、もう一度だけでいいから街を歩いてみたいの」

 アキは二人っきりの時は私のことを相変わらずご主人様と呼ぶ。

「それがアキの望みなんだ」

「うん。もう一度でいいから、普通の女の子として街を歩きたい。それが叶えば、もうなにもいらない」

 アキのその言葉をなんとか叶えてあげたい。けれど、どう見ても医者の許可が出るとは思えない。

私は悩んだ。

 今までアキのことを誰にも話さなかったが、唯一と言っていい友人の千葉くんにこのことを相談してみた。

「えぇっ、おまえそんな女子高生とつきあってんのかよ!」

「いや、つきあっているってことじゃないけど…でも、どうしたらいい?」

「そりゃおまえ、そのアキちゃんって子の願いを叶えてやるべきだよ。そうだなぁ、土曜とか日曜とかだったらオレも協力できるぞ」

 で、そこからアキをどうやって病院から連れ出すかの相談が始まった。基本的に土日は余程のことがない限り回診には来ない。千葉くんにアキの身代わりになってもらい、アキはちょっと変装をして釣れだす。あとはアキのおばあさんをどうごまかすか、だ。

「ごまかすよりも協力してもらったほうがいいんじゃないか?」

 千葉くんはそう言うが、果たしてうまくいくか。私は思い切ってアキのおばあさんにこう話を持ちかけた。

「アキさんに特別課外授業を行ないたいのですが」

 そしたらあっさり認めてくれた。計画実行は日曜日。

「千葉くん、頼んだぞ」

「まかせとけ!」

 そう言ってアキのベッドにもぐり込む千葉くん。アキはちょっと男っぽい格好に着替えて、サングラスを掛け帽子をかぶる。その姿もまたかわいい。

「じゃぁアキ、行こうか」

「はい、ご主人様」

 しばらく運動をしていないせいか、アキは最初の一歩はフラっとしてしまった。

「だ、大丈夫?」

「平気です」

 ホントに大丈夫かなぁ。もしかしたら私はとんでもないことをしでかそうとしているのかもしれない。でもアキが望んでいることを叶えてあげたい。今はその一心だ。

 何事も無く病院を出ていくことはできた。

「まずはどこに行きたいの?」

「あのね、お洋服着替えてもいい? もっと女の子らしいのにしたいの。おうちに一度戻ってもいいかな?」

「あ、あぁ、そうだね」

 そこまでは気が回らなかったなぁ。タクシーでそのままアキの家へ。おばあさんには協力してもらっていてよかったよ。

 そうしてアキが着替えてきたのは、ミニスカートにピンクのシャツ、そして頭にはリボンを付けている。思わず萌っ!

「じゃぁ、どこに行く?」

「あのね、とにかく街を歩きたいの」

「よしわかった」

 再びタクシーに乗り、私はアキと街へくりだした。街は人であふれていた。アキが向かったのはファッションビル。ここはさまざまな洋服店が入っている。中年の独身男には縁のないところ。私は初めて足を踏み入れる。

「わぁ、かわいい。ねぇ、ご主人様、これどう?」

 無邪気に笑いながらいろいろな洋服を見てまわるアキ。その隙にちょっと財布を確認。何かひとつくらい買ってあげてもいいよな。

 けれどアキは次々と店を変えては商品を手に取り、あてがい、また次に移るだけ。これといって欲しがっている様子はない。だが、とある店で一瞬フラッとするアキ。

「アキ、大丈夫?」

 思わずアキを抱きしめる。

「あはは、ちょっとはしゃぎすぎたみたい」

 そのままベンチで一休み。だが若い女の子が多く、まだ熱気に包まれているせいか、アキはちょっとつらそうな顔をしている。

「少し外の風にあたろうか」

「はい」

 どこかファーストフードの店にでも行って休むとするか。そう思って外に出てみた。が、私も実は街のどこになにがあるのかよく把握していない。私が行くところなんて限られているからなぁ。

