3-地下の笑顔
水が元通りに引くまで丸二日掛かった。満ちるより引く方が時間が掛かった。
だがその時間は無駄ではない。ニナの負傷した足の痛みが治まってきた。
それでもまだ歩くのは心許無いので星火が背負う。水が引いている内に急いで沈下から脱出しなければならないからだ。
鞄はニナに背負わせ、片手で彼女を支えてもう片手でカンテラを持ち、星火は濡れて滑り易くなっている道を歩く。
水嵩が変化する場所は稀に移動し損ねた魚が残されていることがある。水が無いなら魚は泳げず危険は無いが、用心するに越したことはない。
「……神社に行くと言ったが、先に怪我を治しておきたいな」
「重い?」
「それよりすぐに笛を取り出せない方が死活問題だ」
「マンションで休む?」
「いや。地下の集落を探す。もし医者がいたら診てもらえる」
「集落ってそんな簡単に見つかるの?」
「運……だな。まあ生きている人はそこそこいるはずだ」
何も言わないが、星火はニナを重いとは思わない。背負って走るのは疲れるが、ニナは軽い。現代では肉を食べる機会が殆どない。ニナのいた集落も野菜やパンばかりだった。狭い地下で動物を飼うことは難しい。それに野菜なら種の入手ができるが、動物の入手は困難だ。ニナは教団が崇拝する存在なので他の住人よりは良い食事を与えられていたが、それでも栄養が足りず、成長が遅く小柄だ。
星火は見慣れているが、ニナは赤く罅割れた鈍色の暗い空を不思議そうに度々見上げる。どうしてこんな空になったかは知っているが、あれは作られた空の色なのか、その向こうにある本物の空の色なのか、それは知らない。
あちこちに草の生えた道を行き、緩やかな上り坂になる。星火は気合いを入れて足を踏ん張った。
「沈下で段差ができているかと思ったが、坂道だな。五階分だからかなり長そうだ」
「坂を上がったらもう安心?」
「一先ずは、だな」
長距離の坂道を歩くことになるかと思われたが、登っている最中に唐突に段差が現れた。星火の身長の二倍はある段差だ。道路は割れて垂れ下がり、土が剥き出しになっている。
「……攀じ登る?」
「いや。土が崩れると危ない」
登れそうな瓦礫はないかと辺りを見渡すが、周辺には都合の良い足場が無い。時間は掛かるが、仕方無く段差に沿って歩いていく。
「……?」
段差に不自然な物を見つけ、早足になる。それは扉だった。段差の部分に貼り付けられたかのような扉だ。
「こんな所に地下の入口……?」
「え!? じゃあこの中に集落があるの?」
「おそらく。普通は水に浸からない場所に出入口があるんだが、沈下後に作られているのに、わざわざ水没する場所に何故……?」
「もしかして、中は水で一杯?」
「それは開けてみないと。外が水没したとしても地下に水が流れ込まないよう隙間は無いはずだが」
扉のハンドルをくるくると回し、密着する扉に空気が通る音がする。
「勝手に開けてもいいの?」
「駄目なら鍵が掛かってる」
「そうか」
重い扉を開け、黒い石の下り階段を照らす。
「乾いてる。問題なさそうだ」
ハンドルを回して扉を閉め、先の見えない細い階段を下りる。明かりが一つも無い。
(集落があるなら明かりもありそうだが……)
長い階段の行き止まりにまた扉があり、それもハンドルを回して開く。水に沈むかもしれない地下で、水を阻む扉が一つでは心許無い。集落に続く道は大抵、防水扉が二つある。
二つ目の扉に入っても明かりは無く不安が過ぎるが、やがて人の声と物音が聞こえてきた。漸く明かりが見える。
「……ニナ。先に忠告するが、身の上は話すな」
「わかってるよ。私なんて誰も歓迎しない」
凶悪犯罪者の末裔など、その場でねちっこく殺されるだろう。苗字は絶対に名乗れない。
「ニナもだが、僕のことも黙っておいてくれ」
釘を刺した直後に籠を抱えた若い女が横切り、星火とニナを一瞥して去ろうとして再び勢い良く振り向いた。
「……ん!?」
籠の中身は焼き立てのパンのようだ。小麦の仄かな香りが鼻腔を擽る。
「見ない顔ね……そっちから来たってことは、もしかして外から……? 行商?」
「驚かせてすまない。この子供が怪我をして、少しの間、休ませてほしいんだが」
「あら……本当に怪我! 大丈夫? 転んだの?」
「医者がいれば、良ければ案内してほしい」
「医者はいるけど……」
「問題があるのか?」
「外から人が来るなんて珍しいから。……貴方、何処となく所作に気品があるわね。もしかして育ちが良いんじゃないかしら?」
星火は一瞬言葉に詰まってしまうが、何とか取り繕う。『育ちが良い』は、現代ではあまり良い言葉ではない。良い暮らしをしているなら鴨にされるだけだ。
「いや。ドン底の出身だ」
「ドン底でも気品が出るのね……」
