9-できること
旅仲間が三人になったが依然目的地は無く、三人は廃墟の暗い夜道を彷徨っていた。
この付近までは訪れたことのあるナナを先頭に、星火はニナの足元に気を配りつつ歩く。周囲を照らすカンテラは二つに増えたが、街灯が灯らない夜道はまだ暗い。
「あそこの大きな建物の向こうが、湖みたいな大きな水溜りよ」
「神社から結構距離があったな」
「セイは歩きながら笛が吹ける?」
「立ち止まっている方が集中できるが、歩きながらでも一応吹ける。走りながらは難しい」
「だったら大丈夫ね」
「?」
ビルと木の間を抜け、星火はニナの手を引く。罅割れた地面に水が入り込んでいた。
その向こうは黒く揺らぐ水面が広がり、夜ということもあり向こう岸が見えない。
「こっちよ」
「迂回するのか?」
「迂回するには結構歩かないといけないわよ。渡れる場所があるの」
「橋でもあるのか?」
「似たような物よ」
水と地面の境界線は曖昧で、当然、落下防止の柵などもない。ニナを安全な陸側に、星火は水溜り側を歩く。水からは離れているが、境界線は直線ではない。罅割れに入り込んだ水に足を突っ込む恐れがある。
「ほら、あれ」
カンテラを持ち上げて照らされた水面に、大きな円い物が浮いていた。星火もカンテラを水面に向け、怪訝な顔をする。
「飛び石……? 葉っぱか? 自棄に大きいな」
黒い水面に、縁が立っている円い葉が浮かんでいた。
「これは大鬼蓮の葉っぱよ。それもかなり大きくて丈夫な。相当な浮力があるから、上に乗ることができる」
旧時代の大鬼蓮でも子供なら水に浮く葉に乗ることはできたが、目の前にあるこの葉はその頃よりも巨大で厚みがある。葉の裏には棘があり、魚避けになっているため食べられることはない。星火の身長の三倍以上はある円い足場が幾つも水面を埋め尽くすように広がっている。まるで黒いテーブルの上に空の皿が並べられているようだ。
「これを渡るのか……」
「私とニナは余裕で乗れるんだけど、セイがわからないのよね。私より背が高いし、重そう。たぶん乗れると思うんだけど」
「たぶんで乗るにはリスクが大きいな」
「試しに乗ってみなさいな。沈んだら助けてあげる」
「沈みそうなら沈む前に陸に戻る」
「じゃあ私が先に乗ってみるから、乗れるか判断してみて。ニナより重いはずだから」
「笛を吹いておく」
「笛を拭きながら沈んでいくと余りに滑稽ね」
「…………」
そんな時は沈む前に笛を下ろして陸に跳ぶ。星火は銀笛を構え、ナナに目配せする。彼女が水溜りへ爪先を向けると、星火は音色を奏でた。
ナナは楽しそうに笑い、葉の上に躊躇なく一歩を踏み出した。そのまま葉の中央まで歩く。蹌踉めくこともなくしっかりとした足取りだ。
「浮いてることには変わりないから少し揺れるけど、泥濘を歩くようなものだと思えばいいわ」
中央で振り向いたナナは、その場で軽く跳躍して見せた。水面に波紋は走るが、葉は沈まない。
「どう?」
星火は音を奏でながら目で陸に戻るよう指示する。笛を吹いていると会話ができない。
ナナは軽快に陸へ戻り、水から距離を取る。
「どうかしら?」
「ニナは安心して渡れそうだな。僕も……多少不安定でも渡れそうだ。泥濘と言ったが、地面を歩くのと変わらないくらいに歩けていた」
「セイの体幹はどうなの? 私の方が優れてると思うんだけど」
「運動神経はドン底じゃないとは思うが」
「乗ってみないとわからなそうね。腹を括って華々しく散りなさい」
「散りたくはない」
笛をもう一度吹かずとも、一度吹けば数分は魚を鎮めていられる。笛を下げ、星火は意を決して葉の上にゆっくりと乗った。
「…………」
端から見れば落ち着いているように見えるかもしれないが、足が葉に付いた瞬間、跳び退きそうになった。ナナが泥濘と表現した理由がわかった。ぐにゃりと沈むような感覚がある。だが星火よりも軽いナナの方がこの感覚は控え目だろう。星火は水に足を取られるかと焦りそうになった。
(地面が揺らいでるみたいだ……だが水は入ってこない。歩ける……?)
