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この春、実家から二つほど県を跨ぐ大学に入学した女の名は桐生美夜という。
さらさらと風に吹かれ揺れる黒髪は、大学入学を機に心機一転しようと腰の位置まであったものを切り揃えられ、肩にかかるほどしかない。
美容室の店員にも勿体ないと言われるほどの艶やかな長い黒髪は短くなってもその輝きを失うことはもちろんなく、しかも手入れをする時間は格段に減るので美夜自身は気に入っていた。
容姿をいえば特出すべきなのは髪しかない。顔の造形は中の中。日本人特有の低身長。ここで低体重と続けられればいいのだが、そうもいかないのが悲しいところだ。
そして彼氏いない歴が年齢と同一……ではなく、少々色々あって年齢の方が少ない。それについては後々語られるので、ここでは多くは語るまい。一つだけ言えるのは、決して年齢をサバをよんで申告しているわけではない。
大学生活が始まって最初の大型連休。
両親といくつかの取り決めはあるものの、大学近くのマンションで一人暮らしを始め、大学の雰囲気や授業の時間割にも随分と慣れてきたところだ。
近くのショッピングモールで買い物を済ませて帰宅した美夜はなんの気なしに郵便受けを覗いた。
いつもなら一通、二通のチラシなどしか入っていないその四角い空間は、その日に限って異様な光景を作り出していた。
「……なに、これ」
所狭しと詰め込まれた手紙、手紙、手紙。
ここまでギュウギュウに入れられていると、恐怖というより、よくこんなに入れられたな、と感心の方がまず先に感じられてくるのだから人間の感覚というものは不思議だ。
その中の一通を取り出し、宛名を見てみると、そこに書かれていたのは今となってはありえない存在のものだった。
“マクシミリアン・R・ブラッドフォード”
流麗な筆記体で書かれたその字は美夜が知っているソレよりも随分と力強く、美しくなっていた。
美夜が知っている一番最初の頃といえば、筆記体とはいえ、まさにみみずがのたくったような字を書いておずおずと見せてきたものだ。
懐かしさと同時に、どうして? という疑念がもくもくと頭をもたげてくる。
もう一通手に取ってみると、これも同じ宛名。
もう一通……同じ宛名。
見ると、全てに宛名の人物が使っている蜜蠟が押されている。
ということはこれは全てこの人物から、ということに他ならない。
「……なんだか嫌な予感しかしないんだけど」
美夜は買い物袋を脇に置き、その中の一通を恐る恐る開いてみた。
《親愛なる ミヤへ》
書き出しの文はそう綴られている。
ここは何の問題もない。
実に形式的ではあるものの、そういえばあの子は堅物の大真面目な子だったと美夜はクスリと笑みを漏らす余裕さえあった。
問題はその後だった。
《彼の様子が本当にまずいんだよ。もしかすると、禁じられた闇の魔術に手を出してるかもしれない。君が使っていた部屋を片付けさせないのは序の口で、執務室で君の写真を見てニコニコと笑っていたり、隠れて何かの調合実験をしていたり。最近では、君の僕達の教育係兼世話係就任を最後まで反対していた貴族が収賄容疑で家の取り潰し、一族郎党国外追放になったんだ。その捜査を命じていたのが彼。それだけじゃない。実は……》
それから便箋五枚に渡って宛名の人物が言う“彼”の奇行が惜しげもなく書き連ねてある。
曰く、
毎日日記をつけており、その内容が人様には言えないようなものである。コ―コーのセーフクを着たミヤの姿絵を肌身離さず持っている。ミヤの匂いがついたドレスをクローゼットに入れ、一時間に一回はどんなことがあってもそこに籠っている。などなど。
(……んん? 高校の制服なんて、前に向こうに行った初日にしか着てない。なのに、なんで高校の制服着た私の姿絵なんか……)
つぅっと冷たいモノが背中を撫でたような感触に、美夜は薄ら寒いモノを感じた。
そして、極め付けはこうだ。
《また、君を呼ぼうと思う。……ごめんなさい》
ごめんなさいという謝罪の言葉が目に入った時、美夜の身体が光を帯びだした。
(……え。ちょ、冗談でしょ!?)
覚えがあるその光景に、美夜はいよいよこの事態がいかに手紙の主が思い詰めての行動だったかを改めて知ることになった。
さっきの“彼”の奇行というより、もはや変態行為を聞いておいてのこのこと姿を晒せるほど馬鹿ではない。
むしろ全っ力で逃げ出したい。もっと遠くに。
しかし、その光は無情にも抵抗する術を持たない美夜を此の世界から連れ出した。
残されたのは、からからと風に揺らされ動く郵便受けの蓋の音だけだった。