1st ズーディアック
色々なもの影響受けてます。それが如実です。
感想、批評、アドバイス、ありがたく頂戴します。
電光看板が、まとわりつくような、生ぬるい酸性の霧雨に濡れている。
コバルトブルーで周りを染め上げ、ひび割れたスクリーンに――今日だけで何度目になるのか――ある一企業の、変わらない常套句が、左から顔を出し、右へ吸い込まれていく。
選択しろ、神経と時間を勘定して。
決定しろ。思考と妥協を犠牲にして。
進行しろ。心身と寿命を代償にして。
真横に居る極彩色のネオンサインが、点滅して消灯を躊躇している。霧雨を妖しく彩っている。
陰気な薄暗さが、《下流層区域》の、ほぼ全域にこびりついてる。原因は分かり切っていた。見上げた目と鼻の先にある――《中流層区域》の充実した土地、内臓そっくりに入り組んだ高速道路が見下しているからだ。
《アンダートーン》の《酒場横町》は、いつも通りの、最低な歓迎の空気で満ちてる――アルコール、吐瀉物、タバコ、ドラッグ、カルキ、汗、最低の寄せ集めだ。
《アルコールストリート》は、個性溢れる店舗で充実している。誰でも必ず一件は、お気に入りを見つけている。外観、客層、店内BGM、マスターの人柄――
後付けでセッティングされたスピーカーは、鼓膜にすぐ馴染むボリュームで、ミュージックを垂れ流している。
古ぼけたカウンターバーがある。出入り口の上に、レッド、ブルー、ホワイト、三色のネオンのAが水平に並ぶ。その下に、同じ三色のスプレーで、“Smokin’ Aces”、と書かれていた。
隅が破損したスピーカーは、血を沸かし、衝動を掻き立てる、ロックミュージックを吐き出していた。
時代錯誤の、バイカーギャング達が、同志らしく肩を組み、瓶ビールを浴びて飲んでいる。
「ハイだ」
「ローでいくぜ」
旧式遊戯の、トランプのハイアンドローで、一喜一憂している。
“スモーキンエース”から数フィート進んだ先に、エラー画面に似た、モスグリーンの店がある。
脳を優しく揺するレゲエが流れ、出入り口や窓から、白いスモークの濃霧が溢れ出ていた。
出入り口横に、木彫りの看板がぶら下がっている――“No Last Rasta”――
女性客が、マリファナの副流煙を、看板に浴びせる。それを見て、
「アハアハアハハハア」 とネジを無くしたように笑った。
耳をすますと、音楽、会話、笑い声、それら以外にも何かが聞こえる。
横っ面を殴る音。
腹を蹴る衣擦れの音。
痛みでうめく声。
静脈にヤクを打ち込みハイになってる笑い声。 互いの性器をジョイントし、抑えられない喘ぎ。
あらゆる汚い余計なノイズがミキシングされている。 だが、どの店の客も、誰一人として気にとめていない。ここでは、単なる環境音に過ぎないのだ。
コミックのキャラクター顔負けのヘアスタイル、アンバランスな色合いのファッションの、《人間》のカップルがいる。
お揃いで千鳥足で歩いていた。
「ねーえ、もうガマンできないんだけどお」
それを聞いた男が、左のこめかみを、親指で強く押しながら、
「んむふふ、ちょっと待ってな――」
と言うと、右の手の平の感情線に埋め込まれた、小型映写機から、立体映像地図が現れた。
「えーっと……」
現在地を知らす、イエローのアイコンが点滅する。
「おっ、ここが近いじゃーん」
すぐに見つかった行き先を、指で軽く押しマーキングした。
「うっし行くか」
「うん。えへへへえ」
お互いに、ズボンの上から、ゆっくりと尻を撫で回す。再び千鳥足で歩き始め、目的地へ向かっていった。
「――ってことがあってさ」
骨も噛み砕けそうな歯牙をちらりと見せる、男性のイヌの《半獣人》が微笑む。
「へえ、そんなことがあったの」
人間大の、女性のトカゲの《獣人》が微笑み返す。
「それから――」
イヌの男性は、湿った黒いイヌの鼻を、指で擦りながら、次の話題に移った。
「――へえ、そうなの」
トカゲの女性は、エメラルドグリーンのウロコの腕をさすり、自分の目と、つぶらな黒い目を合わせた。