おっかなびっくりとナナのように葉の中央へ歩く。跳ぶ勇気は無いが、体勢を崩さなければ歩ける。
(僕の体幹でも大丈夫みたいだな)
戻る時もゆっくりと、なるべく振動を立てずに葉を歩く。水面を荒立てると寝ている魚が目を覚ます。
陸地の安定感はさすがだ。陸地に足を下ろした瞬間、肩の力が抜けた。ニナは小さく拍手をした。
「ナナちゃんもセイも、水の上を歩いて凄い」
「ニナも歩くのよ」
「転んでも大丈夫?」
「お前の体重なら派手に転んでもびくともしないわ。ただ、葉っぱの無い方に転んだら水に落ちるけど」
「セイ、おんぶは?」
「僕の体重だとおそらくギリギリだ。ニナを背負うと重量オーバーで沈むだろうな」
「ナナちゃんは?」
「嫌よ。怪我してないんだから歩きなさい。沈む時は一人で沈んで」
「ニナが一番軽いんだから、一番安全なはずだ。重量で言うなら僕が一番怖いくらいだ」
「怖いのにおんぶ頼んでごめんね……」
「いざとなれば私もセイも泳げるから、助けてあげるわよ。……あ、もしかしてニナだけカンテラが無いから怖いのかしら?」
「ああ……盲点だったな。僕は笛を持つから、このカンテラを持ってくれ」
只でさえ廃墟の街は暗く、水上は更に何も無い。明かりが無ければ水と葉の境界線も見えない。星火は自分のカンテラをニナに貸した。
「いいの? セイは暗くないの?」
「明かりを体で隠さないようにしてくれれば、光が届く範囲で移動できる。僕は水の様子を注視しながら付いて行く」
ニナは水の方を照らし、陸との境界線を確認する。水の中は暗く、徐々に深くなっているのか、突然深い段差があるのかわからない。底が見えない。
「私が先に行くから、葉っぱの位置と浮力を確認しながら来て。向こうの陸までの距離がわからないから、途中で夜が明けるかもしれないけど」
「夜が明けても笛で魚を抑えるが、吹き続けるのも疲れる。なるべく早く向こうに着けるようにしてほしい」
「干し肉食べる? 腹が満たされれば倍は吹けるでしょ」
「さっき蟹を食べたからいい」
「セイに命を預けてるんだからね」
「わかってる」
この遣り取りも二度目だ。今度の彼女は命を軽視しているわけではない。ニナもいるのだから、失敗はできない。
銀笛があると言ってもやはり移動は夜の内が望ましい。ナナはカンテラを掲げ、大鬼蓮の葉に靴底を付けた。
「ナナに付いて行け、ニナ。僕は後ろを護る」
「怪我しちゃ駄目だよ」
「ああ」
ニナは何度も振り返りながら前進し、銀笛を口に当てようとしていた星火は慌てて追って彼女の肩を掴んで前を向かせた。護衛だと言って大怪我をした星火が心配なのはわかるが、前を見ないと水に落ちる。
葉に乗る最初の一歩は、星火が陸から手を繋いで送った。葉に両足が乗って立てたことを確認し、手を離して笛を吹き始める。昼だとこんなに悠長に口から笛を離していられない。
ニナが次の葉に移り、星火も最初の葉に乗る。不安定な足場で吹くのは想像よりも難しかった。少しでも体勢を崩せば変な音を出してしまいそうだ。
ナナは大きな葉を、そして葉の端が重なっている物を選んで渡って行く。葉が離れていると身長の低いニナの脚では跨げない。
気遣われていることにニナが気付いているかは定かではないが、彼女は葉の上を歩くことに必死だ。両腕を上げてバランスを取り、葉と足元に集中している。それを追う星火の方が体勢を崩しそうだ。
葉の道は終わりなどないのではないかと錯覚するほど長く続いたが、脚に力を入れるニナの体力に限界が近付いてきた頃、漸く終点が見えた。黒い空は少し薄くなっていたが、何とか夜が明ける前に対岸に到着できた。
