ラザニア
「…………ぷっ」
沈黙を破ったのは、小さな破裂音だった。
「ふっ、くくっ……あははははははははっ!」
「せ……聖女様?」
腹を抱えて笑う少女――普通のヤツがやれば下品な行為にしか見えないけど、その容姿の美しさのお陰で、その様すら何だか神聖な感じがした。
でも、こ、これは、どうしたんだ?
怒っているのか、そういうワケでもないのか?
だけど、混乱する俺をよそに――笑いの渦は、次第に広まっていった。
クスクス――ふふふ――ひひひっ――
耳をくすぐる嘲笑の数々。
聖女様も大臣の人たちも、皆、みんな俺を、俺のステータスを見て笑っている。
ど、どうすればいいんだ?
何が何だか分からないまま、俺は震える喉を振り絞った。
「あ……あの――」
「な、何ですかこのクソステータスは!れ、レベルも力も、ぜ、全部、ぜんぶ1、い、1って! あはははは、ふぐっ、あははっ! 嘘でしょう、スライムのがまだマシなステータスしてますよっ!」
「なあっ!?」
突如として飛んでくる暴言が、めちゃくちゃな頭の中にブスッと刺さる。
こ、こ、この野郎。
幾ら何でも、言い方ってモンがあるだろう。
「おまけに魔法も呪文も一切ナシって、あなた、ほ、ほんとに勇者なんですか!?だ、ダメっ、おかしくって、あははははははははっ!」
「せ、聖女様、いけませぬぞ、そんなに笑っては、はしたな……くっ、ふふっ」
「なーに言ってるんですか、じいやだって、そんな――あひゃひゃひゃっ!」
飛び交う嘲笑、嘲笑、嘲り……。
俺以外の全員が、もはや隠すこともなく俺を笑っていた。
うう……余りの屈辱に、涙が滲んでくる。
さっきのメイドといい、どいつもこいつもバカにしやがって!
ああ、そうさ!
そういうことさ!
どんなヤツだって、どんなに立派なヤツだって、一皮剥けばこんなモンさ!
全然話も聴かないまま、ひとのことをバカにしたり、笑ったり……。
なんて理不尽なんだっ!
腹が立って腹が立って仕方がない。
もはや後先のことなんか忘れ、俺は叫んだ!
「お……おいっ!! い、いい加減にしろよな、この酷いヤツ共めっ!!」
「あはははは――あ? 何ですか突然、無礼な」
途端に笑いを拭い去る聖女様――ぴたりと室内の笑いが収まる。
じろりと睨み付けてくる彼女の、その眼光の鋭さと言ったら!
奮い立った心が、またもや挫けそうになる――うう、でも、負けるモンか!
「さ、さっきから好き放題言いやがって! 幾ら聖女様が偉くたって、言っていいことと悪いことがあるぜ!」
「あら。事実を述べるのが、あなたにとっては悪いことなのですか?」
「むぐっ……あ、あのなあ! よーく考えてみろよ、聖女様!」
興味なさげな聖女様に、ビシッと人差し指を突き付ける。
「俺はなあ、女神さまに選ばれたんだぞ! つまりだな、聖女様! 邪神をやっつけて人間界に平和をもたらせるのは、世界で俺だけってことなんだ!」
「はあ。それで?」
「その俺のご機嫌を損ねるようなことをしていいのかな~!? 俺がヘソを曲げて冒険するのを止めちゃったら、この世界は永遠に闇に閉ざされたままなんだぞ! それでもいいのかな~!?」
「別に構いませんけれど」
「へへへ、そうだよな、構わないよな……えっ構わないの!?」
「ええ。構いませんよ」
聖女様はあっけらかんと言い放った。
な、何を言っておられるんだ、このお方は。
「う、うっそだー! この世で唯一の勇者の俺に――」
「――ああ、そうだ。あなたには、まだ伝えていませんでしたね」
言って――彼女は、薄笑いを浮かべた。
「女神さまの選んだ勇者はあなただけじゃない。――もう一人いるのですよ」
「…………へ?」
それって、どういう――
疑問を呈そうとした、その瞬間。
背後の大扉が軋み、開いた。
「――申し訳ありません、聖女様。到着が少々遅れてしまいました」
響く、綺麗なソプラノの声。
……え?
どきん、と心臓が大きく鳴った。
お、おい、嘘だろう?
この声、聞き覚えがあるぞ――そんなバカな、ありえないっ。
あいつが――あの野郎が、こんな所に居るワケが。
「か、彼は……い、いや、彼女か?」
「あの涼やかな目元、鮮やかな瞳……あの田舎チビとは大違いだ」
「なんと、美しい――聖女様に勝るとも劣らぬ」
「おまけに、計り知れない魔力のオーラを感じるぞ!」
気付けば、部屋の空気は完全に変わっていた。
ヤツの気配にすっかり飲み込まれてしまっているのだ。
もはや興味の対象は俺ではない――誰もがヤツに目を奪われていた。
こつ、こつ、靴音が次第に近付いてくる。
やがて――音は、すっかり固まってしまった俺の隣に並んだ。
「私が、女神さまより祝福を受けた、選ばれし勇者」
キラリきらめく、肩に掛かるくらいの長さの銀色の髪。
ルビーのように真っ赤で透き通った瞳。
まるで女の子みたいに綺麗な顔、それにスラリとした背丈。
「――ウェハース村のラザニアと申します。以後、お見知りおきを」
言って、彼は静かに頭を下げ――俺に向かい、ニヤリ笑った。