下手な誤魔化し方だが、女は信じてくれたようだ。折角忠告したのに早速露顕しそうになり、ニナは星火の背に顔を引っ込めて笑いそうになっている。
「気品だって。もっとガサツにならないと」
耳元で囁くニナは無視し、女の後に付いて行く。
集落の様子は、教団の集落と大差無かった。どの集落も似たようなものだろう。木を組み石を積み、布を張る。そうしてできた市場と、隣接する居住区。地上のマンションは縦に積まれた住居群だが、地下の集落は横に並べられた住居群だ。
市場を通り抜ける際、人々はぴたりと談笑を止め、見慣れない二人を目で追う。居心地の悪い視線だ。
(余所者は歓迎されないか……)
「――ここよ。後は任せるわ。私はパンを棚に並べないといけないの」
「ああ。ありがとう」
彼女はパン屋を営んでいるようだ。焼き立てのパンが冷めてしまった。
早足で去る女を見送り、星火は案内されたドアを叩いた。
「入れ」
中から男の声がした。
ドアを開けると目の前に布が張られた衝立があり、視界が塞がれていた。入れと言うのだから覗いても良いだろう。星火は衝立の向こうへ回り込んだ。
狭い部屋に大きな棚と机、狭いベッドがあり、奥にカーテンが掛かっている。机の前には想像よりも若い白衣の男が、腕を組んで椅子に踏ん反り返っていた。あまり行儀がよろしくない。この貧しい現代で、耳にはピアスが光っている。
「座れ」
「君が医者か?」
「そうだ。医者のウルキだ」
その前にぽつんと椅子が置かれている。ニナを下ろして座らせた。背負わせていた鞄も返してもらう。
「!」
その腕を前触れ無く掴み、ウルキは抗えない力で星火の袖を捲った。
「……肉付きが良いな。良いもん食ってんだろ」
「診てほしいのは僕じゃない」
「お嬢ちゃん、名前は?」
「ニナ」
「足を診てほしいのか?」
「うん」
「じゃあ包帯を解け」
「僕は離してくれないのか?」
「お手本みたいな健康体だな。筋肉もある。良いもん食ってる証拠だ」
「…………」
漸くウルキは手を離した。手形が付きそうな程の握力だった。
星火はニナの包帯を解き、傷を露わにする。噛まれた時よりは傷が塞がっているが、まだ痛々しい。
「お前、奏者だろ」
傷を一瞥し、ウルキは星火を見上げる。確信している目だった。
「…………」
「答えないと治療しない」
「…………」
「上手く手当てしてる……と言いたいが、こいつ魚に噛まれただろ。傷口はちゃんと洗わないと駄目だ。ほれ、治療してほしいなら言え。言わないと地上に放り出すぞ」
「……奏者だ」
ニナは二人の顔を交互に見ていたが、観念した星火に視線を固定する。釘を刺したのにあっさりと露顕してしまった。
「やっぱりな。奏者って何食ってんだ? 正直に言え」
ウルキはニナを抱え、狭いベッドへ運ぶ。負傷した足から靴を脱がせ、足元に桶を置いた。約束通り治療はしてくれるようだ。
「君と変わらない」
「嘘つけ。それとも俺が良いもん食ってると思ってるのか? ここではパサパサのパンに偏った野菜、豆が多いな。偶に肉も食えるが」
「食べてるじゃないか。良い物を」
肉が食べられる集落など滅多に無い。これは良い集落を見つけられたと星火は心中で喜ぶ。歓迎はされていないし医者の態度も気に入らないが。
「偶にだからな? 奏者はもっと頻繁に良いもん食ってんだろ? 奏者と話す機会なんて無いから、只の好奇心だ」
水差しを使用して清潔な水で傷を洗い、ニナは顔を顰めて目をきつく閉じている。痛いようだ。
「僕も肉は偶にだ。だが……野菜は満足な量を食べられていたと思う」
「じゃあお前はここにいる間、メシ抜きな」
「…………」
「この集落は外から人が来ることを良しとしない。食料には限りがあり、外の奴にやる余裕なんか無いからだ。水没する場所に扉を作ったのもそのためだ。お嬢ちゃんは少し栄養が足りてないみたいだから食っていい。肉があれば出すよう言ってやる」
「ニナが食べられるならいい」
生物なのだから誰しも等しく腹は減る。星火も例外ではない。それでも子供のニナだけでも食べさせてもらえるならここに来た甲斐があった。
「……星火はご飯食べられないの?」
「!?」
痛みを食い縛りながら何とか問い、その瞬間ウルキの手がぴたりと止まった。目を瞠り、ゆっくりと軋むように振り返る。
「セイカ……セイ……星? 星火? 星付き!? お前、最上級の良家のお坊ちゃんかよ! そりゃ良いもん食ってるはずだ……」
「そんなに凄いの?」
「お嬢ちゃんは知らないのか? いいか、奏者の正統家系の奴らは、『星』に纏わる名前を付けるんだ。こいつみたいにな。名前が名刺みたいなもんなんだよ」
「知らなかった。何か格好いい! 何で星なの?」
