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狩人の矢  作者: Mamama
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森人 Ⅱ

 一通り解体を終えたレウは猪をミアテに預けて屠殺場を後にした。狩った獲物を中央まで運ぶまでが狩人役の仕事だが、それらはミアテが代わりに引き受けることになった。初めはレウも渋っていたが、そもそもミアテの息子達が狩りの仕事を忘れてどこかに行ってしまった代役としてレウは狩りを引き受けたという背景があるため、最終的にがレウが折れることになった。元々レウは休養日であったため、後は自宅に戻るだけである。


長身に加えて、猪の解体によって多少の返り血がレウの狩人服に若干のまだらを作っている。背には複合弓、腰には短刀を差したその姿を見ただけで王都の気の弱い町人達は腰を抜かしてしまうかもしれない。とはいえ、森人、特に狩人役達にとってその姿は見なれたものだ。その証拠に誰も臆するどころかレウ」に気安く挨拶をしてくる。


レウは狩人役の中では有名人だ。6年前に黒獣と戦い命を落としたレウの父、ダハウは狩人役の筆頭である狩人頭であったし、レウもまた卓越した技量の持ち主であるから、注目が集まるのも無理はない話だ。狩人役の中では未だ若造と呼ばれるほどの年齢であるにもかかわらず、上級狩人役であるレウは次期狩人頭の候補として名が挙がるほどだ。


最低限の舗装がされた、獣道より多少マシ程度の街道を抜けた山村の奥にレウは居を構えている。石灰を固めた白塗りの壁に茅葺屋根の家にはかつてレウ、父のダハウ、祖父の三人が暮らしていたが、父が死に、数年前には狩人頭であった祖父も急死したために、現在はレウの一人住まいとなっている。祖母はレウが生まれる前に病気で亡くなり、母親はレウの難産がたたってか、レウを出産してから体調を崩し、一年もしないうちに亡くなったというから面識すらない。


横開きの戸を開けると、外とは違う冷やかな空気がレウを包む。外と中の隔絶とした空間の差異を感じられる瞬間がレウは嫌いではなかった。ただいま、とは言わない。誰もいないこの家に向かってそんなことを言う必要はないからだ。虫の声も森人達の声も何も聞こえない。外界から遮断された空間は家主であるレウですら拒むような空気を発している。物音一つしない無言の家は家主を温かく迎えてくれはしない。


時折、自分を憐れんだ視線で見ている者がいることをレウは知っている。可哀想だ、と言われたこともあった。面と面で向ってそう言われたとき、どうやら自分はそういった、所謂世間一般からみるとかわいそうな境遇にあるらしい、ということを知った。


父親も祖父も厳格な性格の狩人で、幼い頃からレウは厳しい教育を受けていた。レウにとって彼らは家族ではなく、同居人でしかなかった。立派な狩人になれ、とだけ言われ続け、家族としての感情を向けられたこともなかった。


レウの父親と祖父が厳格であることは周知のことで、虐待一歩手前の教育を受けるレウに同情が集まったが、幼いころのレウにそれを理解することはできなかった。レウにとってそれが当たり前だったからだ。


どうやら私は他の人と少しばかり違うらしい、ということにレウが気付いたのは青年期になってからだった。しかし、レウは殊更それを修正しようという気にはならなかった。それは狩人役としての任をまっとうする上でプラスに働いたからだ。レウにとっては狩人役として役目をこなすことができれば、あとのものは所詮オマケに過ぎないのだ。


「私は狩人だ。狩人役だ」


 水場で狩人服に染みついた血の匂いを落としながら、レウはそう呟いた。その呟きを拾い上げるものは誰もおらず、無機質な壁に飲まれて消えていく。レウは手で水をすくい、顔料を洗い流す。その後、綺麗な狩人服に身を包んだレウは囲炉裏の前でごろり、と横になった。


狩人が狩りから帰ると一度軽く睡眠を取ることが良いとされているのだ。だからレウも睡魔を強引に作り出して体を休める。それが良い狩人の条件とされているからだ。



 レウは乱暴に扉を叩く音で起こされた。睡眠欲からくる睡眠ではないため、眼覚めに不快感はなく、睡眠を妨害された腹立たしさはない。それにこのような無遠慮で落ち着きのないマネをする人物に心当たりがある。何度注意しようとも学習しないため、もはやレウは諦観の境地に達していた。


「何の用だ。エルマ、イルマ」


 戸を叩いているのが誰かなど、確かめるだけ時間の無駄である。それをこれまでの経験から理解していたレウは態々確認するまでもなく、戸を引きながら言った。玄関の前にいたのはやはりエルマとイルマの二人だった。レウがいきなり戸を引いたことでバランスを崩したたらを踏む二人をレウは仕方なしにそれぞれを片手で支えた。


「危ないじゃんか!レウ!」

「そうだそうだ!謝罪と賠償を要求する!」


 レウの腕で体を支えられ、顔を上げた二人の顔はよく見知っているはずのレウですら判別が難しいほど似通っている。中性的に整った顔のつくりだけでなく、肩まで無造作に伸ばされた黒髪や着ている服ですらそっくりだ。


