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潜入!

 


 試験期間の美大には殺気立った空気が流れている。

 実技だけでもキツイとうのに一般教養という二つ目の重荷があるのだ。課題の仕上げに合わせて生徒の多くは精神的に追い込まれていく。

 まぁ、アタシはその「追い込まれる」状態が場合によっては良い刺激になり、作品を作り上げるだけのバイタリティになると考えているのだけれど、人にはいろいろ事情や性質がある。あたしのように馬鹿みたいにポジティブに物事を捉えられる人ばかりではない。


「集まってんなー」


 というわけで、闇に浮かぶ近代都市のようなうちの大学を目前に立ち、店長はきびしい顔をして呟いた。

 あたしにもその言葉の意味はわかった。


「……あつまってるって、霊?」

「まぁ、ざっくり言うとな」

「何よ、ざっくりって」

「説明がめんどいんだよ」


 店長はあたしの言葉に眉をしかめて逡巡した。そしてしばしの後に再び口を開いた。


「……まぁ、何ていうんだ、やっぱこういう学校だと嫉妬とか競争心とか、あんだろ」

「あるある。めっちゃある」


 あたしは何度も頷いて見せた。すると店長は言葉をつづけた。


「そういう、人の心に潜むものはな。悪いものを呼ぶんだ。霊だけじゃなくて色々と、禍々しいものを」

「禍々しい……」


 先ほどまで世界を埋め尽くしてた異形たちの姿を思い出し、あたしは身震いした。知らず胸元の銀のロケットを握り締めてしまう。

 ──今は、見えない。

 だがそれは彼らが消えたのではなくただ視界に映らなくなったというだけで、本当は世界があのように機能しているという事実をあたしは知ってしまった。

 だから今も。

 あたしの周りにはこの世界に並行して霊たちの世界が重なっている。

 そして店長の眼にはそれがはっきりと見えているのだろう。


 そこまで考えて何となく怖いような、辛いような感情が喉元にこみあげてきて、あたしは思わず店長のシャツの裾を掴んでいた。


「……ふかざわ?」


 おどろいたような、微かに戸惑ったような店長の声が耳を打つ。

 あたしはおずおずと彼を見つめた。自分よりほんのわずか視線の高い彼の瞳を。

 そして、尋ねた。


「店長、あのさ」

「……なんだよ」

「あの、あたしにこのロケットをくれたってことは……店長になにか、差障りがあるんじゃないの? 普段はこれを身に着けているんだよね?」


 コックコートに隠れてふだんは見えない彼の胸元であるが、一度バイクに乗せてもらった時、ネルシャツの襟元にちらりと銀色のものが光っていたのを思い出してあたしは言った。

 店長はすると一瞬めんくらったようであったが、すぐに「ああ」と喉声を出し、それから酷くやさしく眼を細めた。


「んなこと気にしてたのか。──だいじょうぶだよ」


 その声も顔も、あんまり優しくて、今までに見たことが無いほど甘くて。

 ドキン、と一瞬痛いくらいに胸が高鳴った。

 あたしは戸惑う。


「え……」

「俺は、ガキん時に見えるようになってから、ずっと見えてるんだ」


 店長はさらりと言って紺青の瞳を逸らした。

 大学の灯りを受けて闇に浮かび上がるその横顔をじっと見つめて、あたしは何となく気おくれして彼のシャツを掴んでいた手をはなした。

 すると店長は続けた。


「──前に言った、じいさんの家系に聖職者が何人かいるらしくてな。血筋だろうな。時々俺みたいな力を持つ子供が生まれてくるんだ。だからそれがあろうとなかろうと関係ない。多少楽にはなるけど、気休めに近いんだ」

