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リストランテ・アッズーロ

 

「食え」


 命令形。

 いったい人はいかなる環境に育てば、このように横暴になれるのであろうか。


 あたしは頬をひきつらせながらフォークを手に取った。

 夜中の10時過ぎにデザート食べるなんてありえない、とあらがってはみたものの、この店長に見逃してもらえるはずはなかった。

 あーくやしい。結局この人には勝てないんだよ。……実際、目の前のケーキは相当おいしそうだし。

 柿のタルトだった。

 めずらしいけれど、秋のメニューとして考案したらしい。

 洋酒に漬けた和柿をふんだんに使用して、タルトの中身はシンプルなアーモンドクリーム。

 タルト生地は、はじめは少し驚いたけれど、塩味が利いていて、でもそれがクリームの甘みと柿の大人っぽい香りと不思議にマッチしていた。


「おいしい」


 気付けばあたし、そんなことを呟いてしまっていた。

 は、と思った時には、すでにテーブルの向かいでにやりと不敵に笑う店長の笑み。


「当然」


 ……くっそう、しまった。

 更に図に乗らせてしまったではないか。


 でもほんとにおいしいんだもの。

 この人、その年でレストランを開業して成功してるだけあって、ほんとに料理はうまいんだよね。

 性格には問題大ありだけど。


 あたしはこほんと咳払いをして、コーヒーのカップを手に取った。


「でもま、このタルトにはコーヒーじゃなくて、絶対日本茶ですね。」

「日本茶ぁ? 洋菓子だぞ」

「敢えてですよ。柿の風味とタルトの塩気に絶対あうもの。それに、コーヒーは苦手なひとにもお茶は出せる。カフェインがダメな人って、想像以上に多いんですよ。前から考えてたんですよねー、なんでドリンクのメニューには日本茶がないのかって」

