第十二章 王都に香る、忘却のレシピと謎の来客
「開店、準備よーし!」
リアナが厨房に飛び込んできた。エプロンのフリルがひらひら舞う。
「だから言ったでしょう。ここ、王都の一等地じゃ目立ちすぎますって……」
リディアは魔術局の許可書と睨めっこしながら、調味料棚を微調整。
「ふん。こんな騒がしい街でも、“本物の味”は沈まない」
エレシアは白いメイド服のまま、ワイングラスを拭いている。
そしてその中心――ジロウは、王都支店の看板を掲げながら、ふぅと一息。
《美食家の楽園・王都支店》
「期間限定・心まであったかくなるひと皿、揃えてます」
⸻
開店初日。行列は昼前には百人を超えた。
「まさか……あのジロウ様が、直接調理を!?」
「勇者時代に救われたという話、聞いたことあります!」
「魔王の娘さんも店員にいるらしいよ!」
町の噂が一人歩きし、店はすでに“観光名所”のような賑わいだった。
「オーダー入りましたー!“女王風ポタージュ”三皿!」
リアナがホールで全力ダッシュ。
「調整温度、魔力52%……具材投入タイミング、今!」
リディアの指示でスープ鍋が黄金色に輝く。
エレシアは片手でワインを注ぎつつ、静かに一言。
「“心が冷えてる人間には、あたため直しが必要”……ふふ、ジロウがよく言ってたわね」
「それ、初耳なんだが」
ジロウが照れ隠しに鍋の蓋を開けると、ふわりと優しい香りが店内に広がった。
順調。完璧。……だった。
「――ん? あの客、どこかで……」
ジロウがふと気配を感じて顔を上げる。
店の奥、ひとり座っている“少女”――
白いワンピースに黒いリボン。どこか懐かしくて、どこか危うげで。
(まさか、あれが……)
目が合った瞬間、少女は微笑んだ。
「こんにちは、“ジロウ”。やっと、あなたの一番大事な記憶に近づけた気がする」
仮面の女――イヴァ。
仮面を外した素顔で、再び目の前に現れた。
⸻
「何のつもりだ。俺の厨房に、何しに来た?」
「今日は味見に来ただけ。あなたの、“封印された感情”がどう香っているかを、ね」
エレシアが前に出る。「ジロウ、こいつ……!」
イヴァは指を唇に当てて微笑む。
「大丈夫。今日は“戦わない”。それより――」
彼女はポケットから、一枚の紙を取り出した。
そこに書かれていたのは――
“幼きジロウが初めて作ったレシピ”
小さな子供の筆跡で、「たまごスープのつくりかた」とだけ書かれていた。
「あなた、覚えてる? これは、記憶じゃなく、“感情”のレシピ」
「……!」
「記憶は残る。でも、“その時どう感じていたか”は、消えることがある。
そして私が欲しいのは――その、最初の味」
「イヴァ、てめぇ……!」
リアナがナイフを握ろうとするが、ジロウが静かに手を挙げた。
「ダメだ。あいつは“敵”じゃない。
少なくとも、今のイヴァは、まだ“味見”してる最中だ」
イヴァは静かに立ち上がった。
「そう。そのうち、わかるわ。“味の正体”が、どれほど深く、あなたに刻まれていたか」
そして、彼女は店を去る間際、背中で言い残した。
「おいしい記憶には、必ず涙が添えられてる。――忘れないで」
扉が閉まり、静寂が訪れる。
「ジロウ……」
エレシアが言いかけたその時、ジロウは厨房を見た。
「今日はもうひと品、“まかない”を増やすぞ。
……俺の“最初のレシピ”。思い出してきたからな」
鍋に水を張る。コンロに火をつける。
やがて、やさしく、とても懐かしい香りが店内を包んだ。