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今日から僕は 1

 神前誠しんぜんまことは慌てて工場内巡回バスから飛び降りた。

「これで乗り越したら大変なことになるな……」

 地球植民第24番星系、第三惑星『遼州』。その最大の大陸『崑崙』の東側に浮かぶ火山列島、東和共和国。

 その首都の東都から西へ50kmと言う菱川重工業豊川工場で一人去っていくバスを眺めている誠。

 東和でも屈指の大企業である菱川重工株式会社に、研究室のコネを使って上手いこと就職した大学の同期は何人かいるが、ここ豊川工場は本社勤めの彼等をして「島流し」と呼ばれるほどの僻地である。そして地球外居住可能惑星としては最大規模の工場として知られるこの敷地の中で一つバス停を乗りこせばどうなるか楽に想像することができた。

 ……とんでもないところに来ちゃったみたいだな。

 神前誠は自分の不運を嘆いた。そして、中途半端な気持ちで就職活動をしていて夏が過ぎても内定が一つも取れないでいた誠を、口八丁でうまいこと東和共和国国防軍に誘った彼の道場の師範代、今誠が向かおうとしている遼州同盟司法実働機関、保安隊隊長である嵯峨惟基さがこれもと特務大佐のとぼけた面を呪った。

「あのおっさんいつかシメる!」

 思わず口を突いて出た言葉に自分で納得する誠。

 さらにバスから降りた彼を絶望させたのが『保安隊前』というバスの案内のわりに、ただバス停からは延々と続く壁しか見えないということだ。刑務所前に止まるバス停だって、もっとサービスよく通用口近くにバス停を作るものだ。誠はバス停の隣の取ってつけたような案内板に導かれるように、まっすぐと高いコンクリートの壁に沿って道を急いだ。

 工場構内の道路には次から次へと通りにはコンテナを満載したトレーラーや重機の部品を満載したトラックが通り抜ける。その高いモーター音が彼に湧き上がる不安をさらに増幅させる。

 初夏の強烈な日差しの中、流れる汗が目にしみるようになるまで歩いた時、ようやく視界に鉄塔と見張り櫓そして通用口らしい巨大な鉄の扉が見えてきた。

「間違いじゃないみたいだ」

 自分に言い聞かせるようにして、誠はそのまま巨大な影に向かって歩みを速める。

 ゲートの前で誠は背負っていた荷物を路上に放り投げると、警備員の詰め所を覗き込んだ。中では白人二人がカードゲームに興じていた。

 その手の札を見ると花札である。その隣には丸められた東和円の札が並べられている。

 奥のスキンヘッドの隊員が勝ち続けているようで、手前のGIカットの栗毛色の髪の男はいらだたしげにタバコをくゆらせていた。

「ほら!亥鹿蝶だ!」

 スキンヘッドの方がその大きく筋張った手を振り下ろして手札を座布団の上に広げた。

「くそったれ!イカサマじゃないのか!」

 GIカットの男は、語気を荒げて相手に詰め寄ろうと膝を立てた。

「なに言ってやがんだ!昨日の麻雀で積み込みやった奴にそんなこと言う資格はねえだろ!」

「何だと!この野郎!」

 スキンヘッドは右腕を捲り上げて怒鳴り散らした。感情的になった二人が日本語での会話を止めてロシア語で怒鳴りあいをはじめる。

 スキンヘッドの男のむき出しになった右腕に裸の女性の刺青が見える。

 GIカットの男はそのまま着ていた勤務服を脱ぎ捨てるとファイティングポーズをとる。

 止めるべきか、それとも何事も無いように無視するべきか。何も出来ずに黙ったまま立ち尽くしていた誠は肩を叩かれて飛び上がるようにして振り向いた。

「神前誠少尉候補生だな?隊長から話は聞いている」

 大学の野球部時代は常に部で一番の長身だった誠と肩を並べる身長の、東欧系の女性士官が誠の隣に立っていた。

 整った顔立ちにショートの銀色に近い髪の毛を七三分けにして、その青い瞳の光る視線は鋭く誠を射抜いた。

 東和ではあまり見ない、まるでハリウッド女優か何かのような女性士官に誠は取り繕うような笑みを浮かべて見つめた。しかし彼も男である。ついその視線は無駄の無いボディーラインと豊かな胸と腰に流れていた。

 その身にまとう東和軍と同じ系統の深い緑色の勤務服の階級は大尉。明らかに自分の視線に邪念があることに気付いてはっとする誠だが、そのような視線には慣れているようでそんな誠の視線など気にすることも無く女性士官は詰め所に向かって歩いていった。

「貴様等!何をしている!今日は新入りが来るって聞いてなかったわけではないだろう!それともその頭には炭酸ジュースでも詰まってて射撃の的にでも使うしか能がないのか!」

 誠にかけた親しげな言葉とうって変わった鋭い口調に、スキンヘッドとGIカットの警備兵はこわばらせてた。そして、上官の表情の険しさが変わらないことを知ったのかそのまま詰め所の座敷の上で直立不動の姿勢をとった。

「あとで警備隊長室に来い。説明はそこで受ける!」

 二人は力を込めて敬礼した。大尉は彼等を無視するようにしてゲートのスイッチを押して黄赤と白の縦じまの入ったゲートを跳ね上げた。

「なにぼんやりしている?置いていくぞ……ああ、自己紹介がまだだったな。私はマリア・シュバーキナ大尉。この基地の警備部の部長だ。隊長がもうそろそろ着くだろうから見てこいと言われて来たんだが……ろくでもないものを見せてしまったな」

 マリアの言葉は早口でどこかしら棘があった。

 誠は慌てて荷物を手荷物と上がったゲートをくぐる。

「どうせ隊長はそのままふらふらしていることだろうから私が案内をしよう」

 誠は足早に進んでいくマリアに遅れまいと荷物を背負いなおすと歩き始めた。

「あの……質問してもいいですか?」

 誠は言いづらそうに口を開いた。正直美人だとは思うが、どこかしら棘があって近づきがたい。誠のマリアの第一印象はそれだった。

 こちらは一応幹部候補生とは言え、軍に入って一年半の新入りである。しかも誠が入った東和軍はこの二百年の間、戦争をした事が無い。人材交流で来たアメリカ海兵隊の将校で似たような雰囲気の女性士官がいたが、何度かの戦闘経験があるという彼女は徹底的に誠達東和宇宙軍の幹部候補生を小ばかにしているところがあって、誠はいつも彼女の前では言葉が出ずにさらに馬鹿にされると言う有様だったことを思い出していた。

「何だ?」 

 マリアは足を止めると服を着ていてもわかるほどの豊かな胸のポケットからタバコを取り出した。

 一瞬、彼女の顔に笑顔が浮かんだ。誠は少し緊張を解くとようやく渇きが癒えた口を開いた。 

「保安隊っていつもああなんですか?」

 マリアの顔にもう一度、今度は複雑な苦笑いのようなものが浮かぶ。その笑いはどちらかと言うとあまりにも聞かれすぎて答えるのがばかばかしくなった。そんな感じの表情だと誠には思えた。

「まあそんなものだ。あの隊長が仕切っている部隊だからな。……あの連中もここに来る前はああじゃなかったはずだが、今ではすっかり毒されたな」

 そう言うとマリアは再び誠を連れて突貫工事の化けの皮とでも言うような舗装がはげているのが目立つロータリーの広い道を歩き始めた。

 どこでもそうだが東和軍の施設はあまり見られたものではない。ただでさえ『アサルト・モジュール』、東和軍制式名称『特機』と言う高価な人型汎用兵器の導入をいち早く決め、正面装備の充実に血道を注いでいる軍隊である。ましてや同盟機構の司法部門直属となるこの『保安隊』のような外様の部隊の設備に金をかけるつもりなど端から無いに決まっている。

 マリアはそのまま植え込みが踏み固められているわき道に入り込んだ。案内の看板はまだこの部隊が創設されて二年しか経過していないだけあって、まだペンキははげてきてはいない。誠も明らかに芝生だったものの上に出来た道を真っ直ぐに歩くマリアの後を進む。

「まあ、実働部隊や技術部に比べたら数倍ましだがな」

 その言葉に誠は少しばかり恐怖を覚えた。もし誠が嵯峨と言う人物を個人的に知っていなければ、もう少し穏やかな気持ちでここまで来れたかもしれない。

 三年前、久しぶりに実家に帰った時に、自称法律家と言う本業は何なのかわからなかった嵯峨が軍に登用されたという話は誠を驚かせたものだ。

 誠の実家の道場に入り浸る嵯峨について、道場主の父、誠也せいやはあまり口を開くことは無かった。ただ、師範代待遇で父の代わりに子供達に稽古をつける、どこと無く疲れた雰囲気のおにいさんと言うのが誠の嵯峨にたいする印象の多くを占めていた。その後、誠の就職活動が上手くいかないということをどこからか聞いて、わざと東和軍の制服を着て誠に東和軍幹部候補生試験を薦めに来た時も、非常に胡散臭いという印象しかなかった。

 それなりに常識があれば遼州星系第四惑星を領有する貴族制国家、『胡州帝国』の四大公家のひとつ嵯峨家の前当主と言う看板や、崑崙大陸の南部を占める大国にして地球人の移民以前の原住民族の国家『遼南帝国』の皇帝であったと言うこと位は耳に入る。だが時折真剣での演武を見せるときの表情が引き締まってそれらしく見えると言うくらいで、誠は嵯峨を見ても今ひとつ納得できなかった。

 誠にとっては嵯峨はただのくたびれたお兄さんであり、母の薫に頭の上がらない情けない大人に過ぎなかった。

 マリアはそのまま明らかに誰かがここを通る為に切ったと判るツツジの生垣の合い間を抜けた。誠も荷物を引っ掛けながら彼女の後をついていった。

 生垣を抜けて誠の視界が広がった。

「それにしても……」

 誠は周りを見る余裕が出来てつい言葉が出てしまった。

 一面に広がる野菜畑。そしてどこからか羊の鳴き声まで聞こえる。先ほどの生垣はこれを来客者の目から守るためだったんじゃないかと疑いたくもなる光景だった。

「ああこれのことか?これはナンバルゲニア中尉の菜園だ。それに羊とか山羊とかいろいろ飼っている。基地祭とかお祭りがあったときには、山羊を潰してそれで管理部の部長自らケバブを作ったりするわけだ」

 そんなマリアの当たり前のように放たれた言葉を聞いて、思わず誠は躓くところだった。ナンバルゲニア中尉と言えば遼南内戦で活躍した遼南のエースオブエースであり、地獄の遼南レンジャーを育てた最強のレンジャー資格保持者として誠の耳にも聞こえていた。実際、誠と同じように幹部候補教育を受けていた下士官にとって遼南レンジャー試験を通過してレンジャー資格を取ることが幹部教育受講の条件と言うこともあって、その異常とも言えるタフな試験をいかに通過したかを自慢げに話す下士官経験組みが多くいた。

 しばらく誠が足を止めることは予想していたようで、マリアは立ち止まるとポケットから携帯灰皿を取り出してくわえていたタバコをもみ消した。

「シャム……いや、ナンバルゲニア中尉は遼南の農業高校の出身で、もともと遼州山岳少数民族の出身だからこういうの得意なんだ。それにこんだけの土地、遊ばせとくにはもったいないだろ?」