 少し迷い込んだようだ。ふと見ると、目の前にはパステル色のタイルで敷き詰められた細い路地が広がっていた。

「こんなところあったんだ」

 アキも目を輝かせている。おかげで少し元気になったようだ。

 早速足早に、目についたブティックへと駆け込んだ。他にも雑貨屋もあるし、いくつかのお店を蝶のように舞いながらまわるアキ。一つ一つのお店はそれほど大きくないため、あっという間に次へと移る。だがさすがにアキも疲れたようだ。顔色がしんどそう。

「どこかで休もうか?」

 アキの体を支えながら目にしたのは、喫茶店らしき黒板の看板。そこにはチョークでコーヒーカップのイラストといくつかのドリンクメニュー、そしてこんな文章が書かれてあった。

「今を精一杯生きる その喜びをかみしめて」

 まるで今のアキのために書かれたようなもの。アキもこの文章に気がついたようだ。

「ここ、行こうか?」

「はい、ご主人様」

 どうやら目の前のビルの二階にあるお店のようだ。ゆっくりとした足取りで階段を上る。

カラン、コロン、カラン

 心地良いカウベルの音が私たちを迎えてくれた。それと同時に聞こえる女性の「いらっしゃいませ」の声。入った瞬間に甘いクッキーの香りと、コーヒー独特の香りに包まれた。そこは小さな空間ではあるが、なぜか心地良さを感じる。

「こちらのお席にどうぞ」

 通されたのは窓際の席。

「ふぅ、アキ、疲れたろう」

「ううん、大丈夫」

 そう言いながらも、椅子に腰をおろすと安堵の表情を見せるアキ。やはり体に負担がかかっているのだろうか。

「どうぞ、ごゆっくり」

 そう言って店員がお冷を持ってきてくれた。このとき、アキがすかさず店員にこう質問をした。

「あの、下の看板にあった『今を精一杯生きる その喜びをかみしめて』って、どういう意味なんですか?」

「あ、あれですね。意味というか、あれは私が毎日その場でひらめいた言葉を書いているんです。なぜか今日はあの言葉が頭に浮かんで。それで書いてみてわかったんです。私たちって、今この瞬間にしか生きていられないんですよね。だから、その瞬間瞬間を楽しんで、喜んで、それを実感していくことが人生を充実させたってことになるんじゃないかなって」

 なるほど、いい言葉だ。

 ふとアキを見ると、急に涙ぐみ始めていた。

「どうしたの?」

 店員もアキの急な変化にとまどっている。だが私にはアキの気持ちがよくわかる。この先がないアキにとって、今この瞬間こそが大事なことなのだから。それを実感してしまったのだろう。

「わたし、もう未来がないんです。だから、今の瞬間の喜びをもっと感じていたい…」

 アキはそう言って唇をぎゅっと噛みしめた。私はアキになんと声をかけていいのかわからない。今はただ見守るしかない。

 だが店員の女性が意外な行動に出た。

「そっか、そうなんだ。大丈夫、大丈夫よ。あなたは今、ちゃんと生きているって瞬間を感じているから」

 そう言ってアキをぎゅっと抱きしめた。アキは声にならない声を出してさらに涙を流す。店員はアキの背中を、まるでお母さんが赤ちゃんを落ち着かせるかのようにトントンとたたく。

 すると不思議なことに、アキは次第に落ち着き始めた。それを見て、店員もアキから一旦離れる。

「ありがとうございます。ごめんなさい、ごめんなさい」

 謝るアキに店員はにこりと笑ってこんな言葉を伝えた。

「今泣けたってことは、今の瞬間を感じている証拠なの。それが生きているってことを感じるという意味なのよ。泣きたい時には泣いて、笑いたい時には笑って、怒りたい時には怒る。それでいいのよ、それで」

