異世界転移の装備集め
文化祭の準備は順調である。
大筋の脚本は出来上がり、部長は現在、プレイヤーの行動パターンごとにいくつかの流れを作っている。
飯野先輩の担当分では、部室の内外に貼るルールや壁紙の作成と、舞台変更用の簡素な背景|(模造紙に街並みや森の絵をプリントしたものをベニヤ板に貼りつけた)が出来上がり。
緑さんからも、いくつかのBGMと背景と、衣装のデザインイラストが届いている。
「わぁ、これ可愛らしいですね。
緑ちゃんに着せたいなぁ」
「そーお? あの子、余分な脂肪袋があるからこっちの方が似合うわよ。
それよりひとみにはこれを……」
届いたデザインを見ながらきゃいきゃい騒ぐ女性陣。
―――を、後目に。
ぼくは一人、騙された気分で必死に冊子の作成に取り掛かっていた!
「こんなはずでは、こんなはずでは!」
ぼくの担当は、その他全部。
そう、全部だ。
毎年文芸部が作成する町内のお店の宣伝文や、冊子内のコラムスペースの執筆。もちろん、文芸部の出店作品の紹介記事も書く。
文芸部の活動としての、年間で執筆した作品の販売用書籍の編集・作成や配布用部誌の作成。
異世界転移の宣伝だけは飯野先輩がしてくれるが、それ以外の広報活動やらなんやらは全部ぼくの分担だった。
もちろん、予め説明されていた通りに司会や説明の練習、パターンごとのストーリーの判断や咄嗟のアドリブの練習。
加えて、参加者が女性だった時のためにイケメン冒険者役の練習とか、不正を働く悪徳商人役などの登場人物としての練習もある。
「いいじゃん、イケメンも飯野先輩で。男装の先輩、きっとかっこいいよ」
「えへへー、褒められちゃった」
ああ、先輩の笑顔は癒されるなぁ。
そんな先輩の笑顔に見とれていると、さらに先輩が続けた。
「でもね、じゅっくんのイケメン冒険者姿も見てみたいな?
すごくかっこいいと思うの」
「頑張ります!」
堂々とカンペを読み上げる先輩に、それでも即答してしまう自分が憎かった。
あと、部長に思いっきり足を踏まれました。腫れてはいなかったけど、あてつけのために目の前で湿布を貼りました。
なんで踏むんだよ。飯野先輩の持ってたカンペ、お前が渡したんじゃねーかよ。お前の策略に乗ってやっただけじゃねーかよ。
げせぬ。げするけど、げせぬ。
そんな感じで日々は瞬く間に過ぎていく。
今日は朝から、緑さんの迎えに来ていた。
土日の間にかなり頑張ったとかで、作った衣装が多くて持ちきれないらしい。
本人は自分で持つと言っていたんだが、部長命令で荷物持ちに派遣された。
部長の命令は横暴だと思うが、たった一人で何着も衣装を作ってくれたんだ。ぼくなら一人だから動きやすいし体力も有り余ってる、荷物を持ってあげるのも喜んで。
そういうわけで、学校へ向かう道を途中で曲り、自転車で緑さんの家の前まで来ている。
ちなみに、ぼくの家から学校までは、自転車で20分くらい。
緑さんの家からだと、徒歩で15分くらい。
学校が近いって羨ましいよな。
ついでに言うと、部長は電車で1時間強、先輩は電車で30分だ。
インターホンを押せば、待つこと数秒。
すぐに扉が開き、緑さん―――のお母さんが姿を現した。
「あらまぁ、高枝君ね。わざわざありがとう」
「おはようございます。
緑さんを迎えに来ました」
「おはよう、ありがとね。
あの子ったら、昨日からすっごくはしゃいじゃってねぇ」
「服作りや音楽作り、張り切ってましたもんね。
こういう行事に参加できて嬉しいって言ってくれてましたし、喜んでくれてるなら良かったです」
そう返事をしたら、なぜかちょっと困った顔でため息をつかれた。
げせぬ。けど、それは置いといて大事な事を確認する。
「それより、緑さんの体調は大丈夫でしょうか?」
「そうね。微熱っぽいけど、高いって言うほどじゃないし。
あんなに楽しみにしてたのに休めとも言えないし、今日は大丈夫じゃないかしら」
微妙に心配な話だが、学校を休み過ぎるのも良くないよな。
親の判断で大丈夫ということであれば、ぼくが口を出すことじゃない。
ただ、辛そうだとかもし何かあればすぐ気付けるように、注意だけは怠らないようにしよう。
そんな事を考えつつ、おばさんと文化祭の準備の様子なんかを話していると、緑さんがようやく顔を出した。
「先輩、お待たせしました」
「おはよう、緑さん」
「はいっ、おはようございます!」
元気で活発な可愛らしいロリ声に、透き通るような真っ白い肌。
頭の両脇でツインテールにされた黒髪は、巨大な胸の果実を覆うほどに長い。
ミスアンバランス美少女。それが、おそらく学年一、ひょっとしたら学校一の巨乳と噂される緑さんの正体だ。
一つ下の一年生であることを表す緑のリボンをつけた緑さんは、その後ろからそれはもう巨大な包みを持ち出した。
両手で抱えたその巨大な風呂敷包みは、ほぼ球体で直径が緑さんの胸ぐらいまである。
……緑さんのよく育った胸の大きさと同じくらい、という意味ではない。地面から胸の高さぐらいまでという意味である。念のため。
「でかっ!?」
「すみません、はりきり過ぎちゃいました!」
張り切ったとか、そういう次元じゃないだろこれ?