『……やはりこの人も毒されているよ。軍の施設のほとんど私的流用じゃないか。何を考えているんだ師範代は……』

 誠の不安がさらに加速する。

「マリアー!」

 耕運機が作ったと思われるわだちが続くとうもろこし畑の中、ここが本当に同盟機構の司法実力部隊の基地だとしたら似つかわしくない中学生くらいの少女が手を振っていた。

「噂をすれば影だな」

 誠の思考が一瞬停止した。

 ナンバルゲニア中尉が活躍した遼南内戦はもう10年以上前の戦争だ。しかし目の前にいる少女はどう贔屓目に見ても中学生くらいにしか見えない。近づけば確かに着ているのは中学校の制服のブレザーなどではなく東和陸軍と共通の薄い緑色の保安隊の夏季勤務制服。胸にパイロット章とレンジャー特技章が見え、さらに襟の階級章は中尉のものだ。

「あー!この人あたしのこと中学生だと思ってるんだ!」

 ナンバルゲニア中尉は誠を指差してそう叫ぶ。その行動も遼南内戦時の年齢から逆算して三十を超えているはずの女性のとる態度ではない。誠の頭の中が疑問で膨れ上がって、思わず自分が敬礼を忘れていたことを思い出して、とってつけたように敬礼した。

「そりゃあそうだろうよ。お前の格好見て通学途中の中学生と区別がつく奴がいるもんか」

 とうもろこしの垣根の向こうから、これも服装規則や身だしなみにだけはうるさい東和軍には似つかわしくないドレッドヘアーの男が現れた。東和陸軍官品作業服を着ていなければ、ただのチンピラにしか見えなかっただろう。襟の略称は少佐だった。ここで誠は思わず荷物を捨てて直立不動の姿勢をとってから敬礼した。

「おいおい、ここをどこだと思ってんだ?そんなことやってると、隊長に野暮だねえって笑われるぜ。マリアさん。紹介、お願い」

「こちらが実働部隊第一小隊の吉田俊平少佐。お前も聞いたことがあるだろうが、電子戦で右に出るものはいないということになっている人物だ」

 電子戦の天才吉田俊平少佐の武勇伝は、誠も幹部候補生訓練課程の教本で知っていた。通信機能を強化したサイボーグ義体と言う特徴を生かしての情報かく乱や諜報活動。そして破壊工作に於いては軍に身を置く人間なら誰もがその名前を聞くことになった。

 吉田はそのまま小柄なナンバルゲニア中尉の頭を撫で始めた。さすがにこれにはナンバルゲニア中尉も頭にきたようで彼の手を振り払う。

 そんな二人を見て誠が思い出すのは特機のシミュレータ訓練だった。

 初めてシミュレータに座った東和軍の特機パイロット候補は初回に彼女のデータを積んだ仮想敵相手に戦わされる。それは絶対勝てない敵がいることを身をもって知ると言う通過儀礼とも言える訓練だった。正直、この一方的に叩きのめされるだけの訓練を受けた時には誠も本気で辞表を書こうかどうか迷った。

『……じゃあ僕は何でこんなところに呼ばれたんだ?』

 誠は惨めな気持ちになっていた。配属の辞令には誠は特機のパイロットに任命することがはっきりと書かれていたはずだった。特機パイロット研修では誠の成績は下から数えた方が早かった誠。特に射撃のスキルは教官をして『限りなく零に近い』とさえ言われていただけに配属が決まった時は小躍りした。

 だが目の前の二人はエースでは足りない化け物である。誠は自分の荷物から辞令を取り出して確認してみたい気分になったが、さすがにこの二人の前でそれをするわけにもいかず、呆然と立ち尽くしていた。

「おい新入り!さっさとそこのネコ押してハンガー行くぞ!」

 吉田の言葉で誠は我にかえった。

「ネコ?」

 まだいまひとつ目の前の状況に舞い上がって意識のはっきりしない誠。吉田は呆れたように説明を始めた。

「……ったく幹候上がりのボンボンはそんなことも知らんのか?一輪車だよ。そこにとうもろこし積んだのが置いてあるだろ?それとも何か?東和の幹部候補生は先任の上官に仕事を押し付けるように教育されているのか?」

 ナンバルゲニア中尉が頷いている。助けを求めるように誠が振り向いた先ではマリアも当然だと言う顔で誠の顔を見ていた。

「了解しました。ですが……」

 誠は足元の大荷物に目を降ろした。

「荷物だろ?シャム!荷物を持ってやれ。ロッカーとかはちゃんと用意が出来てるはずだからな」

「えー!あたしが持つのー?俊平が言い出したんだから俊平が持てばいいじゃん」

 頬を膨らまして子供のように抗議するシャム。そんなシャムにわざと中腰になって吉田は言葉を続けた。

「つべこべ言うな!上官命令だ。それと正義の味方は人の役に立たないといけないんだぞ!」

 『正義の味方』と言う言葉を聞くと、急にシャムの顔が生き生きと輝き始めた。

「わかったよ!」

 シャムはちょこまかと誠のうしろに回り込むと、その小柄な体に似つかわしくない強い力で荷物を軽々と担ぎ上げた。

「すいませんがマリアさん。そこにシャムのカブが置いてあるからひとっ走り行ってハンガーのバーベキュー用コンロの様子見てきてくれませんか?新入りは自分が案内しますから」

「まあ実働部隊の部下になるんだからそれがいいな。それにしても今年の作柄はよさそうだな」

 マリアは緑が続くとうもろこし畑を眺めていた。風は穏やかに葉のこすれあう音が響いている。

「うんしょっと!去年は土作りで終わっちゃったから今年はいけると思ってたんだ!また来年は何を作るか今から楽しみなんだけど」

 シャムはふた周りも大柄な誠が持っていた荷物を軽々と背負いながらそうつぶやいた。やはり伝説のレンジャー教官。誠は涼しげに荷物を持って先頭を行くシャムを見てそう思った。

「じゃあ神前君の案内を頼む」 

 そういい残してマリアはシャムのどこから見ても出前用のオートバイに見えるバイクにまたがると、そのまま農道となっているわだちを進んでとうもろこしの中に消えていった。

「しかし君が神前か。あのおっさんから話は聞いてるよ。何でも実家は剣道の道場やってて、そこじゃあそれなりの腕前だったんだって?タコあたりが聞いたら『ご指南お願いします』とか言ってくるんじゃないかな?あいつは短槍の名手ということになってるから」

 見た目はチンピラにしか見えないが吉田は明るく誠に話しかけた。

「短槍ですか。結構手ごわそうですね。まだ他流試合はしたことが無いもので……」

 吉田の言葉に誠はこれから配属される部隊のイメージを頭の中で明るいものに書き換えた。『風通しは良いから』辞令を渡された時、たまたま教育隊に顔を出したと言う嵯峨から聞いた保安隊の環境についてその点だけは納得がいった。

 いつまでも続くかと思ったとうもろこし畑が尽きると、遠くに特機用らしいハンガーが見えた。ハンガーの前では白いつなぎを来た整備員達や作業服や勤務服の隊員たちがバーベキューコンロを囲んで談笑している。

「おい、あそこまで駆け足!メインディッシュが無いとしまらんだろ?」

 吉田にそう言われて一輪車を押して誠は走り出した。剣道と野球で鍛えた腕力と脚力には自信があった。次第に大きくなるハンガーの中に教練用とは明らかに違う新型の特機の影が見えたので誠は自分でも自然と足が速まるのが分かった。

 そんな群衆の中から勤務服を来た女性士官が手にラム酒のビンを持って駆け寄ってくる。

「新入り!早くしやがれってんだ!こっちは肉ばっかり食ってたもんだから胃がもたれてきてるんだよ!」

 耳の辺りで刈りそろえた黒い髪をなびかせながら、女性士官は誠にくっついて来た。酒臭い。誠は階級章で彼女が中尉であることを確認すると恐る恐る声をかけた。

「あの……中尉殿……勤務中に飲酒とは……」

 人を挑発するようなタレ目で誠を見つめる中尉。半袖の制服の腕から覗く手には継ぎ目があり、彼女がサイボーグであることがすぐにわかった。

 だが、誠のその視線が説教をたれた新人対する苛立ちのようなものをかきたててしまったことに気付いた。

「ああっ?上官に向かって説教か?実にいい身分じゃねえか。それにアタシは特別なんだよ。それにしても遅えなあオメエ。貸しな!アタシが押してってやるよ」

 横柄な態度の女性士官はラム酒の瓶を誠に押し付けるとそのまま一輪車を奪い取り、人とは思えないようなスピードでハンガーの前の群衆の中へと消えていった。誠は我を忘れて立ち尽くしていたが群集の彼を見る視線に気づくと思い出したように走り出した。

 よく見ればハンガーの軒下に大段幕があり、そこには『歓迎・神前誠少尉候補生』の文字が躍っていた。

「こらー、早くしなさいよー!肉なくなっちゃうわよー!」

 横断幕の下に群がるつなぎの整備員の中で、一人白衣を着た姿が目立つ技術士官らしき女性が大声を張り上げた。誠はとりあえず彼女に向かって走った。整備員達は誠の行き先がわかったとでも言うように道を開ける。近づいてみれば白衣の女性技官にはまるで女王のような風格があった。

『古代のエジプトの女王様みたいな髪型だな』

 不謹慎とは思いながらも、その肩にかかる三センチ上くらいで切りそろえた髪がなびくのを見てつい誠はそんなことを考えていた。

 勘の強そうな細い眉の三十前後の女性技官。気の弱い誠が自分でもついおどおどと視線を躍らせてしまっている見て、彼女は何とか誠を安心させようと笑顔を作って見せる。

「さすが隊長の弟子というだけのことはあるわね。度胸はともかく結構足速いじゃないの。私は許明華きょ めいか一応、あんたも含めて実働部隊の特機とかの整備や技術一般を統括させてもらってるわ。よろしく」

 白衣の下に大佐の階級章が見えたので敬礼しようとする誠を制するように明華は右手を差し出し握手を求めた。それまでの女王様のような高飛車なところが不意に抜けて、笑みがこぼれた明華の顔にはどこか人懐っこいところがあった。

「あの……ここって……」

 明らかに彼女の周りだけ食材が豊富である。つなぎの整備員達は彼女の隣の鉄板で焼き上げた焼きそばを彼女の為だけに火を調節して冷めないようにしているなど、他の士官と比べるとその待遇は彼女がこの部隊で占める位置を暗示しているようで、誠は背中に寒いものを感じていた。

「さあ、あんたが今日の主役なんだから……そこ!主役用にとっといた肉の準備は出来たの!それと装備班はさっさととうもろこしの皮むき作業手伝う!まったく最近の若いのは……って私もそんな年じゃないんだけどね。……そこの手が空いてる奴!気を利かせてカウラちゃんと要ちゃん呼んでくるぐらいのこと出来ないの?」

 再び女王様のオーラをまとった明華は、誠の話などまるで聴くつもりがないとでも言うように、部下達に指示を与えていた。

「いつまであたしの酒持ってんだよ!」

 誠の後ろから先ほどの女性士官が音も無く近づいてきて、成り行きで誠が握り締めていたラム酒の瓶を奪い取った。その女性士官は誠が相手をしているのが明華だとわかると、まずい場面に出くわしたとでも言うように愛想笑いを浮かべるとその場を立ち去ろうとした。

