飛来家
落ちていく……
真っ黒い世界の中……
深い……深い……
真っ黒い海にそのまま落ちる……
ブクブクと口から泡が漏れる……
黒い海の底……
なにかが広がっている……
泥が眠っている……
黒い泥が眠っている……
深い海の底からゆっくりと浮上するような……
なんだろう? おかしな感覚で目が覚めた。
意識がまとまらない。
何処だここは?
畳?
布団?
オレの部屋じゃない……
周りを見渡すとそこは何十畳もありそう広い和室だった。
天井はかなり高く旅館の宴会場みたいな部屋だ。
部屋の中心部分にオレは寝ている。
いつの間にか浴衣のようなものを着ているし、身体は全身包帯で巻かれている。
変だ。
旅行に来たのならこんな広い部屋の真ん中で布団を敷いて寝ているわけはないし。
まだ夢の中かな?
まだ眠っていると結論付けしたときだった。
『失礼します』
襖の向こうから声が聞こえ、そっと開いた。
女性が正座をしている。
『お初にお目にかかります、柱名を飛来 命と申します』
そう自己紹介したあと、その女性は深々と頭を下げてお辞儀をした。
なんだか知らないがえらく丁寧に挨拶されている……
こちらもなんとかしなくては……
慌てて布団から起き上がろうとする。
『えっ!? はい! 自分の名前は中嶋 裕也って……ぐおっ!』
名乗ろうとした途端、全身に激痛が走る。
かかかかかっ……
いてーーっ……
そのまま前のめりにうずくまってしまった。
なんだこれ?
全身が軋む。
上手く動けない。
慌ててさっきの女性が駆け寄る。
そのままオレの身体を支えてくれた。
『申し訳ございません……意識が戻られたのでつい……』
身体を支えて心配そうにオレを見つめる。
なんというか顔が近い……
母親以外の、ましてや同年代の女性とこんなに近くで接するのは初めてかも……
我ながら女ッ気ゼロ人生を歩んできてしまったからなあ……クスン。
髪型は黒髪のロングで顔は眉が少し太めだがキリリと締まった印象を受ける。
こんな美人はそうそう見かけない。
テレビでみる最近のアイドルなんかよりよっぽど整っている。
もちろんオレの少ない人生経験でこんな美人と話したことは無い。
そんな美人に身体を支えられ。
この呼吸の荒さが身体のダメージによるものなのか、心によるものなのか。
自分でも判別できない……
ううっ色々と痛い。
いきなり思いも寄らない激痛が走ったせいでビックリしたけど。
こんなことを考えられるのなら、まだ余裕があるなオレ……
『医者にも診てもらったのですが、アト様がおっしゃるにはそのまま横になっていれば大丈夫とのことでしたので……』
『アト?』
アト……
アト……アト……
アト……アト……アト……
アト……アト……アト……アト……
ア――――――――ト――――――――――!!!
『そうだ! アトだ!』
いきなり叫んだオレに少女は驚いている。
おっ! 思い出した!
オレはアトに命を救ってもらって……
あのエピゴノスに乗って……
パラボラアンテナと戦って……
町が……
うううっ……
ヤバイ……なんだか知らないけど……
ポタポタと掛け布団に涙が落ちた。
オレはいつの間にか泣いていたらしい……
『フグッ……フグッぅ』
なんだろう?
何が悲しいのだろう?
鼻水も垂らして次から次に涙が溢れてくる。
あまりに沢山のことが起こり過ぎて、それを一気に思い出したせいで……
確かに今、ミコトと名乗る少女はアトと言った。
夢だと思いたい……
だがこの全身を包む倦怠感と痛みはなんだ?
夢の中でこんなにリアルな痛みを感じたことは一度も無い。
あれは夢や幻ではないのだろう。
オヤジやオフクロや学校のことなどが一気に頭をグルグル駆け巡る。
なんだかよく分からない不安と恐怖が……
『!?』
そんなオレを少女はそっと抱きしめてくれた。
『ごめんなさい……私がもっとしっかりしていれば……』
あっ……
自分が周りを気にせず泣きじゃくっていることにいまさら気付いた。
急に恥ずかしさが込み上げる。
『あっ……大丈夫ですから……ハハハッ』
無理に笑ったせいで泣き顔と笑い顔が混ざって変な表情になっているに違いない。
おそらく顔は涙と鼻水と恥ずかしさでぐしゃぐしゃになっている。
少女は子供を心配する母親のような表情でオレをみつめている。
『あんまりメソメソするな』
『!?』
こっ……この声は……
視線を移すと襖の向こうからアトが入ってきた。
『アト! オマエ!』
『どうだった?』
『は、はあ?』
アトがなんことを聞いているのか解らない。
エピゴノスの操縦のことか?
『無我夢中でなにがなんだか……』
『そうじゃない』
『?』
『夢を見なかったか?』
『夢?』
『そうだ』
アトは射るような視線でオレをみつめている。
そういえば……
『なんか黒い泥に飲まれるような夢を見たような……』
アトは表情を曇らせた。
『そうか……やはりな』
やはりなってなんだ?
オレが黒い泥の夢を見るのを予め知っていたのか?
『身体は痛むか?』
むう? なんだかアトがオレの身体を心配してくれている。
『なんだか知らないけど全身が痛い』
『医者に調べさせましたが火傷と内臓にもダメージがあるとか』
少女がさらりと言った。
ぐおおお!
どうりで全身包帯まみれなわけか。
『あの時みたいになんとかならないのか?』
ダメ元でアトに聞いてみる。
『なるよ』
ア―――――――ト――――――――!!!
