からかい3
「もっと自覚持って気を付けて」
武尊は怒っていた。本当は不機嫌になる筋合いなどないのかもしれなかったが、苛立たずにはいられなかった。エレベータまで歩くそのスピードが速い。千穂は小走りになる。
「ごめんなさい~」
千穂は反射で謝る。そして武尊はそれが反射だと見抜いていた。
「本当に分かってる?」
「二人ともきれいなのなんなの言われて調子おかしくなっちゃったんだよ」
樹も腹立たし気に武尊に伝える。武尊はじろりと千穂を睨む。千穂はヒッと飛び上がった。
「かわいいなんて、優実に飽きるほど言われてるでしょう?」
「男子に言われ慣れてないもん」
千穂も負けじと言い返す。
「千穂は一般的に言ってかわいいの!そんな事実言われたって涼しい顔して流してよ」
「か、かわ!」
―かわいいって武尊にはじめて言われた
―いつもは小さいって言うのに
千穂は怒られていると言うのに顔を赤面させた。それに気づいて、あ、と武尊も足を止める。うーと何やら唸ってから、千穂に向き直る。
「千穂はかわいいんだから、そう言われるのに慣れてた方がいいよ」
顔は不愛想だったけれど、声も少し硬かったけれど。それだけ言うとまた背を向けて歩き出す。その後は二人とも無言だったが、つないだ手は離さなかった。
それに対して二人の前を歩く啓太と壱華はずっと黙っていた。沈黙に耐え切れず、壱華が口を開く。
「啓太!怒ってるの?何か言ってよ」
「別に怒ってない」
「嘘!怒ってるわよ」
「怒ってない」
普段と違う静かな声に壱華は不安になる。怖くなる。
―何か悪いことしちゃったかしら
「壱華はさ」
「何?」
なるべく穏やかに返事を返す。壱華は顔を見たいと思ったが啓太は顔を見せてはくれなかった。
「俺がきれいだって言っても、あいつに見せたみたいな反応するのか?」
「え?」
―あいつって、轟よね
―どういう反応してたっけ
壱華は思い出す。確か、照れてしまって俯いていた。
―啓太が私にきれいだっていうの?
―まさか
「啓太が私にそんなこと言うわけないじゃない」
そう言えば、啓太は立ち止まる。視線だけ壱華にやる。
「俺は、壱華はきれいだと思う」
「へ?」
「俺が知ってる女の中で一番きれいだといつも思ってる」
壱華は目を丸くするが、それを無視して啓太は歩きだす。壱華はそれについて行く。頭が回らない。啓太は今何と言った?
―きれいだと思う
―一番きれいだといつも思ってる
顔が、熱くなる。
―啓太のくせに
そう思うが、言葉が口から出ない。壱華は俯く。
「あんな怪しい奴に先にきれいだって言われたのむかつく」
―怒ってる
―啓太が怒ってる
いや、怒っていると言うよりは
―やきもち焼いてる?
そう思えば、くすりと笑みがこぼれた。
「信じてないだろ」
啓太がまだ不機嫌な声で言う。壱華は首をゆっくりと横に振った。
「信じてる」
壱華は柔らかく笑んだ。啓太はその優しい瞳に耐え切れなくなったのか壱華から視線を外した。
「―分かったならいいんだ」
それだけ言うと、啓太は足を緩めたのだった。
千穂は自室のベッドの上にいた。電気は消して、寝る準備万端だ。
―武尊にかわいいって言われた
えへへと笑いながら丸くなる。ころんと、先生からもらった石が胸元から出てくる。
―先生がくれたけど、武尊が力を込めてくれた石
一度は割れてしまったけれど、武尊が力を注ぐと元に戻った。琥珀色の透明感に溢れる石だ。
―武尊にもかっこいいよって言ったほうがよかったかな
いつも頼りにしてるよって、頼もしいよって。武尊が側にいれば安心だよって。
轟は武尊は千穂が好きなのだと言っていた。でも千穂はそれは違うと思っていた。
―私が上手に轟をかわせないから
敵かもしれないのに、距離を取れないから。だから武尊は怒っているのだろうと千穂は思っていた。
―武尊は壱華ちゃんが好きなんだもん
当の壱華は千穂のベッドの隣に布団を敷いて寝ていた。すーすーと規則正しい寝息が聞こえる。
―私のことを気にしてくれるのは私が銀の器だからだもん
そう考えれば、少し寂しい気もした。
―武尊は、私と手をつなぐの恥ずかしくないのかな
自然と取られた手を暗闇の中で見つめる。大きく強い手だった。武尊の手はいつも千穂に力をくれる。あの手で千穂を守ってくれる。
―ちゃんとありがとうって言わないと
そう思いながら寝返りを打つ。
―おやすみなさい
千穂は壱華と同様すーすーと規則正しい寝息を立て眠りに落ちた。