6.同室
「それでね、貴昭さんったらね―」
「いつ帰るのさ」
場所は武尊の部屋。メンバーはいつもの五人プラス二人。千穂、壱華、啓太、樹、部屋の主武尊、それに加え陸と美由だ。相変わらず、美由は小さくなって陸の隣に座っていた。体育祭の日から武尊の家に上がり込み今に至る。当然、親であっても泊まり込みは原則禁止だ。それでも泊まれたのは彼女が二階堂貴昭の妻だからなのか。美由は悪いと言って一度家に帰り、再びこの部屋に来たようだった。ちなみに、未海たちは昨日体育祭の終了と共に家に帰っている。
『あんまり心配かけないでよね!』
涙目でそんなことを言われた。あんな顔で言われれば気を付けるとしか答えられない。千穂はその時の気分を思いだしてぶすっと膨れた。
「あら、千穂ちゃんどうしたの?」
陸は冒頭の武尊の言葉を無視して千穂に問いかけた。千穂はえっとと言葉を濁す。
「二人三脚出られなくて、迷惑かけちゃったって思って」
「あれは仕方ないわよ。閉じ込められちゃったんでしょ?」
「そうなんですけど」
あははと千穂は乾いた笑みをこぼした。
「それで、いつ帰るの」
武尊はどんとコーヒーの入ったマグカップをローテーブルに出しながら言った。陸のためのものだ。というか、武尊は陸にばかりコーヒーやらお茶やらを出している。
―早く帰ってほしいってことだっけ
なんかテレビで見たことあると思いながら千穂はその光景を眺めていた。
「あら、ありがとう」
陸に武尊の思いは届かず、陸は美味しそうにコーヒーを飲んだ。
「だから、いつまでいるつもり?」
明日まで学校は休みだ。まさか今日も泊まる気じゃないだろうなと武尊は内心冷や汗をかいていた。
「そうねーどうしようかしら」
せっかく部屋が一つ空いてるんだしと不穏なことを言う。
ぴんぽーん
どこか間抜けにチャイムが鳴る。尋ね人に心当たりのない面々は一瞬不思議そうな顔をした。武尊は不機嫌そうな顔で玄関へと向かう。
ガチャリと玄関が開く音がした。
「お客さんかしら」
武尊にお客さんって珍しいわねと陸はくすくすと笑った。
「ちょ!なんでお前が!」
そんな声が聞こえた気がした。とすとすという軽い足音とどすどすという重い足音が続く。
「こんにちは」
廊下とリビングを仕切る扉が開き、挨拶と共に入ってきたのは轟琉聖その人だった。幼馴染勢は唖然とそのきらきらとした笑顔を見つめた。
「だから、なんであんたがこの部屋に来るわけ」
「あれ?貴昭さんから聞いてない?これからは同じ部屋だって言われたんだけど」
「ちょっと、待って」
武尊は携帯を取り出すとどこかに電話を掛けた。耳元に当て、しばらくじっと宙を睨む。
「出ない」
そう呟くとまた別の番号に発信したようだった。
「あ、高木さん?父さんに替わってくれない?」
そんなことを言う。
「高木さんに電話してるの?」
あの人忙しいでしょうと陸は珍しく顔をしかめた。
「携帯に出ないあいつが悪い」
「貴昭さんだって忙しい人だもの」
当然じゃないと陸は涼しい顔だ。それに苛立つ武尊だったが、口を開く前に電話に目的のその人が出たようだった。
「あ、父さん?轟と一緒の部屋ってどういうこと?」
そんなことを尋ねる。電話の相手は何やら説明しているらしくしばらく時間を取る。武尊はじっと黙って説明を聞いていた。
「いえ、結構です。轟君と仲良くします。それじゃ」
そう言うと電話を切ってしまう。
その手のひらの返し方に何を言われたのか面々はとても気になったが、聞けば機嫌を悪くしそうだったので誰も触れなかった。
「今から轟の荷物移さなきゃいけないから、帰って」
「あら、お友達が引っ越してくるの?」
じゃあ、手伝うわよ、と陸は笑う。
「逆に邪魔だから帰って」
「あの空いてた部屋を使うんでしょ?」
あんたちゃんとあの部屋片づけなさいよ、と言いながら陸はやっと腰を上げた。陸は轟ににっこりと笑った。
「気難しい子だけど、よろしくね」
何かあったら遠慮せずに言ってね、と残し部屋を去って行く。その背をどこか唖然と轟は見送った。美由が慌てて陸の背を追って部屋を出ていく。
「お邪魔しました」
