第三章 「魔王との邂逅――美食と対話、スローライフの岐路」
「本当に行くの? 魔王の城まで!」
リアナが大げさに荷造りするジロウを見て叫ぶ。
「勇者が敵地に自分から乗り込むなんて、普通ないからな」
「でもジロウさんは、“話せるやつなら友達、だめなら封印”って割り切ってるんでしょ?」リディアが落ち着いて言う。
ジロウは苦笑いしつつ、
「まずは話してみることさ。こっちもスローライフのために必死なんだよ。……魔王が本当に絶対悪じゃなければ、敵になる必要はないしな」
店の扉には「臨時休業 さらなる美食をお楽しみに!」の看板。
三人は見送る町の人々に手を振りながら魔族領へと旅立った。
*
道中で訪れた魔族の街は、思いのほか活気に満ちていた。
店先に並ぶ魔界野菜の山、赤紫色の果実を売る少年、活発な商人たち、そして広場で遊ぶ子どもたち。
魔族たちの外見はほとんど人間と変わらない。ただ、獣耳の娘や額に小さな角を持つ少年、うっすら尾が見える商人――など、各種族ごとにささやかな特徴があるだけだった。
市場の屋台でパンを買うと、売り子の中年女性が「旅の人?よかったらスープも飲んでいって」と温かく勧めてくれる。
リアナは驚いて、「魔族の街って、もっと怖いと思ってた」と素直に言い、リディアも「人間の町と本当に変わらない」と観察する。
しかし一部の大人たちはジロウたちを冷ややかに見ていた。
「勇者が何の用だ」「どうせまた討伐しにきたのか?」
そんな中、屋台の子どもが「お兄さんたち、僕のお母さんの料理も食べてみて!」と声をかけてくる。
ジロウはさりげなく持参したパンと干し肉、現地の野菜で即席サンドを作り、屋台の人々や子どもたちに振る舞った。
「うわ、これおいしい!」「パンにこの実をはさんでも合うね!」と、たちまち人気になる。
町の大人たちの態度も次第に軟化し、「まぁ、飯が美味い奴に悪人はいないか」と笑いも出た。
*
やがて魔王城へ到着。謁見の間に通されると、
黒曜石の玉座に威厳と美貌を兼ね備えた魔王――長い銀黒の髪、紫水晶の瞳、すらりとした肢体、冷静で気高い雰囲気が圧倒的だった。
「人間の勇者がここまで来るとは…さて、何の用だ」
魔王の声は澄んで冷たく、場に緊張が走る。リアナもリディアも背筋が伸びる。
ジロウは臆せず進み出る。
「勇者というより料理人です。今日はあなたに、俺たちの想いを伝えに来たんだ」
魔王は薄く笑い、「料理?人間のもてなしに興味はない」
「それじゃ勝負しよう。あなたの城の厨房を借りて、好みに合う料理を作ってみせる。それで納得できなければ追い返してくれていい」
魔王の側近が一歩前に出て、ジロウたちをきつく睨む。
「人間の勇者風情が何のつもりだ。すぐに立ち去れ」
「おやおや、そんなに警戒しないで。今日は戦いに来たんじゃないんだ」ジロウは飄々と答える。
「どうせ、魔王様を毒殺でもする気では?」と側近はなじるが、
「ならば、みんなの前で料理を作ろう。毒見も立ち合いもどうぞ」とジロウが提案し、魔王も「面白い」と薄く微笑む。
「だが私の好みは複雑だぞ」
「まずはお好きな食材、好きな味の傾向を教えてもらえますか?」
「……肉料理、スパイスは控えめ。甘いものも悪くない」
こうして「魔王との対話のための料理」を作ることになる。
食堂で魔王の食材倉庫と厨房を借り、ジロウは現地の肉や野菜、調味料を丹念に選び、
双子も手際よくサポート。側近は不信感たっぷりでじっと睨み続けていたが、ジロウの包丁さばきや香りに思わず見入ってしまう。
料理が完成し、魔王・側近・重臣たちの前で振る舞われる。
ロースト肉のハーブソース、魔界野菜のグリル、特製ベリータルト――
魔王は最初は無表情で口に運ぶが、一口ごとにその表情が微妙に揺れる。
「これは……まるで魔界の四季が口の中に広がるようだ」
側近は渋々味見し、「……くっ、うまい……!」と目を丸くし、
「本当に料理で人の心を動かせるとは思わなかった」と小声で呟く。
他の魔族たちも一斉に歓声をあげ、ジロウたちへの警戒が一気に和らぐ。
*
宴が終わり、夜の静かな回廊で。
魔王とジロウは二人きりで城のバルコニーに並び、とっておきのワインをグラスに注ぐ。
「……ここまで料理で心を解かれたのは初めてだ」
魔王が珍しく柔らかい声を出す。
「あなたが“絶対悪”じゃないことは、今日で分かった。もしよければ、もう少し聞かせてほしい。なぜ魔王に?どう思ってる?」
ジロウがそう問いかけると、魔王はゆっくり語り始める。
「私は生まれつき魔族の中で特異な力を持ち、幼い頃から“次代の王”と決められていた。けれど……多くの民は平和を望んでいるのに、争いを煽る声も多い。私も本当は戦いばかりは好きじゃない。……だが、立場上、強くあらねばならないのだ」
ジロウはグラスを傾け、
「苦しい立場だな。でも、料理も国も、人の輪を作るのが一番大切だと思うよ」
魔王は静かに頷き、
「――不思議な人間だな、お前は」
*
翌日、帰路につく三人。
「ジロウさん、魔王って全然怖くなかったじゃん」とリアナ。
「むしろ、ちょっと可愛かったかも」と茶化すと、リディアが「姉さん、王族に可愛いは失礼かも」と小声でツッコミ。
ジロウは「まあ、とりあえず敵じゃなくてよかったな。帰ったら町の連中にも、魔族のパンやスープを出してみようか」と微笑む。
こうして、対話と美食が“敵”と“隣人”の境界を少しずつ溶かし、
ジロウたちのスローライフと町の未来は、さらに広がりを見せるのだった。