聖女
それから、もう暫く歩き続けて――今。
俺の目の前には、恐ろしいほどにデッカくて頑丈そうな扉が突っ立っていた。
ごくん、と唾を飲み下す。
心臓が凄くドキドキ鳴ってて、目の前がチカチカする。
身体中がカチンコチンになってしまう。
ようやく、やっと、ついに、ここが、この場所がっ――
「――こちらが聖女様、そして大臣の方々がおわす部屋です」
「わひゃっ」
掛けられた武骨な声に、思わず跳び上がりそうになった。
それに反応することもなく、その主――アラザンは淡々と言葉を続ける。
「これより先に、我らが足を踏み入れることは叶いません。どうか、くれぐれも、失礼な振る舞いはなさいませんよう」
「う、うるさいな、分かってるってばっ……わ、分かってますってば!」
アラザンに、うっかり敬語を忘れながら返す。
うう、畜生め、ただでさえ緊張してるってのに、そういうこと言うなよな。
でも、確かに彼の言う通りだ――滲んだ汗を服の裾で拭い、思う。
俺がこれから会うのは、この世界で一番偉い人だ。
絶対に余計なことをしちゃならない。
そうさ!
ちゃんと“勇者”らしく、堂々と!
ハキハキ喋って、元気いっぱいで、ガッツに満ち溢れてる!
そんなような姿を、聖女様に見せるのだっ!
……聖女様、に。
そういえば。
聖女様って、どんな感じのお方なのかな?
はたと頬っぺたに手を当てる。
すんごい美人のお姫様?
それとも、上品な感じのおばあさん?
はたまた魔女みたいな、風格のある人なのかも。
いやいや、ひょっとして――
などという思考は、不意に軋み始めた巨大な扉に打ち切られた。
何だ、今度は一体何が起こったんだ?
「どうやら、聖女様方も準備が整ったようです。トルテ様――お入りください」
アラザンが言う――心臓が激しく早鐘を打ち始めた。
つ、ついに、か。
頭の中が真っ白に染まる、も、もう、倒れてしまいそうだ。
うう、落ち着け、大丈夫だ、しっかりしろ、トルテ!
ちゃんと胸を張って、勇気を出して。
大きな深呼吸を繰り返し、最後にパチンと顔をはたく。
ようしっ。
膝とお腹にぐぐっと力を入れて、ずんずん歩く。
開いた扉の向こう側から差し込む、燭台のぼんやりした明かり――大丈夫、大丈夫だ、平気さ!
きっと上手く行く!
心の中で叫び、柔らかなカーペットを踏ん付けて、扉を潜った。
その途端――グワシャーンッ!
うひいっ。
バカデッカい音を立てて、扉が閉まった――またもや跳び上がってしまう。
「……な、何だよ、驚かせやがって、こんちくしょうめっ」
恥ずかしさを誤魔化すみたいに当たり散らす。
その声が大きく響き渡った――突然気が付いたみたいに、辺りを見回す。
物凄く大きな部屋だ。
それと、金銀珠にキラキラ飾り――どこもかしこもセレブっぽい。
だのに人っ子一人いやしない。
薄明かりがぽつぽつと小さく灯るばかりだ。
何だか急に心細くなってきた。
兵士さんたちも、付いてきてくれりゃよかったのになあ……。
などと考えた、その時。
「――この私の前で、いつまで頭を上げているつもりですか。無礼なガキですね」
凛とした、とっても綺麗な声が涼やかに響いたのだ。
弾かれたように俺は振り返った。
長い長い壁――その一つ一つにくっ付いた灯が、急激に輝きを増していく。
部屋を包み込んでいた暗闇が薄れては消える。
鮮やかな光を受けて輝く玉飾りは、まるで太陽みたいにピカピカしていた。
でも、そんなことはどうでもよかった。
部屋のいちばん奥、両方の壁沿いにビシッと佇んでいる、おばあさんとお爺さんたち――きっと大臣さんだろう。
その真ん中に備え付けられた、とんでもなく大きくて豪華でフカフカな椅子。
そこにちょこんと腰掛けている、小さな女の子――
その姿に、俺はすっかり見惚れてしまっていたのだ。
絹糸みたいに滑らかで長い髪は、一点の曇りもない黄金色。
見つめることすら躊躇ってしまうほど透明な瞳は、素晴らしく綺麗な翡翠色。
それと、お人形とおんなじくらい整った顔、真っ白な肌。
年は俺とそんなに変わらないっぽいのに、とても同じ人間とは思えない――
とんでもなく、ホントにとんでもなく可愛い女の子だ。
「聞こえませんでしたか?」
もう一度、声が響く。
「頭を下げろ、と言っているのです」
「あ――も、申し訳ございませんっ。つい、その……あわわ」
逆らえる訳もない――すぐさま俺は膝を着いた。
ポタポタ零れる汗の雫。
間違いない。
間違いないぞ。
絶対、絶対に、あの子が聖女様だっ。
めちゃくちゃな頭の中――それを絶ち切るみたいにして、長い溜息が耳に届く。
「……随分とマヌケな返事。この分じゃ、こっちは期待できそうにないですね」
えっ――?
“こっち”って、どういう――
「ま、いいや。顔を上げなさい、“選ばれし勇者”――トルテよ」