 しかし、酒瓶を手にした女性士官の前には痩せ型の特技章をつけた技術下士官と、同じく作業着を着た恰幅の良い技術中尉の徽章をつけた男が行く手を阻んでいて、仕方が無いと言うように明華の方に目を向けた。

「ああ要ちゃん、丁度良いところに来たわね。彼女が第二小隊二番機のメインパイロットの西園寺要さいおんじかなめ中尉。あの胡州帝国首相の娘さんよ」

 仕方ないと言うように振り向いた要は、色気のあるタレ目で媚を売るような笑みを作って誠の顔を眺めた。つい、その表情に顔を赤らめる誠だが、要はそんな誠を無視して明華に話を向けた。

だが明華の言葉で誠は完全に意識が飛んでいた。確かに彼も新聞やニュースやネットくらいは見ている。胡州帝国の首相の苗字くらいは当然頭に入っていた。胡州における民主化活動の中心人物、そして遼州同盟の立役者、飄々とした演説で民衆を魅了する弁舌家。西園寺基義さいおんじもとよしの存在が地球と波風の絶えない遼州星系諸国で重用されている事実は誠も知っていた。

「姐御。親父の話は止めてくれよ。酒がまずくなる」

 偉大な父を持っているというようなことはおくびにも出さず、そのまま要は誠と明華が見ているのもかまわずに奪い取ったラム酒をラッパ飲みした。

 突然要の後ろに立っていた先ほどの技官二人が振り向いた。そして二人とも図ったように部下達の群れに後ずさりしながら紛れ込んだ。

 要の後ろに近づいてくる女性士官に向けられた明華の視線が少し曇っているのを見て誠は不審に思った。

「西園寺!また勤務中に酒飲んでるのか。その体だからって隊の規律というものが分からないのか!」

 つなぎ姿の十代と思われる整備員に導かれてやってきた、明るい緑色の長い髪をポニーテールにした女性士官は要の後ろに立つと声を荒げた。

 明らかに嫌な顔をした要がエメラルドグリーンの髪の女性士官をにらみ返す。誠は地球人にも遼州人にもそんな髪の色の人など見た事は無かった。

『ゲルパルト帝国の人造人間?……』

 その地球系とも遼州系とも違うギリシャ彫刻のような整った面差しと髪の色で、すぐ誠にも彼女の出自が察しられた。

『ラストバタリオン計画』と言う非人道的な兵士製造計画。

 二十年前の地球の五大国を中心とする陣営に、遼州外惑星を地盤とする大国ゲルパルトは奇襲を仕掛けた。

 胡州・遼南との同盟を後ろ盾とし、開戦時には東和の参戦があるとの情報で地球軍は翻弄され敗退を続けた。さらにアフリカ・中南米諸国の寝返りなどで同盟軍は破竹の進撃を続けたが、その国力の差はあまりに大きすぎた。

 開戦前にも大々的な人造人間プランを打ち上げて国威発揚を進め、地球のアメリカを中心とした諸国から何度とない非人道研究施設の査察要求を拒否してきたゲルパルトは大戦末期に彼女達のような人造人間製造プラントを多数建設した。

 だが物量にものを言わせた地球軍の猛攻を受けたゲルパルトはあっけなく内部分解して戦争は終わり、彼女達は戦場にほとんど現れることなく地球軍に組した遼州の遼北人民共和国や西モスレム首長国連邦などの部隊に保護され、遼州各国に移民することとなった。

 目の前の女性士官もそんな中の一人だろう。誠が見守る中、相変わらず冷たいまなざしで要を見つめている。

 その要はあてつけのようにラム酒をあおると周りを見回して周りの整備員が自分達に注目しているのを確認する。

 そして下卑た調子で話し始めた。

「うるせえなあ。堅物の隊長さんを持つと部下も大変だよ。へいへい、大尉殿!酒はこれくらいでやめさせていただきます」

 周りは一瞬肩透かしを食らったような空気が流れていた。胸をなでおろしている者もいれば、もう少し派手なつかみ合いを期待していた連中はそのまま誠や要を中心として出来た人垣から離れていった。

「ったく二人とも懲りないわね……まあそのために君のような優秀な新人が必要だったわけなのよ。彼女がカウラ・ベルガー大尉。あなたの第二小隊の隊長よ」

 誠はどこか儚げで冷たい感じのするカウラに向かって今度は正式に敬礼した。

「自分が神前誠少尉候補生であります!」

 それまでの要に向けた敵意と言うものが消え、そこにはどこか不器用な笑みを浮かべたカウラの姿があった。

「ふっ、そんなに緊張することはない。それに保安隊では隊長以外はみんな同格というのがルールだ。私はカウラ・ベルガー。私みたいな人造人間を見るのは初めてか?」

 じっと誠が見つめているのに気づいてか、カウラはそう尋ねた。

 彼女も自分の存在が誠を不安にしているのに気付いているようだった。『ラストバタリオン』は製造過程の技術的問題から女性がほとんどを占める。カウラも誠の珍しいものを見るような視線には慣れているようだった。そして明華の隣のテーブルの焼きそばに手を伸ばしている要を無視して誠に手の届くところまで近づいてきた。

「幹部研修の特機の操縦訓練の教官が遼北出身の人造人間の方でした。旧外惑星諸国のクローン兵士作製関連の資料も読んだことありますし……」

 誠は頬が赤みを帯びていくのが自分でも分かった。どちらかと言うと痩せ型というようなカウラを体を包むのは、ライトグリーンの東和陸軍夏季勤務服だが、その胸の部分のふくらみが余りに少ない。

 しかし、誠は背中に粘着するような視線を感じていた。振り向くとわざと目を逸らしている事務系の下士官が目に入ってきた。

 良く見るとその周りの同じような空気を纏った男性兵士達がぼそぼそとカウラを見ながらつぶやきあっている。その陰湿な笑顔に寒気を感じて、誠は目を逸らした。

 戻した視線の前に有ったのは不思議そうに誠を見守るカウラの緑の瞳だった。誠は自然にその笑顔に答えるようにして笑顔を作った。

「なんだ?新入り。もしかして一目惚れって奴か?ひっひっひ」

 要が下卑た笑いを浴びせかけるので、カウラまでその白い肌をほんのりと赤く染めて一歩誠から離れた。

「西園寺。おっお前飲みすぎじゃないのか?」

 少し言葉を噛みながらカウラが要をにらみつける。要はと言えば、慣れた調子でたれた目じりをさらに下げて挑発的に笑顔のようなものを浮かべると言葉を続けた。

「隊長だからって威張るんじゃねえよ。アタシがいくら飲もうが勝手だろ?それとも何か、また今度の演習の時、ボコにしてもらいたいのか?」

 さすがに二人をこのままにするつもりは無いと言うように、明華が要から酒瓶を奪い取った。そこで少し怯んだ要をカウラは見逃さなかった。

「その言葉そのまま返しておくぞ」

 明華が見ている前だというのに、二人は一触即発というようににらみ合いを続ける。誠はこの険悪な雰囲気に耐えられなくなって、助けを求めるように明華を見た。

「それより神前君。あなた隊長に挨拶して無いでしょ?隊長はどこにいるのかしら?」

 二人のにらみ合いをまるで無視した明華は、真っ直ぐに切りそろえられた前髪を撫でると、気を利かせるようにして誠に声をかけた。誠はようやく安心して要とカウラの険悪な睨み合いの場から解放された。

 誠はハンガーの前を明華につれられて歩き回る。その運動場のような広場の片隅にはネットが張られており、その周りには使い古したバットやボールが転がっていた。

「隊長はいつもどこにいるのか分からない人だから……」

 明華が周りを見渡して嵯峨を探していた。隊員は先ほどから明華のだす女王様オーラに当てられたというように出来るだけ明華とは距離を置こうとしていた。

 そんな彼等を見て、誠は酒を飲んでいるのが要だけだと知って安心した。だが、その異常な食べっぷりを見て少しばかり驚いていた。明華の監視で酒が飲めない分、ほとんどやけになっているとしか思えない整備班員の食べっぷりは、体格では圧倒的に勝る誠のそれを遥かに凌駕する勢いで、少しばかり誠も呆れ始めた。

「隊長ならいつも風通しのいいところにいるよ!」

「あのおっさんは野菜か何かかよ」

 明華のオーラが作り出すエアポケットのように隊員達が立ち去ったコンロの前で、シャムと吉田が並んでとうもろこしを頬張っていた。吉田も手にビールを持っている。

「あのー……」 

「ああ、これね。俺は酒には酔わないから」 

 そう言うと吉田は一気にビールを飲み始める。そんな吉田を黙殺することを決めた明華はシャムに向き直った。

「じゃああれね、ハンガーの裏手かなんかにいるんでしょうね。それとシャム。食べるのは後にして足元の荷物、神前君のでしょ?運んであげなきゃ駄目じゃないの」

 明華はそういうと今度は目的地が決まったと言うように確かな足取りで歩き出した。

 その先に女性隊員の一群が、なにやら群れを成しているのが見えた。

 彼女達の表情には笑みが浮かんでいるが、それが無理をして作った笑顔であることは誠から見てもすぐにわかった。

「急ぎましょう!声をかけられたら……」

 急に明華の女王様オーラが消えて、何かから逃げようと言うように歩みを速めているのがわかった。

「明華ちゃんと新入りの人!私の歌を聞きに来てくれたの?うれしいわ!」

 アンプを通した大音量の声が響き渡った。あきらめたように明華は立ち止まると声のするほうを振り返った。

「あちゃあ、見つかっちゃったみたいね……」

 明華が恐る恐る見つめる先に、赤の地に金糸を豪勢に使った派手な和服を着た長い白髪をなびかせている長身の女性の姿が見えて、誠は眼を疑った。隣の菱川の工場から分けてもらってきたようなパレットで舞台を作り、大きなスピーカーを背負い、彼女は立っていた。

 その周りには少しばかり生気の抜けたような女性隊員がうつろな拍手を和服の女性に送っている。

「ああ、あれね。彼女がうちの隊の運用艦『高雄』の艦長、鈴木リアナ中佐よ。リアナ!ちょっと新入りを隊長に引き合わせるから歌はちょっと待ってて!」

 そう言うと明華は立ち往生している誠の手を引いて歩き始めた。

「残念ねえ。せっかくこの日のために猛練習してきたのに……」

「あんた!練習したって無駄でしょ。今のうちに行くわよ」

 リアナの声から明華は逃げるようにして誠をつれていく。背中では演歌のイントロが始まったと思うと、実に微妙に音程を外している歌声が響き渡った。

 明華と誠はそれから逃れるようにしてハンガーの裏手に回りこんだ。

 確かにシャムの言うように、表とは違う涼しげな風が二人を包み込んでいた。

 ハンガーの前の熱風とは明らかに違うやさしい風が頬を撫でる。明華につれられてここまで来た誠は、少し離れた空き地に見慣れた背中を見つけた。東和軍の規格とは違う、茶色い開襟将校用制服に帽垂付の戦闘帽をかぶっている。

 そして特徴的なのは腰に下げた朱塗りの軍刀。それを胡州帝国陸軍風につるしている。このスタイルは第三次遼州戦争を経験した胡州の高級将校の格好である。そんな男が一人で七輪の前に座っている。