エルマとイルマは森人の里では唯一の双子だ。双子にも関わらずエルマは女でイルマは男で、森人の里ではレウとは違う意味で有名だ。二人は十半ばという年齢の割に小柄で中性的な外見をしているため、男女という明確な性の違いがあるにもかかわらず、見分けるのは観察眼の優れた者であっても難しい。ちなみに二人はミアテの子供で、狩りをほっぽり出して何所かに出かけた張本人達でもある。


「それで、何のようだ。朝からどこかに行っていたようだが」


 なにせ二人がいないかどうかミアテが態々確認しにきたのだから間違いない。僅かな皮肉を込めてレウは言った。


「そうそう!聞いてよ!」

「野生の砂糖樹見つけたんだ!農耕役の管理外のとこで!」


 砂糖樹とは砂糖のように甘い樹液を出す樹のことだ。試験的に栽培されている数十本の砂糖樹は農業を司る農耕役によって厳重に管理されているはずだが、二人は野生化しかけている砂糖樹を発見したらしい。樹液を煮詰めて作る砂糖液は希少品で、二人がいつにも増して高揚しているのも頷ける。


「で、それを私に伝えてどうするつもりだ」

「決まってんじゃん!」

「今度炉貸してよ!炉!」


 図々しさの度合に順位をつけることができるならば、その先頭集団にこの双子が間違いなく居座っていることはレウにも容易に理解できた。


「……自分の家のを使えばいいだろうに」

「ハァ!?」

「母さんにバレたら没収されるに決まってるじゃん!」

「ちょっとは想像力を働かせてほしい、みたいな!」


 レウの正論は双子による逆切れという名の理不尽によって容易く彼方に追いやられた。レウとエルマ、イルマの付き合いはもう10年以上だ。その間、レウが折れることは幾度もあったが、双子が妥協することなどただの一度もなかった。レウはため息を吐いた。この双子といる時は頻繁に出てしまうのだ。


「わかったわかった、貸してやる」

「やった!」

「やったね!」


 喜んでハイタッチをするフヨウとヨヨウ。一応、昨年の秋から狩人役として名を連ねることになったのだが、その姿はまさしく子供そのものだ。


「ところで、お前たちに聞きたいことがあるがいいか?」


 敗者はレウだ。これは揺るがないが、レウは狩人だ。狩人が獣に侮られることはあってはならない。そこでレウは一計を案じることにした。


「何々?」

「気分いいから今なら何でも答えちゃう!」

「大したことじゃない。お前たちにとって狩人役とはなんだ?」

「……なんだって」

「いわれても」


 エルマとイルマは顔を合わせた。動作もまったく同じで精巧な造りの凸面鏡を見ている感覚に襲われる。


「「獲物を狩る役目じゃないの?」」


 一語一句違わない二人の言葉にレウは鷹揚に頷いた。


「そうだ。森の民に存在する役に重要でないものなど一つもないが、狩人役に課せられるものは一際重い。何故か分かるか?」

「……そりゃ肉は貴重な栄養源だし?」

「食わなきゃ死ぬし?」


 狩人役の役目は獲物を狩ることだ。狩った獲物は森の民に分配され、糧となる。狩人役の狩りが不調なら、それは森の民全員に深刻な影響を与える。エルマとイルマが言ったように貴重な栄養源であるからだ。獲物によっては毛皮を剥ぎ、脂肪から点灯用の油を作るなど、単なる食糧事情という観点以外から見ても重要な役回りだ。


レウは安堵した。流石にここで素っ頓狂なことを言い出したらレウをもってしてもどうしようもなかった。


「ならば狩人役が役目を果たさなかったら?」

「断罪されるべきだね!」

「飯抜きの刑だね!」


 この双子はどうしてこうも自分の首を締めるのが上手いのか。レウから見ればもはや芸術的な自殺でしかない。エルマとイルマの様子から見ると、狩りをほっぽり出したのではなく、自分達の狩り日であることをそもそも忘れているようだが、それは減刑要素などではなく、さらなる厳罰への追加要素だ。


「そうらしいのですが、どうしましょうか、ミアテさん」


 ここでレウが下した判断は早々に二人を楽にするべきだ、という一種の優しさからくるものだった。狩人たるもの、むやみやたらに獣を傷つけないのだ。エルマとイルマは突如背中から途轍もない圧迫感に襲われた。おそるおそる、二人は振り向く。そこにいたのはミアテという名の女ではなく、一柱の修羅だった。


エルマとイルマが声にならない叫びを上げる。ミアテは逃げようとした二人の首根っこを掴み、がっちりと固定する。次の瞬間にはミアテの怒号が轟き、エルマとイルマは情けない悲鳴を上げた。

そんな様子を見てレウは溜息を零した。正直、人の家の前で怒鳴りつけるのは他人事とはいえ勘弁して欲しかった。


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