雨天のテラス席で、それぞれが注文したカクテルを飲み交わす。異人種同士の、異性の気の合う友として、おしゃべりを続け、いつか愛おしく感じる過去を、作り続けていった。
老いぼれた《ヒューム》のホームレスが、
「なるほど、そうくるなら……」
とつぶやき、少し考え、にやりと笑う。
「こう、だな」 《ヒューム》は、プラスチック性の、旧式遊戯の、将棋のコマを動かし、快音を響かせた。
対戦相手のオオカミの《ファーリー》が舌打ちし、
「そうきたかジジイてめえこのヤロウ……」
と言い、右手の爪であごを掻く。
「さあ、どうする」
鳥獣戯画――カメラもない時代、ウサギ、カエルの《ファーリー》の様子を描いた絵がプリントされた、薄汚いTシャツで、老いた指先の汗を拭き取った。
「両脚を奪われた分、賢さを得たかの」
「こっちだって左腕取られてるってのによ……」 オオカミ《ファーリー》は、がら空きの左わき腹を掻き出す。
「ねえ、一緒に飲もうよ」
「人数はいっぱいいたほうが楽しいからさ」
ウォーターブルーのオウムと、シマウマの男性の《ファーリー》の二人組が、ナンパをしていた。
飲みかけの酒ビンを片手に、黒いレザージャケット、ダークブルーのジーンズを、ペアで着ている。
「えー?うーん……」
と頬に手を添える、ロバの女性の《ハーフ・ファー》と、
「どうするう?」
と言うインコの女性の《ハーフ・ファー》が、ロバ《ハーフ・ファー》と目を合わせる。お互いにのみ聞こえる小声で、
「ルックスは悪くないよね」
「うん、そうね」
とにやつきながら相談する。
シマウマ《ファーリー》が、
「危ないところへ連れてったりしないからさ、安心してよ」
と言いジャケットの裏を見せる。君たちを危険に晒すものは持ない、とアピールした。
さらに腰のベルトに手をかけ、
「何なら下も確かめる?」
と、パンツを降ろそうとする。
「アホ」
オウム《ファーリー》が、尻にキックをかます。シマウマ《ファーリー》は仰け反りつつ、
「おま、加減しろよ……はしゃぎすぎちゃった。ホント、ごめんね」
と謝り、パンツの裾のホコリを、軽く取っ払った。
オウム《ファーリー》が、女性二人組が、お腹と口を隠しながら、笑いをこらえてるのを見て、
「《アンダー》でもすごく健全な店があんだよ。健全だけど、退屈はしない、そんなとこ」
飲みかけの酒ビンの中身を少量、クチバシの中へ注ぎ、飲み込みながら、羽の指でクチバシをぬぐった。
《ハーフ・ファー》の女性の二人組は目を合わせ、ほんの少し悩んでから、すぐ首をタテに振り、それぞれ決めた男性の腕に飛びついた。
健全で、退屈しない店には、すぐに到着した。
白いコンクリート製の、シンプルな店舗だった。入口の上の、”Taurus“のネオンサインが、アシッドジャズと共に、淡いパープルの光で歓迎する。
「へーえ、こんな店があったんだあ」
「ショー・バー?ふーん」
「さ、入ろうぜ」
鳴り響くドアベルに釣られ、女の子の《ヒューム》の、グラスを磨く手が止まった。
「いらっしゃいませー」
どんな強面だろうと、確実に釣られるスマイルで言う。ナチュラルブラウンの、セミロングヘアが、軽やかに揺れる。
「また来てくれたんだ」
磨き抜いたグラスを、ホルダーに優しく置く。
「よお、カシルちゃん。ボノイのダンナも」
「よう」
イノシシの男性の《ファーリー》が、丸サングラスのズレを直した。野山もずらせそうな、隆々たる巨体を揺らし歩み寄る。
「一見さんを連れてきたのか」 親しく温かみのある声でそう言うと、最後に空いていた席へ案内する。テーブルのミニ端末から、ドリンクメニューを開く。
「ゆっくり選びな」
と言う。その声は父性を感じるものだった。肩の力が抜けたスマイルで、カウンターへ戻っていった。
「さーて、なににすっかな」
「結構種類あるのね」
「私これにするー。あなた達のおごりよね?」
「え、あ、当たり前じゃん、なあ?」
清潔に保たれた店内は、年齢、人種、バラバラの客層で満席だ。
