からかい5
「あいつと何話してたの?」
「武尊と同じで見えるんでしょ?って聞いた」
「見えるって言ってたでしょ?」
「うん、見えるって。私は見えないことにしといた」
「それは賢明」
「でしょ?」
千穂は武尊に向かってにこっと笑顔を放つ。場所はいつものごとく女子部屋だ。
「弟の話とか出た?」
「そこまでは話せなかった」
千穂は首を横に振る。そっか、と武尊はつぶやく。壱華が淹れてくれた紅茶に武尊は手を伸ばす。
「ということは、特に情報は増えなかったってことか」
「すみません」
「変に踏み込んで怪しまれるよりいいよ」
「そう?」
―ちょっと、優しい気がする?
千穂は内心首を傾げた。じっと隣に座っている武尊を見つめる。武尊がその視線に気づかないはずがない。
「なに?」
「何でもないよ」
千穂はふいと武尊から視線を外す。
『高野原さんも、二階堂君のこと好きなんだね』
突然轟の声が脳内で再生され、千穂はこちんと固まった。それも武尊が見逃すはずがなかった。
「どうしたの?」
なんか変だよ、と言われ千穂は現実に戻ってくる。慌てて首を横に振った。
「変じゃないよ!」
「そう?」
武尊は首を横に傾げた。
「でも困ったわね」
壱華がため息をついた。
「あの轟っていうの、千穂にべったりだもの」
今日の練習のことだろう。千穂は思い出す。そう言えば、轟と武尊以外の人間とあの時間会話をしていない。
「私は私でリレーの練習をしないといけないし」
「武尊もなんだよね」
樹が会話に参戦する。武尊は頷いた。
「そう。ずっと千穂の近くにいるのは無理」
「あのあかりって子に代わってもらったらどうだ?」
啓太が提案する。
「その気だったらすぐに代わってくれたと思うんだけど」
武尊が困った顔でそう言った。
「根回ししとけばよかったな」
「事情を説明したら代わってくれないかな」
樹があかり案を通そうとする。それに壱華が首を振る。
「だめよ。もうだれがどの種目に出るのか書類提出しちゃったもの」
ああ~と戸川兄弟はソファにもたれた。表情も同じ力の抜けたものだった。それに三人は吹き出さないよう我慢する。
「まあ、練習場所が同じってだけで幸運とするかな」
武尊がそう言って肩をすくめた。
「壱華はいいお札とか持ってないの?」
樹が尋ねる。壱華は考え込む。
「人間を追い払うようなお札は持ってないわね」
「千穂から剣に伝わるから、それを見逃さないようにすればいいかな?」
武尊が自分が責任を負うと名乗り出る。
「もし、剣が何か武尊に伝えたら私にも教えて」
「分かった」
壱華の言葉に武尊は頷いた。
―結局こうやってみんなに迷惑かけちゃうんだよな
千穂はわずかに俯く。
―頭もいいわけじゃないから、提案もできないし
さらに俯く。
―みんなは戦って怪我するし
そう言えば、撃たれた牙は元気になったのだろうか。姿を消した太良は見つかったのだろうか。光は康恩を見つけることができたのだろうか。夫を亡くした荒川はどうしているのだろうか―荒川の葬儀には参列しなかった。聞いた話によると村人の半数は来なかったのだと言う。それが何を意味するのか、怖くて千穂は考えられなかった。自分に関係する人間が皆不幸になっていくように千穂には思えて俯く角度が深くなる。
「千穂?」
それは武尊から見れば顕著な異変であった。千穂は顔を上げた。揺れる大きな瞳が武尊を見る。
―武尊には人を三人も殺させた
優しいこの人に、人を手にかけさせた。それが悲しい。
「―なにか、ろくでもないこと考えてるでしょう」
「別に」
ふいと千穂は武尊から顔を背ける。しかし、たまった涙は今にもこぼれてしまいそうだった。
「嘘だ」
「本当だもん」
俯きたくても涙がこぼれそうで俯けなかった。
「寝る!」
飛び上がるようにソファから立ち上がりぱたぱたと扉に駆け寄る。
「千穂!?」
後ろから名前を呼ぶ壱華の声が聞こえたが、無視して自分の部屋へと入る。電気も点けぬままにベッドにダイブする。
