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ひかり

 

 どっちがだよ!


 と、あたしは思った。でも言葉にはできなかった。

 なぜなら店長があたしの手をつかんで急に歩き出したからだった。

 早足で、隣の車両目指して。たぶん周囲のざわめきがうるさかったかもしんない。


 なにあの子? というOLさんの眉をひそめた囁きに始まって、ママあのおねえさんどうしてうるちゃいの? という可愛くも腹立たしい子供の声、そしてそれに対してシーッ見ちゃいけません! と諭すお母さんの声。

 完全に頭おかしい人認定を受けてしまっていた。公共の場で絶叫したあたしが悪いけど。

 しかもそこに駆けつけた店長に至っては、あの子の彼氏? やあねえそういうプレイなのかしらという濡れ衣が着せられている。

 でも、こういう時こそ持ち前の毒舌を発揮して欲しいってのに、当の店長はさっきからニヤニヤしてるばっかりで周りのことなんかほぼ見ていない。


 ……てかちょっと待て! さっきから何勝手に乙女の手え握ってんだ!


「店長、ちょっと待っ……」

「お前もう視えてるな? あいつらと眼が合っただろう?」


 あたしの発言を完全に無視して店長は背中でしゃべった。

 かと思えばいきなり立ち止まり、ぴたりくるりと振り返る。

 あたしはヒッと喉声を鳴らして飛び上がった。だって店長の眼が、いつもより鮮やかな紺青に輝いていたからだ。


「ったく面倒な体質になりやがって。ちょっとこれ首にかけてろ」


 彼は、さまざまな感情に翻弄されて硬直したあたしの首に、自分の首もとから何かを引っ張り出してかけてくれた。ネックレスだ。銀のロケット?

 鎖がとても長いそれは、あたしがつけるとちょうど胸のあたりにロケットが落ち着く。 

 店長の手が両肩にふれた時、自分でも認めたくないのだが、彼の体温にひどく守られているような心地がし、あたしは鼓動を跳ね上げざるを得なかった。

 自分のテリトリーというものを明確に持つ店長がみずからあたしに触れてきた。そのことは、いつもあたしを酷く動揺させるのだ。


「……何、コレ」


 あたしはかすれた声で言った。ロケットに触れてみると、それは店長の体温を吸い上げてほんのりと温かかった。大切に扱われているのだろう、清純な銀の輝きは鮮やかで、鏡のように磨きこまれた表面には一点の曇りすら見つけることができなかった。

 店長は淡々と言った。


「魔除だ。弱いやつらはそれで近寄れなくなる」

「まっ……!? いきなりファンタジー!?」


 目をみひらいて小さく叫ぶと、すぱーんと頭を殴られた。いった!


「なにすんのようっ」

「茶化すな! まったくお前はいつもふざけて、さっきみたいに少しはしおらしくしてたらどうなんだ」

「やめてよ、そういうのが好みなわけ……」


 店長の掌がちょうど頭のでっぱりを直撃したので、こらえきれず涙目になりながらあたしは彼を睨んだ。と、そこで、世界が鎮まったことに気が付いたのだ。

 先ほどまであたしを惑わし、混乱と恐怖に巻き込んでいたあの青白い死霊たちの世界が──視えなくなっている。つまりあたしの世界は見慣れた本来の姿を取り戻し、ごくありふれた退勤ラッシュの電車内という光景に戻っていた。


「深沢?」


 黙り込んだあたしを心配してか、店長が顔を覗き込んでくる。紺青に輝く瞳が間近に迫った。


「どうした? まだ視えるか?」

「……み、えない。みえなく、なった」


 あたしはかすれた声で答えた。そしてそんな自分の声に、ようやくほっとすることができ、お恥ずかしいが力が抜けた。腰が砕けてその場にへなへなとしゃがみこんでしまう。

 思えばさっきからずっと気を張っていたのだ。ヤコを視て、わけのわからない『もの』に襲われて、逃げて、かと思えばいきなり、上塗りされた絵の具がはがれおちるように色を変えた世界。


 ……びっくり、した……。


 かすかに目元に涙が滲んだ。思わず指先で目頭を押さえると、店長があたしのそばに膝を折り、なんかものすごく困った顔で喉を鳴らした。


「あ~……おい、深沢……?」

「なんでしょう」


 あたしはぐし、と目元を乱暴に拭いながら答えた。声が震えたのは無視する。

 泣いたことを笑われるかな、と一瞬思ったけれど、でもすぐにそんなことはないと思い直した。

 だって店長はそういう人じゃない。

 そのことを、あたしは既に知っていた。


 と、かなりの間を挟んで、店長は言いにくそうにこう切り出した。


「あのよ……悪かったな」

「……は?」


 なにを言われたのかわからなくて、半ばびっくりして顔をあげる。と、店長はあたしの頭にぽんと掌を置いた。あたしはさらに驚く。なんか最近、スキンシップが多くなっている気が……。

