赤鼻のルドルフ
―――1939年12月24日 北欧
一面の銀世界の中、数十頭のトナカイ達がひしめきあう。
例年にない濃霧の中、彼らは彼らの崇める聖者、聖ニコラウスと八頭の英雄達の到着を待っていた。
そんなトナカイの群れの中に、赤鼻のルドルフもいた。
彼はその巨大で真っ赤な鼻のおかげで、仲間たちからいつも笑いものにされていた。
彼は内心、自分を笑うほかのトナカイ達のことを『ヒトをバカにしないと生きていけない心の弱いヤツらだ』と思っていたが、それ以上に自分の鼻に対してのコンプレックスが強かった。
ルドルフはその赤い鼻が他人に笑われるたび、耐え難い屈辱に襲われていた。
彼はいつも『いつか誰にもバカにされないような立派なトナカイになってやろう』と考えていた。
凛々と鈴の音を響かせて、八頭のトナカイに引かれた大きなソリが到着した。
ソリに乗るのは白い髭を蓄えた聖者、サンタ・クロース。
ソリを引いてきたのは偉大なトナカイの英雄達。
猛衝、舞者、騰耀、雌狐、彗星、愛神、唐德、閃電の八頭。何れも聖者に選ばれた最高のトナカイだ。
ソリが止まると、居並んだトナカイ達は一斉に喝采をあげて向かえた。
<サンタ・クロース万歳!我らトナカイに祝福を!>
トナカイ達の喝采を浴びながらサンタ・クロースはソリを降り、八頭のトナカイの最前列にいるダッシャーの横に立った。
それを合図に、トナカイ達は喝采をあげるのをやめる。
ダッシャーが、集まった全てのトナカイに聞こえるよう声高に叫ぶ。
「聞け!我はダッシャー。聖者の駆る八本の脚の一つ、猛り突き進む者なり!
今夜、我ら八頭と主人サンタ・クロース様は、天を馳せ、世界全てに恵みを届ける。
何百年も前からそうしてきたように。今年もまた、この聖なる夜が巡ってきたのだ!
しかし見よ! 今夜、世界は恐ろしい霧に覆われている。月明かりは余りにも頼りない。数ヤード先を見ることすら困難だ! よって・・・」
そこまで言ったところで、サンタ・クロースがダッシャーの口を制した。ここからは自分が言う、という意思表示だ。
サンタ・クロースはごほん、と咳払いをしてから口を開く。
「・・・この霧では、あまりに道中不安なんじゃよ・・・。そこで、少し応援を頼みたいんじゃ・・・。いや、対したことではない。ただわしらの進む道を明るく照らし出してほしいんじゃよ・・・そして・・・」
トナカイ達は、いくらかの期待を持ってサンタ・クロースを見つめる。
サンタ・クロースは、ゆっくりとトナカイの群れの中を分け入り、赤鼻のルドルフの前に立って口を開く。
「・・・それができるのは、ルドルフ、お前さんだけじゃ。
どうか、お前のその明るく光る赤い鼻で、夜霧を照らしてはくれんかのう?」
トナカイ達からざわめきが起こる。
<なんであんなやつが?なにかの間違いじゃないか?冗談をいってるんじゃ?>
口々に囃し立てるトナカイ達。それを制してサンタ・クロースは言う。
「別に冗談を言ってるわけじゃあない。頼む、ルドルフ。お前の力が必要なんじゃ」
トナカイ達は静まり返り、ルドルフの返答に耳を傾ける。もちろん最初から答えは決まっている。偉大な聖者の御達しだ、受けないわけが無い。そう、誰もが思っていた。
しかし――。
「・・・イヤだ・・・」
ルドルフは、拒絶した。
再びトナカイ達にざわめきが起こる。
サンタ・クロースも、信じられないという顔をしている。
「なぜじゃ? いや、お前さんが断るのならしょうがないが・・・せめて、理由を聞かせてはくれんかのぅ?」
サンタ・クロースの問いに答え、ルドルフは一気にまくし立てた。
「オレは!ずっとこの鼻のことをバカにされてきた!
生まれてこのかた! ずっと、ずっとだ! 森を歩くだけで好奇の目をむけられ! 両親や妹でさえオレのことを嘲笑って、蔑んで・・・!
だからオレは誓ったんだ! いつか・・・いつかオレをバカにしたヤツらを見返してやるって!
この赤い鼻がどうのって言われないくらいに、立派なトナカイになってやるって・・・・!
そのために頑張った! 誰よりも速く走れるようにこの脚を鍛えた!
どんなデカブツにも負けないようにこの角を鍛えた!
毎日、毎日、毎日毎日毎日毎日・・・血のにじむような努力をした!
それで、毎年クリスマスイヴには、今年こそはもしかしたら・・・って思ってたんだ。あれだけ頑張ったんだ、もしかしたらサンタさんのソリ曳きをさせてもらえるんじゃないかって・・・!
でも、何年待ったってそんなことにはならなかった。そりゃそうさ、オレだって分かってたさ! あの八頭がいるんだ、オレみたいなのが何年努力したって敵いっこないってことくらい・・・・!
けど、それでも誰かに認められたかったんだよ! 誰かに『がんばったな』って言ってほしかったんだよ!
けど、それが・・・やっと・・・やっと認められたと思ったら・・・認められたのはオレじゃなくて、この醜い真っ赤な鼻だけだったなんて。
この赤鼻から逃れようと、頑張って頑張って頑張って・・・・けど結局評価されたのはやっぱりこの赤鼻さ! オレじゃない、認められたのはオレじゃなくて、この夜でも醜く照り続ける鼻だけ! オレは、オレを評価して欲しかったんだ、オレのことを見てほしかったんだ、けど・・・・聖者って言ったって、結局オレの鼻しか見てなかった・・・・。
だったら、オレはここで宣言する! この胸くそ悪いこの鼻を使って英雄になるより、聖者に背いた始めてのトナカイとして歴史に名を残す!