「嵯峨隊長。神前少尉候補生を案内してきました」

 これまでの女王様スタイルから一転して、明華は報告口調でそう言った。誠も少しばかり緊張しながら案内された隊長に向かって敬礼した。その言葉にゆっくりと嵯峨の頭が誠達を向いた。年齢不詳。誠の道場に通っている嵯峨を誠はずっと三十前と思っていたが、軍に入ってその略歴を知り、実は四十半ばと知って驚いたことがあった。しかし、その濁った目を見ると確かに世間を見慣れた中年男らしいという雰囲気をかもし出している。

「相変わらず硬てえなあ、明華。俺はそういうのがどうも苦手でね。しばらくぶりだな誠。まあこんなところだから好きにやってくれて良いよ」

 明華と誠はそのまま嵯峨の正面に回りこんだ。嵯峨が覆いかぶさっているのは七輪だった。横にはぼろぼろの団扇が見える。そして、その上で焼かれているのがメザシだとわかって、彼の実家の道場に顔を出す時の飄々とした嵯峨らしいと思った。

 遼南王家の嫡流、胡州のエリート公家士官、そして遼南内戦を生き抜いて玉座についた策士。そのような肩書きがこの男にはまるで似合わない。さらに直接何度も言葉を交わすうちに、これらの偉業が本当に嵯峨と言う男の業績なのか疑いたくもなった。

 弁護士を開業していると言う話だったが、ほとんど毎日のように道場に通って来ては三食食べて帰るという生活である。その後、同盟司法局の実働部隊の指揮官になったと知らされても、道場に来る頻度が減ったくらいでほとんどその生活に変化は無かった。

「おい、どうしたの?」 

 ぱたぱたと団扇で七輪を扇ぐ姿は王族の気品も政治家の洞察力も、それどころか誠が知っている鋭い太刀筋の剣客の面影も無かった。

 誠がここにこうして立っている原因を作った張本人だと言うのに、それほど誠に関心を示すそぶりもなく、じっとメザシが焼けるのを待っている嵯峨。明華もそんな嵯峨の態度には慣れているようで香ばしい煙を上げているめざしを眺めながら、嵯峨が何かを言い出すのを待っていた。

「お前らいつまでそこに突っ立ってるつもりだよ。飲むかとりあえず」

 そう言うと嵯峨は一升瓶を突き出してきた。手書きのラベルが張ってあるところから見て、どこかの小さな酒蔵の特注の大吟醸かもしれない。食べることと飲むことにはこだわる。誠の家も、嵯峨の差し入れがきっかけで食事が豪勢になるような日があったことを思い出した。

「一応、勤務時間中ですので失礼します」

 明華はそういって踵を返し、誠一人が取り残された。振り向こうにも、明華のどこか人を寄せ付けない態度を思い出して、誠は目の前のとぼけた中年男と二人きりの状態になった。

「よし誠。お前は……ってどうせ歓迎会で飲まされるんだろうから止めとくか」

 嵯峨はそういうと取り出した湯飲み茶碗に酒を注いだ。そのまま嵯峨は茶碗を鼻の前に翳して香を楽しむ。そして一口酒を含むと、目をつぶってその味を堪能して見せた。

「そうだ、こいつなら良いだろ?七輪で焼いたメザシだ。しかもそんじょそこらのメザシじゃないぜ、沖取りの天日干し、手作りの結構いい一品だ。つてがあってね。どうにか手に入れたものだけど、みやげ物屋じゃあめったに扱ってないし、置いてあったとしても結構いい値段するんだぜ。まあとりあえず一匹食えよ」

 そう言うと欠けた皿の上にメザシを置いて誠に差し出す。かなり火が通っているはずなのに、銀色のその姿には張りのようなものがある。一昨日まで暮らしていた東和軍の研修施設の寮で出るメザシとはまるで別の魚の干物のようにも見える。

 誠は仕方が無いと言うように受け取ると頭からそれを頬張った。磯の自然な塩味が口の中に広がる。骨はしっかりしていて噛み砕くのに苦労するが、それを続けると出てきた腸の苦味が口に広がって肉の塩気と混ざり合う。嵯峨が勧めるのも当然だと言うような食べる価値のある一品だった。

「じゃあ俺も食うかねえ」

 嵯峨も焼き立ての一匹のメザシの頭にかぶりついた。そして何度か噛んでみた後、茶碗の酒を取り上げて口に運ぶ。次の瞬間相好を崩して、幸せそうな視線を誠に投げながら今度はメザシの下半身を口に入れる。

「カウラと要には会ったのか?」

 あくまで食事のついで、茶飲み話、そんな雰囲気を纏って嵯峨が口を開いた。空になった茶碗に酒を注ぎ終わると、十分に焼けたメザシを七輪から降ろして皿の上に並べている。

「あいつらがお前の小隊の正規の部隊員ということになるんだが……どっちもきついからねえ……せいぜい虐められないようにがんばってくれよ」

 誠の方を振り向くこともなく、嵯峨はただ皿の上に並んだメザシをどれから食べるかを悩んでいるように見えた。

 誠は二人の上司となる女性のことを思い出した。がさつなサイボーグ西園寺要と何を考えているのかわからない人造人間カウラ・ベルガー。確かにこう纏めてみるとかなり自分の居場所が特殊であることがわかる。さらに嵯峨の言葉がこれからの生活の多くを占めることになるであろう保安隊での生活に不安を掻き立てた。

「一応、会いましたけど、別にそんな怖い人じゃないような……」

 嵯峨のためというよりは自分の為、そんな気持ちで誠はそう言った。

「わかるよそのうち。それにしても後悔してるんじゃねえのか?クラブチームや教育リーグならお前の左腕の貰い手あったらしいし、一応、東都理科大出てるんだ。中堅のメーカーなら就職活動が遅れたからって入れただろ?」

 軍に誘った時にいった言葉と矛盾だらけの言葉を吐く嵯峨に、さすがに気の小さい誠も頭にくる言葉だった。すべて嵯峨の言うとおりである。三球団から教育リーグへの誘いはあった。誠より出遅れた研究室の同期も大学院への進学を考えている者を除けば全員が卒業式までに就職を決めていた。

 だが、もう過去の話だ。そう誠は自分に言い聞かせるようにして目の前で二匹目のメザシを口に運ぼうとする嵯峨に話しかけた。

「ロボットとかそういうの興味があったので……それにこの部隊は非常に錬度の高い部隊と聞かされていたものですから」

 パイロットとしての自分の適正に疑問を持っていた誠は、幹部候補生の教育研修の終盤に出した希望配属先のリストに、誠はすべて技術部門、開発部門への配属希望を出していた。しかし、次の日には特機教導団の隊員と名乗る人物から飲みに誘われたり、現役の試作特機パイロットと言う触れ込みの男の訪問を受けたりと、志望した部門とはまるっきり違う特機パイロット要請過程の関係者の訪問を受けることになった。

 そして最終的には遼州同盟司法実働機関『保安隊』への配属となった。今考えてみれば、誠にパイロットをやらせたかった張本人が目の前でメザシを肴に酒を飲んでいる男かもしれないと思うようになっていた。

「あっそう。まったくどんな説明されたのか知りたくもねえが……おい!タコ!」

 嵯峨が話の途中に急に身を乗りだしてそう叫んだ。誠が振り返ったその先には佐官の夏季勤務服に身を包んだスキンヘッドにサングラスの大男がとうもろこしを頬張っていた。

「奴が実働部隊隊長と保安隊の副長を兼ねてる明石中佐だ。一応、あいつにここの案内させるから……って!ちんたらやってねえで早く来い!」

 明石は食べかけのとうもろこしを置いたままこちらに急ぎ足でやってきた。184cmある誠よりもさらに一回り大きな身長に、まさに『丸太のような』と言うような形容詞が良く似合う筋張った両腕を持つサングラスの男に、かなり誠は気おされていた。

「こいつがお待ち兼ねの新入りだ。早速案内してやんな」

 それだけ言うと嵯峨は再び湯飲み茶碗に手をかけた。

 黙って誠の方を見て頷くと、明石は肩で風を切るようにして歩きだした。バーベキューコンロの周りにたむろしていた勤務服の隊員が明石を見ると自然と道を開ける。サングラスでよくは見えないが、正面に固定されたかのように微動だにしない彼の視線がその異様な風体ともあいまって周りの隊員達を威嚇していた。

『まるでヤクザだな』 

 誠は近づいてきた明石をそう見ていた。立ち止まってそのまま明石は無表情なままでサングラス越しに誠を見つめる。

 そしてにんまりと笑って見せるが、誠から見ればそれは彼を安心させると言うより、不安感を増幅させる効果しかなかった。

「よう来たな。ワシが副長の明石清海あかしきよみ中佐や。まあここじゃあ何だ、とりあえずハンガーでワレが乗る機体でも見るか?」

 見た目とは違ったやさしげな調子で誠についてくるように手で合図する明石。誠は運動場の奥でなにやら準備している勤務服の男女が気になったのだが、嬉しそうに誠をつれてハンガーへ向かう明石の後に続いた。

 食べ物を薦めてくる隊員の群れを抜けてハンガーのひんやりとした空気の中に二人は入っていた。特機部隊らしい、オイルの匂いが誠の鼻をついた。

「こいつらがワレが命預けることになる機体ちゅうわけや」

 明石はそう言って目の前に並んだ巨人像のようなアサルト・モジュールを指差した。それは灰色のステルス塗料で塗装され、あちらこちらに今だ新品であると言うことを示すようにテープやビニールで覆われている部分もあった。

 その流麗なフォルムを持つ新型特機。誠はこの機体に乗る為に、この三ヶ月間の間、訓練を重ねてきた。だが訓練用の機体より明らかに分厚く見える不瑕疵金属装甲で覆われたその機体は迫力が違った。

「これって、確か最新式の05式特機まるごしきとっきじゃないですか?」

 誠はあえて確認のためにそう言ってみた。軍事関係に明るい人間なら、必要とされる性能をはるかに超える実力とその最悪なコストパフォーマンスで各国への売込みが大失敗するに至った過程を知っていた。

 05式の制式採用をその値段であきらめた東和軍の要請で、この機体の廉価版である09式特機が開発中であることくらいは誠も熟知していた。

「ほう、さすが幹候出じゃのう。ようわかっとるわ。こいつらは先月配備になった新品じゃ。ワシも慣らしで何度か乗ったが、パワーのバランスとOSの思考追従性はぴか一じゃ。まあ実戦くぐらなほんまにええもんかはわからんがのう」

 そう言いながら細い眼で機体の群れを眺める視線は、サングラス越しでも愛嬌のようなものを誠は感じた。05式の売りはエンジンに対消滅ブラスターエンジンを採用、さらに駆動系を磁力系から流体パルス系に変えたことでパワーに於いて限界が見えてきたと思われてきたアサルト・モジュールの駆動系システムに革新をもたらしたところにあった。

 司法機関ならではの格闘戦が予想されている保安隊に於いては、パワーで既存のアサルト・モジュールを圧倒できる性能が必要とされる事と、次期主力の09式の開発におけるパイロットモデルと言う意味に於いて、開発社の菱川重工によるダンピングがあったことを想定すれば、この機体を導入することを保安隊が決断したことも十分に納得できるものだと誠にもわかった。

