5話
「寒い……」
カリナは洞窟の中にいた。とにかく見つからない遠い場所へ。そう思って森の奥へと入り込み、もうどっちから来たのかすらわからなくなっていた。
当然、行こうと思った街の方角などわからない。しかし、それはもうどうでもよくなっていた。
「人殺し……か……」
積もり積もった怒りの感情。それが爆発してとんでもないことをしてしまった。どうせぶつけるなら、あの富豪にぶつけてやりたかったとも思ってしまう自分を軽蔑する。
どのような理由があれ、殺人は罪。正当防衛だとか、罪人への罰だとか言い訳をつけても、最大の犯罪であることに変わりない。
ましてカリナのそれは正当防衛でも、相手への罰でもない。本当に憤怒の感情からついついやってしまった、自分を律することができない意志の弱い人間の所業だ。
今更町へ行ってどうしろというのだろう。もはや自分は犯罪者だ。富豪は正当な理由で自分を糾弾できる。表向きは後見人として引き取ったことにもしているから、周りの人間には恩をあだで返した屑として自分を見るだろう。
「嫌だな……犯罪者としてののしられるのは……」
それは嫌だ。そうされてももう文句など言えないが、追い込まれていたんだと言い訳くらいしたくなる。したくなるが、やはりそれを差し引いても自分の罪のほうが重いか……。
「罰……というか、償うべきかな」
カリナは外を見る。実は洞窟のすぐ外は崖になっている。落ちればもちろん死ぬだろう。
「一万歩もいらない。洞窟を出れば、ほんの十歩で十分」
カリナは洞窟の出口に立つ。その先は闇。冷たく刃を研がれた、絶壁が待ち受けている。
「あの時海に向かって歩けば、悲劇のヒロインで死ねたのにな……」
街に逃げようなんて思わず。海に身を投げていれば世界のすべてを恨んで死ねた。余計な希望を胸に抱いたから犯罪まで犯してしまった。
「じゃあ生きようと思ったことがもう罪だったんだ……あはは」
あそこで人を殺さなかったとして、街で犯罪を犯さなかっただろうか? 自信はない。すんなり住み込みの仕事でも見つけられればいいだろうが、そうならなければ盗みでもしなければいられなかっただろう。
ああやっぱり、こんな私が生きようと思ったのが罪だったのか。
暗い自問自答をしながら、カリナは確実に歩を進めた。崖まであと一歩。その瞬間目を閉じる。
「ごめんなさい」
謝りながら踏み出した一歩で、カリナは崖から……落ちない。
「……え?」
カリナは落ちなかった。何かを踏んでいた。目を開けてもそれがなんだかわからない。カリナの足は、空中にある何かを踏みしめていた。
「何……これ?」
試しに反対の足でもう一歩踏み出してみた。やはり…落ちない。どころかのぼった。階段くらいの高さでもう一段上に足場があった。そこを踏みしめている。
「階段……なんですか……?」
そのまま二歩三歩と進んでいく。そのたびに階段くらいの高さで上に登って行った。
「ニ十歩……」
ここまでニ十歩だ。カウントダウンのつもりで歩数を数えていたから間違いない。死のうと思って歩き始めてここでニ十歩。
「あと、九千九百八十歩……」
一万まであとそれだけ。もし歩ききれたら、自分の中の罪を償える気がした。
カリナは歩きだした。贖罪のために。誰に言われたからではない。自分が自分に科した罰。自分が科した罰だから、そこには何も疑いがない。
「あと九千……」
千段も階段を登れば、それはもうとんでもない高さだ。その高さを、カリナは無心で登り続けた。
「あと五千……」
周りの景色など気にしていなかったが、雲の高さまで登ると、その先はもはや何もなかった。真っ黒な闇。カリナは降りることも考えずに歩を進める。
「あと千……」
最初の頃ほど疲労感が体を蝕んでいた。当然だ。食事もとらずに、一日に何万歩も歩き続けたのだ。疲れていないわけがない。しかし、階段を登るたびに、疲労感は消えていった。
「あと……一歩……」
気が付けば、残りはあと一段……つまりあと一歩のところまで来ていた。あと一歩で贖罪がすむ。……本当に? ただ一万歩歩いただけで罪が消えるというのか?
そんな保証はない。だって自分で勝手に決めて勝手に始めた贖罪だからだ。あと一歩登ったとしてもそれは自己満足にしかならない。誰も認めてなどくれないのだから……。
「のぼり終わったら……落ちますか」
元からそのつもりだった。もう周りは何も見えないけれど、一万歩登り続けたならここは高い場所のはず。後ろにでも倒れこめば今度こそ落ちて死ねるはずだ。
「ふー……」
カリナは覚悟を決めてもう一歩を踏み出す。そして、周りの光景は一変した。
「完遂です。あなたの罪は今許されました」
周りは一気に明るくなり、暖かい色で世界が満たされる。声をかけてくれた人は、優しい笑顔で手を差し伸べてくれた。
カリナは一瞬あっけにとられたが、すべてを察してその手を取り、もう一歩踏み出した。
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