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美夜は遠い目をして、始めてこの国に来た日に思いをはせた。
その日、美夜は高校の制服に身を包み、朝の課外授業に向かうべく早めに家を出た。
今日の課外は英語だ。しかも単語の小テストがある。
寝る前に必死で頭に叩き込んだ単語が抜けて行かないように小走りでいつも通る道の角を曲がった。
(……)
後ろを振り返らず、少しバック。
目の中に飛び込んできたありえないモノをどうにかして消し去ろうと頭を振った。
よし、と決意を新たに再度角を曲がってみる。
するとそこにはやはりというか、通い続けて見慣れた校門ではなく、洋画や絵画で見たことのある王宮の壮麗な門がその存在感を誇示していた。極め付けに、門の手前にはキリッと凛々しい表情を崩さず直立不動で立っている衛兵が二人。門の向こうには門以上に華やかな白亜の宮殿がそびえ立っている。
(……あ、あは。徹夜したわけでもないのに……幻覚なんて。疲れてるんだな、きっと)
美夜は回れ右をして元来た道を戻ろうとした。
きっとまだ夢の中で、本物の自分はまだベッドの中で安らかな睡眠を貪っているのに違いない。違いないはずだ。ぜひともそうあって欲しい。
しかし、現実はあくまでも非情だった。
美夜が求めていた道の姿はなく。
「おい、娘。そこで何をしている」
「あー……暴力反対」
丁度巡視帰りの警邏兵と思しき男達に剣先を向けられ、美夜は掌を男達に向けて両手を上げた。
王宮のすぐ側で捕らえられた美夜は、王都にある牢獄に収容された。警邏兵の中でも強面の男が牢の向こう側から尋問してくる。
「ニッポン? 聞いたことない名前だ。嘘をつくならもっと上手い嘘をつけ」
「嘘? 嘘をついて私が得をすることでも?」
「貴様にはスパイ容疑等諸々の容疑がかけられている」
「はぁ? スパイっ!?」
「得ならば、我々を嘘の証言で欺いて逃げ切ろうという立派なものがあるだろう」
「ちょ、ちょっと待って。いくらなんでも話が一般人の思考とかけ離れてて理解が追い付かないんですけど!」
確かに王宮の近くで不審行為を取っていたことは否定できないし、美夜とて壁に手を当てて他人の家を窺う輩がいれば警察に通報する。
だがしかし、ここではその容疑が命の危機に直結しそうなことぐらい考えずとも分かる。身の潔白を知らしめることは重要事項にして、最優先課題となった。
「黙れ!」
「違うって言ってるじゃない! この石頭!!」
「なんだとっ!?」
サッと顔を赤らめた男は美夜の制服の襟を力強く掴んだ。だが、強面だろうとなんだろうと美夜の眼は決して男から反らされない。
今まで自分が睨みつけて怯まなかった女子供はいなかった男は内心狼狽えた。それでもなけなしの男のプライドというやつが立派に働き、なんとか睨み続けることに成功している。
美夜と男の騒がしい怒鳴り合いが聞こえたのか、他所から別の兵士達も様子を見に集まってきた。
この牢獄一の強面男に立派に渡り合っている美夜を見て、ヒューっと口笛を鳴らした男は、美夜と対峙している男にギッと睨まれた。
「何の騒ぎですか?」
「さ、宰相閣下!?」
数人の伴を連れた、緩かなウェーブがかかった栗色の髪を持つ気品漂う男が兵士達の背後から現れた。
宰相閣下と呼ばれた男が一歩歩くごとにザッと兵士達が道をあけていく。
宰相が美夜と男の前に立った時、人集りはまるでモーセの海割りのように左右に分かれていた。美夜の制服の襟を掴んでいた男もぼうっとその様子を見ていたが、目の前に立つのが宰相であることを思い出し、慌てて手を下ろして頭を下げた。
「罪人にしてはやけに威勢のいいお嬢さんですね。この方の罪状は?」
「スパイ容疑でありますっ!」
「スパイ……」
「だーかーらー違うって言ってるでしょ! この鳥頭!」
「と、とりっ……っ!」
美夜の口の悪さに手を出してやりたいが、高貴な人物の前でそれをするのはいささかまずい。男は苦虫を噛みに噛み、嚙み潰し、言いたいことの一つや二つ、断腸の思いで飲み込んだ。
「スパイとは穏やかじゃありませんね。……さぁ、私の目を見てください」
「……綺麗な瞳ですね。……って近い近い近い」
宰相は美夜の頬を両手で挟み、ジッと目を合わさせた。美夜が宰相の瞳の美しさを褒めると、思っていたのと違うのか、モノクルの向こうにある瞳をパチパチと瞬きさせ、ググッと最大限顔を近づけてきた。
美夜と宰相が見つめ合うこと数十秒。さすがにイケメンの直視に堪えきれなくなった美夜が白旗を上げた。
「……あの、なんですか?」
宰相の行動の意図が全く分からず、ただ尋ねたに過ぎないが、宰相にとってはきちんと意味ある行動だったようだ。
目を見開き、先程まで美夜と言い争っていた男に向かって言い放った。
「このお嬢さんをここから出しなさい」と。