 明石はそのまま目を輝かせている誠を眺めた後、すこしばつが悪そうに言葉を続けた。

「それと言うとかなあかんことなんやけど、ちょっとした歩行や地上での模擬格闘戦闘はともかく、今のところうちにはシミュレーターの類が無いからのう。一月に一度『高雄』のある新港基地まで出向いてそこでの訓練になるけ、そん時は気合入れて励めや」

 誠は頭の血が引いていくのが分かった。経験が積めると言う名目で来た部隊にろくに訓練をする施設が無いということに唖然とする。

 同盟機構軍の設立を来年に控えて、同盟司法局の予算が削られているのは聞いてはいた。考えてみれば二つの同質の組織が並立している以上、上層部がどちらかの予算を削ろうと言うことは少し考えればわかる。

 だがいきなりそのような上層部の事情がちらつく言葉をかけられて、明石を見上げる誠の目がきらきらしたものから不満そうな目に変わるのを誠はとめることが出来なかった。

「そんな顔するなや。まあ一度の実戦は一年の訓練に勝ると言うけ、それじゃあ詰め所とか案内するけのう」

 明石はそんな誠を無視するようにハンガーの奥へと歩みを進める。誠の新品の機体の隣には西園寺家の紋所である巴紋を肩にあしらった紫紺の05式が並んでいる。そしてその隣には深い紺色の飾り気の無い機体が並んで立っていた。

「巴の紋所は西園寺の機体や。一応、あいつも胡州四大公爵家の姫君やからな。そして隣の無愛想なのがカウラのじゃ。いろいろ悪戯しようとする奴等もおるが、とりあえず今のところは出荷時の塗装。エンブレムものうなっておる」 

 そして明石は黒と灰色で塗装された機体の前で立ち止まった。

 明石の言葉でもう一度あの暴力タレ目サイボーグこと西園寺要のことを誠は思い出していた。

 胡州の貴族制を支える『領邦』制度。

 それは地球のアメリカ信託統治領から流れ込んだ日系の移民達を建造したコロニーに受け入れることで始まった制度だった。

 胡州では国税と言う発想は無かった。各コロニーや居住区を所領として管理する貴族達がそれぞれに住民から税を徴収し、その一部を国庫に納めるという方式を取っている為、貴族の力は非常に強力だった。

 中でも西園寺家、大河内家、嵯峨家、烏丸家。この四家はそれぞれ領民一億を抱える大貴族と言えた。

 その筆頭の家柄の一人娘である。東和の庶民の息子である誠には想像できない世界だった。

 明石は頭をかきながら誠にその隣の機体を見せた。

「これがワイの機体じゃ。どう見える?」 

 落ち着いた灰色の色調の05式。武装や装備を外してある為、色以外に特に機体の違いは感じられない。肩に何か文様のものが描かれているが、下からではそこに何が描かれているのかわからなかった。

 反応が無いのが面白くないとでも言うように明石はゆっくりと歩き出す。

「そして隣の白の機体がシャムの機体。あいつは遼南内戦からずっとこれやからなあ。ワレも知っとるだろ?あいつの戦果は化け物やからのう」

 そんな言葉を聞きながら誠は言われた期待の隣の機体に目を向けた。これまでの人型の05式とはまるで違う、ジャガイモを思わせるような機体が鎮座していた。

「これが吉田の05式丙型じゃ。一応型番は同じになっとるが、05式の運用に於いて通信系や電子戦のフォロー、それに情報収集に特化した機体じゃ。まああいつは他にとりえもないからな」 

 明石は少しばかりこの機体については投げやりに答えると、そのまま奥の階段を上ろうとした。

「中佐!そこの黒い一機だけモデルが違う方のようなんですが……それにちょっとこれはかなり改造されてて元が何の機体か……」

 階段の手すりに手をかけたまま振り向いた明石が誠の見つめている先にある、増加装甲が特徴的な機体を眺めると語りだした。

「それは嵯峨のオヤジの四式特戦じゃ。知っとるやろ?オヤジが先の大戦で一応エースと呼ばれとったのは。そん時の愛機がこれじゃ。それをまあいろいろ弄り倒してこうなっとるわけじゃ」

 誠はその黒い四式を眺めた。四式、特戦と言う名称からして胡州軍のアサルト・モジュールである。胡州軍は先の大戦では運動性能重視のアサルト・モジュールを多数開発した。だが、誠は四式と言う名称は初耳だった。おそらく試作で終わった機体なのだろう。それも二十年前に。

「ですがそんな時代遅れの機体……」

 話を切り出そうとした誠の口を明石が抑えた。

「四式は胡州陸軍の中でも特筆すべき先進的な設計の機体じゃけ、まあエンジンとOSの技術が機体の基本設計に着いて行けんかったところがあるけ。そんじゃからまあ今でもこうして現役で動いとるわけや。まあ殆ど元の部品は残っとらんし、増加装甲やらアクティブ・ディフェンシブ・システムやらゴテゴテつけて跡形もなくなっとるがのう」

 そう言うと明石は階段をゆっくりと登り始めた。誠はその奇妙なアサルト・モジュールに背を向けて明石のあとに続いた。

 ハンガーでの明石中佐による機体の説明は本当にあっけない内容だった。主要武器の説明も無し、運用関連の説明も無し。誠の一月前に幹部養成校を出た仲間達のアサルト・モジュールに触るまでの配属先での座学・講習の嵐の日々と比べてあまりにもあっけなく説明は終わっていた。

 登りきったところで明石がそっと口に手をやって静かにするように誠に諭した。

 電気が消えた静かな事務所。その手前の廊下。そこに場違いなコーランの高らかな詠唱が響く。

「こっから先は静かに行かんとあかんねん、な?」

 大柄な明石は出来るだけ足音を立てないようにと廊下を進んだ。誠もそのあとを静かに進んでいった。

 廊下を折れて管理部と書かれた部屋の前が誠の視線に入った。そこで一人の髭面の褐色の肌の男が、東和の首都であり、初めてこの星に地球人が降り立った地である東都に向かって礼拝していた。

「あん人が管理部の部長、アブドゥール・シャー・シン主計大尉じゃ。お前が来る前は第三小隊隊長を兼任しとったんじゃ。『ベンガルタイガー』の名は知っとるじゃろ?」

 小声で話しかける明石。誠もシンの噂は聞いたことがあった。今も時折新聞をにぎわす不安定地域東モスレム。そこでの紛争が最盛期を迎えていた誠が中学生の頃に東和に支援されている東モスレム自治政府のエースとして何度も写真を見たことがある男だった。

 だが、こうして肉眼で絨毯の上に跪いているその姿を見ると、シャムや吉田を見たときがそうであったようにいまひとつピンとはこなかった。

「もしかしてあの人が……」

 コーランの詠唱が終わり身支度を整えた後、シンが落ち着いた様子でこちらを向いた。意思の強そうな目つきをした物腰の柔らかそうな人物だった。そして明石が『主計大尉』と呼んでいたことを思い出して、自然と誠の目は不思議そうにシンを見つめる形になった。

「彼が新しく配属になった神前少尉候補生かね?」

 落ち着いた低い声でシンは明石にそう尋ねた。明石がうなづくとシンは立ち上がって、しいていた絨毯をたたみ始めた。慣れた調子で動く手を見ていると、誠にはこの上官がかなり几帳面な性格の人物のように思えた。

「ああ、シンの旦那は実家が貿易会社を経営しとるんじゃ。だから帳面つけるのはお手の物で予算管理をオヤッさんに見込まれて西モスレム陸軍から引き抜かれたんじゃ」 

 小声で話しているつもりだろうが、明石の言葉はシンには筒抜けだった。シンの目は厳しくはあるが、愛嬌があるとも言えなくも無い雰囲気があり、誠も少しリラックスして目の前のイスラムの騎士と対峙した。

「神前少尉候補生。とりあえず案内が終わったら私のところへ来なさい。いくつか書類に目を通してもらうことになるから。それと明石大佐」

 誠に向けた穏やかな視線がかげりを見せ、少しばかり厳しい調子でシンは口を開いた。

「はあなんじゃ?」

「例の部活動費の予算はどうしても捻出できなかったので自費で何とかしてください」

 その言葉に明石は右手で頭を叩いた。懇願するようにシンを見つめるが、シンは聞く耳を持たないとでも言うように視線を誠の方に向ける。

「相変わらず厳しい奴じゃのう。せっかくピッチャーが来たっちゅうのに。これじゃあシャムあたりが文句言ってくるぞ?」

 そんな泣き言に、一つため息をついたシンは、子供を宥め透かすようなゆっくりとした調子で一言言った。

「厚生費はもう底ついてますので」

 それだけ言うと、手を伸ばして押しとどめようとする明石を無視してシンは静かに管理部の部屋に入っていった。

「部活動費って……」

 東和軍にも体育学校がある。また、各基地には同好会程度のスポーツクラブがあるのがふつうだった。しかし、オリンピック選手の育成を目的とする体育学校は別として、基地の同好会は部費や寄付で会を運営するのが普通だった。福利厚生にかける予算があれば正面装備に当てるのが東和軍の予算配分ということは誠も知り尽くしている。

 ただ、聞いた話では、部隊長の世襲や領邦制の影響で貴族の私兵的な色彩の濃い胡州軍ではごく普通に部活動の費用が部隊の予算から下りているという噂もあり、嵯峨と言う胡州軍出身の部隊長に率いられている保安隊にもそう言う雰囲気があるのだろうと誠は考えた。

「ワシも学生時代は野球やっとってな。一応胡州帝大じゃあ一年の時から正捕手で四番任されとったんやで。それにシャムは遼南の高校野球で今は千陽マリンズのエースの二ノ宮を要して央州農林が準優勝した時のキャプテンじゃ。野球部の一つぐらい作ってもよさそうもん」

 明石は愚痴るようにそうつぶやいた。誠の思ったとおり明石は胡州軍の出身だった。そして彼の出身校だと言う胡州帝大と言えば胡州の最高学府として知られていた。胡州六大学リーグの万年最下位のチームではあるが、一年から四番と正捕手になるにはそれなりの実力が必要なはずだ。

『師範代は俺に野球をさせるために呼んだのか?』

 少しばかりの疑念が頭をもたげる。そしてそれを否定する要素が何一つ無い事に誠は今ようやく気がついた。

 長いものには巻かれるたちの誠は明石の背中を見ながら薄暗い通路を二人は歩いていく。空調はもちろんだが、電灯すらついていない。こもった空気が油の匂いで満ちている。

「中佐、電気はつけないんですか?」

 思わず口を押さえながら誠はそう言った。振り返った明石は気持ちはわかると言うように誠の肩に手を乗せる。

「アブドゥールの旦那が節電しろちゅうけ、昼間は付けとらん。そして着いたぞ、ここが実働部隊の詰め所じゃ」

 そう言うと明石はアルミの薄い扉を開いた。ついていく誠の目の前に前近代的な事務机が並んだ雑然とした部屋が展開している。誠は一瞬唖然とした。

 小さな町工場の事務所にもネットに繋がる端末があるご時勢である。それに一応吉田と言う電子戦のプロが常駐する部隊である。しかし、そこの電話は懐古趣味の胡州でも見かけないであろうダイヤル式の黒電話。そして、各机には背に手書きで隊員の名前を書き付けた報告書用のファイルまである。

