7th 観覧者(ゴースト)――マホ
人はいつ生まれたのか、何から生まれたのか。《ヒューム》は、《ハーフ・ファー》は、《ファーリー》は――
海を漂う微生物から、《ヒューム》と動物の性交から、この星にアダムとイヴが飛来してから――
諸説あるけど、確定してるものはない。想像の余地、素晴らしいわね。個人的には、異種の性交により、《ハーフ》と《ファーリー》が生まれた説が好きだわ。
このお気に入りの本――「人類の誕生と創世」――を読むのは、何度目だろうかね。繰り返し読み過ぎて、赤い表紙と背表紙は傷だらけ、ページも年寄りの面みたいに、折り目だらけ、シミだらけ。
それでも、ただでさえ貴重になりつつある、装丁された紙の塊、本来のあるべき姿の書籍。本というのはこうでなきゃ。さらにレアリティを上げる事実、初版だってこともまたプラス。初版にしては、状態も全然良好。
ゴミになって星に還らず、よくぞあたしの手元まで来てくれたよ。いい子いい子。
でもあたしが、何より一番気に入ってるのは、挿し絵なんだけどね。点描の写実的な絵。
描いた人は、とっくに亡くなってるんだろうけど、「いい仕事しましたね」と肩を叩いて誉めてやりたいよ。「何様だ」、と思われたり言われたりしても、かまうもんかい。「誉めてやりたいから誉めてんだよ」ってね。
あたしは伸ばした人差し指の先端から、ボーリング玉サイズの、無地の青くてまん丸なホログラムを出した。こいつは、あたしの額の裏側。瞼の裏側。脳内の映像の集合体――
乳児ちゃんのぷにぷにしたほっぺを触るように、ちょんと突っつけば――ほら、この通り。角のない長方形の、ホログラムのモニターがずらり。縦横均等、板チョコみたいに。観たいチャンネル選びたい放題。
あたしから見て、一番左上の映像。
最新式風俗店の隠し監視カメラが、リアルタイムで撮影している光景。
ウェットスーツそのままの、筋肉を縁取る白いラインが入った、黒いボディスーツを着る。目と後頭部を一周する、シルバーのベルト型HMDと、軽度の象皮病みたいになれる、分厚いグローブとブーツを装着。
好きなカラーを選べる、ヒマワリの種そっくりのカプセル型のベッドがずらり。その中から選んだベッドに身をゆだねると。
恐怖なんてどこ吹く風、快楽の羊水で満ち溢れた、透明な海を漂える――本当かしらねえ。
この店の光景が、昔みたSF映画そっくりで、好きなのよね。このカプセル型のベッドが並んでる図やら、ボディスーツやら、空気を回遊するイルカのホログラムやら――
きっとこの店のオーナーは、あたしが観たのと同じSF映画を観て、ウケると思って模倣したんだろうね。
自分で何かを作り出すのに手っ取り早い方法は、今も昔も、呼吸が必要なのと同じぐらい変わりない。模倣すること。
いいか悪いかなんてのは、それぞれの見方で変わる、あやふやなもの。
最高に笑える光景も見れるのもいいわ。利用者が「あひい」だとか、「んほお」だとか、漫画でしか使われたことが無いような奇声を、本気で口に出して喘いで、電気ショックを浴びたみたいにビクビクとケイレンしていたりする光景。
下手くそなコメディアンや、廃れたバラエティーを見るより面白いのよね。バカみたいで。
快楽を得るだけなら今の時代、ナノマシンネットで自分にアダルト・データをダウンロードしたり、麻薬に手を出したり、自慰行為したり、色々あるのに。よほどの中毒性があるのかね。
右隣の映像。
薬品研究所の研究員の目だわね。久しぶりにちょっと見ようかしら。拡大して、と。
青い液体が満ちた注射器、空気を抜いて先端からぴゅぴゅっと。そいつが今回新しい商品ってわけだね。
ベッドにベルトで括り付けられた男の子――ハツカネズミの頭と、《ヒューム》の男児の体の《アルツ・ハーフ》――、元気に暴れて嫌がってるじゃない。