タトゥーに侵食された、ティーン六人組がいる。
「――でさぁ」
「あはははウケるー」
「ムービーあんけど、見る?」
「あんの?見る見る!」 ミックスナッツ、フィッシュアンドチップスを口へ放る。
ジョッキビールで、口ヒゲの上に、泡ヒゲを付けたオールドがいる。
「ぼくが若かった頃はね――」
みっともなく、リアルから逃げるように、昔話に花を咲かせていた。
「うんうん――それにしても――」
弱々しい怒りの表情で、憎しみの矛先――現代、政党、若年層――直接ぶつけたい不平不満を、ゴミでしかない愚痴として、ボロボロこぼしている。
カウンター席の、くたびれたサラリーマンが、自前のプレゼントを眺め、物思いにふけっていた。
「………………」
燃えるような色の、ブランデー・カクテルを、千里の道を行くように、少しずつ口に運んでいた。
店内中央に、傷だらけの床の、十数人は余裕で並べるステージがある。夜に似たブラックカラーの、グランドピアノが存在感を放っている。
「レディ〜スエ〜ンドジェントルメ〜ン」
ウサギの《ハーフ・ファー》の女の子が、ステージに姿を現す。
「サーラちゃーん!」
「待ってたよー!」
「結婚してくれー!」
男性客からの、黄色い声援を浴びる。サーラの頭部の、ピュアホワイトのウサミミが揺れた。
「ウフフッ」
サーラは、男性客に向け手を振りながら、微笑み返す。
誰も気付かない、小さなため息をつく。性欲奴隷どもが――
額から鼻までを隠す、ゴールドのラインで模様が施された、ウサミミと同じカラーの仮面のズレを直す。
子どもほどに小柄で、性欲を奮い立たす、グラマラスボディをよじらせた。
「ありがと〜みんな〜、でも〜まずは〜、落、ち、着、い、て、ね?」
と厚めの唇を動かす。あどけなさが残る声が、盛りのついた男性客に、油を注いだ。
気持ち悪いわねホント――
「え〜、おほんっ。それではただ今より〜、私たち〜、雑技団ズーディアックの〜公演が始まりま〜す。団長〜なにか一言どうぞ〜」
カウンターのボノイにマイクを向ける。ボノイは、照れくさそうに俯き、手を横に振った。
「えっ、団長?」
「店長じゃないの?あの人。兼業?」
「そうだったんだ……」
サーラは、軽く驚く客を全く気にとめず、マイクを自分の方へ戻した。
「あららザンネ〜ン。それでは皆さま〜大きな拍手でお迎えくださ〜い」
店内で流れていたBGMが、大きな歓迎の拍手に紛れて消えていく。
ピュアレッドのステージ衣装の、マーチングバンドが、乱れぬ隊列で、ステージへと現れた。最後尾のピアノ担当は、樹木に似たダークブラウンの、ピアノ用の丸椅子に、ゆっくりと座った。
「ようこそ皆さん!」
二つの声が重なり合った。嫌みのないやや高めの少年の声と、爽やかでかわいらしい少女の声だった。
アクロバティックに、ステージに舞い上がり、スノーホワイトのマント姿を見せつける。
「今日は来てくれた皆さまに――」
サーラほど小柄な、男の子のハツカネズミの《ハーフ・ファー》は言う。
「ちょっとしたスリルを――」
かなり長身の、それでいてスマートな、女の子のサルの《ハーフ・ファー》が笑った。
「贈らせていただきます!」
二人同時に、マントを取り払う。マーチングバンドの、生演奏が始まる。
「ラウズとモルの〜ブレードハッスル〜」
とサーラが、最初の演目を告げた。
二人の両手には、サイズも、フォルムも、全てが異なる、刀剣が握られていた。
ラウズが刀剣をジャグリングし、
「偽物、と思う方もいるでしょう。ご安心ください」
と言うと、サーラが、
「いくよ〜、ほ〜い」
と男の拳ほどのオレンジを、下手で放り投げた。
ラウズの左手の、外連見のないショートソードで、オレンジを深々と突き刺す。
刃を伝って、オレンジの果汁が滴り落ちている。
「おおー……」
観客席からは、小さな感嘆と、まばらな拍手が鳴り響いた。
「モル、いくぞ」
突き刺したオレンジを、ミミズに似た、細長い尻尾で抜き取る。