「ああ、そこの奥の机がワレの席じゃ。掃除は昨日カウラとアイシャがやっとったから汚れてはおらんと思うぞ」 

 明石はそのまま手前の自分の部隊長席の上に置いてあった野球の週刊誌をぱらぱらとめくった。誠は言われるままに、北向きの窓側と言ういかにも期待されていない新人を迎えるには最適な位置にある自分の席に腰掛けた。

「端末とかは無いんですか?報告書とかシミュレーションとかミーティングは……」

 引き出しを開けて確認するが、中古ではあるがそれほど汚くは無かった。明石の言うように掃除も済んでいるようで、埃も積もっていない。

「そんなものは無い!それに管理部にあげる伝票以外の報告書は手書きが原則じゃ。隊長が吉田に報告書作らせておったのがばれて、それで全部端末は取り上げられたからのう。まったくあのお人はどこまでいいかげんなものやら……ってそこ!何しとるか!」

 明石はふと手にした雑誌から目を離すと部屋の入り口の方に向かって叫んだ。

 ばつが悪そうに三人の女性士官が入ってきた。ばれるのがわかっていたとでも言うような照れ笑いを浮かべる彼女達。

 その髪の色を見れば彼女達がカウラと同じ人造人間であることはすぐにわかった。しかし、どう見てもその好奇心に引っ張られるようにのこのこ歩いてくる彼女等の表情は、これまで誠が会った人造人間達とは違っていた。先頭に立つ紺色の長い髪をなびかせている女性士官の濡れた瞳に見られて、誠はそのままおずおずと視線を落としてしまった。

 明石は彼女達の侵入を予想していたようにあきれ果てた顔をしながら手にしている雑誌を机に置いた。そして青い髪の女性士官にたしなめるような調子で語りかける。

「アイシャの。悪いがおめえの思うような展開にはならんけ」 

「本当に残念ねえ。誠ちゃん。あなたもそう思うでしょ?」 

 誠が再び顔を上げれば誘惑するような凛とした趣のある瞳が誠を捕らえた。

「まあええか。いざっちゅう時に知らんとまずいけ紹介しとくわ。こいつらがブリッジ三人娘って奴じゃ」

 投げやりな明石の言葉に三人がずっこけたようなアクションをしたので、つい誠は噴出してしまっていた。すぐさま態勢を立て直した誠を見つめている濃紺の切れ長な瞳の女性士官がすぐさま口を開いた。

「明石中佐!そんな一まとめで紹介しないでください。私がアイシャ・クラウゼ大尉。一応『高雄』の操舵手担当してるわ。この娘がパーラ・ラビロフ中尉。管制官で通常の体制の出動の際は彼女か吉田少佐の管制で動いてもらうことになるわね。そしてこのアホ娘が・・・・」

 二人と比べると小柄に見える燃え上がるような赤い髪と瞳の女性士官がアイシャの言葉に噛み付く。

「アホ娘って何よ!」

 ことさら赤いショートヘアーが誠の前で揺れている。

「私はサラ・グリファン少尉よ。それにしてもあなたがあの有名な神前君?」

 サラとアイシャと名乗った女性士官がまじまじとこちらを見つめるので誠は少しばかりたじろいだ。

 有名だと言う話が出るとしたら明石の口から出ると思っていた。明石が先ほど眺めていた雑誌に誠が一度だけ出たことがあった。大学三年の秋に翌年のドラフト候補として二三行だが誠のことが載ったことがあった。

 それを思い出すと、誠は少し頭痛のようなものを感じた。そんなことは過去の話だ、有名人扱いされる覚えは他に無い。誠はそう思うと少し陰鬱な気分になった。

 だが、アイシャの口から出た言葉は誠の予想の斜め上を行っていた。

「あなたコミケでフィギュア売ってたでしょ?しかも殆ど開店直後に完売してたじゃないの……あたし達の同人誌なんて結構売れ残ったのに……」

 誠は耳まで赤くなる自分に気付いていた。去年、久しぶりに大学の後輩の誘いで趣味で作ったフィギュアをコミケで売ったのは事実である。しかし、その客の中に保安隊の隊員がいるとは知らなかった。

 しかも『有名』と言うことは野球部と同時に入部していた東都理科大学アニメ研究会の同人誌に書いたイラストを見ていると考えられた。オタクの割合が高い理系の単科大学のアニメ研究会で誠のオリジナルファンタジー系の美少女キャラはそれなりに売り上げに貢献していた。

 アイシャは誘惑するような甘い視線を誠に送っている。

 サラは相変わらずきらきらした視線で誠を見つめている。そしてピンクのセミロングの髪のパーラは一緒にするのはやめてくれとでも言うように静かに少しづつ下がっていくのが誠には滑稽に見えた。

「そらお前らのホモ雑誌、ワシも読まされたが……引くぞあれは」

 明石は頭を撫でながらアイシャに声をかけた。

「明石中佐!ホモ雑誌じゃありません。ボーイズラブです!美しいもののロマンスに性別は関係ないんですよ!それがわからない人には口出ししてもらいたくありません!まあ呼びたければ腐女子とでも呼べば良いじゃないですか!私達は……」

 明らかにパーラが一歩部屋のドアから引き下がった。

「アイシャ。その私達には私も入ってるの?」

 パーラが困惑したようにそうたずねる。アイシャとサラがさもそれが当然と言う風にパーラを見つめた。

 天を仰ぐパーラ。

「あのーそれでなにか……」

 誠は険悪な雰囲気が流れつつある三人の間に入って恐る恐るたずねた。先ほどの誘惑の視線の効果があったと喜ぶかのように目を細めたアイシャが早口でまくし立ててくる。

「それよそれ、あなたあれだけのものが作れるって凄いわよね。それと少しエッチな誠ちゃんのキャラ、あれ私も好きなのよ」

 そう言うとアイシャがゆっくりと誠のところに向かって近づいてきた。

「ああ!あれだけのものってアイシャ買えたの!ずっこい!始まってすぐは私とシャムに売り子させてどっか行ってたのそれのせいなんだ!」

 頬を膨らましてサラが叫ぶ。助けを求めようと明石の方に視線を向けた誠だが、そこには再び野球雑誌を手にとってこの騒動から逃避している明石の姿があった。

「良いじゃないのよサラ。ここにフィギュア職人がいるんだから、あとでいくらでも上官命令で作らせるわよ。それよりやっぱりシャムの絵じゃどうも売れ行きがね……。それにあの娘はどちらかと言うと変身ヒーローとかの方が描きたいって駄々こねるし」 

 アイシャは誠の手が届くところまで歩いてくると少し考え込むようにうつむいた。

 時が流れる。

 気になって誠が一歩近づくとアイシャは力強く顔を上げ誠のあごの下を柔らかな指でさすった。

「それであなたに書いてもらいたいのよ!目くるめく大人の官能の世界を!!」

 自分の言葉にうっとりとして酔っているアイシャ。ドアのところではパーラが米神を押さえてうつむいている。

「BLモノですか?」

 誠は困惑した。雑誌を読む振りをして好奇の目で明石が自分を見ているのが痛いほど分かる。それだけにここは何とかごまかさないといけないと思った。しかし、年上の女性の甘い瞳ににらみつけられた誠はただおたおたするばかりで声を出すことも出来ずにいた。

「駄目なの?」 

 甘くささやくアイシャの手が再び伸びようとした時、誠は意を決して口を開いた。

「僕は最近ではオリジナル系はやめて『魔法少女エリー』関係しかやらないんで……」

 誠はとりあえず昨日もチェックしたアニメの名前を挙げた。少しがっかりしたと言う表情のアイシャはそのまま一歩退いた。変わりに話が会いそうだと目を輝かせてサラが身を乗り出してくる、その肩にアイシャは手を置いて引き下がらせた。

「しょうがないわね。女の子しか書きたくないんでしょ?まあ良いわ、これ以上ここにいると明石中佐に後で何言われるか……またあとでお話しましょう」

 そう言うとアイシャは二人を連れて詰め所から出て行った。

 確かにこの部隊は普通ではない。誠の疑問はここで確信に変わった。

 女性比率の高さは、遼北並みだ。同盟機構直属と言うことで正規部隊からの人員の供給が少なかった為、人造人間などに頼らなければならなかったと考えれば納得がいくのでそれはいい。

 それ以上にこの部隊が異常なのは明らかに濃いキャラクターで埋め尽くされていることだ。これだけ濃い面々に出会うと、どこから見てもヤクザと言う風体の隣に立っている明石が当たり前の常識人に見えてきた。

「はあ、とんでもねえ奴らに捕まっちまったのう」 

 出て行ったアイシャ達の足音が聞こえなくなると、明石は持っていた野球雑誌を投げ出してばつが悪そうにそう言いながら頭をかいた。

「そんなに悪い人たちには見えませんけど……」

 とりあえず誠はそう言ってみた。明石は誠の顔をまじまじと見た後、そのまま腰掛けていた自分の机から降りてさらにもう一度誠の顔を覗き込んだ。 

「あのなあ、お前、明日幹部候補の時の同期の連中に電話してみいや。ワシにカマ掘られたやろ言われてからかわれるのが落ちじゃ。あの三人組のおかげでワシはすっかり変態扱いされとる。まあそんなこと気にしとったら次の部屋には入れんがのう」 

 そういうと明石はそう言うと気が向かないとでも言うように伸びをしながら部屋を出た。誠がついてくるのを確認してドアを閉める。そして天を向いてため息をつき、そのまま暗い廊下を歩き始めた。

 初夏らしい粘りのある暑さが二人を包む。そんな状況で上官に明らかにやる気の無い態度を取られて誠は戸惑っていた。

「次は……あそこは気が進まんのう」 

 明石はそういうと電算室と書かれた頑丈そうなセキュリティ付きのドアの前で立ち止まる。

 これまでの防犯上はいかがなものかと思いたくもなる安っぽい扉とは違い、重厚な銀色の扉が誠の目の前にあった。これまでの部屋とは構えからして明らかに違った。

「ここの端末を使うわけですか……」

 明石に声をかけるが、彼はただ呆然と銀色の扉を見つめるだけで答えようとはしなかった。

「そだよ」 

 いきなりセキュリティのスピーカーから聞こえてきたのはトウモロコシ畑で会った吉田の声だった。思わず誠は飛びのいていた。その様子を予想していたとでも言うように明石は含み笑いを漏らす。

「おい、新入り。どうだったはじめてケツの……」

 こちらの行動をすべて把握してでもいるように、吉田の声がモニターから響く。誠が周りを見渡すと、天井から釣り下がっているいくつかのカメラを見つけることが出来た。おそらくはその画像で二人のやり取りを確認していたに違いなかった。 

「下らんこと聞きとうないわ。それよりはよう部屋を開けんか!デクニンギョウ!」 

 明石が語気を荒げる。気の弱い誠はびくりと震えてその様子を見守っていた。

「そうだなあ、じゃあ『オープンセサミ』って言ってみ」 

 間の抜けた調子でセキュリティーシステムのスピーカーからの吉田の声が響いている。誠が心配をして明石の顔を見れば、明らかに怒りを押し殺していると言うような表情がそこにあった。

