10th 邂逅(ジョイント)
いつかのどこかで起きた戦争から生まれた、だだっ広い《アルツ》の雨雲が、無数の線に見える雨粒を投下し続ける。
禍々しく、明るく彩られた、虹の墓場に見える夜のメトロポリスは、ただそこでシャワーを浴びているようだった。
《アルコールストリート》の一件、ブリティッシュスタイルのカウンターバーから、ムダにしゃれた男性が出てきた。二つのボタンが付いた、カーボンに見えるアーチ型のネックレスを引っ掛けている。
男性がネックレスへ手を伸ばしボタンを押す。ぽんっ、とポップコーンが弾けたような小さい炸裂音を響かせ、ネックレスからモスグリーンのレインコートが現れた。フードと共に、男性を雨から守るように包んでいる。ネックレイン。お小遣い、お駄賃で買える程度の代物だ。
「ほら、こっちこっち!」
ネックレインに身を包んだサーラとタイラーが、手を繋ぎながら走っていた。ブーツが水の花火を作り続けるように弾いている。遊園地ではしゃぎ回るように、サーラがタイラー引っ張っている。仲むつまじい恋人にも、仲のいい兄妹にも見える。
黙りこくるタイラーは、憂いを含んだ無表情だった。彼の中で、煩わしい胸騒ぎのムカデが這いずり回っていた。それは、行きたくないかもしれないが、行くべきだ、と、脳髄にささやいている。
本日の《タウルス》では、フュージョンが流れている。大人の耳に実によく馴染んでいくインストゥルメンタルが、雨の夜に飲む酒をより美味くする。
ラウズとモルの二人は、サーラより先に店に着いていた。関係者のみ入ることが許される、ドアを抜けたすぐ横の壁にもたれて、自分たちの出番に見せる演目の打ち合わせをしていた。
燃える剣のジャグリングの代わりに使う、カヌーのツーウェイパドルに似た、二つの刃が黒い柄の両端に付いた薙刀――以前二人がマホの店に支払いに行った際、ついでに購入しておいたもの――が、ラウズの手に握られている。
「そろそろサーラが来るな」
体内時計に合わせて、ラウズはドアの窓を覗いて言った。店の入り口が開き、どんぴしゃり、ネックレインを首にかけたサーラが入ってきた。ラウズに見覚えがある、一人の青年を引き連れて。
カシルの「いらっしゃいませ」が、中途半端に止まった。カシルはじいっと、呆けたようにタイラーを見つめる。
タイラーは、申し訳ない、泣きそうだ、こんがらがった感情を無理矢理に飲み込み、カシルから目を反らした。
ラウズは眉を上げて目を開き、思わず「あっ」と口に出していた。
カシルがドアを開き、奥へと走っていく。使命感に駆られてるようだ。モルはカシルの背中を見送り、改めて「どうしたの?」とラウズに聞いた。
「サーラが俺の知り合い連れてきた」
「そうなんだ! あいさつしてくる?」
「……そうだな、ちょっと行ってくる」
薙刀を上下に引っ張ると、すぽんと太鼓に似た音を立てて真ん中で分かれた。三日月に似た刃を持つ、柄が長い二刀流に姿を変える。ラウズはそれをモルに預け、そっと青年の元へ駆け寄った。
ラウズとサーラが、すれ違いざまに軽い挨拶を交わす。知り合い、友人、仲間内特有の、余計な言葉のない挨拶だ。サーラの目線は、すぐにモルへと移った。モルの手に握られている二本のエモノは、ショータイムに使うものだとすぐに察した。
「ラウズ、どうしたの?」 と、親指ですれ違ったラウズを指しながら言った。「サーラといっしょにきた人が知り合いなんだって! だからあいさつに行ったの!」
「は? ウソ、いつ知り合ったの!?」
サーラはすぐに振り返った。ガラス越しに、ラウズとタイラーが普通に会話しているのが見える。自分より先に知り合っていたのなら、ラウズをぽかんと殴るかもしれない。小さく、くだらない嫉妬が、ちろちろと燃えていた。
ラウズが「どうも」と朗らかに声を掛ける。ソファーに腰掛け俯いていたタイラーは、聞き覚えのある声に反応した。口を結んだままギョッと驚き、やや遅れて口を開いた。
「やあ……」
AXISをプレイする者同士、意図せぬオフ会が勃発した。
「現実で直接会うのは初めて、ですかね」
「……そうなる、か。君はここの従業員なのか?」
「いや、団員の端くれです」
「なるほど、サーラの同僚か」
「そういうことです。今日はショーを見に?」
「前にサーラと約束をしたからな」
タイラーは、入店からずっと落ち着かない様子だった。何とか平静を装っているが、怯えているような、逃げ出したがっているような――