隙間が出来たオレンジと、血のように赤い目を、相方のモルに向ける。
「いいよー!どーんとこーい!」
ラウズは汁が溢れるオレンジを、尻尾でそのまま投げた。
「ほいっ!」
オレンジは、右手に構えたナイフに、刺さることはなかった。左手から、ふさふさのサルの尻尾に飛び移った、ダガーナイフに突き刺さる。
平たいキレイなサルの足で、器用にオレンジを抜き取る。
「モル」
右手のロングソードを、モルに向かって、回して放り投げた。
「ラーウズ!」
左手のナイフを、同じように、回してラウズへ投げた。
ラウズが投げたロングソードは、モルの右手に納まる。
モルが放ったナイフも、ラウズの左手に納まる。
「モル」
ラウズの右手から、モルの尻尾へ、剣が移る。
「ラウズー!」
モルの左手から、ラウズの左手へ、剣が移る。
バラバラのサイズの、刀剣の渡り鳥が、スピードアップしていく。二人の両手と尻尾の拠点を、ハイペースで飛び交っていた。
回転の向きも、x軸からy軸、y軸からz軸、z軸からx軸と縦横無尽に変わっている。下手をすれば、体の一部がオサラバするだろう。
沸き上がった歓声は、満席の人数以上に聞こえる。大きな拍手は鼓膜を破裂させんばかりに響き渡る。指笛が、一際目立って鳴り響く。それらは店を軽く揺さぶり、ライブの一部と化す。
「カンパーイ!」
店内は、ズーディアックのメンバーと、タウルスのスタッフだけとなった。
グラスとグラスの音が、心地よく響き渡る。
「しかし、燃える剣とは驚かされたぞ」
ボノイがラウズとモルの肩を、優しく叩き、軽く揺する。
「モルのアイデアだよ。」「カンフー映画をみて思いついたの!」
二人は交代直前に、酒を吹きかけた刃に着火し、燃え盛る刀剣でジャグリングしていた。
「うん、度胸と努力は買うぞ。だが、普通の刀剣でさえ危険が伴っている。あれだと、お前たちに、ギャラリーに、店に、なおさら大きな被害が及ぶ可能性が高まってるぞ?そいつを忘れるなよ」
ボノイは、二人の頭を撫で、手の平で軽く叩く。
「もっちろん!ねー?ラウズー」
「うん、分かってるよ、ボス」
サーラの、持つタンブラーの氷が鳴る。
「ホントに分かってる?焼け死ぬなんてごめんよ、私」
「信用してないのか?」
とラウズ。
「あたしたちだから大丈夫よ!」
とモル。
サーラは呆れたように嘲笑する。
「やれやれだわ、あっ――」
ウォールクロックへ視線を移すと、ちょうど空になったタンブラーを、カウンターに置く。
「ボス、私そろそろ行くね」
「そうか、気をつけてな」 サーラとボノイがハイタッチをする。
「またねみんな、カシル」「うん、またね」 サーラとカシルがハイタッチする。
モルがラウズの、ネズミの耳元で、
「またあそこに行くのかな?」
と言うと、ラウズは、ウォッカ・ロックを一口だけ飲み、
「だろうな。」
とだけ言う。ウォッカ・ロックが、食道を潤していく。
打ち上げが終わり、宴の後の名残惜しさが、タウルスを包む。酸性の霧雨も、察知したように止んでいた。
「みんな気をつけて帰れよ」
ボノイが、キッチンで仕事をこなしていた妻と、ズーディアックのメンバーを見送っている。
「次も楽しみにしてるからね!」
カシルと、その両親――日替わりマスターの父と、アルコール担当の母も、ボノイ夫婦と共に見送っていた。
一人のメンバーが、
「また会いましょう、ボス!皆さん!」
と言うと、別のメンバーが続けて、
「次もギャラ、忘れないでくださいよ!」
と冗談混じりに言い、周りに軽くど突かれ、笑い声が広がった。
ラウズとモルは、他のメンバーとは違う、別の帰路に着いていた。
「今日もいっぱいもらえたね!」
しゃがんでいるモルが、現金のギャラが入った、小さな茶封筒を、月へ突き上げる。
「そうだなー」
腕を組むラウズの、グリーンのカーゴパンツのポケットに、ギャラがおじゃましている。
ラウズとモルは、年金生活者用集合住宅屋上の、円柱型の給水タンクの上にいる。
二人の目の前に、飛び移れる距離で、高速道路がある。太陽が不在でも、多数の浮遊自動車が行き交う。