「アホか、そんなことに付き合ってられるか」

 そう言う明石の言葉が震えている。こう言う親分肌の人間が怒りの限界を超えるとろくなことにならない。そう言う自己防衛本能には優れている誠が明石の肩に手をかけようとするが、さらにスピーカーからはせせら笑うような吉田の言葉が続いた。 

「タコ……開けてほしくないわけ?そこは俺の管轄だ。何ならアイシャが前に書いたお前が鬼畜と化して次々とうちの整備員襲う小説、全銀河に配信してやっても良いんだぜ?」

 これはかなりまずいことになった、そう思った誠だが、逆にここまであからさまに馬鹿にされた明石は冷静さを持ち直すことに成功していた。 

「わかった『オープンセサミ』!」 

 明石が叫んだ。何も起こらない。

 ここでスピーカーから吉田のせせら笑いでも聞こえたならば、明石の右ストレートがセキュリティーパネルに炸裂することになるだろう。はらはらしながら誠は状況を見ているが、吉田は何を言うわけでもなかった。

「糞人形!なにも起こらんぞ!」

 痺れを切らしたのは明石だった。そう言うと明石は頑丈そうな銀の扉を叩き始めた。 

「ああそこ開いてるぞ、ちゃんと気を利かせといたからな」

 せせら笑うよりたちの悪い言葉がスピーカーから流れてきて誠は冷や汗を書いた。明石は顔をゆがませてこの場にいない吉田のことを殴りつけるようにドアを叩いた。 

「ならなぜはじめからそう言わん!」 

 沈黙が薄暗い廊下に滞留する。明石はそのまま遅い吉田の答えを待っていた。ようやく冷静さを取り戻して、ずれたサングラスをかけなおすくらいの余裕は明石にも出来ていた。

「開いてるかどうか聞かなかったオメエが悪いよなあ。新入り君。お前さんの情報を登録するからセキュリティの端末に手をかざしな」 

 冷静さは取り戻したものの、吉田にこけにされたことの怒りで顔を赤くして震えている明石を置いて誠はセキュリティの黒い端末に手をかざした。

「OK、じゃあごゆっくり」 

 ゆっくりと電算室のドアが開いた。ひんやりとした空調の聞いたコンピュータルームの風が心地よい。

「あの人形。いつかいわしたる!」 

 冗談なのか本気なのかわからないような言葉を吐き捨てて、誠を導くようにして明石は中を覗き込んだ。

 ドアが開かれると誠はそのまま凍りついたような表情を浮かべて明石を見つめた。

「ここ、軍の組織ですよね?」

 正面を見つめたまま動けない誠はそのまま明石にそう言った。 

「保安隊は同盟司法局の実働部隊だから軍とは言えんぞ」

 明石は先ほどまでの怒りを静めて淡々とそう言った。 

「ですがまあ組織としては軍と同じですよね?」 

 誠の言葉が微妙にかすれていた。

「まあ同盟諸国の軍人上がりが多くを占めとるのう。まあ軍組織と言ってもいいんじゃろうなあ」

 明石は答えるのもばかばかしいと言うように左手の人差し指で耳の穴を掃除している。 

「じゃああそこの奥においてある『銀河戦隊ギャラクシアン』第三十五話で、ギャラクシーピンクに惚れて味方になろうとしてガルス将軍に自爆させられた、怪人クラウラーの着ぐるみが置いてあるのはなぜですか?」 

 訴えるようにして誠は明石の腕にすがりついた。呆れるを通り越してもう泣きたい、そんな表情で誠は明石の腕にすがりついた。うっとおしいと言うように明石は誠を振りほどくと何事もないとでも言うようにコンピュータルームに入った。

「ワシに言うな!んなこと。第一、そんな細かい設定よく出てくるのう。やっぱりワレはうちの隊向きじゃ。あれはな、シャムの奴がどうしてもこの部屋入りたがらんから、仕方なくあれを着せて中に押し込む時に使うんじゃ。あのアホ、あれ着とれば安心してこの部屋に入るけ。それとよう見てみい、ちゃんと手のところは開いとるじゃろ?あれで管理部の書類とか作る時に使うんじゃ。まあ殆どは吉田が代打ちしとるがのう」 

 誠はようやく落ち着いたというように明石に続いて恐る恐る部屋に入った。それ以外にも怪獣のフィギュア、見覚えのあるアニメのぬいぐるみ、作りかけのプラモ、それらが18禁女性向け同人誌や、銃器のカタログや、野球の専門誌の間に置かれている。誠は改めて自分がとんでもないところに来てしまったと後悔していた。

「こんなにしてて誰か文句を言う人はいないんですか?」

 呆れたように中央のテーブルに散らかっているそれらの雑誌をかき集めながら誠がつぶやいた。 

「いやあ、ここは冷房が効いてるけ、ワシも野球見たりする時はここ使っとるぞ。それに片付かないことに関しては究極の部屋、隊長室があるけ。いつか見ることになるだろうが、あそこはたぶんこの部屋の数倍むちゃくちゃになっとるぞ。おかげで月に一度は茜お嬢さんが来て掃除していきなさる」 

 そう言うとまた明石は野球雑誌を手にしてぱらぱらとページをめくっていた。

「茜お嬢さんって……」 

 とりあえず雑誌を纏め終わった誠はそのまま野球雑誌を熟読しそうな勢いの明石をこの場に引き止めるために声をかけた。

「隊長の双子のお嬢さんのお姉さんのほうじゃ。東都で弁護士やってはる言う話やったな。あの嵯峨楓少佐の姉さんじゃ」 

 明石はそう言うと、手にしていた雑誌を誠が纏めた雑誌の束の上に乗せた。

「ああ、あの……」 

 誠はそこで声を詰まらせた。明石がそう言うのには、嵯峨楓少佐の胡州海軍の教導隊のエースと言う以外の意味のことをさしているのだろうということも、誠から見ればこの個性が暴走している部隊では容易く察しられた。

「わかっとる。同僚の胸揉んで有名になったあの嵯峨楓少佐じゃ。まあうちに一回来たときは結構な見ものじゃったけ。まあまた来なさることがあったらお前も見とくとええわ」

 そう言うと明石はようやく仕事に目覚めたと言うように一つの端末に手をやった。

「とりあえずこいつにパスワードとか打ち込んどけ。あんまりお前の趣味に走ったの入れると後で吉田にからかわれるけ、そこんとこ少しは考えていれろや」 

 誠は椅子に座るとキーボードの位置を置き換えた。そして手馴れたようにRX78−2とパスワードを設定した。明石は何も気づいていないというようにぼんやりと束の上に置いてある野球雑誌を手にとって読み始めた。

「とりあえず入力終わりましたけど……」

 誠の言葉にしばらく反応しなかった明石だが、じっと彼を見つめる誠の視線に気付いたのか、再び雑誌を束の上に乗せた。 

「ああ……吉田の……後は頼むわ」 

 そう言うと明石は誠の隣の端末の椅子を引っ張って隣に座る。

「まあねえ、外出中で情報に枝がつくと面倒だから後で設定しとくわ。それよりとりあえずこれでも見ててくれ」

 吉田の外部からの操作で端末が切り替わる。映されているのは演習場と思われる瓦礫の山が広がる光景だった。明石はその急変を察知してさらに椅子を動かして端末へ身を乗り出した。

「この前の慣らしの時のか?」 

 明石はゆっくりとそう尋ねた。サングラスで目つきは読めないが誠もそれなりに真剣に明石が画面を見ている事はわかった。

「まあねえ、お前らにも分かるようにちゃんとモニター画面風に作ってやったんだから感謝しろよ」 

 吉田はマイペースにそう言った。そこで明石はふと思い出したようにつぶやいた。

「外出中って、車か?貴様免停中じゃないのか?」

 その言葉を聞いて誠は唖然として明石の顔を見つめた。 

「それはなあ……テメエがオヤジに告げ口したからだろ?それに……」 

「はいはい、おとなしくしててねえ……あんたが暴れるとハンドル取られるんだから。」 

 うって変わったお気楽な女性の声が響く。その声を聞いたとたん、それまで吉田に乱暴な言葉を浴びせていた明石の表情が急に緊張したものに変化した。

「許大佐でありますか?」 

 スピーカーからの言葉だと言うのに、明石の背筋が急に伸びる。放っておけば敬礼でもしかねない。誠は思わず噴出すところだった。

「そう。上豊川のラボまで用があるって言ったら乗せてけっていうわけ。義体のメンテと髪型何とかしろって事でしょ?」 

 先ほどの女王様然とした明華の姿を思い出していた。あの人にモノを頼めると言うことはやはり吉田と言う人物は大物だ。誠は少し吉田のことを見直していた。

「だって隊長に顔を合わせるたびにあんな顔されてみろよ。そのうちノイローゼになるぜ。それより画面動かして良いか?」 

 吉田はその言葉とともに演習場を映し出しているモニターの中が動き出した。

 画面を見つめる誠。画面のセンサー表示がすばやく入れ替わる。教育部隊のシミュレータの動きとはまるで違う、見るものの追随を許さないほどの素早い画面転換。そして警戒音が響くと同時にロックオンゲージが画面の全面を埋め尽くした。

「なんですか!これは!」 

 誠は思わず叫んだ。明石は興味深げに画面を除き見ながら淡々と言葉を選ぶようにして話し始めた。

「吉田のは相手の動作パターン蓄積から数百手先まで読んでロックオンかけるんじゃ。さらに一発一発の反動や、各パターンの誤差等が全て計算に入るからこんな画面になるんじゃろ。まあワシも前の97式特機改での模擬戦じゃ吉田に近づけたことも無いからのう」 

 画面の中を白銀の機体が通り抜ける。ライフルの模擬弾が発射される。

 白銀の機体はそのすべてを紙一重でかわして障害物に消える。ロックオン表示が消え、センサー類にエラー表示が並んだ。

「全弾回避ですか?しかもチャフばら撒いてセンサーエラー?相手は誰なんですか?」

 誠がこれまで見たことも無いような機体動作。赤外線探知に切り替わった暗い画面を見つめながら誠は息を飲んでいた。 

「ああ、あの色は決まっとるだろ?遼南で二人しかいない騎士の称号を持つ御仁以外に誰がいる?」

 誠の頭にハンガーで見た白い機体が浮かんだ。 

「ナンバルゲニア中尉……?」 

 あの小学生みたいなちびっ子が操縦しているとは思えない老獪な動きだった。モニターの吉田の機体もロックオンされたアラームが鳴ると同時に市街地のビルの残骸が次から次へと回転する。誠はめまいを感じながら画面に見入った。

「なんじゃ、ワシはまだあれは本気でぶん回しちゃおらんが、結構動けるもんじゃのう」

 すっかり明石はパイロットの顔になって画面を見つめていた。

「まあねえ。といってもこっちは限界性能で動いてるんだ。シャムの奴がどうしてよけてるのかわからねえけどよ」

 吉田は淡々とそう答えた。背後に熱源を示すセンサーが点灯し、次の瞬間イルミネート・被撃墜の表示が並んだ。

「ワレは本当にシャムには相性悪いな。なんでだ?どのスペックだって上なんだろ?それにワシもカウラも西園寺もワレ相手に一度も180秒持ったことないんだぞ?」

 確かに吉田の狙いはすべて正確に着弾予想地点に命中していた。それを紙一重でかわしたシャムの動きが異常なのだと思えなくも無いが、05式のシミュレータでもシャムのあの動きが出来るなどとはこの画像を見た今でも誠には信じられなかった。 