『なるんかい!』
思わずツッコミを入れる。
アトはヤレヤレと言わんばかりの表情だ。
『オマエには少しの間、眠って欲しかったのさ』
『アトさん、今現在も結構傷が痛むのですが……』
『ほいほい』
パチン!
軽い感じでそう言うとアトはオレに向けて指パッチンをした。
その瞬間、身体から痛みや倦怠感が綺麗サッパリ消えた。
うお! 相変わらずスゲーー!
『ハハハッ』
思わず笑ってしまう。
そのまま起き上がり軽くラジオ体操の真似事をしてみる。
横で見ていた少女が呆気にとられている。
まあ無理ないか、奇跡みたいなもんだからな。
『信じられない……これほど強力なヒーリングは初めて……』
立ち上がり一通り身体が問題無く動くか確かめ。
オレにつられて立ち上がった少女に右手を差し出す。
『改めて初めまして、オレの名前は中嶋 裕也ですよろしく』
少女は両手で包み込むようにオレの手を握った。
『こちらも改めて初めまして、飛来 命と申します』
ニッコリとその笑顔は健全な16歳男子ならみな一撃で心地よくノックアウトされるだろう最高の笑顔だった。
じんわりとミコトさんの手の感触を感じながらふと気付く。
あれ? そういえばあの後どうなったんだっけ?
ミコトさんはなんでアトやオレのことを知っているんだ?
そもそもミコトさんは何者なんだ?
『えーーと……どれくらいオレは寝てたんですか?』
『一週間ほどです』
ミコトさんが答える。
ふーーん、なーーんだ。
一週間くらいか――
ぶふぉ! 一週間!?
『マジですか?』
『マジですわ』
あっ、あれから一週間も経ってるのか……
『アトさんオレはあの後どうなったの?』
『オマエがオロチの分身を倒した直後に気を失ったので校庭に降ろした』
それは気を失ったオレを校庭にほっぽいたと言わないか? アト君。
『その後人柱であるミコトがオマエを回収した』
『回収って……人柱?』
『はい私がスサノオ様の人柱を務めさせて頂いております』
まず人柱の意味が解らない。
大昔の生贄とかの名前がそんなものだったような……
オレはチンプンカンプンというような表情をしていたのだろう。
『あっ……えーーと、人柱というのは、柱神を操るパイロットのようなものです』
『柱神?』
またも解らない単語だ。
アトが以前、神様をそう呼んでいたような……
『柱神というのは裕也様もご覧になっている、オロチと戦っていた甲冑を纏った巨人のことです』
やっぱりあの小牧山で戦っていた神様のことか。
『じゃあオレがエピゴノスを操っていたみたいに、あの神様をミコトさんが操っていたんですか?』
『はい、その通りです』
こんな綺麗な女性が神様を操っていたなんて……
全く想像していなかったし、勝手に動いているんだと思ってた……
『私達は小牧高校の校庭で裕也様を発見後、こちらに保護しました』
むむむ、やっぱりアトさん俺を校庭にポイしたな。
あれ? じゃあ此処は?
『ここは何処なんですか?』
『琵琶湖の畔にある飛来家の屋敷で御座います』
『琵琶湖?』
琵琶湖ってあの滋賀県のか?
琵琶湖なんて生まれて初めて来たぞ。
全然実感は湧かないが……
『学校とかどうなったかわかります?』
『残念ながら御学友も含めて小牧高校の生徒や先生の方々は……』
『ぜ、全員ですか?』
『小牧市や周辺地域も含めると1万人以上の方々が……』
『いっ! 1万人!!!』
あっ……アタマがクラクラしてきた……
すぐには理解できない、
想像できない、
そんな……
あんまりだ……
アレで……
あんなことで1万人以上も……
『オレは……オレは……』
オレはあのとき何がなんだか分からない状態で流れにまかせて……
『もっと上手くやれれば……』
自分に緊張感が無かったことを改めて思い知る。
『裕也様は気になさらないでください』
ミコトさんは俯き震えていた。
『裕也様がいなければもっと多くの犠牲が出ていました』
『けどオレのせいで1万人もの人が死んだなんて……』
『死んだ?』
あっ……あれ?
佐々木とか? あれ?
『本当に不幸中の幸いですが、死者は一人もいません』
『え?』
『重傷の方々もいらっしゃいますが、ほとんどの方が軽傷です』
マジか!
『じゃあ!』
『ハイ、約1万名の方々が怪我や住宅の損害に遭われました』
『よっ……良かった……』
ほっと胸を撫で下ろす。
あれ? まてよ?
確かにオレはあの時、パラボラアンテナに吹き飛ばされて佐々木の遺体を見た。
間違いない、あの状態で佐々木が生きてるなんてことはありえない……
ということは……
チラリとアトに目線を送る。
アトは壁に背中を預けた状態で目を閉じ静かに腕を組んでいる。
『アト、オマエの仕業なのか?』
アトは鬱陶しいそうに片目だけ開ける。
『まあ、一応オマエはデシメーターオロチの分身を倒したし。約束だからな』
『アト!』
思わずアトに飛びついて頭を撫で回す。
『コラ! 鬱陶しい! やめろ!』
『オマエいいやつじゃん! 出来るやつじゃん!』
しばらくの攻防が続いたのちミコトさんが呟いた。
『しかし私がスサノオ様の力をもっと上手く使えれば、犠牲はより少なく出来たはずです』
『いいや、それこそ私の責任だ』
突然あらぬ方向から声が入る。
誰だ?