「そろそろだ――」
ラウズは、首に下げていたゴーグルを装着する。
「ほいな!」
ラウズから投げ渡された、クリアーレンズのサングラスをかける。ギャラをラウズに投げ渡し預ける。
すらりと伸びた、むき出しのサルの下半身と、ストラップレスのキャミソールでは、どこにもギャラをしまえない。
ラウズが身構えた。
「行くぞっ!」
「おーっ!」 給水タンクから、こうべを垂らすライトに飛び移る。
そのままライトから、バスの天井へ飛び降りる。風と慣性とクラクションが、二人に襲いかかった。
「気をつけろよモル、今日は雨だったからな!」
ラウズは周りにかき消されぬよう、大声でモルに言った。
「大丈夫大丈夫!」
モルが親指を立て笑う。ラウズも釣られて笑った。
バスの右後方から、レッドのラインが車体下腹部に入った、流線型のシンプルなモノレールが横切ろうとした。
バスが右へ車線変更する。モノレールとの距離が、足を伸ばせば届くほどになった。
モノレールのしっとり濡れた屋根へ、ひょいと飛び移る。バスの乗客のざわめきが、モノレールの乗客へと感染する。
何事もなかったように、屋根の水気を払い座り込む。
「今日も時刻通りだな」
「お疲れさまでーす!」
と、モルが運転席に向かって敬礼する。ラウズは、《ミッドレンジ》の《繁華街》を眺めた。
右折するバスが、左折するモノレールの上を交差する。ゴーグルとサングラスのレンズに、月と星が、朧気に映りこんだ。
月の位置がほんの少しずれていた。レッドブラウンのレンガの時計塔が近寄っている。眠たげにぶら下がった長い針が、微かに上を目指し揺れた。活気のないアパートや、気だるそうなストアの林の中から、頭二つ空へ向かって伸びて、その存在感を放っていた。
「よっし――」
「行きますか!」 二人は一緒に立ち上がり、淡々と目的地へ向け飛び移っていく。
モノレールからライトへ。
ライトから廃アパートの屋上へ。
廃アパート屋上から別の屋上へ。
影で隠された、時計塔の控えめなヨーロピアンウィンドウへ。
ウィンドウを開け、木製の足場に飛び移る。
壁のスイッチを押すと、頼りない点灯が二人を迎えた。
無数の歯車の生きたハシゴを、二人は来た道を行くよう、スムーズに登っていく。
吊されたライトが点き、ぼんやりとしたオレンジカラーが広がっていく。正円の文字盤の背後の、二人が住み着いたスペースが明るみになる。現代に取り残された部屋だ。
「ふーっ、ただいま、っと」
「たっだいまー」
かつては新品だったカーペットを歩く。その下の煤けたフローリングは、小さく軋み、二人の体重を受け入れる。
シックなチョコレートカラーのデスクの上に、職人技が光る木製フォトフレームがある。一枚のモノクロ写真が収まっている。かつての利用者の、老人男性の《ヒューム》が、笑顔を浮かべていた。
置かれているもの全て、彼の遺品である――
存在感バツグンのブックシェルフには、かつての住人の多趣味さが伺える。
日に焼けて味が増した、二人掛けのベッドとソファもある。
花模様のシックなランプは、仄かな灯りを提供してくれる。
ラウズとモルの衣服が詰め込まれたクローゼットが、片隅を陣取っていた。
スリムな足の丸いテーブルには、テレビのリモコンと、ラジオが――
二人は古めかしさなど全く気にせず、全てありがたく利用していた。
「先にシャワー使うねー!」
と言うモル。ラウズは、
「おう」 とだけ言った。
モルがスモークのかかったガラスドアを閉め、ラウズはソファ横で平積みになってる、一番上のしおりが挟まった小説を取る。
ソファに飛び込み腰を落とし、しおりがキープしてくれていたページを開く。
どこからか、迷い込んだハエの羽音がする。
「……」
ラウズが次のページをめくる。ネズミの尾の鞭が、不意に風を切った。
「……」
ハエはレンガの壁と衝突し破裂する。当たった感触の残る場所を、ソファで拭き取った。シャワーの音が止む。
「ふー、さっぱりさっぱり!」