「ひゃー、まいったなー」
と新たな来客が言った。白みがかった透明なネックレインをしまうと、純朴でどこか垢抜けない、ヒツジの《ハーフ》が姿を表した。白い羊毛をかきながら、運動をした後みたいに息を切らしている。手には、青いビニールで作られたような、真空パックカバンがぶら下がっている。
「ヒヨシさん」
ラウズが最初に声をかけた。くるっとラウズを見て、ぱあっと笑顔を浮かべる。
「あっ、ラウズくん! どうもどうも、コスチュームが出来たから、どうせなら公演も見ようと思って、届けに……」
独特の訛り(アクセント)を含んだ優しい口調、少々ふらつき気味の足取り、顔の一部と化しつつある目の隈、人のいいがんばり屋というのが見て取れる。
「えと、お知り合いですか? お話中、でしたか?」
「知り合い、ですね。ハイ」
ラウズがそう言った時だった。関係者のみくぐることが許されるドアが開く。ふと見ると、ボノイを先頭に、ボノイの妻、カシル、カシルの両親が、ぞろぞろとこちらに向かってきている。全員が神妙な面持ちだ。店内の客も、何事だと一同に目を見張っている。
「……あのお、ぼく、タイミング、間違えましたか?」
「……いや、どうでしょう」
と言って、ラウズは苦笑いしながら肩をすくめた。
ラウズとヒヨシは、そそくさと居心地の悪さから逃げるように退場した。
「今まで、どうしていたんだ?」
ボノイは優しく、心配していたと込めて言った。
一緒にタイラーの元へ来たボノイ以外の四人は、お客様がいるということで、カウンターやキッチン、それぞれの持ち場へ戻った。つまみにならない私情は、後回しで間に合うからだ。
「……地下格闘場で……今も……」
目を合わせられず、俯いたまま、こぼすように言った。白いTシャツも、今はタイラーの顔色を明るく見せてはくれない。
「両腕の手術が終わったと聞いて行ってみれば、お前の姿はなかった。メールも電話も拒否された。探そうと思えば探せたが……」
タイラーは、両手を膝に置き、ただ黙ってボノイの言葉に耳を傾けていた。
「俺たちに会うのが、怖かったのか?」
「……はい……自分だけが、生き残って……情けなくて……申し訳なくて……ボノイさん達に会うと思うと、死んでいったあいつらが浮かんで……恋人も消えて、もう、ワケが分からなくなって……ごまかしながら、ずっと逃げてました……」
自分を無理矢理にでも落ち着かせ、一言一言、振り絞って話している。闘技場の上の猛虎はどこへやら。微風にすら怯える子ネコと化していた。
ぎゅっとジーンズの股を握るタイラーを見て、ボノイはため息をつき、指でこめかみを掻きながら聞いた。
「俺たちはなんだ? お前さんの敵か?」
タイラーはさっと顔を上げて首を横に降った。トラの目にも涙。今にも流れ落ちそうに、涙が溜まっている。
「分かってるのに、逃げてたのか。まったく、難儀な性格になっちまったもんだな……はっきり言うぞ。俺たちは、お前の、味方だ」
限界が訪れた。タイラーの涙が一滴、つうっとなぞるよう垂れおちていく。
「とりあえず、俺たちに心配をかけた分だ」
コツンと頭に、軽いゲンコツ一発。父親の、不器用で優しい、しつけの一発だ。それから、大きく吸った息を吐き出すように言った。
「よく戻った」
小さくて大きな、ゲンコツの衝動で俯いたまま、タイラーは涙を流した。
「はい」
謝るための言葉を付け足そうとしたが、踏みとどまった。ボノイは、謝る必要はないと、絶対に言うからだ。
「サーラに連れてきてもらったんだってな。見てくんだろう?」
タイラーは涙を手の甲で拭い、まだ出てきそうな分をぐっとこらえて、顔を上げた。
「はい、約束したんで」
「何を飲む?」
「……じゃあ……オレンジジュースを」
すれ違い様に、注文をカシルに告げた。奥のドアまで進みそっと開く。サーラが待っていた。そして奥には、ラウズ、モル含むメンバーとヒヨシが、顔を出して様子を見ている。
「あいつを連れてきてくれて、ありがとう」
分厚い大きな手のひらで、サーラの頭をウサミミごと撫でながら、ボノイは言った。
「ど、どういたしまして」
一瞬の戸惑い、浮かんでいる疑問――しかし、それらはお礼の返事として、不正解、不要なものだ。
ズーディアックのメンバーは、ヒヨシが作った、新しいコスチュームを着用した。ホワイトを基調とした、カーニバルのような逸品だ。最高のパフォーマンスを送るという、当たり前のプロ意識を、より引き締める出来である。