 店員さんの言いたいことはわかる。だが、今のアキにとってその言葉はどれほど有効に伝わっただろうか。

「そんなあなたに、おすすめのコーヒーがあるの」

「それ、どんなコーヒーなんですか?」

 私の方がそのコーヒーに興味を持った。

「口で説明するよりも体験したほうが早いですよ」

 ここは店員さんの言葉を信じてみよう。私はそのコーヒーを二つ注文した。アキは平常心を取り戻したようだ。

「ねぇ、ご主人様」

「ん、なんだい?」

「今の感情に素直になるっていうのが今を生きているってことだって、さっきのお姉さん言ったよね」

「あぁ、そうだね」

「でもさ、わたし泣いてばかりいたくない。どうせなら笑っていたい、楽しんでいたい。そういう願望を持つのは今を生きることにならないのかな?」

 アキの話はちょっと哲学めいている。私の知恵のない頭ではアキの質問には即答できない。けれどこれは言える。

「アキと一緒にいると楽しいよ。アキはどうかな?」

「うん、わたしね、ご主人様とこうやって外に出られたことがとてもうれしい。一人じゃつまんなかったと思うの。ご主人様、ありがとう」

 アキはそう言って私に腕組みをしてきた。なんてかわいいのだろう。このかわいい命が、あとわずかだなんて信じられない。今はこの時間を、この瞬間を楽しもう。腕から伝わるアキのぬくもりを目一杯感じ取ることに意識を集中させた。

「おまたせしました。シェリー・ブレンドです」

 店員さんが注文のコーヒーを持ってきた。店員さんがすすめたこのコーヒー、一体なにがあるのだろうか?

「飲んだあと、よかったら感想を聞かせてくださいね」

 私はブラックで、アキはさすがに慣れないのだろう、砂糖とミルクを多めに入れている。

 こうやって飲むコーヒーは久しぶりだ。会社ではインスタントか自動販売機のコーヒーばかりだし。

 香りが鼻をくすぐる。そしてコーヒーを口に含む。うん、素人の私にでもこのコーヒーがおいしいというのがわかる。なんだろう、おいしさがどんどん口の中で広がる。と同時に、ワクワクしたものが心の奥から感じられる。

 そのワクワクを誰かに感じてもらいたい。そんな衝動にかられた。なんだか不思議な感覚だ。

 ふとアキを見ると、目を丸くしている。一体どうしたのだ?

「アキ、どうした?」

 声をかけてみたが、アキはまだびっくりした表情のままである。

「アキ、おいアキっ」

 私はあわててアキを揺さぶった。そこでやっとアキは正気に戻った。そして私の顔を見るなり、急に泣き出してしまった。

「アキ、一体何があったんだ? おい、このコーヒー、何か変なものが入っているんじゃないだろうな?」

 私は思わず店員を睨みつけた。

「大丈夫ですよ。きっと何か見えてきたのね」

 店員はアキの背中をさすりながらやさしくそう言った。アキはまだ泣きながらも、私にこう言ってくる。

「あのね、あのね、お父さんとお母さんが見えたの。わたし、もうすぐそっちに行くからって、そう言ったの。でもね、お父さんもお母さんも来ちゃいけないって、そう言うの。そしてね、二人ともわたしの後ろを指差すの。振り向いたらね、ご主人様がいたの。そしたらわたし、体の奥が熱くなって…とてもうれしくなって…ご主人様…」

 アキがなぜこんなことを言い出したのかわからない。それよりも心配なのは、店員の前でわたしのことをご主人様と呼ぶこと。女子高生と中年男、きっと変な関係だと思われているだろうな。私は慌てて店員に説明を始めた。

「あ、アキはメイドカフェで知り合って。私のことをご主人様って呼ぶんですよ。でね、アキは、アキは…白血病なんです。それであとわずかしか生きられないんです。そんなアキの望みが街を歩きたいってことだったから…だから病院を抜けだして、今ここにいるんです」

 まるで私の言い訳のようにしてそう言った。店員はわかってくれただろうか?