「聖職者……」


 あたしはよくテレビで見るバチカンの法皇を想像した。

 すると横から店長の補足が加わった。


「わかりやすく言うと僧侶、神父、悪魔祓い師」

「はぁ~。やっぱり、十字架で悪霊退治するんですか?」

「そういう時もある」


 興味本位のあたしの質問に対し店長は頷いて、止めていた歩みを再開した。あたしも慌てて後に続く。


「てか、店長ってキリスト教信者なの?」

「一応な」

「そうなんだ! 知らなかった」

「……ってか、言う必要もねぇだろ別に」

「……まぁそうだけどさ」


 ぶつぶつ喋りながら歩いているとあっという間に大学の東門前に到着した。

 ここから近い校舎の三号館に絵画学科用の制作室棟があるのだ。

 さらにその中で油彩と日本画、版画と専攻ごとに場所が別れ、あたしが使ってるのは油絵学科の制作室である。


 時刻はすでに七時を過ぎている。

 だがうちの大学はまだまだ賑やか、むしろ授業が終わったこれからが勝負時なので、キャンパスを闊歩する生徒の数はいっこうに減る気配がない。


「意外と、夜遅くまでマジメなもんだな。大学生って」


 感心したような口調の店長にあたしは肩をすくめて答えた。


「今は試験期間だからね。普段はここまでじゃない。やる気のある人はいつでもマジメだし、そうじゃないひとはどう取り繕ったってフマジメよ」

「学生なんて親の金でふらふら遊んでるだけかと思ってたぜ」

「あたしもそう思ってた。看護師やってるときはね。大学生って楽しそうでいいねーって」


 広場を突っ切りながら喋っているとそれがあまりにも普段通りのやりとりなので現状の異常さを忘れそうになる。

 だが後から考えれば、それは店長があたしを思いやってくれていただけだったのだ。

 この夜のあいだじゅう彼はずっと、あたしのわからないやり方で、あたしを守り続けてくれた。


 ……どうしてそこまでしてくれたのかは、正直いまでもよくわからないけど。


「あそこ、だな?」


 ふいに店長が言った。

 あたしは驚いて顔を上げた。教えていないのにどうしてわかったのだろう。

 店長の指が迷わずに三号館を、しかもその最上階を示している。

 ぽつぽつとしか灯りの点らない五階の制作室、そこは空調が故障しているからという理由で予約しやすく、あたしが愛用している場所だった。


「……なんでわかんの?」


 あたしは呑気にそう尋ねた。だが店長はあたしとは全く正反対の厳しい、怜悧な顔つきになって応えた。


「聞かなくてもやべぇ場所だってわかるぜ。あんなに強烈なのがいるとこ。……っていうか」

「──っていうか?」

「完全に気づかれているな・・・・・・・・


 チ、と店長が舌打ちをしたと思ったら。

 その途端あたしの世界がぐるりと回った。


「えっ、なっ!? ……ひゃっ」


 突如としてお腹に感じた衝撃。

 それに引っ張られて脚が宙を浮き、重心が腹部にかかった。

 なんか物凄い力で自分が持ち上げられたのだ、と悟ったのち、今度は身を襲った浮遊感。


「ぃ……っきゃーーーー!!!??」


 あたしは大嫌いなジェットコースターにでも乗せられた気分で大絶叫したが、その叫びも長くは続かなかった。

 何故ならあたしは何か大きな、ふかふかのものの上にめりこむようにして落っことされたからだ。

 今度はなんだ。ふわふわと毛羽立った温かく柔らかいもの。

 動物の毛並に口が埋もれ、漏れる悲鳴も全てそこに吸い込まれてゆく。


「んむーっ!? ふぇんひょ、むぅっ、んんっ」

「しいっ、深沢、落ち着け! 大丈夫だから」


 早速霊の攻撃でも受けたのかと、半狂乱に陥ってじたばたともがくあたしを背後からぎゅっと抱き起こしてくれた存在があった。

 ……店長だ。


「深沢。俺だ。わかるよな?」


 店長はあたしの目元を手のひらで覆いながらそう尋ねた。

 あたしは返事ができない。

 ただ息を吸うのだが、吸い込んでも体に入って行かず、ただヒュウといやな音が響くだけだ。


「わかったら返事しろ。大丈夫だ、ちゃんと説明するから。とりあえず一回、鼻でゆっくり呼吸しろ」


 店長が落ち着いた低い声で、耳元で一言一言諭すようにそう喋る。

 あたしは何がなんだかわからなかったけれど、とりあえず言われた通り鼻から大きく息を吸った。

 すると体が自然に取り込んだ空気を吐き出して、肩が大きく上下する。

 自分の心臓がばくばくと暴れている音が耳に響いた。


「よし。もう一回だ」


 店長が今一度耳元で繰り返したのであたしは素直に従った。

 鼻から息を吸い、お腹で吐く。

 それを何度か繰り返していくうちに、異様に早く脈打っていた心臓が落ち着くのがわかった。

 同時に、自分の呼吸がひどく乱れていたことにも気が付いた。


「か……っ、過呼吸……っ」


 ようやくそれだけ呟いて、あたしははぁっと息を吐いた。

 同時に背中からも安堵したようなため息が響く。


「落ち着いたか? ……良かった」


 その、良かった、の言い方が異様に優しくあたしはこっそりと頬を赤らめた。ちくしょう。

 この男、普段は態度悪いだけに……ちょっと優しくされるだけでもギャップが激しい。激しすぎてずるいくらいだ。

 なんだか悔しくてあたしは唸った。


「よくない、ゼンゼン良くないっ! なんなのこれ、この状況!」

「だから、今から説明する。……その前に」

「なんじゃい! ってか手を離せ!」


 未だに目元を覆っている手のひらを手のひらで叩きながらあたしは叫んだ。いつまでもこうされているのは鬱陶しいし照れくさい。

 ……大体、さっきからずっと店長に背中から抱きしめられている恰好なのだ、もうそれだけでヘンになりそう。


 あたしらそういうカンケーじゃないのに! 