「おい何でだ奏者」
「……魚が水に沈む時の泡を星に例えて縁起がいいらしい」
「洒落てんなぁ!」
洗浄した傷をもう一度消毒し直し、ガーゼを当てて綺麗に包帯を巻き直す。巫山戯た医者だが、仕事は丁寧だ。
「ま、その名前はあんまり名乗らない方がいいな。一人勝ちみたいなもんだ、奏者は。しかも星の名家だ。妬む奴は多い」
「悟られないようにしようとしていた所だ」
「俺は別に妬んでないぜ? 奏者には及ばないが、俺も貴重な肉を優先してもらってる」
医者も良い思いをしているようだ。病気や怪我を治療できる医者はどの集落でも重宝されるものだ。
「ニナの怪我は安静にしておいた方がいいか?」
「痛いのに歩かせたら可哀想だろ。腐蝕は無いが、一週間は安静にしろ。奏者がいながら何で魚に噛まれてんだよ」
「……面目無い」
「でも星火は凄く大きい魚を追い払ったよ。こんな大きいの」
ニナは手振りで十メートル以上あった鯨の大きさを表現しようとするが、何も伝わらずウルキは微笑ましく笑った。
「ああ忘れる所だった。治療費を貰わないとな。……奏者は金持ってるからな。踏んだくらないと」
「…………」
独り言が全て聞こえている。星火は、だから奏者だと気付かれたくなかったと心中で溜息を吐いた。そしてニナの腹が鳴った。緊張感なんて無い。
「……先に何か食うか? おい奏者、お前暇だろ。この集落を見学する許可を遣るから食べ物を貰ってこい」
「ああ」
「これ許可証な。胸に付けとけ」
引き出しから四角い札を取り出して差し出す。只の襤褸切れのようだ。
襤褸切れを胸に付けて診療所を出ると、人々が札を見てふいと目を逸らして談笑に戻る。許可証にはこっちを見るなという効果があるのかもしれない。
だが目を逸らさない者もいた。星火は視線を下ろし、ニナよりも小さな子供と目を合わせる。幼い少女は興味津々で星火を見上げている。
「……食料が欲しいんだが、店に案内してもらえるか?」
「!」
少女は驚いて飛び跳ね、忙しなく辺りを見回した後、恐る恐る頷いた。保護者は近くにいないらしい。
「何食べるの……?」
「君が普段食べている物でいい」
「じゃあ……パンと潰した豆! こっちの店にあるよ」
「野菜は豆しか食べないのか? 貴重なのか?」
警戒心の無い少女に案内されて歩きながら、星火は集落の内情を探る。先程の巫山戯た医者は『偏った野菜と豆』と言っていたので豆以外も食べているはずだ。
「野菜は農園で作ってるけど……野菜は苦手……」
「そうなのか……だが食べないと大きくなれない。豆は平気なのか?」
「潰した豆はお肉の味だよ! お肉は好き!」
「成程」
動物の肉は入手が困難だが、大豆を加工して作る肉の類似品なら入手は容易い。貧しい現代で食べ物の好き嫌いがあると生きることが困難だが、この集落には農園も加工技術もあり、教団の集落より良い生活をしているようだ。教団の集落にも農園はあったが、加工技術は未熟だった。
(医者が偶に肉を食べると言っていたが、潰した豆のことか……?)
「ここ! このパン屋さんで買うよ」
人懐こい少女が案内してくれたのは、星火達がこの集落に来て最初に会った女の店だった。
「……あら? さっきの……滞在許可を貰ったのね。だったら歓迎しないと」
女は探るような目で星火の全身を見回し、にこりと笑顔を作った。不審者から格上げされた。
「さっきの子供の食べるパンを貰いたいんだが」
「貴方の分はいいの?」
「医者にメシ抜きと言われた」
「あら? ……ふふ。医者の言うことは聞かないとね」
小さな店内の棚には形が異なるパンが並んでいる。数はあまり無いが、集落の規模を考えると充分なのだろう。
「あの子が食べるなら小さめのパンがいいかしら? 食べ易いように切ってあげる」
「ああ。ありがとう」
棚に置かれた掌ほどの大きさのパンを三つ取り、女はそれぞれ四つに切り分けた。それを籠に入れて差し出し、星火は代金と交換して受け取った。
「買物籠は皆で使ってる物だから返却してね。ウルキ……医者に渡してくれればいいから」
「わかった」
「次は豆屋さんだよ、お兄ちゃん!」
「豆屋? 豆の専門店なのか」
豆のみを扱う店とは珍しい。
市場には他に日用品や調味料を売っている店があった。どの店も商品は少ないが、ドン底という程ではない。中には子供のための玩具の店もあり、珍しい店に一瞬足が止まってしまう。玩具は地上の廃墟から調達しているようだが、手作りの木の玩具もある。
豆屋も例に漏れず小さな店舗だった。袋に入った豆が積まれている。
「豆屋さん、お肉味の豆はありますか?」
小さな客と見知らぬ客に気付き、退屈そうに座っていた温和そうな若い男が顔を上げた。二人の客の顔を順に見、小さな客を見てニッと笑う。