とモルが、ゴールドブラウンの、ベリーショートヘアを拭きながら出てくる。
「交代だな」 とラウズ。
モルの《ヒューム》の上半身は、立派なバストがむき出し――生まれたままの姿だ。ラウズは小説で見ないように隠す。
「風邪ひくぞ、ほら」
ラウズは着替えのホワイトのタンクトップを、尻尾で掴み投げ渡す。
「サンキュー!」
ラウズのリフレッシュタイムが始まった。
モルがベッドに横たわり、閉じそうな目蓋のまま、耳栓を手のひらで弄んでいた。
ラウズは、次に読む予定の随筆の表紙にしおりを置いた。
「ふうっ――」
ぱたんと閉じた小説を、きちんと元の隙間へと戻す。
「さて、と……」
と呟くラウズ。
デスクの引き出しを開ける。二人が住み着いたばかりの頃、とあるものが入っていたが、今は別のものとなっていた。
エッジの効いたフォルムのサングラスを取り出す。
テンプルには、AXIS、と、深々とレーザーで刻まれていた。
反対側には、シリアルナンバーが同じく刻まれている。
レンズがラウズの両目を覆い隠す。
モダンに同化したイヤフォンを伸ばし、外れないよう耳にしっかり押し込む。 耳から両目を跨ぎ耳へ繋がる、横一文字のラインが鈍く光る。
「またそれやるの?」 モルは不満そうに、寂しげに言った。
「おうよ。だから先に寝ててくれ」
蝶番に位置するスイッチを押す。
「行ってらっしゃーい……」
と言ってモルは、大きなサルの耳に、耳栓を押し込み、目を閉じて夢へ溶けていった。
《賭博町》は、《アルコールストリート》の隣接地で、名が体を表している場所である。治安も仲良く似通っていた。
紙切れ、空き缶、空きビン、汚く飾られている、場外勝馬投票券発売所がある。
「ざっけんじゃねえよテメエなにしてんだコラア!」
クマの《ファーリー》が、ヤマが外れ、ゴミと化したチケットを、紙ふぶきに変えながら叫んでいる。
負けたワニの《ハーフ・ファー》の横で、ウシの《ファーリー》のカップルが喜んでいる。
「うるせえんだよ!」
腹いせに放ったパンチが、彼女の頬にめり込んでしまった。
「なにしてくれてんだテメエおいコラたこコラ!」
しっちゃかめっちゃか、てんやわんやの、血みどろの乱闘騒ぎへチェンジしていく。
どいつもこいつもバカ丸出しね――
大騒ぎを尻目に、サーラが早足で過ぎていく。
「ずーっと昔は、夜間賭博なんて無かったらしいけど、ああなるなら無かったままにすればいいのに――」
などと軽蔑や疑問が渦巻いているうちに、
「あ、でも、もし無いままだったら、あの人に会えなかったわよね」 と頭の中で言い、目的地の前で立ち止まる。
剥げたペイントのドアが待っている、地下へと続く階段だ。微かに音が聞こえてくる――
フェンスに何かがぶつかり揺れている――
大勢が足で床を踏みならしている――
闘争本能が吐き出させる咆哮――
ドアを開けた先には、フェンスに囲まれたリングがある――ギャンブルも兼ねた、地下格闘場だ。
リングの中では、二人のファイターが、殴り合い、蹴り合い、締め合い、血を流し、汗を飛ばし、白黒つける為に競い合っていた。
リポーターはいないが、レフェリーがリングの中で、孤軍奮闘していた。 取り囲むギャラリーは、思い思いのエールとブーイングを飛ばしている。
「そこだ!いけ!」
「目だ!目をねらえ!」
「急所でKOだよー!」
サーラが、目当てのファイターのチケットを受け取る。
チケットを渡した、黒人の《ヒューム》のおばちゃんが、
「また来たね!間に合って良かったわね!」
とふくよかな笑みを見せる。
「ありがと」
サーラも微笑み返し、チケットに目を移す。
目当てであるファイターの顔が、クリアにプリントされている。
ここで試合終了のゴングが響く。
派手なファイトを見せてくれた二人のうち、一人の腕がレフェリーに上げられた。
コールとブーイング、アルコールと破れたチケットが飛び交う。
レフェリーが肩を優しく叩き、健闘をたたえ、リングから控え室へ押していく。