 じゃないのにっ、何、ほんとこの状況!!


「あーっと、手は離す。……だがその前に一つ約束してほしい」

「だからぁ、何よ」


 まどろっこしい店長の言い方に苛立ちを隠さずあたしは声を荒げた。

 それでも店長は要領を得ない言い方でこう続ける。


「……まず、俺たちは今非常に危険な状況にある。既に敵陣の中、ばっちり見つかっている。なので今は身を隠すのが最善だ。わかるな?」

「だからさ、もっとはっきりと……」

「いいから聞け。大事なことだ。で、俺にとってなんの力もない素人のお前を守りながら動き回るのは荷が重い。だから手伝いを頼んだ」

「だから誰に!」

「それを教える前に約束だ」


 強い声で店長が言って一呼吸置いた。あたしも自然と習う。

 そして一瞬後、耳を震わせた厳しい声。


「いいか、このあと何を見ても──絶対に騒ぐんじゃないぞ」

「はぁ? それは時と場合によるに決ま……」

「絶対に!!」


 あたしは眉をひそめて即行言い返しかけたが、店長は遮った。


「騒ぐな。頼む、約束しろ」

「だからなんで!」


 なおも聞き返す分からず屋のあたし、元々理由を知らないと納得できないタイプなのだ。ええそう、生粋のA型っていうか、わりと理屈っぽいタイプなの。職業柄もあるかもね。

 そんなあたしにますます苛立ったように店長も怒鳴り返した。


「るせーな、この何故何ヤロウがっ! とにかくじゃねえと危ないんだよ!」

「はぁ!? だから、意味わかんないしっ」

「あーわかったよ、だったら自分の眼で確かめろ! 振り落とされても知んねぇからなっ」


 こいつは気位高いんだ!


 店長はそう吐き捨てると、いきなりあたしの目隠しを取った。

 ──つまり、あたしの目元を覆っていた手のひらを剥がしたのだ。

 ずっと肌が密着していたせいでしっとりと汗ばんだ目元、そこを風が撫でてゆく感触が心地よく、何なのよ一体、と思いつつあたしは眼をみひらく。

 押さえられている間は自然と眼を閉じていたのだ。


 ようやく自由になった視界、おもいっきり解放したそこに、まず映りこんだは星だった。


「……そら?」


 あたしは間抜けな声を発した。

 だってあたし、あたしたちは大学構内を歩いていたはずではなかったか。

 なのに今、周囲に広がる風景は──夜空。

 ようやく闇を纏った夏の宵空、少し色の薄いそれのあちこちに星が浮かび、視界を遮る建物のたぐいは一切無い。


 嫌、無いのではない。


「ひぇっ……」


 あたしは気が付いて瞠目した。

 無いのではない、見えなかったのだ。

 あたしがさっきまで歩いていた地上は──今はあたしたちの遥か足元に存在していた。

 眼の前の夜空、闇のドレスの裾を飾る街並みの灯り、見下すあたしたちは空の只中に浮かんでいる。


 そこまで理解して息を呑んだ。どうやって・・・・・


 疑問に導かれるようにしてあたしは初めて、自分の体を支えるものの存在を意識した。ふかふかの──あたたかく、毛羽立った大きなもの。



 犬、のような。

 だがもちろん普通のそれではない。

 大きさといい、空を飛んでいるところといい。


『さっきから全くうるせぇ小娘だ』


 ふいに、腹の底から響くような音がした。あたしはまた叫びそうになったがなんとか堪え、今のは何かと判断にかかる。

 看護師をやってたおかげで度胸だけは人並み以上なのが幸いした。じゃなきゃとっくに驚き過ぎて転がり落ちてる。


 今のは、声?

 割れ鐘のような──銅鑼のような、そういう物凄い響きだったけれど。


「違いない。だが緊急なんでな。頼むから助けてほしい、デイル」


 後ろで店長の声がした。アタシは少し現実感を取り戻す。

 と、ふたたびお腹の下で『何か』が喋った。


『ほぉ、珍しく殊勝じゃねぇか。お前がそこまで言うなんてな、よほど大事な女と見える』

「勝手に言ってろ。ったく、久々に使ってやったってのに、相変わらず態度の悪い使い魔だ」


 はぁと鬱陶しげに息を吐いて、それから店長はあたしを呼んだ。


「おい、深沢」

「は──ハイっ?」


 声が裏返る。

 だが店長は笑わなかった。代わりにあたしたちを運ぶ『何か』が楽しげに笑った。


『っ、くっく。俺を見ても動じねぇとはな。確かにおもしろそうな人間ではある』

「だまれ」


 今一度鋭い声で切り捨ててから、店長はあたしに言った。


「深沢、驚かせて悪かった。これは俺の協力者だ。守護霊の一種で──まぁ大型犬のようなもんだと思ってくれ」



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