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今日から僕は 30

 菱川重工豊川工場製の掘削機の鉱山用ドリルを積んだ大型トレーラーにくっ付いて、東和帰還後の休暇を終えた誠は最近買った中古のスクーターで本部に急いだ。下士官寮からの出勤に一番適していると寮でもスクーターの使用者は多い。いつものように保安隊の通用口、警備員が直立不動の姿勢でマリアの説教を受けていた。

「おはようございます!」 

 誠の挨拶にマリアが振り向く。警備部員はようやく彼女から解放されて一息ついた。

「昇進ですか?」 

 佐官用の勤務服姿のマリアを見て誠はそう言った。マリアは何か話しかけようとして止めた。普段ならこんな事をする人じゃない。誠は不思議に思いながら無言の彼女に頭を下げてそのまま開いた通用口の中に入った。

 広がるトウモロコシ畑は、もう既に取入れを終えていた。誠はその間を抜け、本部に向かって走った。そして駐輪場に並んだ安物のスクーター群の中に自分のを止めた。なぜかつなぎ姿の島田が眼の下に隈を作りながら歩いてくる。

「おはようさん!徹夜も三日目になると逆に気持ちいいのな」 

 そう言うと誠のスクーターをじろじろと覗き込む島田。

「大変ですね」 

「誰のせいだと思ってるんだ?上腕部、腰部のアクチュエーター潰しやがって。もう少しスマートな操縦できんのか?」 

 そう言いながら島田がわざとらしく階級章をなで始める。 

「それって准尉の階級章じゃないですか?ご出世おめでとうございます!」 

「まあな。それより早く詰め所に行かんでいいのか?西園寺さんにどやされるぞ」 

 要の名前を聞いて、あわただしく走り始める誠。技術部員がハンガーの前で草野球をしているのに声をかける。

 何か変だ。

 誠がそう気づいたのは、彼らが誠を見るなり同情するような顔で、お互いささやきあっているからだった。しかし、そんな事は誠にはどうでもよかった。誠をぶっ叩くことに快感を見出しはじめた要に見つかったらことである。階段を駆け上がり管理部の前に出る。

 予想していた菰田一派の襲撃の代わりに要とアイシャが雑談をしていた。アイシャの勤務服が佐官のそれであり、要が大尉の階級章をつけているのがすぐに分かった。

「おはようございます!」 

 元気に明るく。

 そう心がけて二人に挨拶する誠。

「よう、神前ってまだ見てないのか?」 

「駄目よ要ちゃん!」 

 そう言うとアイシャは要に耳打ちする。

「アイシャさんは少佐で、要さんは大尉ですか。おめでとうございます!」 

「まあな。アタシの場合は降格取り消しだけどな」 

 不機嫌にそう言うと要はタバコを取り出して、喫煙所のほうに向かった。

「そうだ、誠ちゃん。隊長が用があるから隊長室まで来いって」 

 アイシャも少しギクシャクとそう言うと足早にその場を去る。周りを見回すと、ガラス張りの管理部の経理班の班長席でニヤニヤ笑っている菰田と目が合った。何も分からないまま誠は誰も居ない廊下を更衣室へと向かった。

 実働部隊詰め所の先に人垣があるが、誠は無視して通り過ぎようとした。

「あ!神前君だ!」 

 肉球グローブをしたシャムが手を振っているが、すぐに吉田に引きずられて詰め所の中に消える。他の隊員達はそれぞれささやき合いながら誠の方を見ていた。気になるところだが誠は隊長に呼ばれているとあって焦りながらロッカールームに駆け込む。

 誰も居ないロッカールーム。いつものようにまだ階級章のついていない尉官と下士官で共通の勤務服に袖を通す。まだ辞令を受け取っていないので、当然階級章は無い。

「今回の件で出世した人多いなあ」 

 誠が独り言を言いながらネクタイを締めて廊下に出た。先程の掲示板の前の人だかりは消え、静かな雰囲気の中、誠は隊長室をノックした。

「空いてるぞ」 

 間抜けな嵯峨の声が響いたのを聞くと、誠はそのまま隊長室に入った。

「おう、すまんな。何処でもいいから座れや」 

 机の上の片づけをしている嵯峨。ソファーの上に置かれた寝袋をどけると誠はそのまま座った。

「やっぱ整理整頓は重要だねえ。俺はまるっきり駄目でさ、ときどき茜が来てやってくれるんだけど、それでもまあいつの間にかこんなに散らかっちまって」 

 愚痴りながら嵯峨は書類を束ねて紐でまとめていた。

「そう言えば今度、同盟機構で法術捜査班が設立されるらしいですね」 

「ああ、茜の奴を上級捜査官にしようってあれだろ?ここだけの話だが、相談受けてね。本人は結構乗り気みたいだからできるだろうが、まあこれまでは法術は『無かった』ことになっていた力だ。そうそう簡単に軌道に乗るとは思えないがな」 