小休止から、控え室のドアが開き、次のファイターが入場する。
一人目は、片腕と片足が人工義肢の、《半機械人》の男性だ。
二人目の姿が見えると、
「キャータイラーさまー!」
サーラが黄色いシャウトを上げ、それと同時に他のシャウトも響き渡る。
サーラ含む駆けよるファン達は、レフェリーに体を張わせ止められた。
両腕が人工義肢の、トラの《半機械獣人》である。
「………………」
鉄拳を合わせ、瞑想をしている。
短く刈り上げたヘアーの隙間を縫い、一滴の汗がうなじをなぞる。背中に施された、吠え猛るトラのタトゥーを通過する。
対戦相手が、小声で尋ねる。
「終わったら、またあれか?」
それを聞いてタイラーは、トラの目を相手の目と合わせる。
「………………」
アンサーとして、口の端を少しだけ上げる。
タイラーの脳裏に一瞬だけ、あるものが映った。
控え室のロッカーの中――
たすき掛けバッグの中――
イヤフォンの着いた、エッジの効いたサングラスだ。 ボノイの大きく無骨な手のひらに、立体映像写真が浮かんでいる。ベッドに座り、それを眺めていた。
「どうしたの?」
ボノイの妻が、立体映像写真を眺めるに声をかける。
「あの二人が何も言わず聞いてこずで、新しいものを見せただろう?危険ではあったがね。成長したんだと思ったら、少しな……」
ボノイに肩に、妻は優しく手を置き、一緒に写真を眺める。
三人で仲良く肩を組んでいる青年と、青年達のうちの一人と、手を握り合う少女が写っている。
真ん中の少年は、ボノイと似ているたくましい肉体で、眩しい笑顔を見せている。
ボノイ似の少年の左隣には、トラの《ハーフ・ファー》の青年がニヒルに笑っている。トラの歯牙がちらりと見えていた。
もう一人の、カシルと似通った青年は、カシルと手をつなぎ、キスのように口を尖らせ、ウインクしている。
現在より幼いカシルが、楽しそうな笑顔で、ピースサインを突き出している。
ボノイは、大きく鼻でため息をつく。その目は微かに、涙が浮かんでいた。
「そろそろ、寝ましょうか」
と妻が言うと、
「そうだな」
と答えると、立体映像写真が、サイズを縮めながら、手のひらに吸い込まれ消える。
「そろそろヒヨシくんに新しいコスチュームを依頼するか」
目をこするボノイ。
「ハンドメイドですからね、時間もかかるでしょうし」
ボノイの隣に移る妻。
右手の甲のスイッチを押し、夫婦仲良く寄り添い、就寝する。
《ミッドレンジ》の《リトルトレジャー》に、一件の服屋がある。シンプルな外観の小さな店だが、ショーウインドウには立派な商品が並んでいる。
成功者が着るであろうスーツ、モデルが喜びそうなカジュアル、女の子が確実に目を輝かせるダンスドレス、男の子が絶対に駄々をこね欲しがるヒーローコスチューム――
薄暗くなっている店内の奥から、ミシンの音が聞こえてくる。
ヒツジの《ハーフ・ファー》の青年が、依頼されたタキシード・スーツを制作中だ。
「はあ……ふう……ありゃもうこんな時間かあ」
その声は特徴的なアクセントが含まれていた。
欠伸をして見上げたウォールクロックが、早く休めと青年を見下ろしていた。
現在の様々な娯楽の中で、ネットワークゲームがある。さらにその中ひとつが、急速に荷担者を増やしていた。
それの運営本社が、《上流層区域》にそびえ立っていた。
「……ふーむ」
白衣を着たヘビの《ファーリー》が、ひとりのユーザーの活躍を眺めている。
「この子ならスキルゲットは確実かもしれんなあ」
ユーザーが拡大されたモニターから目をそらす。
細長い舌の先端がちらりと顔を出す。聴覚にセルフォンのコールが響く。
「やあどうも」
今度は初老の男性の声が響く。無論、周りには何も響いていない。
「スキルゲットしそうなプレイヤーがいましてね。」
彼にしか聞こえない、疑問への返答だった。
「特徴と名前は――おや、この子、恐らく《人工》ですね。《ナノ・ネット》はないかと。GPSも……ああはい、特徴は――――――」