「セイ、先に行って」
一番後ろを歩く星火に聞こえるよう声を張るナナに、彼は首を傾げる。笛の音を遮る程の声量をわざわざ出すのだから、下らない用ではない。
銀笛を下ろすか迷う星火に、ナナはもう一度声を張る。
「葉っぱがもう無いんだけど、陸地が遠いのよ。私がニナを背負って跳ぶから、セイは先に行って照らしてて」
水面を確認し、星火は笛を下ろした。ニナを背負うなら葉に二人分の体重を支えてもらわねばならない。星火とニナでは葉が耐えられない可能性がある。
「わかった。ニナ、一旦交代だ。同時に葉を移れば……まあ、一瞬なら二人乗っても大丈夫だ。沈む前に移動すれば」
「が、頑張る」
葉の端に寄り、二人は同時に足を上げて向こうの葉に乗せた。片足ずつ別の葉に乗っているので、重さは分散されている。
危なげなく葉を移動し、星火はナナとも場所を交代する。擦れ違う時にナナからカンテラを渡された。そのカンテラで前方を照らし、ナナの言っていたことを理解した。小さな葉は浮いているが、人が乗れる大きさではない。
「助走をつけないと跳べないな……」
「大丈夫よ、セイ。お前が沈んでも葉っぱはまた浮いてくる」
「何が大丈夫なんだ」
ナナは笑いながら背後のニナを手招く。ニナはナナと同じ葉に乗るが、葉は安定している。ナナに近付くと揺れが大きくなったが、ニナは彼女の腕を掴んで安定感を得る。
「格好いい所、見せてよ。私の奏者のイメージがまた貧弱にならないように」
「足場が磐石なら跳べる距離だ」
「ニナ、よく見ておきなさい。あれが大見得切った男の顔よ」
「顔はいつもと同じだけど、跳べたら格好いい。頑張れ、セイ」
星火はもう一度笛を吹きながら、葉の中央へ移動する。もう少し助走の距離は欲しかったが、揺らぐ葉の上を長く走っても然程変わらないだろう。
銀笛を下ろし、意を決して走り出す。足は大きく沈むが、葉は破れそうにない。葉の端のギリギリまで走って踏み込み、不安定な足場を力の限り蹴って跳んだ。
暗さの所為で陸の端が不鮮明だったが、一、二歩の余裕を持って着地できた。尻餅を突かないよう前傾姿勢で着地したため手は地面に突いたが、危なげなく跳べた。背後から二つの拍手が上がり、星火は慌てて振り返る。
「手を叩くな。魚に気付かれるだろ」
カンテラを水の近くに置き、少し下がって笛を吹く。拍手で魚が起きれば二人が跳ぶ時に危険だ。
「じゃあ次は私ね。はい、乗って」
片膝を突いて蹲むナナの背中にニナは恐る恐る跨る。星火が跳ぶ時は他人事のようだったが、ナナと共に自分も水の上を跳ぶのだと実感が湧いて怖くなってきた。
「こういうのはあれだ、一蓮托生ってやつだ」
「へぇ、上手いこと言うわね。蓮の葉を跳ぶ私達にぴったり」
「セイに教えてもらった。セイは私の先生」
「いけないことまで教えてないといいけど」
「たぶん手遅れ」
教団の集落で護衛をしている間、星火は教団が卒倒しそうな地上の知識をニナにたくさん吹き込んでいた。教団からはもう随分と離れたので、今はもう何も気にすることはない。
「あらあら、何を教えたのかしら?」
ナナは背のニナを支えながら円い葉の上を駆け出した。ニナはナナを抱き締め、舌を噛まないよう口を結ぶ。
だが星火のように葉の端を蹴った時、届かない――と思ってしまった。沈んで低くなった足に、星火が跳んだ時に入り込んだらしい水が絡んできた。
「!」
何も無い水上の空中で弧を描き、ナナは音を奏でて待つ星火の目を見た。
飛距離が足りない――片足が陸に着くが、体が付いて行かなかった。
「ナナ!」