「今日は無いんだ。悪いね」
「そっか……残念」
「潰さなくても豆は美味しいんだよ」
「潰した豆がいい!」
目的の品は無さそうだ。タイミングが悪いと言うより、肉の代替品が店に置かれることは少なく、置いてもすぐに無くなってしまう人気商品だ。
星火は小さな店内を見回し、未加工の豆以外にも豆料理を販売している店だと察する。
「子供が食べ易い料理はあるか?」
「子供? この子は潰した豆しか食べないよ」
「食べるのはこの子じゃない」
「じゃあ何でも食べられるよ。この子は偏食でね、皆困り果ててる。肉の味を作り始めたのもこの子のためなんだ」
男は少女の頭をくしゃくしゃと撫でる。一人の子供のために加工を行う余裕があるなら、暮らしは貧しくても心は穏やかなのだろう。
「この集落は若い人が多い。子供も元気だ。きっと良い集落なんだろう」
「……。外からの客人にそう言われるとは嬉しいね」
星火とニナがここへ来た時の視線も、皆若人だった。老人は働かなくても良い集落なのだ。弱った体を鞭打ってまで働かなくても良いなら良い集落だ。
腹に溜まる豆スープを持ち手の付いた缶に入れて貰い、代金を渡していると星火は服を引っ張られた。幼い少女は案内するのが楽しくなってきたようだ。
「次は農園に連れて行ってあげる!」
「いや……食べ物を買ったから戻って……」
「こっちだよ!」
抗うことができず、星火は市場から離れて農園へ向かうことになった。集落の特色がわかる農園は見てみたい、という気持ちもあるにはある。
黒い石に囲まれた通路を少し行った所に開けた場所があり、緑が溢れて多くの作物が実っていた。通路はまだ奥へと続いており、広そうな農園だ。中で人が腰を曲げて作業しているが、これも若人だ。
「思ったよりも種類が多いな」
地下農園で育てられる作物は葉野菜や豆類が殆どだが、ここにはトマトや茄子なども見られる。豆に拘ってしまったが、野菜料理も買って戻ろうと考え直す。
地下農園には当然陽光など射さない。代わりに人間の頭部ほどもある大きな灯し石が天井に幾つも取り付けられている。灯し石はカンテラにも使われている石だが、大きいほど太陽の代わりができる。大きな灯し石に照らされたこの農園は明るくて眩しいくらいだ。これなら果菜も育つ。
作業をしていた人が星火達に気付いて手を上げる。幼い少女は手を振って応えた。
(ここは雰囲気も穏やかで、住むには良さそうだな。色々と考えてみたが、ニナは危険な地上を彷徨うより安全な集落に留まる方がいい。最初は不安だったが、子供が笑顔なら良い集落だ)
教団の集落から逃げ出した時から考えていたことだ。地上は危険過ぎる。ニナが怪我を負ってその思いは一層強くなった。命を失ってからでは遅い。この集落では外からの人間を拒んでいることもあり、追手から逃げてきたニナにとっても都合が良い。
焼き野菜を買い足して案内役の幼い少女と別れ、星火は診療所へと戻った。ウルキは退屈そうに机に頬杖を突き、ニナは狭い簡易ベッドで眠っていた。
「待ち草臥れたか……?」
「こういうのはな、鼻に食い物を近付ければ飛び起きるんだ」
買って来た料理を寝顔に近付けると、その通りにニナは目を覚ました。飛び起きる程ではなかったが。
「食べ物の匂い……」
寝惚けながらもニナはパンと冷めたスープと焼き野菜を受け取り匂いを嗅ぐ。嗅いだことのない匂いが混ざっている。
一口の大きさに切られたパンはニナのいた集落で食べていたパンと大差がない味だったが、豆スープは食べたことのない味がした。スープは少し赤く、ニナが食べたことのないトマトが入っている。焼き野菜には豆屋が作った味噌が使われていて、こちらも食欲を唆る。
目移りしながら順番に頬張り、ニナはご満悦だ。
「これ美味しい! 星火が作ってくれた魚料理といい勝負!」
奏者だということがウルキに知られ、ニナは気が緩んでいた。ウルキは聞き耳を立て、気持ち悪い笑みを漏らした。
「魚料理……? 奏者はそんなもんを食ってるのか? 悪趣味だな」
「…………」
「でも美味いって言うなら気になるな。肉とどっちが美味い?」
「……好みと種類の問題だ。僕も全ての魚を食べたことはない」
「じゃあ美味い魚を捕ってきてくれよ。奏者なら簡単だろ?」
「簡単じゃない。都合良く仕留められる小型の魚は見つからない」
「大型は? 一匹仕留めれば暫く食う物に困らなさそうだ」
「……ニナ、食べたら行こう。休める場所なら他にもある」
よく喋るウルキに辟易し、星火はパンを咥えるニナを抱えた。鞄を背負わせる時間も煩わしく、彼女を正面に抱く。
「出て行くのか?」
「一週間は安静にさせる」
診療所を出る星火とニナを呼び止めず、ウルキは苦笑した。
