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街の皆と別れて、歩くこと通りを一つ、二つ、三つ分。
街の皆の憩いの場である公園を近くにして、美夜の薬師の師匠であるアランの家が建っている。
外観が多少変わってしまっているのは、大工の棟梁であるイルミが言っていた通り、色々とやらかしてしまっているからだろう。
それで何の苦情もないというのだから彼の人徳というか、何をしても許される感は半端ない。
家の前に着き、パンが入った袋を片手で抱え直した。そして、空いた方の手でドアをノックした。
「師匠、私です。ミヤです」
声をかけるも返事はない。
まぁ半分以上分かっていたことだから、美夜は返事を待たずにドアを開けた。
「うっ!」
部屋に行く前の廊下、もっと言えば、入り口で美夜は立ち尽くすことになった。
汚部屋とはこのことを言うのだろう。辺り一面に脱ぎ散らかした服や何かしら書きつけた紙が散乱している。
「んーっ! もう!!」
入り口とは人が入れるから入り口というのであって、決して片付けながらかき分けつつ入るのが入り口の一般的な在り方ではないはずだ。
アランが仕事部屋にしている一番奥の部屋の前に立つ頃には、一仕事終えた感が半端なかった。
それから、すうっと息を吸い、
「師匠! 入りますよ!?」
今度は返事を待たずしてドアを開けた。
カチャカチャと試験管を振る人物の背中に声をかけても、聞こえていないのか無視しているのかその手が止まることもましてや振り返ることもない。
除雪車にでもなった気分でとりあえず紙束を端に寄せながら進むと、ようやく椅子の真後ろまで辿り着いた。
「……師匠!」
耳元で大きな声を張り上げる。
そこでようやくポカンとした顔で美夜の方を見る男。
マクシミリアンやクリストファーに手がかからなくなり、残る日数を無為に過ごすのはもったいないと、美夜は自分が目指している薬剤師のこの世界版の人、つまり薬師を探し回って教えを請おうとした。
治療術という魔術もあることにはあるが、そもそも魔術師というのは貴族に囲われており、一般人の治療は専ら普通の医師や薬師がするのが一般的だ。
街に出て探し回った結果、見つけたのがこの男、アランだった。
陽に当たらず、部屋の中で研究ばかりしているからか、白皙の美青年――いや、今はもう美中年か――はまるで絵画に出てくるような薄幸の佳人感を醸し出している。
けれど、天は二物をここでも与えなかった。
マクシミリアンは泣き虫でヘタ……繊細で、クリストファーは言わずもがなの美夜に対する異様なまでの偏愛思考の持ち主。
そしてアランはといえば……。
「……びっくりした」
「そりゃあ、これだけ近くで叫ばれれば驚くでしょうね。でも私、何回も何回も声かけましたからね?」
「ううん。そっちじゃなくて、どこのサーカスからアカホエザルが逃げ出してきたのかと」
「アカッ!?」
「あ、ごめん」
考え込むアランに、美夜は反省したのかと謝罪の言葉が出てくるのを待つ……ことなどしない。
だって、その後に出てくるだろう言葉は大体の想像がつくから。そして大半が謝罪とは決して結びつかない。
「……やっぱり訂正させてくれるかな?」
「……一応聞きましょう」
「クロホエザルだった。だって、君の髪色は黒だもの」
ホエザルというのは、元の世界と同じく、あのホエザルだ。陸上生物上、一番声が大きいという、あの。
アカだろうがクロだろうが、それは決して褒め言葉じゃないということは美夜も確信していた。
しかし、タチが悪いのはさらにここからで、これがまた全く悪意なく言ってのけるのだ。つまり、彼は口から良い事だろうと悪い事だろうと垂れ流し、思ったことを考えることなく言ってのけるある意味で正直者なのである。
これで皆には慕われているというから世の中って不思議だ。
「……いつかその口が災いの元になりますからね?」
「もうなってる」
「え?」
これ以上反論しても論破というか、言い負かされることは目に見えている。大人しく捨て台詞を吐いて終わらせようとした美夜に、アランは後ろを指さした。
美夜がその指先を辿っても、そこに何があるのか分からない。
「なんですか?」
「実家から帰って来いって手紙が来てた」
「それがなんで災いなんです? 帰ればいいじゃないですか」
「……はぁ。ミヤは分かってない」
「なんだか分かんないですけど、ごめんなさい。それで? なんでなんです?」
「弟が危篤だから帰って来いってさ」
「ほら、やっぱり帰るべきじゃないですか」
「だから僕は手紙を返してやったんだ」
「……なんて?」
アランが手紙を返すなんて、一応実家からという事に関して配慮は見せたらしい。普段なら目も通さずポイッなんてことざらにある。
それからまぁなんとも嫌な予感がするが、一応聞いていみた。
「お黙りいただけますか? ハゲ野郎」
「……」
残念なるかな、彼の配慮は手紙を返すという一点のみに注がれていた。
これがマクシミリアンやクリストファーの所業なら美夜は知った時点で頭を叩いていることだろう。
美夜は踵を返し、先程自分が端に寄せていった紙の中から手紙を探しだすのに専念することにした。