星火は銀笛を放ってナナに手を伸ばしたが、掴むことはできなかった。
大きな音と飛沫を上げ、ナナとニナは水に落ちた。星火は慌てて膝を突いて両手を伸ばす。ナナは泳げるが、ニナを背負ったままでは沈んでしまう。ニナは驚いて混乱し、手足を必死に振って暴れている。
泳げないニナの腕を先に掴んで引き上げ、ナナに手を伸ばした時だった。
「あ」
さすがにこの水音で目覚めた大きな魚が水から飛び出し、大口を開けてナナの頭に齧り付いた。一瞬の出来事だった。
「ナナちゃん!」
丸呑みにしたのか、水中がどうなっているのか見えない。ただ水面に赤い物が染み出していく。
星火は銀笛を探すが、何処に転がったのか、暗くて見えない。
すぐに見つからないなら水の傍に留まり続けるのは危険だ。ニナまで食べられないよう彼女を抱いて一旦水から離れる。
(命を預けられたのに……)
ニナを置いて星火は水に駆け寄ろうとし、その足が前へ進むことを躊躇った。
水から覗く大きな魚の頭に一周、細く赤い線が引かれた。一思いにぶつ切りに、頭と体が断絶される。水に落ちて飛沫が上がった。
「…………」
浮いたそれを退かし、ナナが何食わぬ顔で赤い水から顔を出す。食い千切られた頭が浮いてきたのかと二人は青褪めるが、首から下も繋がった状態で水から現れ、彼女は濡れた服を重そうに、刀を手に陸に上がった。
「ここ、底に足が付い――」
刀を鞘に仕舞おうとしたナナは、突然星火に両頬を掴まれ目を丸くした。きょとんと目を瞬き、珍しく焦る星火を見上げる。
「首……付いてるよな?」
「……付いてるわよ? 足が付いたから頭を下げて、魚を切ったの」
水面に染み出した赤は彼女の血ではなく、魚の血だったようだ。魚に噛み付かれて頭を食い千切られ絶命したのだと思ってしまった。
「焦った……」
「そんなに焦ってくれるなんて、可愛い所あるじゃないの」
「目の前で死なれるのは寝覚めが悪い」
ナナとはもう旅の途中で出会った擦れ違うだけの知り合いではない。見殺しにすると寝覚めが悪くなる程度の知り合いだ。
「話は後にして、早く水から離れよう。もう空が白む」
星火は手を離し、座り込んでいるニナに手を貸す。ニナはまだ呆然としているが、小さなくしゃみをしている。早く乾かさないと風邪をひきそうだ。
「セイ、笛は吹かないの?」
刀身を布で拭って鞘に仕舞いながら、水を騒がせてしまった時に吹くはずの音色が聞こえなかったことをナナは指摘した。星火は怪訝に振り向き、地面に視線を落として顔色が悪くなる。
「……君に手を伸ばす時に邪魔だったから投げた……」
「何処に行ったかわからないの? 奏者なんて笛が無かったら何も残らないわよ」
「明るくなったら探す……。魚も活発になるが、仕方ない。静かに探す。まずは君達を乾かさないと」
「まあこんな所に人がいるわけないから、拾う人もいないわよね。私の所為みたいだから、一緒に探してあげるわ」
空の色が多少明るくなった程度で足元に影はできない。カンテラで照らさないと見えないようでは物を探す効率が悪い。星火はカンテラを二つ持ち、服を絞って水を落とすナナと真似をするニナを照らしながら近くの背の高い建物に向かった。
心許無い二階建てだが敷地面積の広い民家を見つけ、そこに避難する。屋根に柵が見えるので、きっと屋上がある。それなら実質三階があるようなものだ。
広い家なら多くの場合、ベッドが複数ある。服を乾かす間、寝て待つことができる。
玄関には鍵が掛かっていたが、庭の方にある大きな窓は割れていた。既に荒らされていて、食料は期待できそうにない。