星火はニナを抱いたまま視線を受けつつ市場を抜ける。市場と農園の間の人気の無い通路に転がる石の上にニナを座らせた。
「……ベッドの方が柔らかかったのに」
「あの医者の相手をしていると疲れる」
「喋る前からバレちゃってたけど、私、余計なこと言った?」
「いや……。誰がこんなに奏者のことを言い触らしたんだ……」
「お喋りな人がいたんだね」
「迷惑な話だ。奏者のこと、魚のこと、これまでのこと、全て今後は話さないようにしよう。……名前もどうにかした方がいいな」
今回は名前を呼んだことで星火のことが露顕してしまった。今後は名前を隠すべきだろう。まさか名刺になるとは思わなかった。
「でも全く違う名前だと今更呼び難いし……一文字減らして、セイじゃ駄目? それか、イカ」
「イカは嫌だな……」
「セイでもバレる?」
「いや。星の一文字だけで名前は付けられないから勘付かれないだろ。それでいく」
「よし、間違えないぞ」
少々心配だったが、全く異なる名前だと星火自身も自分が呼ばれていると気付かないかもしれない。
咥えて持って来たパンの一欠片を食べ終え、ニナはまた眠くなってきた。
「星火……セイは眠くならないの?」
「眠い時は寝る。ニナは初めての地上移動で疲れたんだろ。眠いなら寝ていい」
「うーん……やっぱりベッドが良かったな……」
口を尖らせつつ目で訴えるニナを星火は無言で一瞥する。お喋りが無ければ問題は無かったのだが。
「お兄ちゃん! ウチにおいでよ! お母さんが泊めてあげるって」
先程集落を案内してくれた幼い少女が叫びながら走って来た。診療所から出る所を見られていたらしい。
星火は少し迷ったが、負傷しているニナは硬い石の上よりやはり柔らかいベッドで寝る方が良い。ありがたい申し出だった。
「迷惑じゃなければ、泊めさせてもらう」
「迷惑じゃないよ! ずっとここにいるの?」
「一週間だが、構わないか?」
「構わないよ!」
ニナをこの集落に預けるなら、住人とは円滑でいたい。頼れる人は多い方が良い。顔見知りを増やすことは悪いことではない。
星火はニナを背負い、幼い少女の後に続く。市場とは別の通路を進み、居住区が現れる。似たドアが乱雑に並び、目印のために各ドアの足元に缶や籠、地上で拾ったと思しき雑貨などが置かれている。
「私の家はあそこ。目印は花柄のコップだよ。欠けちゃったから目印にしたの」
指を差す先には確かに縁が欠けた赤い花柄のコップが置かれているが、柄は半分ほど剥げていた。
ドアを開けると目の前に机と椅子があり、奥に台所がある。地下住居の標準的な造りだ。
「お母さん、連れて来たよ」
「早かったわね、ノラ」
台所で作業をしていた母親が振り返り笑顔で迎える。包丁を研いでいたようだ。
「隣の部屋に案内してあげて」
「はーい」
「あまり大した持て成しはできないんだけど、ゆっくり休んでね」
「ありがとう」
「まあ。本当に育ちが良さそう」
穏やかに微笑む母親に頭を下げ、星火達はノラと呼ばれた幼い少女に隣室へ案内された。狭い部屋でベッドも無かったが、布団が二人分、隅に置かれていた。
「ごゆっくりしてね!」
「ああ。ありが……とう」
ノラがドアを閉めると、早速布団を敷いてニナを下ろす。星火は蹲み、頭を抱えそうになった。
「親身に接してもらったらお礼を言うものじゃないのか……? 他に言い方があるのか?」
「私が住んでた所では『ああ』とか『おう』くらいしか聞いたことないよ」
「そうなのか……今度から気を付ける」
「私はセイが『ありがとう』って言うの好きだよ。嬉しくなる」
「だが育ちが良いと言われるのは避けたい。どうすれば悪く見られるんだ?」
「奏者の中では不良だけど、普通の人から見るとエリートのオーラが出てるんだよ」
「いらないな……」
「ガニ股で態度でかく横柄な感じで歩いて、触れるもの皆壊す、って感じがいいんじゃないかな」
「迷惑過ぎる……。それにそんな風に歩いていたら目立つ。僕は目立たずに生きたい」
「じゃあ態度は今のままで、一人称を俺様にするとか」
星火は心底困惑した顔をする。一人称を急に変えるのは難しい。十年以上も同じ一人称で生きてきて、もうすっかり染み付いてしまっている。
「家に反抗心はあるが、反抗期は結局なかったからな……敢えて言うなら今が一番の反抗期だ」
「反抗期だったのか」
「……ニナは育ちが良さそうと言われないな。参考にすべきか」
「何か腹立つな」
ニナが教団から教わったのは、空を壊した犯罪の素晴らしさと、その血を絶やさず子孫を残すことくらいだ。多くを学ばせないことで洗脳し正当化した。空を壊したと言われても、地上に行かせてもらえないニナは空を見たことがない。教団に不信感を抱いたのは、星火が攫われて来てからだ。彼から地上やこの世界の現状を聞く内に教団が異質だと気付いた。星火がニナに話したことを聞けば教団は卒倒しただろう。二人が出会ったのは四年前だ。星火は当時十五歳。反抗期である。