「……なるほどな。それは俺も考えていた」


 ありゃ。

 言い返されると思っていたあたしは、拍子抜けした。

 でも、そういえば店長は、文句は嫌いだけど意見は好きな人だ。

 人の考えをむやみにけり飛ばしたりはしない。ちゃんと受け止めることは受け止める。……気に入らないと、辛辣だけど。

 もう一口柿のタルトを口に含んだ。うん、やっぱりおいしい。


「……あたし、柿、好きなんですよ。うれしい」

「そういえば大地がそう言ってたな」

「え?」

「早く食え。そろそろ帰るぞ」


 店長の声は低いだけに聞き取りにくいことがよくある。

 あたしはフォークをくわえたまま首をかしげたが、まあいいやとタルトを食べる作業に専念した。

 そういえばさっき溶かしたチョコは見事な木の葉に化けている。

 あーあ、店長、このためにあたしを利用したんかい。


 色々思うことはあったけれど、やっぱりおいしいものは偉大だ。

 タルトを食べ終えるころには、あたしはすっかり落ち着いて、笑顔らしきものまで浮かべるようになっていた。


 ***


「で、オニトリ店長に送ってもらって帰ってきたの? なにごともなく?」


 大地が言った。

 バイト仲間にして同じ大学の生徒。

 あたしは新しいカンバスにがしがし蒼い色を創ってゆきながら答えた。


「そりゃあんだけ付き合わされたんだから送ってくれるのが筋ってものでしょうよ。ほんとにオニトリ店長だよあのひと」

「いや、そーじゃなくってね、透ちゃん。」

「なに」


 実は夏の課題の締切が2週間後にせまっていた。

 美術学科油絵専攻のあたしは、猫を失くした悲しみにくれるより、その負のエネルギーを創作に向けることに決めた。

 何を書くかは決めていない。

 ただ筆の勢いを始点として描き始めると、あたしの「それ」は蒼い花の形を取った。


 蒼いバラ。


「ブルー・ローズって、不可能って意味だっけ?」

「え? ああ、英語だとね、たしかそうだね。」

「なんで花なんだろ。自分でわかんないや」

「描こうって決めて描いてるんじゃないの?」

「ちがう。勢いに任せてるの」


 ざしゅっ、と。

 またひと筆をカンバスに振るう。

 蒼いインクが頬に、ジーンズに飛び散った。


 ここは大学内の創作室。あたしのカンバスは大地の背よりもたかく、ほとんど部屋の一角を占領していた。

 大地が見上げながら考え深げに言う。


「……アーティストの考えることはよくわかんないよ。」

「あっはは。変人だよね。っていうか異常。ほとんど」

「偏ってるからなあ。でも、俺は好きだよ、けっこう。知り合いにもいるんだ。ガラス職人が」

「へー、バカラみたいな?」

「そうそう。バカラの弟子やってる」


 そうなんだ。


 頷いても、あたしは手は止めない。 

 結構いい感じだ。心がふかく沈んで、落ち着いている。集中している。

 蒼い、青い色に眼が焼ける。


 悲しみの色。自由の色。

 つまり、永遠。


 ……暑い。


 セミの声が明けはなしの窓からずーっと聴こえてきていた。

 アブラゼミかな。夏はもう終わる。

 この鳴き声もまもなく聴けなくなるだろう。


 ふいに大地が言った。


「ねぇ、透ちゃん知ってる?」

「なに?」


 汗を腕でぬぐいながらあたしも答えた。

 大地は存在感がいい意味で薄い。

 やわらかいというか、あえて気を消している感じがある。だから邪魔じゃなかった。他の奴ならとっくに追い出してるとこだけど。


「店長の名前、ソウジロウっていうんだって」

「古臭っ。似合わなっ!」

「いやいや、でもね、漢字がカッコいいんだよ。蒼穹の蒼に次郎だから」

「蒼?」


 あたしはげっと思ってカンバスをまじまじ見詰めてしまった。

 もしかして、さっきから大地が言いたかったのって、そういうこと!?


「ちがうよ。俺が言いたいのは、店長がなんでいつも透ちゃんばっかに構うのか、考えてみたらってこと」


 へ。

 なんだそりゃ! と思って椅子の上からふりむくと、大地はすでに居なかった。

 素早い。ていうかあの人、超能力者だったのか。知らなかったなー。


 ……一呼吸おいて、あたしは再びカンバスを見つめ直した。


 色々と思うところはそりゃああったが、とりあえず再び筆を握り締めた。


 ***


 リストランテ・アッズーロ。

 そういえばアッズーロというのもイタリア語で蒼を意味するのだと、バイトを始めたころに誰かが教えてくれたんだった。


 蒼。蒼ねぇ。

 外装にはまったく蒼を使ってなんかいないんだけどね。


 考えながらあたしは今日も出勤した。

 思えば大学入学とともに始まったこの店との付き合いも、はや3年半。

 イコール店長との付き合いも3年半を数えたってことだ。


 あたしは正直店長はきらい。

 ご承知の通り性格悪いし、口も悪いし、プライド過剰で横柄だ。


 しかし彼は、誰にも負けないドルチェを創る魔法の腕があった。


 彼という人間とは裏腹に、彼のドルチェはとてもやさしい。

 甘さは控えめだが、心に染みいるような、丁寧で素朴な味わいがある。

 特にパンナコッタとかティラミスとかそういう単純なドルチェは天下一品で、デザートだけ買いに来るお客さまも多いのだ。


 ……って、何考えてんだろ、あたし。


 制服に着替えながらあたしは首を振った。

 最近寝ないで課題に取り組んでるから、ちょと頭がおかしくなってるっぽい。

 あれから色々描き直してはみたけれど、やっぱりどのカンバスも蒼く染まった。

 猫の死にかなりの打撃を受けているあたしは、たぶん心の根底で悲しみにとらわれていて、だから暖色を受け付ける気にならないのだと思う。


 あの子も上京した時に拾った子だった。

 まだ若い猫だと思っていたのに、急に具合を悪くして、がりがりにやせて死んでしまった。

 あたしのせいか。バイトに課題であまり家に居なかったから?

 3年前の母の死がフラッシュバックして、重なる。

  親父はどうしてるだろう。娘に捨てられて、元気かな。


「おっはよー、透ちゃん」

「あ、おはよ、大地……」


 通り過ぎて行ったさわやかな青年の姿に笑みを返した。

 だめだ。考えがまとまんない。ごちゃごちゃしてしんどい。

 頭を手で押さえて首を振った。

 ねむい。

 いや、頭が痛い。


 ま、バイトしてりゃあ治るでしょ。


 と思って早速仕事に入ったあたしだったが……どうやらその考えは甘かったようだ。

  気が付いた時には。


「深沢ッ!」

「深っちゃん!?」

「透ちゃん!」


 ──なぜかあたしは皆に顔を覗きこまれ、倒れ伏してしまっていたのだった。






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