名探偵 護国寺太郎の事件ファイル 『ケース365 経済評論家殺人事件』
前作があります。
五反田啓二警部が事件現場に到着すると、部下の大塚格之進が駆け寄ってきた。
「警部、おつかれさまです」
「今日も殺人事件か、いつ日本は犯罪大国になったんだ……」五反田警部の声は疲労で掠れていた。「で、被害者は?」
大塚は手帳をめくる。「金町光三郎、四十八歳。経済評論家で、テレビにも時々出ていたそうです」
「知らないな」五反田警部は最後に家でゆっくりテレビを見たのは何時の頃だっただろう、と思いながら首を振った。「事件当時、現場に居たのは?」
「被害者の妻の金町沢子、それから、顧問弁護士の中野徳治です。SNSの炎上対策について話し合っていた、とのことです」
「炎上対策、だと?」
「ええ、そうです」
大塚はとあるまとめサイトを表示したスマホ画面を警部に見せた。そこには被害者に対する罵詈雑言が並んでいた。
「こりゃひどいな」
と、警部はつぶやいた。もしここに並んだ言葉を面と向かって言われたら、周りから鬼警部と呼ばれる五反田でも、さすがに心が折れてしまうかもしれない。
「自業自得じゃないですかね」大塚は冷ややかな笑みを浮かべた。「被害者はテレビでもネット上でも歯に衣着せぬ物言いで有名なんですが、その分アンチも多くて、たびたび炎上に巻き込まれてます。ここにもあるみたいに、殺してやる、なんて書かれることもざらです」
「おいおい、そりゃ弁護士じゃなくて警察に相談する話だろ。……じゃあ、犯人はそのサイトに物騒な言葉を書き込んだ【トラブってますか?】って奴なのか?」
「いや、それが警部……」大塚は困惑した表情を浮かべた。「実は被害者の妻と、弁護士の他にもう一人、現場に居合わせた人がいまして。その人が犯人は弁護士だ、と主張しているんです」
五反田警部は目を見開いて大塚を見た。「なんだと。まだ捜査も始まっていないのに、そんなこと言う奴は誰だ?」
「それが、警部もよく知る人物でして……」
大塚の言葉に、五反田警部ははっと顔を上げた。それとほぼ同時に、奥から一人の青年が駆け寄ってくる姿が見えた。
「警部さん!」
五反田警部の顔が驚愕に歪む。そして、微かに震える指を青年に向け叫んだ。
「また君か、護国寺君!」
青年の名前は護国寺太郎。とある事件現場で出会って以来、時々……いや頻繁に……、いや必ずと言っていいほど五反田警部が担当する事件に関わっているか勝手に首を突っ込んでくる、自称名探偵なのだ。
「奇遇ですね」
警部とは対照的に、探偵は晴れ晴れとした笑みを浮かべた。
「君とはここ一年毎日顔を合わせているような気がするな。しかも事件現場で」
警部は心底嫌そうな声で言った。
「当然でしょ、僕は名探偵なんですから。それに警部さん。僕がいたおかげで、それらの事件は全て解決できたんじゃないですか。だったら今ここに僕がいることを幸運だったと、少しは喜んでくださいよ」
「ちっとも嬉しくない! いつも事件現場に居合わせる護国寺君が、実はこれまでの事件の真犯人、というのでなければ、本気で君のことが死神に思えてきたぞ」
護国寺は首をすくめた。「それはこちらのセリフですよ。毎度事件現場に駆けつける五反田警部が実は事件の黒幕、とか言い出すんじゃなければ、日本の警察はよっぽど人手不足なのですね」
結局、事件の犯人は護国寺探偵の指摘通り弁護士の中野だった。彼のズボンのポケットに入っていた二枚のハンカチが決定的証拠となり、中野は犯行を認めた。動機は、被害者がSNS上で中野のアカウントだと気づかず罵倒してきたことに腹を立てたためだという。【トラブってますか?】アカウントの持ち主は中野だったのだ。
匿名過ぎる世界も考えものだな、と五反田警部は思いながら、犯人を乗せたパトカーを見送ったあと、少し離れたところで一人立っていた護国寺のもとに近づいた。
「今回もご協力……ありがとうございました」
表情ををひきつらせつつも五反田警部が護国寺に向かって頭を下げた。事件が長引かなくて良かったという思いと、護国寺に助けてもらわなければ何もできなかった自分に対する苛立ちと、一体彼に礼を言うのもこれで何度目だろうか? といううんざりした気持ちが、五反田の中で複雑に入り混じっていた。
一方、護国寺は笑顔のまま事も無げに言った。「いえいえ、市民として名探偵として警察に協力するのは当然の行為ですから。……でも早く解決できて良かった。これなら次の予定に間に合いそうです」
「次の予定?」
五反田は嫌な予感を抱きつつ訊き返した。
「今日の夜、資産家の船橋権蔵さんの誕生パーティーに呼ばれているんです。警部も知ってますよね、この前一緒に彼の孫の誘拐事件を解決した……」
「護国寺君」五反田警部は険しい顔で護国寺を睨み付けた。「頼むから、家で大人しくしていてくれないか」
次回 『ケース366 資産家爆殺事件』 に続く