「疲れたなら寝ていろ。食事の時間になったら起こす」
「セイ、食事じゃなくてメシ。さっきの医者も言ってた。ご飯食べる、じゃない。メシ、食う」
「メシ……」
どうにも慣れない。それに何だか無理をしているようで恥ずかしい。必死に悪振ろうとしているようで痛々しい。
「ドン底で生きている人が全員荒々しいわけじゃないし、無理をしなくてもいい気がしてきたな……」
ニナを一瞥すると彼女は目を閉じて眠っていた。こんな世界でも寝付きが良い。
(泊まらせてくれる厚意には甘えたが……少し警戒しておいた方がいいか。……視線を感じる。寝ている間に鞄を漁られたら嫌だ)
集落に滞在している間は仮眠に留めるようにし、眠っていても物音ですぐに起きられるよう感覚を研ぎ澄ませておく。歓迎はされているようだが、好奇心だろうか視線の居心地が悪い。
警戒し銀笛の手入れはせずに、手持ち無沙汰なので代わりにカンテラの調子を見ておく。カンテラは火や電気を使用せず灯し石に頼っているが、灯し石も恒久的に使用できる物ではない。石の中のエネルギーには限りがある。予備は幾つか持っているが、カンテラに装着している石はまだ利用できそうだ。何も見えない暗闇で明かりが消えると石の交換に手間取ってしまうため、定期的な確認は怠れない。
現代ではこうした利用価値のある鉱石が様々あり、人々の生活に欠かせない物になっている。例えば調理する時に必要な火や電気だ。それらの代わりに熱し石という鉱石がある。そのままの意味だが、接触箇所、乃至その狭範囲を熱してくれる。星火も所持しており、魚を焼く時に使用した。
一週間、睡眠は仮眠に留めていたが、集落の人々は穏やかで、警戒する必要も無かった程に何も起こらなかった。ノラの母親はニナと星火の食事も毎日用意してくれた。
何も起こらず同じ日々を過ごし、ニナの足も大分良くなった。傷痕はまだ残っているが、傷口はもう塞がっている。これなら背負わなくても歩ける。
床に敷いた布団の上で二人は座り、今後のことを話し合う。ニナの探検をここで終わらせるかどうか、だ。
「ニナ、この集落に住まないか?」
「え?」
「ここの人は皆良くしてくれる。ニナは危険な地上を歩くより地下で安全に暮らす方がいい」
「……セイは?」
「僕は決めていないが、おそらく出て行くだろうな。もし定住するなら、奏者だと知られていない場所がいい」
「じゃあ私もセイと行く」
ニナは星火が逃げないように彼の服の裾を掴んだ。安全よりも彼と共に行くことを選ぶ。
「……何故だ?」
「セイといると楽しいから。こんなに地上のことを知ってる人は他にいないし、もっと話を聞きたい」
「何が聞きたいんだ?」
「色々」
「…………」
「具体的に何か言ったら、今ここで全部話して行ってしまいそう」
出会った頃は頭の中が空っぽな少女だと思っていたが、今は考えて喋っているようだ。星火は予定が崩れ、沈黙した。成り行きでここまで来たが、それは翻弄されているだけで、こんなに懐かれているとは思わなかった。
「……だが、また魚に食べられそうになるかもしれない」
「それは怖いけど……でも、セイは助けに来てくれるよね? 笛があれば無敵だよね?」
「無敵と言い切っていいかはわからないが。あまり僕を当てにされると困る。ニナにも用心してもらわないと」
「用心する。水には近付かない。セイから離れない。約束」
「……困ったな」
「あ、ズボンがいいんだよね? ズボンが貰えないか聞いてみるよ」
全く引く気の無いニナに困り果てるが、本人の意志を蔑ろにしてしまうのも気が引ける。ドアを開けて部屋を出るニナの背を見、一緒に住むべきなのだろうかと一考する。
(あの医者と同じ集落に住むのは嫌だな……)
ここに長居すると最後の一銭まで搾り取られそうだ。
革鞄を引き寄せて中身を確認し、ニナに内緒でこっそりと集落から出ることも考えてみる。この一週間で必要な物は調達した。いつでも出て行くことはできる。
ふと、思考する耳元にドアが開く音が聞こえた。ニナが出て行ったドアではない。小さな音だったが、背後から聞こえた。
そんな所にドアがあっただろうかと星火は怪訝に振り向き、
「!?」
反射的に鞄を抱いて床を転がった。
目の前にはいつの間にか、鎌や鍬を構える住人達がぞろぞろと立っていた。
(裏口……!? 柱の陰になっていてドアに気付かなかった)
住人達は魚のように獰猛な目をして爛々と輝かせていた。
(な……何なんだ……?)