ああ、シラカバの枝が掴まれたみたいに、腕を押さえられた。
青い新薬が、浮き出た静脈へ、じわり、じわり、注射器が空になっていってる――
白目を剥いて泡を吹いて暴れてるじゃないの。一体どんな薬を作ったんだか……マトリックスを覗かせてもらうわ。無論、無断で――――――
「やれやれ」と、思わず口から出ちゃった。自白剤なんてくだらないものだとはね。実験台のマウスくんがかわいそうだわよ。失敗作を注入されて息絶えるだなんて。
ガラス越しの護衛を呼んでる。あら、こんなに人数いたかしら。四人二組。以前は二人だけだったハズなのに。
きっと“あの子”が脱走してから、警備を強化したのね。
一つ下の映像は、整形外科のカメラの映像――資料用に現場を録画してる映像。即ちリアルタイムの手術が見れちゃう。
一人の女の子の《ヒューム》の頭部に、二つ穴があいたアーチ型の、薄い鉄板のカチューシャが埋め込まれてる。天井から伸びるコードに付いたプラグの針が、カチューシャの穴に差し込まれた。
どうやらこの女の子は、《ファーリー》の耳を着けて、《ハーフ》になりたいようね。
別室の映像には――頭頂から足まで、全身プラグの針だらけになって、宙ぶらりんになってるドブネズミの《ファーリー》もいる。まるで空中で俯せで眠るマネキンだわ。
全身、ということは、自分を完全に《ヒューム》か《ファーリー》へ整形する、ということね。イケてない自分を変えたいと、心底願ってたのね。
培養として人の手で生まれたり、整形で生まれ変わると、《アルツ》に分類されることになるけど、いいのかしらん。
これらには、何が映ってるのか――設置されたカメラ。ナノマシンネット利用者の目――あらゆる媒体で見れる映像。
あたしはそれらを感覚でハッキングして、この映像集合体を作り出し、そして、退屈をしのいでいる。死ぬまでただただあるだけの時間を、楽しみなものに変える要素の一つとしている。
本来は防火壁などのプロテクトがかかっていたり、アクセス制限がかけられていたりする。当然だけど。そいつを知ろうと、そいつの情報を取ろうと、アクセス、ハッキングしようものなら、即座にタイホ。無期懲役、処刑もあり。
あたしはプロテクトを壊そうとしたり、制限を解除しようとはしない――ただ、すり抜けるだけ。幽霊のようにね。やり方は当然、あたしだけの秘密。
背後霊としてアクセスして、観て、楽しむだけ。私欲の為だけ。
私利は他の楽しみ――リサイクル売買、依頼された品物、機械義肢や人工臓器の創造――で余裕の生活が送れてるし。
幽霊には足がないから、足跡も残さない。姿は無いに等しいから、誰にも見られない。無害だから無敵、なのかもしれないわねえ。
自分に正直に生きるって、本来はそうするべき生き方よね。どうやらあたしには、その正直に生きていける才能があったみたい。
もし誰かが、私の楽しみを知ったら何と言うかねえ。
「悪趣味」?
そりゃ単なる主観でしょ。
「神様気取り」?
あたしはそんな曖昧なもんじゃないよ。
何だかよく分からないけど、笑えてくるねえ。にゃはは。
おっと、あの二人が、イングのワンちゃんからのミッションを終えた頃かな。どれどれ――
あの子たちの様子はどうなってるかな。チェックチェック――
よしよし、ちゃんとゴーグルとサングラスを着けてるみたい――おや、街並みが流れてる。ここは……
二人ともバスの上みたいだね。バッグが膨れてるってことは、どうやら成功したみたい。
盗ってるとこは、後で巻き戻して見てみますか。ノンフィクションのアクション映画。ステキじゃないの。
思わず「あらま」と口から出ちゃった。
でっかいアルマジロが、安いパワードスーツ着て、必死になって走ってる。
どうやら続きが観れそうだね。ヒーローのハツカネズミくん、ヒロインのおサルちゃん、家へ戻るまでが遠足だよ。がんばんなさい。