「そんなのこっちが聞きたいよ。まああいつはなに考えてるか分かるようで分からん奴だからな。でも勝ち方はあるぜ」

 きっと得意げな笑みでも浮かべているんだろう。

「あの『あっUFO!』って奴か?」

 明石はあきれたようにそう尋ねる。明石はずれたサングラスをかけなおした。

「あのー、そんな手に引っかかるんですか?」 

 渋い表情の明石に誠が尋ねる。次第にこの部屋のきつすぎる冷房が身にしみたようで、明石は貧乏ゆすりを始めていた。

「新入り。あいつがいかに頭の中が幼稚園だってこの部屋に入れば分かるだろ?あいつ単純だからこれまで百パーセントの確率で引っかかってるんだぜ」

 スピーカーから響く吉田の声。そんなものなのか。いま一つ納得できない誠だが、次々に訪れた常識に外れた現象を目にしてきた誠にはとりあえず事実は事実として受け入れようという寛容な心が生まれていた。

「ああ、着いたわ。それじゃあちょっくら義体のチェックしてくるわ、それと新入り。今その話題の人がお前の荷物をロッカーで……ってまあ雑談はこれくらいにしてと。うわ!隣で大佐殿が怖い顔で見てるよ。じゃあ後で」

 吉田はそういうと通信を切った。

 吉田が途中で言葉を切ったロッカーの話。そこで荷物をシャムに預けたことを思い出した誠は、次第に顔の血が引いていくのが分かった。

「すいません明石中佐!男子のロッカールームはどこですか!」 

 誠は自然とそう叫んでいた。吉田の言葉に豹変した誠の姿に明石は驚きを隠せないようだった。肩に手をやり、サングラス越しに真正面から誠の目を見つめる。

「そう急くなや。そこの廊下を突き当たって下に降りてすぐが……」 

 慌ててそう言いながらも理由がわからない誠の激変に驚きを隠せない明石。誠は彼の手を振りほどくとそのまま立ち上がって自動ドアの前に立った。

「分かりました!」 

 そう言うと開いたドアの間をすり抜けて誠は電算室を飛び出していった。

『やばい。こんな性格のナンバルゲニア中尉ならばきっと……』

 誠は正気を失っていた。

『僕のレアグッズが!!』

 誠の頭にはそれしかなかった。

 男子更衣室と書かれたドアが半分開いているのが見えて。誠は腰の東和軍制式拳銃、04式9mmけん銃を引き抜くとドアを蹴り開けた。

 じめじめとした空気の男子更衣室。誠は銃口を左右に向けて制圧体制をとっている。

「動くな!」

 誠の予想通りシャムが誠の荷物を漁って一つのプラモデルの箱を取り出していた。誠が入ってきたが、誠が銃を持っているというのに特に気にするわけでもなく手にしたプラモデルの箱を取り上げて見せた。

「ナンバルゲニア中尉!」

 誠はそのままの姿勢で固まっていた。手を上げるわけでも、怯えるわけでもなく、シャムはただ手にしたプラモデルと誠の顔の双方を見比べていた。

「凄いね!これこの前再版されたR2タイプ南方仕様でしょ?これ欲しかったんだ!予約しようと思ったらネット限定で、あたしはネットとか全然だめだから俊平に頼んだら嫌だって言うから。それで仕方なく明華に今度オークションに出たらヨロシクって言っておいたんだけど……すごくプレミアついちゃって……誠君は買えたんだね」

 きらきらと目を輝かせながら表に書かれたイラストを見つめているシャムに誠の体の力が抜けていった。

「それは暇な時に作ろうと持ってきた奴です!今はネットオークションに出てますからそっちに手を出してください!」

 そんな誠の声も聞かずにシャムはさらに誠の荷物を漁り続ける。銃を向けても表情を変えないシャムのリズムに乗せられるようにして、ただ誠はその場で固まっていた。

「後、これも凄いよ!電人ブロイザーの怪人バルゴンの食玩のフィギュア。これってあたしも狙って箱買いしたけど百分の一だって言うから結局全然当たらないでブロイザーのフィギュアばっかり溜まっちゃって……」

 コレクターである誠から見るとずいぶん危なっかしい手つきでフィギュアを触る姿を見て誠の目に涙がたまってくる。

「いいからそこにおいてください……あっ!その魔法少女ヨーコの腕は……」

 シャムの足元に自分の最高傑作と思っているフィギュアの成れの果てが転がっていた。

「ああ、取り出したとき折れちゃった。てへっ!」

 驚き、脱力感、そして悲しみ。ぐるぐると感情が渦巻いた後、誠は怒りがふつふつと湧き上がってくるのが分かった。確かに目の前にいるのはあの遼南帝国の二人しかいない騎士の一人。最強のレンジャー、ナンバルゲニア・シャムラード中尉だが、職場のオアシスとすべきグッズを次々と破壊された彼にとってはただの140cmに満たないチビ以外の何者でもなかった。

「そんな『てへっ!』ですむ問題ですか?」

 銃口を向けて怒鳴りつけている誠だが、その叫び声にシャムは少しも驚くようなそぶりも見せない。

「本当にごめん。私だってコレクションが壊されるのはみてられないし……」

「じゃあ何で開けたんですか?それに箱までそんなに潰して……」

 誠の足元にはプラモの箱やフィギュアの保存用のケースが転がっている。明らかにシャムの仕業であることは明白だった。

「まるでアイシャちゃんみたいなこと言うのね。いいじゃんべつに箱くらい」

 そう言うとさらに誠の荷物を漁ろうとするシャム。

「その箱が重要なんですよ!ネットオークションに出す時それがあると無いとじゃ値段が違ってくるんだから……」

 誠の言葉にただ不思議そうな瞳を見せてくるばかりのシャムに次第に誠は苛立ちを覚えてきた。

「やっぱりあたしじゃわからないわアイシャちゃん呼ぶね」

 そう言うとシャムは荷物を放り投げて腕にした連絡用端末のスイッチを押した。誠は自分の呼吸がかなり乱れていたのに気がついて大きく深呼吸をして拳銃のグリップを握りなおした。

「止めてください!また何言われるか……」 

 誠は慌ててそう口走った。次第に意識が白くなっていくのがわかる。

「だって……」 

「だってじゃありません!とりあえず荷物を元に戻してください!」 

 シャムは仕方なさそうにテーブルの上の荷物を片付け始めた。中古のテーブルが、モノが置かれるたびにぎしぎしと音を立てた。

「おい、いいか?」 

 ぼんやりとした調子でいつの間にか追いついてきた明石が誠にたずねる。誠は少し呼吸の乱れをここで整えることが出来た。

「なんですか?」 

 吐き捨てるような誠の言葉に、明石は一息つくと誠の肩に手を置いた。

「その手にした物騒なモノ、いつ仕舞うんだ?」 

 誠はそういわれて理性が次第に戻り始めた。そして自分が銃を手にしていることを思い出した。

「申し訳ありません……今……」 

 次第に頭の中が白くなっていくのを誠は感じていた。拳銃の使用について、特に射撃の才能が欠如していると教官に言われたこともある誠はこれでもかというくらいに叩き込まれていた。いくら理性が飛んでいたからと言っても懲罰にかかる状況であると言うくらいのことは考えが回った。

「ワレはホンマ、ウチ向きの性格しとるわ。それと一言、言っとくとエジェクションポート見てみいや。ワレ、スライド引いとらんじゃろ?」 

 そう指摘されて誠は自分の手に握られた拳銃を凝視した。そのスライドの上の突起が凹んで薬室が空であることを示す赤い表示が見えているのが分かった。ただでさえ自分のした事に震え始めている誠の両手、そして自然と顔から血の気が引いていく。

「東和軍では拳銃は弾を薬室に込めずに持ち歩く規則になっとるからのう。ウチは一応、司法即応実力部隊が売りじゃけ、こうしてだな……」 

 明石は誠から拳銃を取り上げるとスライドを引いて弾を装填した後、デコッキングレバーを下げて撃鉄を下ろした。

「こうして持ち歩くようになっとる。まあ気になるなら東和の制式拳銃はおまけに安全装置までついとるからそれ使えや。まあそんなもんかけとったら西園寺にひっぱたかれるだろうがのう」

 明石は別に誠を咎めるような様子もなく誠に銃を手渡した。誠は震える手でホルスターに銃を納めてそのまま下を向いた。

「しかし……僕……何してたんでしょうね?」

 明らかに懲罰対象の行為である。

『懲戒、裁判。そう言えば師範代は憲兵資格持ちだったから内々に軍事裁判を開いて・・・』

 そんなことを考えている誠を見ながら明石は口を開いた。

「命拾いって所か?もしワレの銃に弾が入っとったらその喉笛にシャムの腰のグンダリ刀突きたっとる。あいつは格闘戦じゃあ部隊で隊長以外は歯が立つやつおらんけ」 

 そう聞いてさらに誠の血の気が引いていった。相手は見た目は小学生でも遼南人民英雄章をいくつも受けている猛者である。誠の荷物を物欲しそうに見ているシャムだが、その腰には短刀『グンダリ刀』が刺さっている。明石の言うことが確かなら、誠は自分の荷物を見る前に喉下に刀を突き立てられていたことだろう。

「二人ともぼそぼそ何言ってるの?シンのおじさんがケバブが焼けたから来いだって」 

 シャムはそう言うと片付け途中の荷物を放り出して外に飛び出していった。誠はよたよたと自分の荷物が置かれたテーブルに手をついた。明石は少しは誠の混乱状態がわかったようだった。

「まったくあいつは食い気じゃのう。これがワレのロッカーじゃ。さっさと荷物入れろや」 

 そう言うと明石は誠がバッグにコレクションをつめるのを見つめていた。

 震えている手で誠はそのままバッグに荷物を詰め終わると静かにロッカーのセキュリティー部分に指紋を登録し扉を開いた。

 ほとんど真っ白な頭は考えることも出来ず、ただ手にした荷物をロッカーに放り込んで扉を閉めた。

 明石は心配そうに誠を見つめている。

「銃抜いたくらいでなにびびっとるんじゃ。もし懲罰にかけられるようならワシもとうに営倉入りや。あの西園寺のアホが……、まあ詰まらん話は抜きじゃ」 

 そう言うと明石は誠の背中を叩いた。

 誠の頭のもやもやが少しはれて、引きつった笑いを明石に向けることが出来た。

「神前来いや。主計大尉殿のケバブはウチの名物の一つじゃけ。まあワシは奴のマトンカレーの方が好きじゃがのう」

 そう言うと明石は何事も無かったかのように、もと来た通路を口笛を吹きながら歩き始めた。誠も仕方なくその後を追った。

「まあな、これから自重しとけば誰にも何も言わせん。ワレは心配せんでケバブを喰っとれ。なあ?」 

 明石はそう言うと豪放な笑い声を上げて大またで歩き始める。

 誠もようやく気分がよくなっていくのを感じていた。相変わらず廊下が暗いのが気になったが、次第に香ばしい匂いがしてくるのを感じて足どりも軽くなった。

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