満員の多種族オーディエンスは、アルコールの入った陽気な雰囲気、盛大な拍手、ひときわ目立つ指笛で、今宵のショータイムを迎え入れた。
ラウズとモルの出番が来た。新しい衣装の白いマントを翻し、舞台に颯爽と登場した。気合い十分、出番が待ち遠しかったと、見て取れるほどに張り切っている。
「お集まりの皆様!」
ラウズの回す薙刀が、右手を中心とした、銀枠に収まる新月を作り上げている。
モルがこつこつとスリッポンの音を鳴らし、ラウズの真横へ――
「今宵は私たちのショータイムを!」
薙刀を回す手がモルの手に変わる。風を切る新月は、横へぶれることなく、少しだけ昇った。
ラウズがモルの肩に飛び乗った。しゃがむという補助すらもなく、難なく肩車の形を成したのだ。
月がふわりと上昇。ラウズは両手で柄を握り締め、薙刀へと戻した。そしてすかさず、真ん中で分けて二刀流へ。黒い舞踏仮面の、金メッキの蔓模様に、反り返る刃の一部が映る。
「存分にお楽しみください!!」
ラウズの手中の双子が、するりと抜け落ちる。そして行き先、モルの手中へ。柄が長いとはいえ、一歩まちがえれば手がおさらば。予定外の解体。オーディエンスにパニックを送ってしまうところだ。
腰で交差していた二本のダガーを取り出し、モルの肩に乗り、ムーンサルトを決める。
――乾杯の音。祝福の音色。無事に終了したことを告げる鐘。今宵の打ち上げに二人、タイラーとヒヨシが加わっていた。
ヒヨシはブレーメン《ファーリー》バンドと、にぎやかに話し合っている。アルコールの影響か、声の大きさが楽しそうに目立つ。 タイラーは、ボノイとその妻、そしてカシル一家とお話中だ。さながらその様子は家族会議。当事者以外立ち入り禁止の空間制御が張られているようだ。
サーラの視線が、タイラーから、自分の手にフィットしたグラスへ移る
「いつから知り合いだったのよ」
オリジナルカクテルのバニーホイップを啜り、細目で隣のラウズを見ながら聞いた。
「誰と」
「彼とよ」
「いつから……AXISを始めた時からだな」
モスコミュールが渦巻く。氷とグラスの共鳴。カランと小さく鳴り響く。
「サーラが地下賭博喧嘩場に通うようになる前から、かな」
とラウズが言うや否や、サーラのデコピンが発動した。
「いたっ! いきなり何すんだよ……」
「ちょっとくやしくて」
「……ああそう」
カシルとタイラーがはにかみながら仲良く――やや距離感はあるが、話し合っている様子が、サーラのジェラシーに油を垂らしていた。
「そうだ、タイラーさんに言っといてくれない?」
「ん? 何をよ」
「近いうちにAXISのプレイヤーに集合の呼びかけがあるって」
「ふーん、それってなんていったかしら……そうそう、オフ会、ってやつ?」
「そうだな、公式オフ、かな。運営から直接の呼びかけが来るはずだから」
イングから報酬を受け取り、店を後にしようとした時だった。ラウズとモルは、リンに呼び止められた。二人が「はい?」と一緒に言い振り返る。
「ナノネットを繋いでないんだったね。直接伝えておくよ。金曜日の午後一時、AXIS運営会社にプレイヤーたちを集めるんだが、君にもぜひ来てもらいたい」
ラウズはちょっぴり目を開き、微笑を浮かべるリンを見つめた。答えが知りたいなら来るべきだ、そう言っている。
ホーガンは猛禽類の眼力を薄める細めた横目で、じっとリンを見ながら、その言葉に耳を傾けた。
外は小雨となっていた。「雨に唄えば」より、「雨にぬれても」の方が似合う光景だ。
次回のミーティングを終えたメンバーが、解散前の温かな賑やかさを発していた最中である。一台のハッチバックの白い浮遊車が、彼らの近くに止まった。
プシュッと音を立てドアが開く。ドライバーのカラスの女性が姿を現し、メンバーを眺め回す。ハツカネズミの《ハーフ》少年を見るや否や、
「あなたがラウズ君ね」
と人当たりよく言った。「知り合い?」
「知らない」
モルとラウズは目を合わせながら言った。
「ああ、突然でごめんなさいね、あたしはバリス。これ」
バストに沿って浮き出した胸ポケットから、名刺を取り出し、二人に渡した。
「ジャーナリスト、ですか」
真顔で名刺を見ながらラウズは言った。
「なんだ、何か事件にでもあったのか?」
ボノイが二人に心配そうに言った。血の繋がらない親心である。
「うーん……」
二人は一緒に唸った。ジャーナリストから取材を受けるような心当たりが、全くもって浮かばなかった。