―――あんただって、内心ずっと笑ってたんだろ? オレのことを・・・この醜い赤鼻を・・・。なあそうなんだろ、クソジジイ!」
ルドルフは思いのたけをぶちまけた。彼が全て言い終わるまで、サンタ・クロースとトナカイ達は呆然と聞いていたが、最後の言葉にトナカイ達は喚きだした。
「ルドルフ、貴様! 聖者様に失礼だろうがッ!」
一頭のトナカイが、横からルドルフに食ってかかった。
数頭のグループをつくって、いつもルドルフをバカにしていたヤツだ。
ルドルフはソイツの目を正面から見据えて言った。
「なんだ? 自分ひとりじゃなんにも出来ない、隠れて陰口言うしか脳の無い腰抜けが! だいたいオレたちがこの爺さんに礼を尽くす必要なんてないんだよ! こいつがなにをしてくれた? これから何をしてくれる? こいつに恩恵を貰えるのなんて、一部のソリ曳きだけだろうが! 少なくとも、お前なんかには一生縁の無いコトだよ!」
「なんだと・・・!」
トナカイの顔が怒りに歪む。周りのトナカイたちもルドルフに罵声を浴びせる。
「なんだよ? やるってんなら相手になるぞ? いや、お前みたいなチキンにゃ無理だな。見逃してやるからさっさと失せろよ!」
引くに引けなくなったトナカイは、頭を下げて角を突き出し、前足で二度地面を叩きつける。突進するときのモーションだ。
ルドルフも同じように角を突き出し、迎える準備をする。
―――両者がいざ突き合おうとしたとき、二頭の間に一頭のトナカイが割って入った。
「待ちなさい」
その声は穏やかではあったが、厳かに響いた。八頭の英雄の一、ブリッツェンだ。
「ふたりとも、ここは私の顔に免じて、角を収めて下さい」
静かに、けれど反論を許さないという強い調子を込めた声で、ブリッツェンは二頭に諭す。毒気を抜かれたトナカイは、ルドルフから離れていった。
「さて・・・」
争いが治まったのを確認してから、ブリッツェンはルドルフに向き直る。
「気分を害されたことでしょう。我が主に代り、謝罪します。
けれど、どうしても我々には貴方の助けが必要なのです。どうか、考え直してはいただけませんか・・・?」
ブリッツェンは前足の膝をつき、恭しく頭を垂れる。
トナカイにとって、最も屈辱的なポーズである。
ルドルフの前で、トナカイの中でもっとも気高いと言われる偉大な英雄が頭を地に付けて懇願している。トナカイ達はまたざわめき始めた。
「そんなことされたって、嬉しくないんだよ・・・。いいから、頭をあげてくれよ。あんたがそんなことする必要は無いし、いくら頭下げられたってオレの意思は変わらない。」
その言葉の調子にルドルフの意志の強さを感じ、ブリッツェンは起き上がって、ソリの方へと戻っていった。
残されたルドルフの前に、サンタ・クロースが現れる。
「すまない。気分を悪くさせてしまって。全く悪気はなかったんじゃ。本当にすまなかった・・・。」
サンタ・クロースは頭を下げて謝り、ブリッツェンの後をついてソリの方へと戻っていく。
その姿を複雑な気分で眺めていたルドルフに、雄雄しい声が届いた。
「小僧! お前、このソリの明かりを務めるってことが、どういうことか分かっているのか?」
声はソリの方から響いてくる。声の主はソリ曳きの先頭、ダッシャーだ。
「道を照らすってことは、お前が俺たちの先頭を走るってことなんだぞ?
・・・これがどういう意味なのか、分かっているのか?」
重々しい声が轟く。
「どういう意味だっていうんだ?」
ルドルフは問いかける。
「まだわからないのか!? いいか、良く聞け! 隊列の先頭を走るってことは! 俺たちより・・・この俺より速く走るってことなんだよ・・・!!
・・・それを承知でクロースさんはお前に頼んだ。この意味がまだわかんねえのか!」
ルドルフは驚愕に色を失う。
そうだ。つまりソリの前を照らすということは、あの八頭よりも速く走らなければならない。少しでも遅れたのなら問答無用で轢き殺されるだろう。なにせ荷台には世界中の子供の数だけの荷物が積まれているのだ。途中で止まることなんて出来ない。それがどれほど苛酷なことか―――。
「いや、お前が走りたくないってんなら別にそれでもいい。誰だって怖いさ。俺だって、毎年命がけで走ってるんだ。お前みたいな若輩が臆病風に吹かれたって、誰にも文句はいえねえよ。だから別に逃げることは恥じゃねえ・・・」
ダッシャーは言う。ルドルフは安い挑発だなと思ったが、それでもそれに乗らざるを得なかった。
雪の中を駆けて、サンタ・クロースの前に立つ。
「オレに、ソリを曳かせてください。勝手なのは分かってます。けど・・・」
ルドルフは頭を下げる。
「・・・こっちから頼んだんじゃよ? なにを断る理由があろうか。さあ頭を上げてくれ。ほら、もう出発の時間じゃ」
サンタ・クロースは優しく答え、ルドルフをソリの最前列へと促して手ずから綱をかけた。
「どうした? 明かり役はイヤなんじゃなかったのか?」
「鼻は関係ない―――この四本の脚で、最速を証明してやる・・・!」
後ろに繋がれたダッシャーの言葉に、ルドルフは力強く答えた。
九頭のトナカイは、雪原を走り出す。濃霧の中、鈴の音とともにソリは虚空へと消えていった。