 なんとなく頬が熱くなって、見れば店長もどことなく顔を赤らめていた。

 彼はあたしを見ずにぶつぶつとこう言った。


「……巻き込んじまった。お前が、視えるようになっちまったのは俺の影響だ。本当ならお前は、こんな世界があることは知らずに生きていけるはずだったのに」

「そんな……違うでしょ、なんで謝るの?」


 あたしは目を皿のように見開いて店長を見た。だって彼が謝ったところを、あたしは仕事以外で初めて見たのだ。

 気高い店長。ものごとの正誤というものをちゃんと自分の眼でみて判断し、信じることのできる人。この人は決して無意味に謝罪したり、不要な言葉を垂れ流す人ではない。


 なのに。どうして今あやまるの。


「店長は悪くないのに……」


 あたしが心から言うと、店長はそこでようやくあたしを見た。

 その彼の顔。あたしは三度驚いた。

 紺青の瞳を激しい後悔にゆがませて、唇を噛んでいる。切なさと悔しさに翻弄され、身を切られる痛みを感じているものの顔だった。 

 ──病院に勤めていたころ、あたしがよく目にしていた顔だ。


「てんちょ……」


 思わず胸に寄せる痛みがあって、あたしは思わず彼を呼んだ。だが彼は、そんなあたしを拒むようにさえぎった。


「深沢。……お前はほんとうに馬鹿だよ。悪いんだ、本当に俺が、悪いんだよ。頼むから罵ってくれ。こういう時こそ、いつもみたいに」

「店長? ねえ、何言ってるの? 変だよなんか──」

「俺が。抑えきれなかったからだ。見てるだけに留めてればよかった。今までずっとそうしてきたのに。できなくて。お前は無茶をするから……放っとけなくて。俺はいつも他人ひとを不幸にするしかできないって、わかってたはずだったのに」

「店長ってば!」


 なんだか雨に打たれた捨て犬のような風体で意味のわからない言葉を紡ぐ、そんな店長が世にも悲しげな様子に見えたので、あたしは思わず彼の腕をつかんでいた。

 視線が絡む。

 店長の瞳にはやはり本気の後悔が浮かんでいて、あたしは堪らなくなった。こういう顔は好きじゃない。っていうか店長に似合わない。

 だから、彼の腕をぎゅっと掌で握って、その綺麗な紺青の瞳を見据えて、言った。


「しっかりしてよ、店長!」


 掌の下で彼の体が揺れているのに気が付いた。いや、違う。ふるえているのだ。

 この人は何かを怖がっている。でも何を?


「よく、わかんないけど。一人で盛り上がって一人で悲しむのはやめて。あたしは全然意味がわかんないから。でもこんなことになったのは店長のせいとか、思ってない。だからそんな顔しないで」

「……」


 あたしのセリフに店長の瞳に物言いたげな光が宿った。大方、そんな顔ってどんな顔だ、ってとこかな。

 あたしはちょっと笑って空いた片手を持ち上げると、滅多にない機会だから店長の頬をつまんでやった。

 紺青の瞳が驚きに見開かれる。その様子がおかしくて、あたしはさらに、声を上げて笑った。


「似合わないよ。迷子になった子猫みたい」

「迷子……」


 かすれた声が店長の喉から漏れる。頬はあたしにつままれたままで。

 彼がほんとうに、今までになくおとなしいので、あたしは調子を狂わされつつ、でもなんだかうれしかった。こんな店長を見れた。

 こんな店長に会えた。

 たぶん、ほかの誰も会ったことのない、彼の内面に触れることができたから。


 だから優しくしてあげることができそうだった。


「店長、あのね」


 あたしは店長の腕に寄せていた手をすべらせて、彼の掌を取った。そのまま両手で包み込む。大きくてあたたかな、優しい手をしていた。

 店長はもう、ただただ無言であたしを見ている。その瞳は本当に、迎えに来てもらうことを待っている、弱い存在のまなざしだった。


「あたしはね。自分に起きるどんな出来事も、自分のものだと思ってる。誰かのせいとかじゃなくて、自分が呼び寄せたものだって。だからそんな顔しないで。店長は、悪くない。これはきっと、あたしがヤコの死を認められないせい。そうでしょう?」

「……深沢……」

「大丈夫よ。あたしは看護師やってたし、多少のことじゃへこたれないわ。知ってるでしょ? 看護師って激務なのよ。だから店長が落ち込むほど、こんなことぐらいじゃ傷ついたりしないわ。だから安心して、あたしをここから連れ出して」

「……お前は」


 ふと、店長は目を細めた。それはせつない眼差しではなく、悲しみの反射にも見えず、むしろ憧れのような──希望を孕んだものに見えた。眩しげな……というか。自分で言うのはあれだけれど。


「……本当に、光だ。真っ白で強い」


 店長は言った。あたしはよくわからなくて首をかしげた。


「光?」

「──いや。なんでもない」


 小さくそう答えると、店長はあたしの手に包まれていた自分の手に、一瞬だけぐっと力を込め、握り返してきた。

 ふいうちにびっくりしてあたしが心臓を飛び跳ねさせると、彼はさらなる不意打ちをくらわせてきた。

 つまり、笑ったのだ。

 今までに見たこともないほど甘く、良い笑顔で、こう言った。


「わかった。取り乱して悪かったが、お前の言うとおりだ。今はお前を助けることを最優先に考えよう」


 そして彼はあたしの手を握ったまま立ち上がった。

 あたしは電車の揺れによろけて転びそうになりながらたずねる。


「店長? 助けるって……」

「元凶を絶つ。──これから大学に行って、お前の制作室に忍び込むぞ」


 店長はきっぱりと言い切った。



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