「ま、車の中でお話ししましょう。この子たちを送っても?」
バリスは顔を斜めに様子を伺うように、ボノイに言った。ボノイは腕を組んでじっとバリスを睨んだ。
「……構わないが、もし何か危険な……」
「大丈夫ですよ! この子たちがある人と知り合いだと聞いたもので」
「ある人?」
とカシルが言った。
「あたしが取材したい、お金持ち(リッチマン)ですよ」
にこりとカシルを見つめて笑いながら、ラウズとモルを後部座席へと促す。
高速道路のライトが、バリスの浮遊車の鼻先から尻を、撫でては消えを繰り返している。
「リン・ドウと知り合いなんでしょう?」
バックミラーに映る二人を見て言った。ラウズはバリスが奢ったドーナツ――シンプルなオールドファッションを飲み込み、口を開いた。
「今日初めて知り合いました。ホーガンさんから聞いたんですか? それとも、イングさん?」
やや驚いた顔で、バリスは再度バックミラーを見た。ラウズが赤い目を向けた口角についた、ドーナツの破片を舐め取った。
「そうね、ホーガンからよ」
「恋人なんですか?」
とモルが口をもごもごさせながら、あっけらと言った。吹き出しそうになりながら正面に目を移し、
「元、ね。仕事人間同士じゃ続かないのも当たり前だわ……今は、友達……味方、かしらね」
と言って、バリスはうやむやな笑いを浮かべていた。
「なるほど。それで、なんでリンさんの取材をしたいんですか?」
「色々肩書きと噂があるからね。投資家、資産家、ゲームの運営、行方知れずのホームレス、人体実験、色々ね……直接取材の交渉をしても、お金で追っ払っちゃうし……推測だけだと、わだかまりばかりで気持ち悪いでしょ? 真実を知りたいのよ。すっきりしたいのよ! 答えを欲する読者もいるからね――まっ、そいつらはただ叩いて妬みやストレスを発散させたいだけかもしれないけど」
最後の顧客への考えを吐いたことが、熱を冷ます汚水となった。
「スポーツをやるとか、私たちのショーを観たりするほうがストレスはっさんになると思うんだけどなー」
「なー」
店名が書かれた細長い箱から、次の獲物を選びながら言った。ラウズはホワイトリング、モルはココアスティックに決定した。
「みんながみんな、あなた達みたいにまっすぐなわけじゃないのよ。残念だけど。で、どう? ラウズ君。情報提供、引き受けてくれない? 行くんでしょ? 公式の収集ってやつ」
手にとったパックのミルクで、口の中の砕かれたリングを胃へ送り込む。
「行きますけど、情報を漏らすな、とか、そういう最低限の契約が課せられると思うんですよね。行きと帰りで身体検査もするでしょうし。ナノネットの契約もしてないから、手紙や映像を送ったりも……」
緩いドーム状のフロントガラスに、バリスの驚きの表情が半透明で写り込んでいた。
「ごめん、内心あなたのことを見くびってたわ。そこまで考えてたのね」
「アルジャーノンには負けますよ。実在しませんけど」
ラウズは満足げに膨れたお腹を右手でさすり、左手で口を隠しつつ欠伸をした。
「ボスが教えてくれたんですよ――冷静と思考は頼もしい武器になる、って」
バリスは笑顔で「なるほど」と返した。
「でも正直、バリスさんからの報酬って期待できないですよ」
はっきりと、だが申し訳なさそうにラウズは言った。いちジャーナリストからの報酬に見合う情報となると、せいぜい浮気など浮ついた話題程度で良さそうだ。酔っ払って裸踊りをしていた――無いだろうが。
「目標のための資金だものね。あなた達だけの場所、具体的には、島を買いたいという事でいいのかしら? それも希少な、自然のままの――国の保護がないのがあるといいんだけど」
バリスの口振りからして、ホーガンからは、二人の生い立ちなども聞いているだろう。
「あなたの寿命を調べてきましょうか」
ラウズの耳がぴくっと微かな反応を示した。やっぱり生い立ちも聞いてたか。
「被験者として生まれた自分はいつまで生きていられるか――気にならない? それとも、知らないほうがいい?」
バリスの持ちかけたものは、ラウズが前々から気にしてはいたものだ。自分は人と同じぐらい生きていけるのか、ネズミらしく短命なのか――知りたくも、知りたくなくもある、見ないフリして逃げていたもの。
「あの薬品研究所――取材には割と応じてくれるのよね」
ラウズは黙ったまま、自分の頬の内側を交互に舌で押した。