三人も窓から入り、部屋を見渡す。破れたソファや小物が落ちた棚があり、壁に大画面のテレビが付いている。
「裕福そうな家ね」
「先に屋上に行って服を乾かすか?」
「乾かす間に物色したいわ」
「寝なくていいのか?」
「私も! 私も物色する!」
ナナに倣ってニナも手を上げるが、彼女の顔は眠そうだ。物色の最中に倒れるだろう。
寝室は二階にあり、カプセル型ベッドが二つ並んでいた。別の部屋にも一つあり、こちらはどうやら子供部屋のようだ。お姫様の部屋のように凝った細工の家具が並び、カプセル型ベッドはたくさんの褪せた造花とリボン、硝子だか宝石だかの小さな石で飾られている。
「……凄い部屋ね。質素な私達からしたら胸焼けしそうな」
「母親の部屋を思い出す……」
「えっ、セイの親ってそういう趣味なの? もっと聞きたい」
「…………」
無意識に漏らしてしまった星火はもう何も言うまいと口を噤んだが、ナナは好奇心で爛々とする目で星火の背中に視線を注ぎ続けた。
下から見上げた時に二階建てだと判断したが、奥に狭い三階が存在した。そこから外に出られた。屋上はバルコニーのようだった。元は白かっただろう汚れたテーブルと椅子が隅に転がっている。
近くに転がっていた枯れ枝や空っぽの植木鉢を使って簡単に焜炉を作り、熱し石を叩いて置く。火が上がったことを確認して、転がっていたテーブルと椅子にニナとナナは濡れた服と鞄を掛け、カプセル型ベッドから持ち出したシーツに包まった。
「僕は笛を探してくる」
「待ちなさい。私も行くって言ったでしょ? 笛の無い奏者なんて只の人間と同じなのよ」
「シーツで付いて来られてもな……」
「じゃあお前の上着を貸しなさい。早く笛を探すんでしょ?」
「……わかった」
少し考えたが、銀笛が無ければ非力な人間であることは確かだ。笛を持たずに地上を歩いたことがない星火は内心とても不安である。ナナの刀はとても頼もしい。星火は鞄を下ろして上着を脱ぎ、ナナに手渡した。丈の長い上着は体をすっぽりと覆ってくれる。袖も彼女には少し長かったが、刀は握れる。
「いいなぁ。私も笛探しに行きたい」
「ニナは私達の服を見守る仕事があるんだから、服が燃えないよう見張ってなさい」
「服は大事だもんね……私の仕事、頑張る」
現代で服を手に入れる方法は大きく分けて三つある。地下集落で入手するか、行商機から買うか、自分で作るかだ。地上の廃墟に服は残っているが、染みや虫食いが多く、そのままで着ることは難しい。余程丁寧に保管されていなければ劣化している。そのため着用できる服は大事に扱わなければならない。
手を振って見送るニナを残し、星火とナナは家を下りる。空は鈍色だが地上の夜は明けてカンテラは必要なくなった。
星火が笛を投げた位置まで戻り、周辺を見渡す。瓦礫の隙間や草の陰に隠れていないか目線を下げながら探した。
背後の水溜りは穏やかだ。時折魚の影が浮かぶが、少し距離があるため星火達には気付いていない。
「セイ、どのくらい放り投げたの?」
「必死だったから……」
「方向はこっちで合ってる? 水の方だったりしない?」
「後ろに投げたのは確かだ」
「笛って叩き付けたら壊れないの?」
「試したことはないが、丈夫らしい」
「私が拾った笛は覚えてる?」
「ああ。分家の笛だな」
「それを洗って汚れを落としてみたんだけど、傷だらけだったわよ」
「分家のことは知らないが、本家だと専門の職人が笛を作っていると聞いた」
「私ね、今一番興味あるの、セイの家だわ」
「別に面白い物は無い」
「友達程度じゃ教えてくれないってこと? どのくらい親しくなったら教えてくれるの?」