淡々とその特徴を告げていく。通話先から、しばしの沈黙が訪れた。
「――あれ、どうしました?」
返答は数秒でやってきた。
「そうですか。はい――はい、かしこまりました。」
再び舌先を出し通話を切る。
一人の初老の男性が、ガラスの壁の下の都市を眺めている。
「ふう――」
クリスタルのテーブルに、ワインが残ったグラスを取り、通話で乾いた喉を潤した。
飲み干すタイミングで、背後から呼びかけられる。
「どうした?」
「ヘスから連絡が来てな。」
送られた通話内容を聞き終えて、
「……もしかしてその荷担者は、イングが言っていた少年ではないか?」
と言うと、同意見の笑みを浮かべる。
「明日は営業していたな。連絡してみよう」
男性は、ガラスの壁に背を向けた。
彼方のカラスの《ファーリー》の目に、その背中が映っている。
朝の日差しが、住民を次々と突き刺していく。それぞれの一日は、望もうとも望まずとも、始まるものである。
オオカミの《ファーリー》の男性が、気だるく起床する。大口の欠伸は、まだ寝ていたいという悲鳴だろう。
「うー、飲み過ぎたかな……鼻が効かねえ……」
イングは独り言をこぼし、だらしなく乱れたベッドを直す。
鼓膜に姿のないウェブラジオを流し、手前に浮かぶ、ウェブニュースのホログラムを眺めている。
「ゴールド、プラチナ値上がり……いいね」
湯気の立つブラックコーヒーを啜る。
分厚いハムと半熟ダブルのハムエッグが乗った、程良い加減のトーストに、ブラックペッパーを少量振りかけ、口の中へと持って行く。ペッパーの香りが、朝の空っぽの胃を誘惑する。 ここでなんと、聴覚に着信の横槍が入る。
「誰だよこんな時に……」 イングは不機嫌に着信先を確認する。すぐにハムエッグトーストを置き、こめかみに指をあてる。
「これはどうも、また何かお目当てが――は?ええそうですね――はい、分かりました。ではまた――」
通話を切り、イングは首を傾げるが、「それよりまずは」と、すぐにハムエッグトーストを手に取り、口内へ案内する。
着信によりちょっぴり狂った、いつもの朝食を済ませ、タバコに火をつけ一息つく。
イスの足に身を預けているスーツケースを開ける。
ブラックボディのミニルーペを、何かが詰まった小袋をテーブルに置く。
ゴールドリングを小袋から取り出した。大粒のダイヤモンドが、煌めいて存在感をアピールする。
ルーペを通して眺めると、レンズに文字が浮かび出す。しかし、滲んで読みにくくなっている。
「あれ、参ったな……仕方ねえ、マホ姐さんとこいくか」
ルーペとリング、小袋をスーツケースへ戻す。
好みであるダークブルーの、新品のスーツに袖を通す。
「いい仕事してるね」
タバコを灰皿に押し付ける。いつもよりも早い時刻の外出となった。
「時は金なりってな」
開店に間に合うかどうか、時間との戦いが始まった。
寄せ集めたガラクタで、《なんでも屋》とアピールしている店がある。
見た目は十代の、ポニーテールの女性の《ヒューム》が、カウンターで一人、鼻歌を漏らしつつ何かを作っている。
店には所狭しと、古今東西あらゆるものが、壁に並んでいる。乱雑に置かれている。ケースに飾られている――
酒ビンを持った、陶器のタヌキのオブジェ。
西洋の鉄の甲冑。
人工義肢の両腕、両脚、胴体、頭部、仕込武器。
樽の中に入れられた番傘、鞘に収まった長物。
アニメ、コミックのキャラクターのフィギュア。
USB。
ホルマリンと共にビンに詰められた脳。隣には目玉。さらに隣に胎児。小腸。肝臓。心臓。割愛。
銃。
海賊が持つであろうサーベル。
木彫りのクマ――
名に恥じてはいない品揃えである。
入り口のドアに付いたカウベルが鳴る。歪んでいるせいか、珍妙な響きとなっている。
「いらっさーい」
来客は、彼女の知る二人組だった。
「どもー」
「やっほーマホさん!」
二人を迎えたかわいい笑みは、
「おんや、君たちかい」
どこかニヒルで、余裕が感じられ、風格にもなっていた。
このメトロポリスで、騒動が胎動している。