「マイ、ちょっと」

 カウンターの奥からこの店のマスターが店員を呼んだ。ひょっとしてマスターに不審がられたかな? 確かに傍から見れば尋常じゃない雰囲気だし。だが店員は何かを手にして戻ってきた。

「よかったらこのクッキー食べませんか? 私の手作りなんです」

 そこには白い色のクッキーがあった。それを黙って手に取るアキ。私もそれを食べようと思ったが、その前に店員からこんな一言が。

「このクッキーを口に入れたら、シェリー・ブレンドを口に含んで一緒に食べてみてください。きっとお二人にとっての答えが見つかりますよ」

 答えが見つかるとはどういうことだろう。ともかく言われたとおりにやってみた。

 白いクッキーを口に入れる。すると、まるで溶けるように口の中で甘さが広がる。そしてコーヒーを口に入れる。その苦味と先程の甘さがうまい具合にブレンドされ、グルグルと渦を巻きながら口の中で広がっていく。すると、先ほどと同じようなワクワクしたものが心の奥から感じられた。と同時に、今度は私の目の前に何かが見えてきた。

 そこにいるのはアキ。アキと出会ってから数日間のことがアキの目線で広がる。まるで映画のワンシーンをオムニバスでつないでいるような感覚。

私はそれを、ワクワクしながら観客として見ている感じだ。

 このとき、不思議とアキの感じていることが手に取るように、次から次に私に伝わってきた。そこには笑いと感動、いやそれだけではない、葛藤や苦しみ、さまざまなアキの思いがのせられている。それを私が受け取り、そして伝えていく。

 これが答えなのか? そう思ったとき、私の目の前はパァッと明るく広がった。

「いかがでしたか?」

 その声にハッとさせられた。今のはなんだ、夢でも見ていたのか?

「答え、みつかりましたか?」

 そうか、そうだった。さっき店員に言われたとおりにクッキーを食べ、そしてコーヒーを飲んだのだった。その直後、先程の映像が見えてきたのだ。今の映像にはどういう意味があるのだろうか? それよりも心配なのはアキの方だ。さっきはコーヒーを飲んで泣き出した。

「アキ…」

 アキの顔を覗き込むと、私が予想しなかったものを目にした。なんと、アキは目をつぶってこれ以上ない幸せそうな顔をしている。今度はアキに何が起きたのだ?

「アキ、大丈夫か?」

 私の声にやっと反応を見せたアキ。

「ご主人様、わたし、わかったの」

「わかったって、何が?」

「わたしね、たった十七年だったけど生きていたんだってことがそのことがはっきりわかったの」

 急に興奮して話をしだすアキ。アキは一体何を見たのだ?

「アキちゃん、何かとっても素晴らしいものが見えたのかな?」

 店員はゆったりとした口調でアキに語りかけた。アキはまだ興奮覚めやらぬ感じで、自分が見たものを話しだした。

「わたしね、赤ちゃんの時はすっごく甘えんぼでおかあさんにしがみついてた。そしてすぐに泣いてたの。でもね、大きくなるにつれていっぱいの人から愛されるようになった。たくさんの人が私と遊んでくれたの。そして小学校に入ってから、大好きな先生ができたわ。女の先生で、私のことをいっぱいほめてくれたし、叱ってもくれた。そこでいろんなことも学んだ。小学校六年の卒業式の時には、児童代表であいさつもしたわ。中学に入って恋もした。多くの人と関わって、そして、そして今ご主人様と出会った。私、生きていたんだね。たくさんの人の心のなかにわたしという存在を残すことができてたんだね」

 矢継ぎ早に生まれてから今までのことをしゃべるアキ。アキは何を見たのだ?

「そうなんだ。アキちゃんは今、生まれてから今日までの自分の人生を見たのね。そこでたくさんの人との関わりを感じたんだ」

 店員さんはやさしくアキに語りかける。

「はい。わたし、お父さんとお母さんが死んでから一人ぼっちだと思ってた。だからもう死んでもいいやって思ってた」

「そう、そんなことがあったんだ」

「うん。でもね、わたし一人じゃなかったんだね。

こんなにたくさんの人がわたしのことを見てくれていたんだ。そしてわたし、もっとみんなの中で生きていたい。わたし、それに気がついたの。だからね、だからもうちょっとだけ生きていたい。そしてもっともっとたくさんの人にわたしが生きていたことを知って欲しいの」