「別に……教えないってわけじゃない」
二人は各々手と目を動かしながら、好奇心の雑談を続ける。ナナが追って来たのは星火のことを探るためではないかと疑ってしまう。
「君は相当の知識があるようだが、何処で情報を手に入れたんだ?」
このままでは笛探しの間ずっと質問攻めだ。星火は話題を変えた。
「んー? 図書館よ」
「図書館? 旧時代で情報収集と言えば図書館だが、現代でも閲覧できるのか?」
「ほぼできないわよ。図書館で貸し出されるのは本のデータのみだもの。機械の中のそれは今じゃ見ることができない。でも地下に紙の本を所蔵してる図書館もあるの。地下だから殆ど水没してるけど、してない所を見つけたことがあって、そこで色々知ったわ」
「図書館では情報は得られないと端から除外してたな」
「そうよね。でも例外はある。私は例外を見つけた。――じゃあ次は私の質問に答えて。胸焼けしそうな部屋のセイの母親も奏者なの?」
「そこを掘り起こすな……」
星火が生まれる前から母親の部屋は変わっていないため、彼はあれが普通だと思っていた。だが地上を探索する内、個性的なのではと考えるようになった。ナナの反応を見て、あれは変なのだと確信した。
「セイの部屋もあんな感じ?」
「僕の部屋は普通だ。母親は……奏者じゃない。父が奏者だ」
「奏者同士が結婚するわけじゃないのね」
「寧ろ奏者とは結婚しない。家が認める奏者は自分の家系のみだからな。余所の奏者とは交わらない。幾つかの集落で結婚相手の候補を探して選ぶらしい。玉の輿に乗ろうと候補が群がってアピール合戦になるそうだ」
「その光景、外野から眺めたいわ。セイはいつ戦場に行くの?」
「そんな物騒なものじゃ……。本来なら十八歳から候補選びが始まると聞いたが」
「今、十九歳よね? 過ぎてるじゃない。家には帰らないの? それとももう決まった?」
「……旅仲間になるなら、まあ……言っておいてもいいか。僕は四年前に攫われて、家の場所もわからない。帰るつもりもない。丁度いいと思ってるから同情はいらない」
「あら、そうだったの? じゃあ候補選びはしてないのね。攫われたんなら、捜されてないかしら?」
「どうだろうな。死んだと思ってるかもな」
「親って、自分と似てるもの?」
「? 僕は似てないと思うが……」
「そ。私は親の顔も覚えてないから、どんな感じなのかと思ったんだけど。ニナはどうなのかしら? 私達みたいに訳アリ? それとも、セイが攫ってきたの?」
「攫ってな……んん……ニナの意思だから、攫ってないはず」
「誘拐したのね」
「してない」
教団のことはまだ黙っていようと決めたが、教団の話をしないとなると話が上手く纏められない。教団が襲われて逃げて来たと言えば納得はできるが、ナナが空を破壊した犯罪者をどう思っているかわからない。もし教団を襲った者達のように憎んでいれば、ニナの命が危ない。
「セイ、あそこに光ってる物があるんだけど」
「! 見つかったか?」
ナナはカンテラで暗い瓦礫の下を照らし、星火を手招く。蹲んで覗き込むと、カンテラの光を返す短い棒が見えた。
「笛っぽい……が、手が届かないな。長い棒を入れても、瓦礫の隙間に落としてしまいそうだ」
「ニナだったら入れそうよ」
ナナは拳を握り、瓦礫を思い切り殴る。
「ほら、すぐには崩れないから安心」
「崩れたら僕の笛が埋まるんだが」
崩れないと見越していたのだろうが、ナナの行動は心臓に悪い。
「一旦戻ってニナを連れて来ましょ」
二人は来た道を戻ってニナの居る家に戻った。
