くじ引き4
空気が痛い。刺さってくる。この刺さり具合が緩んだと思えばまた鋭さを増すということを繰り返すのは、この空気を作り出している本人に自覚があるからだろう。千穂は冷や汗をかきながら目だけ動かして隣の金髪の少年を見る。武尊は肘をつき窓の外を眺めている。どうにか落ち着こうとしているのは時折空気が緩むので分かる。しかし、やはりすぐに厳しさを増してしまうのだった。
前を向けば困ったように笑う者、迷惑そうに顔をしかめる者と反応はそれぞれだ。一つだけ共通点があるとすれば、千穂には同情の視線を向けることだった。
―だったら誰か替わって~
泣きだしたくてたまらない。それをどうにか我慢するのは武尊の機嫌が一層悪化すると思ったからだ。せっかく千穂が武尊の機嫌を考えて泣くのを我慢しているというのに、火に油を注ぐものが一人。
「頑張ろうね。高野原さん」
轟がにっこりとまぶしいほどの笑顔を向けてくる。そのとろけそうに甘い笑顔に千穂はうんと頷いてしまいそうになる。が、すぐにはっとして首を横に振る。
「えと、その、よろしく」
あははははと乾いた笑いをこぼす。
クラスから男女一組を出す競技がくじ引きで千穂と轟だと決まったのだ。これは選抜種目に出ない生徒が出場することが決まっていた。だから、リレーに片っ端から出る武尊と優実は出られない。特に出たいと言う生徒もいないものだからくじ引きになった。
―同情するなら本当誰か替わって!
自分の最悪のくじ運に千穂は泣きわめいてしまいたかった。
出場競技決めを取り仕切っていた佐々木は教壇の前で額に指を当て、大島は大きくため息をついていた。
―だから!替わってくれてもいいじゃん!
―ていうか、なんで轟は選抜競技に出ないの!?
体育の時間を見るに運動は苦手なようには見えなかった。むしろ得意と言ってもいい。それなのに、なぜ彼が運動の苦手な千穂と一緒に競技に出るのか。千穂はまったく解せなかった。
「そろそろ決まったか~」
がらりと扉を開いて担任の斎藤が入ってくる。
「うわ!何だよこの空気!」
すぐに足が止まる。目をしばたかせて黒板を見る。そこに書いてある文字を見て、何が起きたのかとりあえず理解したようだ。
「くじ引きを―やりなおさないよな」
やり直すのはどうだと言いたかったのだろうが、思春期の少年少女からしたら異性と二人一組で競技をするなどこっぱずかしくてたまらない。やりなおさないぞと強い意志のこもったたくさんの目が斉藤を射た。その視線に、斉藤はアハハハと笑うしかなかった。
「まあ、決まったようだし良かった。連絡事項が終わったら、もう帰っていいぞ」
斉藤は少し早めのホームルームを始めた。
「武尊。どうしたの?」
開口一番、壱華はそう問いかけた。
「自分でもよくわからない」
ぶすっとした顔でそう答える。壱華はそう、と答えてソファに座った。
夕食後、情報共有のために千穂と壱華の部屋に集まった。自室からリビングに移るとただならぬ空気が武尊から流れ出していたので、壱華は上記の質問をしたのだった。
―よく分からないのに怒らないでほしい
千穂は冷や汗をかきながらじっと縮こまっている。それにも気づいた壱華が首を傾げる。
「千穂、何してるの?」
「え?何してるって?」
「いや、なんか居づらそうにしてるから」
「何にもないよ」
あははははと最近覚えた乾いた笑いをこぼす。それに怪訝そうにしながらも、壱華は追及しなかった。
「で、編入生の様子はどうなんだ?」
啓太が何も知らぬままに口を開く。ぶわっと不機嫌な空気が武尊から噴き出す。
「・・・編入生と喧嘩でもしたの?」
樹が恐る恐るというように口を開く。武尊はぷいとそっぽを向く。
「別に」
そう言ってから思い出したように口を開く。不穏な空気が少し弱まる。
「弟がいて、弟と比べたら落ちこぼれだって言ってたよ」
「その力差を埋めるために千穂を狙ってきたのかな」
「その可能性はある」
樹が考えるように言うと、武尊は頷いた。
「筋は通ってるな」
啓太もぽつりとつぶやく。
「千穂はその編入生にあんまり近づかないほうがいいわね」
「それが」
千穂はやっと口を開いた。千穂と同じことを思い出したのだろう、武尊のまとう黒い空気が一層黒くなる。
「二人三脚、一緒に出ることになっちゃって」
「えー!」
樹が叫ぶ。壱華は頭を押さえている。啓太だけがきょとんとし、武尊はまたそっぽを向いた。
「こう、どうして逃れられないのかしらね」
壱華がため息をつきながら言う。頭は抑えたままだ。痛いのかもしれない。樹は叫んだままの顔で固まっている。啓太はやっと頭が追い付いたのか苦虫をかみつぶしたような顔になる。武尊は目に見えてイライラしていた。
「さすがにくじ引きのやり直しはできなくて」
「そうよね、普通に考えてそうよね」
千穂の言葉に壱華が顔を押さえる。頭は痛くなくなったらしい。
「どうするの?あいつ練習しようとか言ってくるかもよ?」
「えー!」
武尊に向かってそれは困ると千穂は声を上げる。
「もしそうなったら優実とか連れて顔出すしかないね」
不機嫌そうにはしているが対策は考えてくれるようだ。
「とにかく、千穂は一挙手一投足俺に連絡して。あいつと二人にならないで」
「気を付けます」
しおしおと千穂は縮む。武尊はその反応に顔をしかめる。
「できる自信ないの?」
「だって、あっちの方が口とかうまそうだもん」
「それはそうだけど」
―否定はしてくれないんだ
千穂はちぇっと口を尖らせる。
「とにかく千穂は、あいつと二人にならないように!」
「はい」
樹の言葉に千穂は頷くしかなかった。
―武尊は千穂のことが気になりだしたのかしら
シャーペンを口元にあてながら壱華は考えた。集会は終わり、今は月曜日の予習をしていた。教科は英語だ。
―編入生は男子だし、千穂と一緒に二人三脚に出るの凄く嫌そうだし
武尊の様子を思い出す。彼が関わると武尊はすぐに機嫌を悪くする。それから導き出されるのは
―やきもちみたい
壱華は小さくため息をついた。
「このまま両想いになるのかしら」
ぐでっと勉強机の上に伸びる。
「それはそれでなんか妬けるわね」
そうつぶやいてはたと思い至る。
―自分は今何と言った?
「妬ける?私が?」
―どうして?
そんなの知れている。
「まさか」
しかし、壱華は認められなかった。認めてはいけなかった。だって
「千穂と武尊は両想いになるんだから」
ふるふると首を振ると、壱華は予習に戻ったが、いまいち集中できなかった。




