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銀の閃き

 

 世界が、世界が壊れていく。


(違う……壊れていくのは、あたし自身……?)


 激しく乱れる吐息をなんとか飲み込みながら、灼熱の体で駅に飛び込む。

 真っ白いロータリー。

 だがどうしたことだろう、そこかしこに、生まれてこのかた見たことの無い生き物が──否、生き物かどうかもわからない得体の知れない存在が──暗く不気味にうずくまっている。

 それらはちゃんと見ようとすればぼやけ、逆に目を逸らそうとすれば鮮明に視界に飛び込んできた。むかし流行った3Dの絵を見る、あの感覚に似ているかもしれない。

 彼等は色々な形をしていた。人間のように見えるもの、犬や鳥に酷似したもの、そして猫の形をしたものが、あたしの足元をふらりふらりとすり抜けていく。

 あたしは思考が出来なくなった。

 自らを襲っている事態があまりにも非現実的すぎて理解の範疇を超えている。

 これまであたしという人間は、物事を自分の眼で見て確かめて判断してきた。学校を選ぶとき。母が事故で死んだとき。外科看護師になって数多のオペに立会い、人の肉体の内部を覗き込んだこと。そしてどれほど治療に尽力しても患者が亡くなるのは止められなかったこと。命の重み、人の尊さ、強い愛情が生み出す悲しみ。

 そういったことすべてを受け止めて生きてきた。少なくともそのつもりだった。

 ついさっき、銀の皿に映るヤコの姿を見た驚きだって……あたしは疑わずに受け入れたのだ。

 だって店長は嘘を言わない。

 あのひとは口は悪すぎるけど実直で、自分の信念を曲げない毅然としたひとだ。彼の言葉に嘘など含まれているはずも無い。


 あたしは改札口の手前、後ずさりして『彼等』と対峙した。

 そう、彼らはあたしを見ていた。眼が合ったせいであたしが視えていることに気づいたのだ。

 音も無くあたしの周りを囲み、輪を狭めてくる彼等のせいで、世界が二重にダブって見えた。

 カタカタと震えながら改札の手前で立ち止まっているあたしを、会社帰りらしいサラリーマンたちが何人も邪魔そうに押し退けて行った。彼らは『彼等』に見向きもせず、むしろ『彼等』をすりぬけて前進してゆく。


 あたしはそこで悟った。ああ。

 そーゆーことか。


 世界は確かにダブっているのだ。

 

 今までもずっと、あたしが気が付かなかっただけで、この世と平行に、二重に存在し続けてきたのだ。

 そして多分、私たちと『彼等』は基本的に互いを視ることができない。見えれば世界の在り方そのものが崩壊してしまうからだろう。


 私たちは生きているもの。

 『彼等』は死を超えたもの。


 この世は人が生まれてやがて死ぬことを前提に作られた。 

 ゆえに二つの世界は交わることができず、それを知っている店長はあんな不思議な物言いをしたのだろう。


(本来なら、お前は視えない。というか視えるべきじゃない)

(どんな世界にも役割を持って生まれてきた存在ってもんがいる)

(霊に干渉できる力を持つ人間でなければ、霊が視えてはいけないってことだ)


 ──てんちょー、は、いつもこんな景色を見てるの……?


 あたしはヒュっと息を吸い込んだ。怖い。

 近づいてくる。あの世の住人たち。

 きっと『彼等』はあたしを捕まえるつもりなのだ。視てはいけないものを視てしまったあたしだから。

 つかまったらどうなるかはわかんないけど、とにかく捕まっちゃいけない、そんな気が猛烈にした。これは多分、あたしの魂が叫んでるんだろう。


 足が棒になってしまった気がしたが、がちがちに強張った全身にふと、『彼等』の手足がふれてきた。犬に似た形をした異形だ。凍るような電撃が肌を焼き、あたしの恐怖はピークに達した。

 だがおかげで度胸が戻った。

 あたしはもう何も考えずに『彼等』の輪めがけて突進し、改札口をすりぬけた。もちろんスイカですいすいはして、それからホームに駆け下りると、予想外に素早い速さで追いかけてくる『彼等』から逃れようと目の前の電車に飛び乗った。ちょうど上りの電車が来ていたのだ。