「そっか。アキちゃんが生きていたことをみんなの心のなかにとどめておいて欲しいのね」

「うん」

 私は黙ってアキと店員のやりとりを聞いていた。何かが頭にひっかかる。なんだろう、これは。私がシェリー・ブレンドを飲んで見えてきた光景。これとアキの言葉が何かでつながっているような気がするのだが。

「ところでご主人様はどんなものが見えたの?」

 タイミングよく、アキはものを質問してきた。

「私が見たものか。私はね…」

 そう言いかけたときに、解けなかったパズルのピースがカチッとはまった。

「そうか、そうだったんだ。私がやるべきことはこれだったのか!」

「え、なに?」

「何かわかったのですか?」

 私が突然大きな声を出したので、アキや店員はもちろんのこと、お店にいたお客さん、さらにはカウンターにいたマスターまでもが私をびっくりして注目した。

「ご主人様、なにがわかったんですか?」

 アキが不思議そうな顔で私を見つめる。アキのリクエストに応えようとおもったとき、カウンターからマスターが出てきた。

「すいません、よかったら私にも聞かせてくれませんか?」

「まったく、マスターはなんでも首を突っ込みたがるんだから」

「まぁまぁ、そう言うなよ」

 店員の突っ込みにマスターはにこやかに笑いながらそう答える。

「で、一体何がわかったのですか?」

 目の前にはアキ、店員、そしてマスターの三人が並んでいる。ちょっと話をするのに緊張するなぁ。

「じゃぁ話しますね。まず最初にこのコーヒーを飲んだとき。これで感じたものがワクワクしたものでした。そしてそのワクワクを誰かに感じてもらいたい。そう思ったんです」

「ワクワクを誰かに伝えたい、か。そのワクワクってなんなんでしょうね?」

「はい、それが次にコーヒーをクッキーを飲んだことでわかったのです」

 マスターの問いかけに私は先程映像で見た光景を頭の中で今一度思い出すことで答えようとした。

「私が次に見たのは、アキの人生でした。といっても、私がアキと出会ってからの数日間のことですけれど。でも、不思議なことに私はそれをまるで映画をみているような感覚で見ていました。さらにその映画からは、アキの気持ちが伝わってくるんです。アキが喜んだこと、苦しんだこと、感動したこと、そのほかいろいろなことが私にもわかるんです。そして…」

 私はそこまでしゃべって、何気なく残りのコーヒー、シェリー・ブレンドを一気に口にした。そこでまた私の中に不思議な感覚が蘇ってきた。伝えなきゃ、そうだ、この思いを伝えなきゃ。その衝動にかられている私がいた。

「私は伝えなきゃいけないんです」

また突然私がそう声をあげたので、またみんなを驚かせてしまった。

「な、なにを伝えなきゃいけないんですか?」

 店員さんの質問に、私はアキの方を向いて、こう答えた。

「アキは自分が生きていたことをみんなの心のなかにとどめておいて欲しいんだよね」

「はい、そうです」

「それなんです、私が伝えていくべきことは」

「それなんですって、どういうことですか?」

 まだ店員は私の考えていることがわからないらしい。だがマスターの方が私の思いを察知してくれたようだ。

「あなたがアキさんの生きていた証を伝える。その役目を担うということなのですね」

 その通りである。私がなぜアキと出会い、こうやってアキのために動いているのか。その究極の目的は、アキという女の子の生きた証を世の人達に痕跡として残すためである。その方法はまだわからない。けれど、それが私の役目であることをこのシェリー・ブレンドが教えてくれた。