ぺこりとお辞儀をするのも忘れない。
「えと、今のは」
「母親」
「お姉さんじゃなくて?」
「母親」
轟は武尊の言葉に訊き返したが返事は変わらなかった。
「そうなんだ。綺麗な人だね」
「どうも」
武尊はため息をついたが、すぐに背筋を伸ばすと廊下に出ていく。
「とりあえず、部屋から物出すから待ってて」
「手伝うよ」
轟も武尊の背を追って出ていく。
「轟、仲間になるってホントだったんだ」
昨日千穂から少々話を聞かされていた幼馴染組は動けずにいた。
「わあ!」
そんな轟の悲鳴が聞こえた。
「―碧かな」
「碧じゃないかな」
千穂の言葉に、樹が頷いた。
「碧、すぐ跳びかかるからな」
啓太が携帯をいじりながらあり得ると頷いた。携帯で確認することもなくなったのか、啓太はすぐに携帯をしまった。
「俺らも手伝うか」
「そうね」
啓太と壱華が立ち上がる。それに慌てて千穂はぴょんと跳ねるように立ち上がり、樹はいぶかしげな顔のまま立った。
「あいつ、信用していいの?」
「一緒に私のこと守ってくれるって言ってたよ」
「まあ、言霊にはなってるかな」
樹はまだそれならいいと寄せていた眉根を離した。
「何か怪しい動きをしたらすぐにやっつけるからね」
樹の言葉に、千穂は頷いたのだった。
「どうだい。いい子だろう?轟君。武尊と気が合うと思って声をかけたんだ。部屋のことだけどね、陸が部屋が空いてるなら住み込もうかと言っていてね。それでいいならいいんだけど―」
『いえ、結構です。轟君と仲良くします。それじゃ』
そんなつっけんどんな言葉を残して息子は電話を切ってしまう。それに二階堂貴昭は苦笑した。
「なかなか難しい年ごろだな」
常に縮こまっていた自分とは違い、あの子は誰にでも思ったことをちゃんと言う。その姿勢がうらやましくもあり心配にもなる。友人が少ないところは自分に似てしまったと思っている。だから、気の合う友人になれそうな彼に白羽の矢を立てたのだ。
「別に、千穂ちゃんだけが大事なわけじゃないよ」
お前のことが一番大事だよ。そう言えればいいのだけれど、照れなのか何なのか伝えられたためしはない。陸のようにべたべたもできないし、距離の取り方が難しい。
デスクに挟まれた家族写真を見る。もう何年も前のものだ。忙しくて、年に一回写真を撮ろうと陸と約束していたのに守れずにいる。見れば、武尊の髪はまだ黒かった。金髪にしてきた時は驚いたが、よく似合っていたのに驚いてしまった。似合っていると言えばどこか不服そうな顔をしていたのを覚えている。かける言葉を間違えたのだと悟った。しかし、では何なら正しかったのかは今になっても分らない。
貴昭は、高層ビルから外の景色を見渡した。
「どうか、無事で」
何事もなく、怪我もなく、時を過ごせたらいい。それは無理な願いだと分かっていながら、貴昭は祈らずにはいられなかった。
「そんなに心配なら金色の使い手などにしなければよかったのに」
突如後ろからささやかれる。そんなことできる者は一人しかいないと分かっているが、驚かずにはいられない。
「趣味の悪い悪戯は止めてください」
「悪戯する相手がお前くらいしかいないんだ」
許せよ、とその男は笑った。
「おかしな男だ。自分から銀の器に息子を接触させておいて、心配をするとは」
「武尊が金色の使い手になるのが運命ならば、私が会わせていなくてもなっていたでしょう。だったら、いろいろ準備をしていて正しかったのだと思っていますよ」
「そうだといいがな」
男はやはり笑った。
「それで、学校の方はどうなんです」
離れて大丈夫ですかと貴昭は表情で訴えた。男はくすくすと笑う。
「漆がいるから大丈夫だよ」
「―そうですか」
いつも自分に敵意をぶつけてくる黒髪の少女を思い出す。どうやら嫌われているらしい。まあ、そんなこと些事なのだが。
「皆を頼みますよ」
「分かっている。約束だからな」
そう言い残して、男は消えた。
「まったく、油断していられない」
ため息を吐くと、コンコンと扉がノックされる。それに顔を上げると高木が入ってくる。
「そろそろ出ないと会議に遅れますよ」
「分かった、今行く」
貴昭は仕事に戻った。