―これじゃ余計心配かけるだけだ
そう思うけれど、泣き顔を見られるのも嫌だった。
―武尊、何か言ってきそうだし
明日、どんな顔をして会えばいいのか、千穂には分らなかった。
「おはよう」
武尊はちらと千穂の顔を見ると、そう挨拶をした。いつも通りの反応に千穂は拍子抜けしながら返す。
「おはよう」
がたっと椅子を引いて座る。珍しく優実がまだ登校してきていなかった。
「珍しいわよね。寝坊でもしてなかったら良いけど」
くすくすと笑いながら、あかりが千穂の元へやってくる。おはようと、二人は挨拶を交わした。
「ちょっと、元気ない?」
「そんなことないよ!」
朝食時に幼馴染の集団でも空気を悪くしてしまった千穂は慌てて手を振って否定する。
「どうせ、自分のせいだとか思ってるんだよ」
「何を?」
「トラブルが多いこと」
「そうなの?」
武尊に言われ、あかりが首を傾げながら問うてくる。千穂は俯く。
「・・・・・・こんな体質じゃなかったらなとは思ってるけど」
「そこばかりはどうしようもないわよね」
あかりは困ったようにため息をついた。そしてすぐにニコッと笑う。
「体質なんだもの、千穂が悪く思う必要はないわよ」
「そうかなあ」
その一言で、自分に非があると考えていると認めてしまっていることに千穂は気づかない。
「ええ。千穂がそのことで悩んじゃったら、皆が困っちゃうわ」
そう言われると、困られるのは困ると千穂は押し黙る。
「ちゃんと約束したんだから、守るよ。俺の意思でそう決めて剣を取ったんだから」
見れば、武尊は前の黒板を睨みつけるようにしていた。千穂の視線に気づいてまっすぐな瞳を千穂に向けた。
―きれいな目
その瞳に見惚れる。
―力に溢れた強い目だ
その強さがうらやましかった。強さが欲しかった、力が欲しかった。自分で自分を守れるだけの力が欲しかった。しかし、それは叶わなかった。だから、千穂は守ってもらうしか道がない。
「朝から熱いね~」
ひゅーと口笛を吹きながら現れたのは大島だ。それに、武尊は明らかに顔をしかめた。
「守るって、なんの約束したんだよ」
「千穂の母さんと俺の父さんが知り合いだったんだよ。千穂は小さいから助けてやれって父親に言われたの」
「小さくないもん!」
千穂はがたっと立ち上がる。
「はいはいそうですね。身長1㎝伸びたもんね」
「絶対小さいって思ってるでしょう!」
千穂は武尊をびしっと指さす。
「―今更1㎝伸びても小さいかな」
「小さくないもん!」
千穂はぴょんぴょんと飛び上がって怒りを表現する。すると後ろからがばりと抱き着かれる。
「そうだよね!千穂は小さいんじゃなくてかわいいんだよね!」
優実だった。ちなみに黒の学生鞄は床に放り投げてある。
「一生懸命になっちゃって、かわいいな~」
もう~こいつめ~と優実は千穂の体を左右に振る。足が床から浮いている千穂はゆらゆらと簡単に揺れた。
「ちょ、待って、苦しい」
つぶれたような声に、優実はぱっと手を放す。慌てて謝る。
「ごめんごめん。大丈夫だった?」
「うん。ちょっとびっくりしたけど」
「優実は力が強いんだから気を付けないと」
「ごめんね~」
「大丈夫だよ」
あかりに諫められた優実は顔の前で手を合わせる。千穂は平気だと笑う。
―なんか、気が晴れちゃったな
友人の力とはすごいものだと千穂は改めて思う。えへへ、と千穂は嬉しそうに笑った。
「あのー取り込み中悪いんだけど」
困ったような声がかかる。見れば、轟が困ったような顔をしていた。
「僕の席、座れないんだけど」
「ああ、ごめんごめん」
邪魔をしてしまっていた優実が鞄を拾い上げ退く。
「なんか、楽しそうだったのにごめんね?」
「気にしないで!騒いでただけだから!」
じゃ!と優実は自分の席に鞄を置くとまた戻ってきた。
千穂の胸を詰まらせていたうっそうとした気分は、今はどこかへ消えていた。