 嵯峨茜。保安隊隊長、つまり今、誠の目の前で週刊誌の女優のスキャンダル記事を眺めて暇をつぶしている嵯峨惟基の長女である。誠も何度か実家の道場で顔を合わせたことはあった。同い年のはずだが、物腰は柔らかい落ち着いた女性で、弁護士と言う職業柄かきついところのある人と言う印象と、父親譲りの剣の腕前に感心する品のある女性である。

 今回の事件。『近藤事件』と名づけられた胡州軍の分派活動に対する保安隊の急襲作戦により、法術と言うこれまで存在しない事にされてきた力が表ざたにされた。

 遼州同盟は加盟国国民や地球などの他勢力の不安感払拭のために、非正規特別部隊である特務公安、アサルト・モジュールを所有しての実力部隊保安隊に続く法術犯罪専門の特殊司法機関機動部隊の発足を決めたニュースはすぐに話題となった。そしてその筆頭捜査官に茜の名前が挙がっていることは誠も知っていた。

「それにしても良くここまで汚しますねえ」 

 誠がそう言いたくなったのはソファーの上の鉄粉が手にまとわりつくのが分かったからだ。

 隊長室の机の端に大きな万力が置かれ、嵯峨の愛銃VZ52のスライドががっちりと固定されている。

「ああ、そう言えばすっかり辞令の事忘れてたな。今渡すよ」 

 そう言うと嵯峨は埃にまみれた一枚の書類を取り出した。誠は立ち上がって、じっと辞令の内容が読み上げられるのを待った。

「神前誠曹長は保安隊実働部隊での勤務を命ず」 

 嵯峨はそう言った。

『曹長?』 

 誠は聞きなれないその言葉に、体の力が抜けていくのを感じた。

「あの、もう一度いいですか?」 

 誠は確かめるために嵯峨に頼む。

「ああ何度でも言うよ。神前誠曹長」 

『曹長』と聞こえる。

「あのソウチョウですか?」 

「まあそれ以外の読み方は俺も知らないが」 

 そう言うと嵯峨はにんまりと笑う。 

「張り出してあったろ?掲示板見ていなかったのか?」 

 そこで通用門から続いていた微妙な視線の意味が分かった。

「確かにお前さんは幹部候補で入った訳だけど、一応適性とか配属部隊で見るわけよ。まあ、お前さんには似合うんじゃないの?鬼の下士官殿」 

 ガタガタとドアのあたりで音がするのも誠には聞こえない。聞こえないと思い込みたかった。

「でもまあ曹長は便利だぞ。まず下士官寮の激安な家賃。さらに朝食、夕食付き。士官になるとそこ出て下宿探さにゃならんからな」 

「でもシュペルター中尉もいますよ?」 

「ああ、エンゲルバーグね。アイツは食事制限のためにあそこに閉じ込めてるんだよ。ほっとくと、どんだけ太るか分からんからな」 

 誠は足元が覚束なくなってきているのを感じた。幹部候補で入った同期は例外なく少尉で任官を済ませている。しかし誠は候補生資格を剥奪されての曹長待遇。ただ頭の中が白くなった。