「ご主人様…」

 アキは声にならない声で私を見つめてそう言った。その潤んだ目を見ると、さらにアキのために何かをやってあげたい、その感情が強くなって湧いてくる。

「わかりました。私もお手伝いしてあげましょう」

 マスターは立ち上がると、一度カウンターへと戻っていった。何をしてくれるのだろう? その間に店員が私にこんな質問をしてきた。

「素朴な疑問なんだけど、これ聞いてもいいかな?」

 そう言われるとハイと返事をせざるを得ない。店員にそう告げると、あらたまってこんなことを聞いてきた。

「なぜアキちゃんのためにそういう行動を起こそうと思ったのですか? おそらくこれは多くの人が最初に持つ疑問だと思うんだけど」

 確かにそうだ。私はアキの恋人でもないし、家族でもない。傍から見ればただの他人。けれど私の中ではこの答えがすでに用意されていた。いや、きっとアキと出会ったのはそのためだと確信している。だから自信を持ってこう答えた。

「それが私の役目だからです」

 何の根拠もない私の答え。だが店員はその答えに対してにっこりとした笑顔で納得をしてくれた。

「おまたせしました。これが私ができるお手伝いです」

 そう言ってマスターが何かを手にして戻ってきた。どうやら一冊の本のようだ。

「この本はとある出版企画の会社が出した一冊目の本です。三味線の家元さんの自叙伝なのですが、とても感動的なんですよ」

「はぁ」

この家元の本と私のやりたいことのつながりがまだ見えてこない。マスターの話は続く。

「でね、この出版企画の会社はいろいろな人からの本の企画を出版社につないで書籍化するという事業をやっているんです。そのネタとなるものを探しているんですよ。この本の最後に名刺が挟んでありますので、ぜひ連絡をとってみてください」

 なるほど、アキの自叙伝をここから本にするということか。その仕事を私がやればいいのか。だがここで疑問が湧いてきた。

「でも、本は誰が書くんですか? アキはもうそんな体力も時間も残されていないでしょうし…」

 私のその疑問の答えは、マスターや店員の視線、さらにはアキの視線が物語っていた。みんな私を見ている。

「えっ、わ、私ですか? 私がアキの自叙伝を書くってことなんですか?」

 そう言いながらもうすうすは感じていた。それが私の役目なんだなてことが。

「ご主人様、わたしね、伝えたい言葉が心のなかにいっぱいあるの。それをご主人様にどんどん記録して欲しいの。私が生きた証を、どんな形でもいいから残しておきたいの」

 潤んだ目でそう言われると、私もあとには引けない。

「アキ、わかったよ。やってみる、とにかくやってみよう。マスター、ありがとうございます」

 言ってしまった。アキが生きた証をこの世の中に残す。それが私の役目。

 アキは普通の少女。その普通の少女がどのように生きて、どの様な思いを持ち、そしてどのように一生を過ごしたのか。それを私の手でつくっていくのか。これは大仕事になるぞ。

 そうして私とアキはカフェ・シェリーをあとにした。アキの血色もとてもいい感じだ。足取りも軽い。この少女がもうすぐ死んでしまうなんて、誰が思うだろう。それを思うと、今のアキを見るのもつらくなる。が、私はアキが生きた証を残すという大きな使命をもらった。そう思った瞬間、私はとても重たいものを感じた。この両手に、一人の少女の命を預かった。そんな思いさえした。