 だがあたしは馬鹿だった。

 よく考えたら『彼等』に物理的な障害は通用しない、そんなのはオカルトカルチャーにおける常識であった。というか、さっき実際に『彼等』をすりぬけて走ってきたというのに。


 つまり何が言いたいかというと、電車に飛び乗ったあたしがほっとしたのもつかの間、すぐに車体をすりぬけて登場した『彼等』の姿を眼にしたのだった。

 これははっきりと男性の姿をしたユーレイだった。うん、絶対幽霊。足ないし、透き通ってるし眼も死んでるし。

 

 で、そいつが青ざめた唇をにやっと歪めて笑いながらあたしののど元に手を伸ばしてきたとき、あたしはコイツだ、と思った。さっき、レストランを出てあたしに起きた異変はコイツだったのだ。

 だがもう抵抗する気力が欠け落ちてしまった。

 

 あたしは絶望したと思う。

 

 今までどんな悲劇を経験しようともそんなことはなかったのに、でももはや、頭がこの事態を理解することを放棄していた。思考が停止し、代わりに感受性のみがむきだしの状態で『彼等』の前に差し出される。体はもちろん動かなかった。

 

 うすく白く光る腕があたしの喉にからみついた。ついでに腹にも。

 あたしは彼らをすりぬけたのに、どうやってあたしに触れているのかは知らないが、とにかくそのまま首を絞められた。

 内側からじわじわと息の根を止めるように。

 力は弱い。だが、脳に、眼に、奇妙な雑音のような靄のような負のエネルギーが忍びこんで膨らんで、そのままパンクしそうになる。


「……や……」


 あたしは足掻くことすらできずに宙を仰いだ。

 家に帰るひとびとでいっぱいの車内が視界に映る。

 若いOLさん、疲れた様子のサラリーマン、高校生たち、子供をつれたおばあちゃん。皆どこかに帰るんだ。あたたかい明かりがついている家、それか、自分で鍵を開ける家に。


 でも、あたしは。


(ここで死ぬの?)


 なんで?

 理由も分からず、正体も不明の『彼等』に襲われて?

 はたから見ればただの突然死として?


 もう明日は訪れないのか。

 絵も描けないのか、バイトにも行けないのか。

 父にも会えず、母の元へこのまま逝くのか──。


(……けて、よ……)


 あたしは手を伸ばした。無意味だと分かっていても、そこに誰かの助けを求めずにはいられなかった。

 だってあたし、生きたいのよ。

 たしかに人はいつか死ぬわ。あたしは実際に何人もの死に目に立ち会ってきたし、死は他の人より身近なものだと感じていた。

 でもだからこそ、わかるのよ。


 命は尊いわ。

 紅くて、輝いていて、歌っているの。

 どんなつらいことがあったとしても、生きていればいつか絶対に夜明けは訪れる。美しい、胸に染みるような朝焼けを見ることができる。


 おいしいご飯、大好きな友達、いつか出会うかもしれないパートナー。

 何よりもかけがえのない、醜くて美しいこの世界。


「助けて……よ!」


 あたしはまだ未練がある。

 手放したくない、この人生を生きていたい。

 だって深沢透は、あたしだけのものだもの!


「たすけろっ、店長、このバカヤロ――ッ!」


 あたしは絶叫していた。

 すると、それを待っていたかのように、視界に閃いた銀の輝きがあった。

 清らかに澄んだ光。

 それがあたしに絡み付いていた幽霊を一瞬にして消し去った。

 浄化されたのだと即座にわかった。ぼやけた霊体が強く光り輝いて、それから雲散霧消していった。

 ひかりの粒が舞いあがって視界にちらつく。


 銀の、光。


「あっ……」


 あたしはぽろりと涙をこぼした。無意識だった。

 膝が崩れてその場にへたり込んでしまいそうになるのを、伸びてきた誰かの腕が救う。


 ──誰か?


「よお、深沢」


 あたしは息を止めた。眼前五センチに迫るかわいい顔。

 今までに見たこともないほどうれしそうに目じりを下げて笑っている。


「やっと素直になりやがったか。おせーよバーカ」


 ……店長が。

 胸に銀の光を宿して、立っていた。


 




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