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 実験2

 あかりが編入生が来ると情報を得た次の日。

―なんでこうなった?

それは、千穂だけではなく他のクラスメイトの疑問でもあった。空気が重い。ぴりついている。犯人は千穂の左隣に座っている二階堂武尊。先ほどからとにかく機嫌が悪い。

「高野原さん、教科書見せてくれる?」

そんな空気の中にこやかに笑いかけてくるのは、千穂の右隣の轟琉聖とどろきりゅうせいだ。このクラスに入ることが決まった編入生である。灰色の長い髪と甘い造りの顔が特徴的だ。長い髪を首元で一つに束ねている。彼が教室に入ってきた時女子生徒がざわめいていた。美形二人に挟まれて本来ならうらやましい限りであるはずの状況は、しかし、みな千穂に同情していた。

 編入生も来たことだし、そろそろ席替えでもするかと言いだしたのは担任の斎藤だ。公正なくじ引きで決まるはずの席は、なぜか千穂と武尊は変わらず、千穂の武尊とは逆隣りに轟が座った。

 ここまではまあ、良いとしよう。席が変わらないという偶然もあり得る。そして轟と千穂と武尊はそれぞれの列の最後尾で、轟の隣は千穂しかいない為(轟の隣には渡辺が座るはずだったが、彼は夏風邪をひいて休んでいた)千穂に教科書を見せてくれと言うのも分かる。そのために机を引っ付けているのもまあ仕方ない。分からないのは、なぜそれで武尊が気分を害しているかだった。とにかく機嫌が悪い。その機嫌の悪さが空気を支配していた。

「ねえ、武尊―」

「高野原さん、先生が教科書開いてだって」

「え?あれ?何ページだっけ」

「待って、確かね―」

や、自分で教科書めくるなら言ってくるなよ、と千穂は思ったが、それを人に言えないのが千穂である。千穂は視線を轟から武尊に戻すと、武尊はもう寝る気満々で伏せてしまっていた。あれでは寝ているのか起きているのか分からない―いや、まだ起きているだろうが反応してくれない気がする。千穂は小さくため息をついて前を向いた。

―何言ってるか分からない

なぜだろう、武尊や壱華に教えてもらう時は分かるのに、授業になると途端に分からなくなる。分からないものを聞き続けるというのはつらいものがある。千穂はすぐに眠くなってしまった。隣からすーすーと寝息が聞こえてくるから武尊は寝てしまったらしい。それにつられるように、千穂も瞼を閉じてしまう。

 教室の空気が途端に変わる。そろそろと皆が後ろを向くと、そこでは武尊と千穂が眠っていた。轟は苦笑いを浮かべている。

「なんなんだこいつらは」

担任教師斉藤は頭を押さえたが、また空気が悪くなるのはごめんだったので二人を起こすことはしなかった。


「お前何怒ってるんだよ」

 昼休み、大島が恐れず切り込んだ。

「別に怒ってない」

武尊は牛乳の紙パックにストローを差しながら答えた。その声が、話し方が怒っている。

「怒ってるだろう。隠してないのか隠せてないのか分かんないけどさ」

ぱくりとメロンパンにかぶりつきながら大島が言った。

「かまってちゃんかよ」

だんと机が鳴った。武尊が蹴った音だ。それに大島は反応しなかったが、千穂はびくりと震えた。

―武尊。怖い

―こんなに怖かったっけ

千穂は懸命に初めて会った時からの武尊を振り返った。ちょっととっつきにくさはあったと思う。基本無表情だし、滅多に笑わないし。しかし、話してみれば答えてくれるし、いろいろ助けてくれたしで悪い人間でもない。いや、良い悪いの話ではない。いないと大層困る。

「そんなにあの轟ってのが気に食わないのかよ」

「あいつ、胡散臭い」

「どこらへんが?」

佐々木は一応武尊の話を聞くことにしたようだ。説明を求める。

「常にへらへら笑ってるところとか」

「それいったら本川とか胡散臭さマックスじゃん」

大島が爆弾を投げる。あかりはあらーと笑った。

「私胡散臭い?」

首を傾げてあかりは大島を見上げた。その角度は破壊力が高いらしく大島は一瞬固まる。そして慌てて手を振った。

「違う違う!二階堂の言い分で言ったらそうなるってだけで、俺は別に本川のこと胡散臭いとか思ってないから!」

「あら、そう?」

「あかりは胡散臭いでしょ」

何考えてるか分からないし。

「厳しい言葉ね」

武尊の言葉に、あかりはくすくすと笑った。

「いや、ここは怒るところだと俺は思う」

「大島が言ったら怒るけど、二階堂だから怒らないんじゃない?」

「え?それずるくね」

「何がどうずるいの」

武尊は落ち着いて来たのか涼しい顔だ。今度は武尊が大島に説明を求めた。

「なんで俺だけ怒られなきゃなわけ?」

「―信頼足りないんじゃない?」

「てきとうに言ったろう」

「よく分かるね」

「くそーむかつくー!」

大島はダンと机をたたいた。また千穂がびくりと反応する。大島はそれに気づいて謝った。

「ああ、悪い。怖がらせたいんじゃないんだ」

「うん、分かってる」

千穂は困った顔で頷いた。

 話題の人、轟琉聖は別のグループに連れられて学食に行っている。編入したてのころは武尊もよくたくさんの男子に囲まれて学食に連れていかれていた。今の轟がそれだった。

「あの編入生、どこのグループに入るかな」

優実が面白そうにポッキーをくわえながら言った。

「優実、お行儀悪いわよ」

あかりの言葉にはーいと言って優実はポッキーを食べた。

「―なんか二階堂に触ってきそうだな」

大島が苦々しい顔で言った。

「で、また機嫌が悪くなるんだぜ、きっと」

「うるさいな」

武尊は少々機嫌の悪さを隠せなかったことが恥ずかしくなってきたのか、そっぽを向いた。

「―で、なんで機嫌悪かったんだよ」

大島は逃がさないぞと机に腕を置くとぐっと武尊に顔を近づける。それを迷惑そうに武尊は押しやった。

「分からないよ」

―本当は、少し分かっている。轟は、指定された席に向かった時、武尊と視線を交えた。その時、笑ったのだ。何かを含んだその表情に、武尊はとっさに千穂を見た。ご名答、と言うように轟はにっこりと笑った。

―敵かもしれない

―それも真正面から喧嘩売ってきた

―それなのに、千穂はあいつのペースに乗せられてるし

思い出すだけで、ぶすっと顔が不機嫌になる。

「本当かよ」

大島は少々あきれ顔だ。

「高校生にもなって自分の機嫌取れないのかよ」

「―宿題手伝うんじゃなかった」

「それとこれは話が違う」

「言うようになったね」

「俺も成長してるってことだ」

「そうかな」

大島と武尊のやり取りに、佐々木が首を傾げた。心底不思議そうな顔をしている。

「まあ、どちらにせよ」

佐々木は携帯を取り出しながら言った。

「二階堂は不機嫌になると空気悪くするから自重して」

「・・・・・・・分かったよ」

長い間があったが、武尊はしぶしぶと言った体で頷いた。自信のなさが表れていた。


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