「アキ…」

「ん、なぁに、ご主人様」

 そうやって振り返るアキの笑顔。もう二度と見ることはない、この笑顔を今この瞬間、心に焼き付けておこう。そして、その笑顔を多くの人に知ってもらおう。

 アキを見てそう決意をした。


「ったく、おせぇんだよ。こっちはドキドキして待ってたんだからよぉ」

「千葉くん、ゴメンゴメン」

 病院に付く前にアキはまた男に変装。そしてあたりが暗くなってからようやく病院に到着。そしてようやく千葉くんと入れ替わりだ。

「でよぉ、デートはどうだったんだ?」

 千葉くんは着替えながら私にそう聞いてくる。

「で、デートじゃねぇって」

 私たちのやりとりをクスクスっと笑って見ているアキ。なんとかすり替え作戦も無事終了。と思ったのだが…

「なるほど、そういうことでしたか」

 ガラッと病室のドアが開いた。そこに立っていたのは白衣の医者。

「ちょっといたずらが過ぎましたね」

 険しい表情で私たちに一歩一歩近づくその医者からは迫力が伝わってくる。

 やばい、こりゃかなり叱られるぞ。だが、その医者の言葉は意外なものであった。

「まったく、マスターから聞かなかったら大変なことになっていたかもしれないんだぞ」

「えっ、マスターってまさか…」

「君たちはカフェ・シェリーに行ったんだろう。気がついていないようだが、私は君たちがあの場にいたときに店にいたんだよ。どうしてアキくんがお店にいたのか、私はびっくりしたよ。でも君たちが帰ったあとにマスターから事情を聞いて理解したよ。アキくん、君は自分が生きた証を残したい、そうだろう?」

「…はい」

「だったらしばらくは私の言うことを聞きなさい。そしてあなた」

 医者は私の方をギロリと睨んだ。こんどこそ叱られるっ。

「これからはあなたがアキくんの手足となって、アキくんの自叙伝を作らなければならないんだ。だがアキくんにこれ以上負担はかけられない。あくまでも私の許可があるときだけ、その行動を行うこと。わかったね」

「は、はいっ」

 えっ、ってことは医者からも許可が出たってことになるのか。なんだかホッと一安心。

「ま、私も及ばずながら力になるからね」

 その瞬間、医者もにこりと笑顔になった。どうやらこれが医者の本音らしい。

 その翌日から堂々とアキの病室に通い、そしてアキの話を聞き取る作業が始まった。そして…


「もういないんだよな」

 私は今、カフェ・シェリーに来ている。そして、かつてアキと座ったあの席にいる。おそらく私の雰囲気は異様なものに見えているだろう。なぜなら、真っ黒のスーツに真っ黒のネクタイをしているのだから。

 私は窓の外をボーっと眺めながら、この四ヶ月間を振り返っていた。四ヶ月前、アキと初めてメイドカフェで出会った。そして翌週、アキが白血病であることを知らされた。それから数日間お見舞いに通い、アキの望みを叶えるべく千葉くんに協力してもらい冒険に出かけた。

 そしてこの店、カフェ・シェリーを知った。そこでアキのさらなる望みを知り、そして私の使命を知った。それからは医者の協力をもらい、毎日のようにアキに会いに行き、そしてアキの望みである自分の生きた証をつくることに全力を注いだ。

 だが、アキの病状は日増しに悪くなり、それでも最後まで苦しみを顔に出さずに頑張った。そしておととい、眠るようにしてその一生を終えた。

「お待たせしました」

 店員が静かに二つのコーヒーを運んできた。一つは私、そしてもう一つはあのときアキが座っていたところに置かれた。

「アキちゃん、もういないんですね」

 店員はその意味をわかっていた。

「これがアキの最後の生きた証だ。アキ、さよなら」

 ここでアキの一生を終りにしよう、私はそう思っていた。

 そしてシェリー・ブレンドを口に含む。ゆっくりと眼を閉じる。アキの顔が浮かんでくる。にこりと笑い、私に語りかけてくる。アキは私の顔に触れ、そしてゆっくりとこう言った。

「さよなら、そしてありがとう」

 アキと目を合わせた後、アキは遠くへと旅立っていった。そして私は目を開ける。

「何か見えましたか?」

 店員が優しく私に語りかける。

「えぇ、アキの最後の言葉が聞こえました。さよなら、そしてありがとうって」

 私はもう一度シェリー・ブレンドを口にする。して今度は私からアキヘ言葉を投げた。

「さよなら、さよなら」

 この後、私はアキの自叙伝を自費出版した。普通の少女の普通に生きた十七年間。それを少しでも多くの人に知ってもらえれば。アキの生きた証が多くの人の心に残ってもらえれば。その思いで出した本。

 もうアキはここにはいない。

 けれど、アキは多くの人の心の中で生き続ける。 これでいいんだよな、これが望みだったんだよな。

 私は空を見上げ、両手をいっぱいに伸ばし、そして今はいないアキを感じる。

 私の心のなかに生き続けているアキを。


<さよなら、さよなら 完>

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