あんなに穏やかだった住人が豹変している。最初に会ったパン屋の女や豆屋の男まで包丁を握って興奮気味に笑っていた。
「肉……久し振りの肉だ……」
「年老いた枯れた肉じゃなく、若い肉だ……」
「止めを刺した奴の分け前を一番多く、だからな。忘れるな」
住人は一斉に刃物を振り上げ、星火に襲い掛かった。
一撃を何とか逃れるが、頬を掠った。容赦無く頭を狙っている。本気で殺そうとしている。
転がり出るように、ニナが出て行ったドアを開け放つ。
「ニナ!」
既に着替えを済ませて鏡を見ていたニナが振り返る。ノラはいない。ニナの背後でノラの母親が、研いだ包丁を持ち上げた。
「逃げるぞ!」
ニナには状況が理解できなかったが、大勢の人達が刃物を持って星火を襲っていることはわかった。星火に腕を引かれて抱えられ、教団の集落から逃げた時のように家を飛び出した。
「なっ、何なになに!?」
「騙されてたんだ! 僕達は歓迎されてたんじゃなく、食料にするつもりで留まらせた。僕が警戒していたから、これまで襲って来なかったんだろう……出発の気が緩む瞬間を狙われた」
許可証を付けさせたのは、後で食べる肉だと周知させるためだったのだろう。だから住人は親切に笑顔で接し、その穏やかな雰囲気に騙された。会話をしている間も人ではなく食料だと思って見ていただろう。
「私達、食べられちゃうの!?」
「労働力として数えられなくなった老人を殺して食べてたんだ。だから集落に若い人しかいなかった。偶に肉を食べる……この意味もわかるな?」
「歳を取るのは時間が掛かるから、偶にしか食べられない肉って……人の肉ってこと!?」
ニナも理解し血の気が引いた。
「嫌だよ食べられたくないよぉ!」
「歩き回ってみたが、この周辺に水は無かった」
「奏者にあるまじき考え……」
「人を殺す趣味はない。正当防衛だ。入って来た扉の方には行けない。追い詰められてる」
「どうやって逃げるの!?」
「農園の向こうに通路があった。そっちに賭けるしかない」
片手でニナを抱えているので空いた手で鞄を肩に引っ掛けながら、教団の集落を出てから走ってばかりだと星火は心中で毒突く。
市場を抜けて農園が見えてくるが、作業をしていた男が急いで鍬を手に追って来た。奇襲に混ざるのが遅れてしまった男は、鴨が自ら遣って来たと嬉しそうだ。
「待て! 俺の獲物!」
「来ないでよ!」
農園の中を走り、ニナは抱えられながら大きく育った作物を掴んで引き抜いた。鈴生りのトマトだ。
「食らえ!」
投げ付けると男は怯んだ。間髪容れずにニナは熟れたトマトを投げ付け勢い良く弾ける。飛沫が目に入った男は鍬を落として膝を突いた。
「やった! やっつけた!」
だがその後ろから次々と住人が駆け付ける。切りが無い。
「セイ、どうする!?」
「天井を崩落させられたらいいんだが……」
「私達も生き埋めになるよ」
「……分かれ道だ」
一本道だった通路は三本に枝分かれしていた。
「ニナ、服に付いた葉を道の前に捨てろ」
「どの道?」
「どれでもいい。それ以外の道に行く」
作物を抜いた時に袖に付いた葉を抓み、左の道の前に落とす。星火は右の道へ走った。足音が響かないよう足を忍ばせ、明かりの無い道をカンテラ無しで進む。明かりなんて点けたら居場所が丸分かりだ。
「セイって足速いよね」
「狭い地下で暮らす人達よりは体力があるはずだ」
「足が速い人は格好いいと思う」
暫く走ったが、足音は追って来ない。葉に騙されてくれたようだ。騙し返せて良かった。
「……足場が悪いな。そろそろカンテラを出す。下ろすぞ」
「はい」
地面に下ろされ、ニナはすぐに星火の服を掴む。真っ暗で何も見えない。地面に下りたことで、足場が悪いこともわかった。凸凹と盛り上がっている。
やっと荷を下ろせた星火は鞄を背負い直してカンテラに明かりを点けた。周囲が照らされ、息を呑む。
「木……?」
通路の幅はいつの間にか広くなり、天井も高くなっていた。大きく掘られた穴、もしくは木が林立し天井を持ち上げた。まっすぐ伸びた幹が天井近くで多くの枝に分かれ、頭上に葉を茂らせている。まるで巨大なキノコかブロッコリーのようだ。二人はこんな木を見るのは初めてだった。これは樹齢の長い紅色竜血樹だ。多くのものが狂った現代では成長速度や生態が旧時代とは異なっており、この木も例に漏れていない。地下にどう入り込んだのか、見渡す限りにそれが広がっている。
「大きい木……木だよね? 地下にもこんなに大きな木が生えるの?」
「僕も見るのは初めてだが、地下森林だな。地下にこうして木が林立する場所が稀にある」
「根っこも一杯だね」
道理で足場が悪いはずだ。星火より目線が低いニナは足元に張り巡らされている根を軽く蹴る。
「地下森林の真下には水があると言われているが、どの程度の深さにあるかはわからない」
「危ないの?」
「危険なら地面に穴が空いているはずだ。穴が空くなら倒れている木があるはずだが、見える範囲には無いな。下から魚が飛び出したことはないだろ」
「じゃあ危なくないんだね。何処まで続いてるんだろう……」
「狭い地下だから然程広がってないと思うが……前に進むしかないな。地上に出る扉があればいいんだが」
もし行き止まりだった場合、最低でも分かれ道に戻らねばならない。集落の住人と鉢合わせてまた追われるだろう。どうにかこの道で出口を見つけたい。