屋上でニナは大人しく熱し石の火を見詰めて頭を揺らしていた。眠そうだ。
「ニナ、手伝ってほしいことがあるんだが、起きてるか?」
「! 凄く起きてる」
閉じそうな瞼を上げ、ニナは自分の頬を両手で叩いた。
「ニナにしかできないことなんだが」
「私だけ? 期待に応えられるよう頑張るぞ」
「服は大方乾いたみたいだな。着替えて行こう」
星火は部屋の中で待ち、ナナとニナは急ぎ服を着て火を消す。星火も上着を返してもらって羽織る。上着がないと少し寒い。
三人は銀笛が転がる瓦礫の前に戻り、カンテラを翳す。奥の方で変わらず光を返す棒がある。
「あれを取って来てほしいんだ」
「私は小さいから、私しか入れないのか」
「そうなんだ」
「思ったより大役だった。すぐ取って来てあげる!」
ニナはカンテラを借り、それを前に置きつつ這って瓦礫の奥へ向かった。瓦礫が崩れる可能性なんて全く口にせずに入ってしまった。星火が言うなら安全だと信用している。
「……声が聞こえたのかしら?」
「どうした?」
「水面が揺らいでる」
自分を守るのは自分しかいなかったナナは脅威に敏感だ。常に辺りを警戒し、振り向いて刀を抜く。その目はもう笑みを潜め、瞬きすら惜しく水面を見詰めている。
「ごめん、僕は何もできない」
「いいわよ。私の新しい居場所は奪わせない」
一歩前へ出、水面から高く飛沫が上がる。距離を取っているというのに、巨大な魚は息のできない陸を這ってでも人を食べようとする。
「二枚に下ろしてあげる」
体長四メートル程の大口を開けたクラドセラケが襲い掛かり、ナナは駆け出して刀を地面と水平に振った。バットを振るように大口を上下に二つに、引き下がれない体もそのまま二つに切り裂く。鮮血が生々しく地面を汚し、二つになった体が跳ねて水の中へ滑り落ちた。
「何か水の音がするよ!?」
顔は瓦礫の奥を向いていても音は聞こえる。騒々しい水音が耳に入り、ニナは慌てて訴える。
「大丈夫だ」
「本当に!?」
「本当に」
不安にさせないよう即座に星火が答え、さすがの力業に息を呑む。ナナが奏者を貧弱だと言うことにも頷ける。
「セイ……狭くて後ろに下がれない」
「笛は取れたか?」
「取れた」
「足を引っ張って引き摺り出す」
「お、おお……」
両足を掴み、星火は背後を振り向きつつゆっくりとニナを引き摺り出した。ナナは布で刀を拭って鞘に納める。
引き出されたニナの手には星の刻印のある銀色の笛が握り締められていた。星火が投げ捨てた笛で間違いない。
「はい、セイ。もう無くしちゃ駄目だよ」
「ああ。助かった」
「へへ、役に立てて良かっ……ナナちゃん!? 怪我したの!?」
星火の後ろでポケットに手を突っ込んで澄まして立つナナの顔に、赤い物が付着している。
「只の返り血よ」
「た、只の……?」
「道理で生臭いはずね」
ナナは意に介さず血を拭う。
「絶対何かあったよね……?」
「あったとしても何ともないわ。さっきの家に戻って物色しましょ。良い物は無さそうだけど」
水の中に沈んでしまった死骸はもう拾えない。死骸が浮いてこないのは、他の魚に咥えられているからだ。食料にできない残骸に興味は無いため、ナナはさっさと先程の家へ歩き出す。
「お金持ちはいっぱい缶詰持ってるんだよね? また果物あるかなぁ」
「外観から裕福さがわかる家は真っ先に荒らされる。期待はできない」
「そっかぁ……じゃあ寝よ」
「そうだな。夜になったらまた歩く。しっかり休め」
星火とニナもナナを追って家に戻る。
ナナにとって魚は全く脅威ではない。だからこそ彼女は地上で独りで生活できていた。