「ああ、今回の実戦で法術兵器適応Sランクの判定が出たから給料は逆に上がるんじゃないかな」 

 そう言うと嵯峨は掃除の続きを始める。

「でも原因は?」 

「心当たりないか?」 

 嵯峨が困ったような顔をして誠を睨む。その瞬間、誠は初日の出来事を思いだした。

「もしかして、ナンバルゲニア中尉に銃を向けた事ですか?」 

「正解。頭に血が上りやすいのは要だけで十分だ」 

 ゴトリとドアの向こうから音がした。嵯峨は誠にしゃべらないよう手で合図するとドアを開く。

 要、カウラ、アイシャ、シャム、パーラ、サラ、そして菰田がばたばたと部屋の中に倒れこむ。

「盗み聞きとは感心しないねえ」 

 五人を見下ろして嵯峨が嘆く。

「叔父貴。そりゃねえだろ?銃をバカスカ撃つのはアタシだってやってるじゃないか!」 

「そうなんだ。じゃあ今回の降格取り消しの再考を上申するか?上申書の台紙ならあるぞ?」

「そうじゃねえ!」 

「無駄だ、西園寺。上層部の決定はそう簡単には覆らない」 

「カウラちゃん薄情ねえ。もう少し庇ってあげないとフラグ立たないわよ」 

 要、カウラ、アイシャがよたよたと立ち上がる。複雑な表情の彼らの中で、菰田だけは顔に『ざまあみろ』と書いてある。

「神前軍曹!これからもよろしく」 

「西園寺さん、曹長なんですが」 

「バーカ。知ってていってるんだ!」 

 要がニヤリと笑った。

「それよりアイシャ。いいのか?今からここを出ないと艦長研修の講座に間に合わないんじゃないのか?」 

 嵯峨が頭を掻きながら言った。

「大丈夫ですよ隊長。ちゃんと軍本部からの通達がありました。今日の研修は講師の都合でお休みです」 

「なんだよ。今回の出動の打ち上げ来るのかよ」 

「要ちゃんなんか文句あるの?」 

 馬鹿騒ぎの好きな要の言葉に釘を刺すアイシャ。

「別に」 

 要が頬を膨らましている。そこに島田が大き目の書類を持って現れた。

「神前います?」 

「ああ、そこに立ってる」 

 呆然と立ち尽くしている神前に、島田がよく見ればステッキを持ったフリルの付いたドレスを着た幼女の絵が描かれたイラストを見せた。

「お前、確かに5機以上の撃墜スコアでエース資格と機体のマーキングが許可されるわけだが……」 

 全員がその絵を覗き込む。

「これってラブラブ魔女っ子シンディーちゃんのエミリアちゃんじゃない!」 

 素っ頓狂な声で叫ぶシャム。

「あえてパロディーエロゲキャラ。そして楽に落ちるヒロインを外してツンデレキャラを選ぶとはさすが先生ね」 

 アイシャは腕組みして真顔でイラストを眺める。

「駄目ですか?」 

 誠はそう言うと嵯峨のほうを見る。明らかに呆れるを通り越し、哀れむような眼で見つめる嵯峨。

「神前。お前って奴は……痛いな」 

 呆れてそう呟く要。

「それでこれが塗り替え後の完成予定図」 

 島田はもう一枚の05式の全体図を見せる。そこには誠のお気に入りのアニメキャラクターやそのロゴが一面に描かれている。

「却下だ!却下!こんなのと一緒に出動したらアタシの立場はどうなるんだ!」 

「いいんじゃないのか?」 

 さすがに全否定で半分冗談で出した機体のマーキングを他人に認められてしまった。一気に場が凍りつく。しかもその言葉を発したのはカウラだった。

「お前なあ、こいつを小隊長として指揮するんだぞ?」 

 要が恐る恐る切り出す。

「別に機能に影響が出なければそれでいい。第二次世界大戦のドイツ空軍、ルフトバッフェのエースパイロット、アドロフ・ガーランド少将は敵国のアニメキャラクターのマーキングをした機体を操縦していた事は有名だぞ」 

 淡々と言うカウラ。

「じゃあ小隊長命令と言う事でいいですか?」 

 恐る恐る島田が要に尋ねた。

「いいわけあるか!神前!お願いだから止めてくれ!」 

 悲鳴にも近い声を上げる要。

「なに騒いでるの……まあ!かわいい!」 

 闖入してきたのはリアナだった。本当にうれしそうに島田の手からキャラクターのイラストを奪い取ると眼を輝かせて見入っている。

「もしかしてこれ描いたの誠君?凄いわねえ、お姉さん驚いちゃった!」 

 全員の視線が、誠に突き刺さった。

「鈴木。あまさき屋大丈夫だったか?」 

 嵯峨は気分を変えるべくリアナに尋ねる。

「大丈夫でしたよ。完全貸切OKです!」 

 にこやかなリアナの笑みで、脱力していたその場の雰囲気が和んだ。

「これってやっぱり神前君の機体?かっこいいけど明華ちゃんはどう言ってるの?」 

 リアナが苦笑を浮かべている島田を見た。

「ああ、本人がどうしてもこれでいいなら作業にかかるとのことです」 

 そういい終わると大きなため息をつく島田。

「アタシももっと色々描こうかな……」 

「お願いだから止めてくれ」 

 つぶやくシャム、いつの間にか後ろに立っていた吉田が突っ込みを入れる。

「ワシはどうでもいいが」 

 続けて入ってきた明石は野球部のユニフォームを着ている。

「写真取ったら子供等に見せるのにいいですね」 

 無関心そうにシンがそう言った。

「馬鹿がここにもいたのか」 

 呆れるマリア。

「ずいぶんとにぎやかになったねえ。茶でも入れるか?島田、サラ、パーラ。頼むわ。茶菓子は確か……」 

 ごそごそとガンオイルの棚を漁り始めた嵯峨。舞い上がる埃に部屋のなかの人々が一斉にむせ返る。

「いいですよ!食堂で何か探しますから!」 

 島田はそう言うと、サラとパーラを伴って消える。

「隊長。でもあまさき屋だとカラオケ出来ませんわよね?」 

「鈴木……お願いだから自重してくれ」 

「は?」 

 間抜けなやり取りの嵯峨とリアナ。

「アイシャ。今日は研修ないんやろ?守備練習、きっちりやるけ、覚悟しとけや」 

 明石のその言葉に肩をすくませるアイシャ。

「明石中佐。シュートとスローカーブを試したいのですが」 

 話題に合わせてカウラがそう言う。

「そうやな。神前の。すまんがバッターボックス立ってくれや」 

 にこやかに了解する明石。

「はい茶菓子ですよ!」 

 サラが徳用の煎餅とポテトチップスを持ち込んでくる。

「それヨハンのじゃねえの?」 

 そう言いながらもすでにポテトチップスの袋を確保する要。それを横目に煎餅を取るシャム。要が袋を開けると、カウラとアイシャが申し合わせたかのように袋に手を突っ込む。

「はあ」 

 誠はため息をついた。

 遼州保安隊。実働部隊第二小隊。

 そこでの神前誠特技曹長の生活はこうして始まった。


                                  了

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