第九章 美食家の逆襲、包丁と火と絆のフルコース
「……くそ、間に合わなかったか」
地下で暴走を始めた呪核を前に、ジロウは静かに息を整えていた。
黒く脈打つ瘴気は、空間そのものを溶かし始めている。
(これは“腐った食材”なんかじゃない。毒そのものだ)
その時、駆け降りてくる足音が聞こえた。
「ジロウさんっ!」
先頭にいたのは、髪を振り乱しながらナイフを握ったリアナ。
「危ないって言ったじゃん!何で一人で……!」
「すまん。でもよく来た」ジロウが笑うと、リアナは頬を染めてプイと横を向いた。
その後ろから、冷静な歩調でリディアが続く。
「姉さんが飛び出すから、止めるの大変でした。……でも来てよかった。これは、私たちが放っておくべき相手じゃありません」
最後に現れたのは――エレシア。
ウェイトレス姿の上から黒のマントを羽織り、堂々と呪核の前に立つ。
「……どうやら、私が不在の間に厨房が台無しになっていたようね。
まったく、店長。管理が甘すぎよ」
ジロウは三人に背を預け、静かに言う。
「今日の特別メニューは“瘴気の核ステーキ”。火加減は超高温、仕上げは――全力」
呪核が咆哮のような震えを放ち、戦闘が始まった。そ
「っぐ……まだ暴走するのか!」
リアナがナイフで瘴気の糸を振り払うが、刃はすぐに黒く染まってしまう。
「鍛造ナイフじゃ追いつかない……!」
リディアがスパイス瓶を手に式陣を描く。
「“重香式・五香結界陣”――起動!」
だが、術式は相殺され、瘴気が逆流。
「っ……術が通らない……!」
エレシアが前へ出る。「“魔王紋章開放・呪力圧縮”!」
その瞬間、魔核が仮面の女の魔力を模倣して反転し、エレシアに圧を返す。
「っぐぅ……! まだ……抑えられない……っ」
全員が、限界の一歩手前にいた。
ジロウは三人の背中を見て、歯を食いしばる。
(リアナは感覚で動ける子だ。リディアは理詰めで突破口を出す。エレシアは…本当に全身で守ろうとしてる)
(だったら――俺がやるべきことは一つ)
ジロウは目を閉じ、インベントリに手を伸ばした。
そこにあるのは、これまでの人生で積み重ねた全ての“料理”――
和の包丁さばき。中華の火力。西洋の調味理論。パティシエの繊細さ。
カフェ運営のホスピタリティ、ソムリエとしての香気学……
それら全てを、たった一つの“皿”に込める。
ジロウの体が、淡く光を放つ。
「この厨房は、俺の領域だ」
「誰にも荒らさせはしない――!」
次の瞬間、魔素が渦を巻き、空気が焼けつくように震えた。
「スキル発動――!」
《究極調理式・絢爛火宴!》
床に並べられた調理器具、スパイス、炎、食材の幻影が、円陣を描くように舞い上がる。
「“和”――素材の魂を断ち、“中”――火で邪を祓い、
“洋”――調和の香気で包み、“菓”――甘味で終焉を導く!」
ジロウの声が重なって響く。
彼の包丁が光の軌跡を描き、魔核に向かって真っ直ぐ突き立つ。
――ズバァン!!!
魔核のコアが裂け、瘴気が四方に拡散した。
「リアナ!」
「ナイフ、全開ッ!」
「リディア!」
「拡散スパイス、空間同調ッ!」
「エレシア!」
「魔力転送、全出力で行くわよッ!!」
全員の力がひとつになり、ジロウの包丁の光が魔核を貫通した。
轟音とともに瘴気が爆ぜ――
黒い核が、パリン、と音を立てて砕けた。
――沈黙。
蒸気のように漂っていた瘴気が、ふっと晴れていく。
「……終わった?」
リアナが振り向く。
「ええ。中心の魔力反応、消失しました」
リディアがデータを確認しながら応じた。
「まったく……全身が筋肉痛になりそう」
エレシアが息をつきながら、ジロウの横に立つ。
だが、その時。
「……本当に、しぶといのね」
瓦礫の影から、黒いローブをまとったイヴァが現れた。
仮面は割れ、顔の半分だけがあらわになっていた。
「でも、やっぱり面白いわ。
あなたたちの“絆”ってやつ、もう少し見てみたくなった」
「どこへ逃げる気だ、イヴァ」
「今日はここまで。素材の下ごしらえは終わったし。
次は、“あなたの記憶”を丁寧に調理してあげる。楽しみにしててね」
イヴァは瘴気の小片を拾い、闇に消えていった。
ジロウは、包丁をゆっくりと鞘に納めた。
(次は、もっと深くえぐられる。だけど……)
「来るなら来いよ、イヴァ。
俺の厨房で、どんな毒も料理してやる」
――“美食家の楽園”、この日最大の戦いは、
料理スキルと仲間の力で、ギリギリの勝利を収めたのだった。