第十三章 涙のスープと、仮面の真実
ジロウの手元に、小さなレシピの紙があった。
──「たまごスープのつくりかた」
それは、幼い字で書かれた、世界でいちばん素朴な“料理書”だった。
鍋に水。塩ひとつまみ。卵をふわりと回して、ねぎをのせる。
たったそれだけの味。けれど――
「思い出したよ、エレシア」
厨房の片隅、鍋の湯気を見つめながらジロウが静かに語る。
「最初にこのスープを作ったのは……俺が最初に異世界に来る前、まだ5歳の頃だった」
リアナとリディアも、じっと耳を傾ける。
「家にひとりで残された日。母さんが熱を出して寝てて、俺ができることって、これだけだった」
「冷蔵庫に卵とねぎがあって、どうにか母さんを起こさずに何か食べさせたくて……」
「必死だった。味なんて分からなかった。ただ、“温かいものを飲ませてやりたい”って、それだけで」
卵がふわりと広がる。
その香りに、ジロウはふっと目を細めた。
「……そっか。だから、俺にとって“料理”ってのは、命を守る手段だったんだ」
⸻
夜。
店は閉店後の静けさに包まれていた。
外では、ふいに風が吹いた。
「やっと思い出したわね」
その声とともに、仮面の女――イヴァが再び現れる。
「お前……」
「ジロウ。私のこと、まだ思い出せない?」
ジロウは目を細めた。
「まさか……お前、“イヴァ”って――」
「そう。あのとき、病気の母親を看病していた“隣の家の女の子”。
あなたが作った“たまごスープ”を、私も食べた。あれが、私の最初の記憶の味」
「……っ!」
イヴァはそっと仮面を外した。
そこには、あの頃の面影を残した少女の顔があった。
「覚えてる? あの日、あなたがスープを持ってきてくれて、私の母も少しだけ笑った」
「でも、そのあと……異世界に召喚されて、あなたはいなくなった」
「……イヴァ、お前……」
「私は、ずっと“あの味”を追いかけてきたの。
でも、誰が作っても違った。どんなに高級な素材を使っても、
あなたの、あの一匙に届かなかった」
ジロウは黙ってスープを差し出す。
「飲め。今の俺が、もう一度作った“たまごスープ”だ」
イヴァはゆっくり受け取り、一口だけ、すくって口に運ぶ。
――次の瞬間、彼女の目から涙がこぼれた。
「……ああ。これだ。これなのに……こんなに……あたたかいのに……」
ジロウがそっと言う。
「俺は、あの頃のこと、忘れてた。でも、お前が覚えててくれたから――今また作れたんだ」
イヴァは、仮面を落としたまま膝をつき、ぽろぽろと泣きながら言った。
「どうして……あたしだけ、取り残されたの……ジロウ……」
ジロウはそっと彼女の頭に手を置く。
「もう取り残さねぇよ。これからも、一緒に“味”を作っていこうぜ」
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その朝、“美食家の楽園”には新たなスタッフ候補が加わった。
仮面を外した元・敵、イヴァ――その手には、新しく縫われたエプロンがあった。