方向もわからなくなりそうだが、前を目指して歩き出す。
「……目印が無いと、まっすぐ歩いているつもりでも曲がってしまいそうだ。如何に景色に振り回されているかわかるな」
「何でこんな時にそんな不安になること言うの?」
「目印に木に傷を付けるか? だが追手が来た場合、通った道を教えることになる」
「……あ、セイ。実が落ちてるよ。赤い実。小さいけど食べられるかな?」
「目線が下にあると目敏いな。拾ってもいいが、無闇に食べるなよ。ここだとよく見えない」
足音が聞こえてこないため、少し心に余裕がある。星火に空の袋を貸してもらい、指先ほどの小さな木の実を拾った。不安は何処へ行ったのやら、ニナは楽しそうだ。拾っている内に星火が言ったことなど忘れて一粒食べた。
「うえぇ……美味しくない……苦い」
「何でも食べるな」
「魚が食べられるんだから、木の実なんて全部美味しいに決まってると思ったのに……」
「食べられない魚もいる」
「セイは全部知ってるの?」
「幾つかは教わったが……全てじゃないし、覚え切れてない物もある。この木は特徴的だから、教えてもらったような……」
「セイってあんまり記憶力が良くないの?」
「…………」
星火は少し歩く速度を速めた。記憶力が良くないと言うより、家にいた頃は勉強に身が入っていなかった。不良だったので地上の散策ばかりしていた。
「……思い出した。これは樹液が薬になるはずだ。少し採取しておこう。ニナが怪我をした時のために」
「何か嬉しくないな」
追手も来ないので、星火はナイフを取り出して木の幹を刺した。ナイフを抜くとじわりと赤い液体が流れ出す。
「うぇ!? これ、血……?」
「血じゃない。樹液だ。茄子や葡萄に含まれる成分と同じ物が入っていて赤くなるらしい」
「記憶力が良くないって言った所為かな、難しいこと言い出したよ」
「何が難しい?」
「ぶどうって何?」
「ああ……果物の一種だ。一般人は一生の内に果物を食べる機会は無いそうだな」
「育ちが良いって散々言われたからなの? セイが嫌味を言うようになっちゃった……元のセイがいいよ……」
実を拾うのを止め、ニナは不満そうに眉根を寄せた。彼が嫌味ばかり言う人なら助けを求めなかっただろう。
「……。食べるために品定めしていたんだろうな……教団の集落では言われたことが無かったから」
慣れないことは言うものではない。星火は疲れた顔をして樹液を採取し、先を急いだ。ニナも実が詰まった袋を手に後を追う。
「それはそれとして、果物は食べてみたい。どんな味なの?」
「甘い」
旧時代と現代とでは野菜と果物の分類が少々異なる。現代では実り方に限らず甘味の強い実を果物と呼び、それ以外を野菜と呼ぶ。現代では苺や西瓜は野菜ではなく、果物に分類されている。一般人が滅多に入手できない菓子のように甘い実を果物と呼ぶと言えばわかりやすい。
「……ん?」
何事も無く通過するはずだったが、遠目に木の根ではない物が見えた。
「どうしたの?」
「骨がある」
「骨!?」
ニナは星火の視線を辿った先へ勢い良く顔を向けた。カンテラの光が照らす根の間に確かに白っぽい物がある。
「骨は……何の……?」
「人だろうな。ここは墓でもあるのかもしれない」
食べられて残された骨、とは言わなかった。幼いニナには刺激が強い言葉だ。
「上を見ずに行こう、ニナ」
「上?」
そう言われると気になり見上げようとするニナの頭上に星火は被さるように体を曲げ、彼女の頭を軽く押さえて歩き出す。
目線が高い位置にある星火には木の枝に括り付けられている枯れた老人の頭部が見えていた。そんなはずはないのに、この木は人の血を吸って樹液を赤くしているのではないかと考えてしまう。
(ここを墓場として使っているなら、僕達が見つかるのも時間の問題だ。早く立ち去らないと)
落ちている骨や所々に括り付けられている頭部が目印となり、どうにか方向を見失わずに森林を抜けられた。
そこからまた暫く歩くと漸く扉が見えた。ニナの頭から手を離し、ハンドルを回して扉を開ける。ニナは不思議そうに星火を見上げ、背後を振り返った。後ろは只の闇で、何も見えなかった。
元通りに扉を閉め、長い階段を歩く。足が草臥れてきた。
見えてきたもう一枚の扉のハンドルに手を掛け、向こう側が水に沈んでいないか確認する。もし水に沈んでいれば階段を押し流され、集落も水没してしまう。扉の向こうが水没している場合は扉が開かない仕組みだが用心はする。
「……大丈夫そうだ。だが一週間も地下に籠っていたら、外の様子がわからないな」
ハンドルを回して扉を開けると光が差し込んだ。
「昼だね」
「夜までまた時間を潰さないといけないな」
扉を閉め、罅割れ壊れて草木が茂る地上を見渡す。周辺に背の高い建物が無い。
「……周りに水は無いが……水没する可能性はある。少し進もう」
カンテラの明かりを消して鞄に仕舞い、ニナの足を確認する。
「歩けるか?」
「うん。私を舐めるなよ」
そう言って歩き出し、鈍った足を瓦礫に引っ掛けてニナは転んだ。
紅色竜血樹はとてもファンタジーな名前ですが、実在する植物です。実際は地上に生えてます。
イエメンのソコトラ島の固有種なんですが、この小説の中の世界では常識があったりなかったりなので、世界の植物を今後も出したいなと思います。