聞いてみると、布製の衣装だけじゃなく、戦士の鎧やら剣やら、魔王装束やらドラゴンの着ぐるみやら入っているらしい。
「300秒で魔王討伐とか、何ぼ何でもそれは流石にないでしょ」
「ええっ!?
だって、3時間もあれば魔王が出てきて戦って決着つきますよね?」
「どこの小説やゲームの話!?
ていうか300秒だから、イコール5分だから! 3時間ないから!」
「そ、そんな……」
今初めて気づいた衝撃の事実に、力尽き心が折れたように抱えた荷物にしなだれかかる緑さん。
一瞬、どきりと心臓が高鳴った。
「頑張ったのに……
先輩が魔王ルックで高笑いしながら私をさらう所を想像して、頑張ったのにぃ……ぐす」
「ご、ごめん、ごめん!
言い過ぎた、ぼくが悪かった!」
本当に悪いかどうか、正しいかどうかは関係ない。
泣かれる前に謝る。泣かせたら土下座する。ぼくはそうやって生きてきた!
そうやって生きるように、躾けてきたのは部長だ。念のため。
「先輩の魔王様……姫の私をさらって……いつしか二人は愛の口付けを……」
「それは展開おかしいから!」
思わず生き方を忘れて突っ込んでしまうと、緑さんはまた荷物に顔を突っ込んで肩を震わせた。
あああ、ごめん、泣かないで、ごめん!
「ううぅぅ……ぐすぐす」
涙は流してない。それは分かってる。
ぐすぐす言ってるだけで、ちらちら見上げてくるんだからそれは間違いない。
間違いないんだけど―――ぼくは、逆らえない。
なんとかしてあげたい、この子を喜ばせたいと、そう想ってしまうんだ。
「ごめん、ぼくが悪かったってば。
のり―――部長なら、きっと魔王が出てくるシナリオパターンも考えてくれるから!
魔王衣装の出番もきっとあるから、ね?」
「くすん……ほんと、ですか?」
荷物にしなだれかかったまま、少し潤んだ瞳でぼくを見上げてくる緑さん。
弱弱しい姿に、罪悪感とか保護欲とかだけじゃない想いをぐっと飲み込む。
「ほんとほんと。だから大丈夫、ね?」
「じゃあ、もし出番なかったら、先輩……着てくれますか?」
潤んだ……もしかしたら、本当に、涙で濡れた瞳で。
不安と、それでも押し殺せないほんの少しの期待を込めた眼差しで。
緑さんは、真っ直ぐにぼくを見つめている。
どうして、そんな悲しそうな顔をするんだい。
ほうら、笑ってごらん。
ぼくは道化師、君を笑わせるためにここにやってきたのさ。
ぼくの頬を流れる涙は、君の涙。ぼくが泣くから、君は笑っておくれ。
だから―――
「わかった、着るよ!」
あーもう、そのくらいは仕方ないだろ。
部長ならシナリオなんとかするだろうし、なんともならなかったらその時はそのぐらいサービスしてもいいだろう。
これくらいのことで笑顔になってくれるなら、安いもんだ。
「魔王様で、高笑いしながら、私をさらって……」
「はいはい、そのくらい演じるから!
ほら、時間もやばいしそろそろ行こう!」
もにょもにょと何事かを呟き続けている緑さんを遮り、手……は恥ずかしいので腕を取って立たせる。
それから、大荷物を自転車のハンドルとサドルの間に詰め込んで固定する。
「……約束、ですよ?」
「わかった、約束するよ。シナリオのパターンの中に魔王が出現する話がなかったら、魔王の衣装着るよ」
「パターンに話があるかじゃなくて、ちゃんと私の前で着る機会があるかですからね?
あと、衣装着た後の続きをちゃんとしてくれなくちゃ嫌ですからね!」
「わかったわかった、それでいいよ、約束する」
緑さんをさらう、だっけ。
ふははははとか言ったら、あーれーとか言ってくれるんだろう。それで満足するなら、そんくらいは誤差だ。
「ほら、もう15分きってるよ。急いで学校行くよ!」
「―――はいっ」
いってらっしゃいと見送られて、まだ近くにおばさんが居たことに初めて気づいて今更恥ずかしかったが。
赤い顔を前に向け、鼻歌混じりの緑さんとともに急いで学校へ向かう。
自転車を押すぼくは、斜め後ろで緑さんが、真っ赤な頬とにまにました笑みで蕩けてることに気づかなかったし。
そんな緑さんも、にやにや笑う母親がスマホで自分の笑顔を撮影していることに、最後まで気づかなかった。
「先輩が、魔王でも、勇者でも、ドラゴンでもいいです」
「ただ、私を、さらって」
「あ、あああ、ぁい、を、あいの、くく……くぅ、くぅぅぅぅっ!」