葉桜
新歓コンパで盛り上がった室内の騒めきも、扉を隔てた外の喫煙スペースまでは届かない。僕は煙草が吸いたくなって、ここに来たのだがベンチに先客がいた。彼女は僕に気付いてチラリと見ただけで視線を前に戻した。煙草を吸っている様には見えないので、休んでいるだけだろうか。見かけない顔なので、一回生かなと思う。
その女の子は綺麗な顔をしていた。長い黒髪がサラリと風になびいている。少しの間目を離せなくなった。
「何飲んでるの?」
僕は煙草に火を付けて聞く。
「お茶です。」
「チェイサー?」
「いえ、シラフですよ。未成年なんで。」
「真面目か。」
思わず突っ込んでしまった。
「真面目ですよ、多分。」
多分か。そこんとこ自信持てないのかな?
「何を見てたの?」
「葉桜です。」
「葉桜って間抜けじゃない?」
さっさと散って仕舞えばいい。
「他の花が散った後でも一生懸命咲いてて健気じゃないですか?」
「健気ねぇ。咲くのが遅かったばっかりに、先に散った桜から取り残されて憐れに見える。」
まるで自分の様だ。煙草の煙をふぅーと吐いて残された桜を見る。
「もしかしたら葉っぱの事が心配で、見届けてから散るのかも。」
ふーん。捉え方って違うものだなと思う。もっと色々喋りたくて、たわいの無い話を振っては答えを聞いていた。
「寒くなってきたので、中に入ります。」
彼女は立ち上がって歩き出そうとする。引き留めるにはどうしたら良いかと考えて、口を開く。
「待って、君を連れて帰りたいんだけど、どうしたらいい?」
「は?」
彼女は目を丸くしている。
「連れて帰らないと言う選択肢もありますよ?」
「う〜ん。出来たらその選択肢は無しで。」
彼女は黙ったままジッと僕を見て、何か考えている様だ。
「…一回こっきりで後腐れが無いなら。私との事も秘密にして欲しいです。あと、未経験者でも大丈夫ですか?」
上目遣いで僕を見て、すっと視線を逸らす。
「全然オッケー。」
成る程。真面目に多分が付く理由が分かった。当たりを引いたかな?
鞄を取って来るとその場を去った彼女が戻らないかもと思ったけど、杞憂だった。
彼女の手を引いて、大学から歩いて徒歩10分の距離にあるアパートへ帰る。途中、名前を知らない事に気付き、4回生の碇涼と自己紹介をして名乗る。すると彼女も名乗ってくれた。着くと彼女を招き入れる。
「近いんですね。溜まり場になりそう。」
「宿がわりに便利に使われるんだよね。困ったことに。」
「あの、碇先輩?本当に未経験者でもいいんですか?」
意外だったけど、こっちこそいいの?って感じだ。僕は彼女の華奢な体を抱き寄せる。髪や身体から甘い匂いがした。
「涼って呼んで?僕も美月って呼ぶし。これする時のルールだから。」
彼女は僕の目を見て呟く様に呼ぶ。
「…涼。」
色々教えてあげよう。
それに、夜は長いんだから。
「背中に爪立てられると痛いんですけど。」
「私の方が痛かったと思います。おあいこですよ。」
「大丈夫?」
「本当に血が出るんですね。生理ほどじゃ無いですけど。」
そう言って彼女はナプキンを持ってトイレに行ってしまう。戻って来た時には下着を身につけていた。僕は煙草に火をつける。した後は何故か吸いたくなる。
「感想は?」
「痛かったですけど悪くは無いですね。でも、みんながのめり込むものの様には感じません。」
「それは本当に好きな人とじゃ無いからだよ。」
「……。」
美月は黙ってこっちを見ている。
「お前が言うなって?」
こくりと頷きそして笑う。
「自分でも思う。」
僕も笑う。
「先輩は気持ちが晴れましたか?」
彼女の質問が意外で、少し戸惑う。もしかして胸の内を見透かされていたのだろうか?
「ああ、うん。ありがとう。寂しかったのかもしれない。」
「それは良かった。意外と繊細なんですね。」
「そう。元カノが卒業して広島の実家に帰っちゃったからね。」
僕は灰皿に押し付けて、煙草の火を消した。
「あぁ、だから出会った時、寂しそうな目をしていたんですね。」
「…そうだった?」
彼女は頷いて少し遠くを見る様に肘をつく。
「…先に散った桜も後に咲いた桜を信頼してたから、先に散っちゃったのかもしれないと思いませんか?」
彼女の声が、言葉が、僕の中に染み込んで溶けていくような気がした。
「…みっちゃんは良い子だね。」
思わずぎゅっと抱き締める。本当に大当たりかもしれない。
「みっちゃんなんて呼ばれるのは小学生以来です。」
「みっちゃん変な男に引っかからないか心配。」
「あ、お前が言うなって?」
また彼女はこくりと頷く。
「虐められたら言ってね。そいつ殴ってあげるから。」
「暴力はちょっと。」
彼女は嫌そうな顔をする。
「精神的に追い詰める方が好み?そっちは自信無いんだけど。」
「そんな事一言も言ってませんよ。」
僕たちは笑い合う。
「みっちゃん手出して。」
彼女が差し出した手の指で、彼女のスマホのロックを解除する。僕と彼女のスマホを操作してメッセージアプリの登録をした。
「はい。これでお友達ー。」
「勝手に何してるんですか。」
彼女が呆れた様に言う。僕はニヤリと笑ってスマホを彼女に返す。
「大丈夫。僕から連絡はしないから。みっちゃんが連絡取りたくなったら、メッセージ送ってね。」
彼女は、はぁと間抜けな返事をしてスマホを見つめている。
「あ、忘れてた。」
僕は彼女の首筋にきつくキスをする。
「痛いんですけど。」
首筋をさすって彼女が怪訝そうな顔をする。
「まぁ記念?大丈夫。髪下ろせば目立たない所だし。」
「見える所はやめてくださいよ。」
「見えない所にして欲しいの?しょうがないなぁ。」
今度は胸元を狙う。
「そんな事は言ってません。」
そう言いながらも抵抗はしないので、了承と受け取った。少しの優越感と所有欲が満たされて嬉しくなる。もし、彼女を狙う男がいたら、これを見てどう思うだろう?
牽制になるか、挑発になるかどっちかなぁ?
そんな事を考えてると楽しくなってきた。世の中早い者勝ちだよね。
それにしても面白い葉っぱを見つけてしまったものだ。それを見守るのも悪く無いかもしれない。
君がいなくなったここでの生活も楽しめそうだ。
僕は腕の中に温もりを感じながら、久し振りに満たされた気分で眠りについた。