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プロローグ 五度目の目覚め、スローライフ始動

 ジロウは知る人ぞ知る料理人だった。

 和食、洋食、中華、カフェ、ソムリエ――数々の人生で、あらゆる食の道を極めてきた彼は、五度目の人生でついに“パティシエ”の修行に没頭していた。


 その日も、彼はホテルの厨房で汗を流していた。

 生クリームの泡立て加減、絞り袋を握る手首の角度、焼き色の微妙な違い――どれも、ジロウの五十代の身体にはなかなかこたえる。しかし、彼はストイックな修行をまるで遊びのように、冗談を交えながら楽しんでいた。


 「ジロウさん、今日も朝から晩まで働き詰めですね」

 若いパティシエ見習いの女性が声をかける。

 「はは、人生は短いからな。君も修行は若いうちに、そして恋もな」

 軽口を叩きながら、ジロウは丁寧に仕上げたモンブランを皿に盛り付ける。


 「でも、ジロウさん。最近、なにか……浮世離れしてませんか?」

 「ん? まあ……そろそろかな、と思ってね」

 「何が、ですか?」

 ジロウは意味ありげに笑って、答えなかった。


 実は彼の胸には妙な“予感”があった。

 そろそろ異世界行きの時期――何度も転生を経験してきた者にしか分からない、独特の空気が漂っていた。


 そしてその夜、ビュッフェのカウンター。

 常連のお客様が、ジロウのモンブランを一口食べる。

 その瞬間、目を輝かせて「ジロウさん、あなたのケーキ、本当に最高ね」と心からの笑顔を向ける。


 ――ああ、これだ。

 誰かの心に、料理が届く。その一瞬の幸福を見るために、何度も料理人として生き直してきた。


 「これでやり残したことは、ないな」


 ふと、天井の灯りが眩しくなった気がした。

 次の瞬間、世界が白く溶けていく。


 *


 意識を取り戻すと、ジロウは巨大な大理石のホールに立っていた。

 床には精巧な魔法陣、周囲は百人の魔導士。

 ホールの奥には王冠の男と麗しき王女たち――どう見ても、異世界転生の“お約束”だ。


 彼の隣には同年代の少年一人、少女が二人。

 一人は金髪碧眼の異国の少女で、日本人ではないようだ。四人とも状況が呑み込めず戸惑っている。ジロウも(いつも通り)15歳の体になっていた。


 若く気品ある王女が進み出て、

 「勇者様方、ようこそフェルディア王国へ」と凛とした声で言う。


 「魔王討伐を、どうかお願いしたいのです!」


 堂々たる王女の声がホールに響いた直後――

 まだ状況が飲み込めていない三人の少年少女たちは固まってしまった。誰もが息を呑み、ただ呆然と立ち尽くしている。


 そんな中、ただ一人、ジロウだけが妙に余裕のある笑みを浮かべていた。

 「いやあ、壮観だなあ。魔法陣のデザインも凝ってるし、魔導士のみなさんのローブも素敵だ。これが噂の異世界クオリティか」


 思わず近くの金髪の少女が「え?」と声を漏らし、王女も意表を突かれたように目を見開く。


 「……えっと、その、失礼ですが、あなたは状況をご理解いただいて――?」

 王女が困惑まじりに尋ねると、ジロウは優雅に一礼し、

 「もちろん、存じております。魔王討伐を頼みたい――でしたね。

 でもまずは、ご挨拶からいかがでしょう?異世界の王家と謁見する機会など、なかなかありませんからね」


 周囲がざわめき、魔導士たちも「勇者にしては随分と余裕が……」「物怖じしないな」とひそひそ声を交わす。


 ジロウは肩の力を抜いて、ほかの三人ににっこり笑いかける。

 「みなさん、はじめまして。ジロウと申します。料理人上がりの勇者候補ですが、ご安心ください。

 剣も魔法も“料理のように、やってみればなんとかなる”が信条ですので」


 少年が思わず吹き出し、黒髪の少女も緊張が少しほどけたように小さく笑う。


 王女は一瞬戸惑いを見せたが、すぐに微笑んで、

 「……不思議な方ですね。でも、そういう方こそ、この世界を救ってくださるのかもしれません」


 ジロウはウインクを返し、

 「王女様。救いの前に、もしよければ皆さんにお茶か軽食など、ご馳走できませんか?

 長旅のあとは、腹が減っては戦ができませんので」


 ホールの空気が一気に和らぐ。

 誰かがくすっと笑い、王も「なるほど、それもまた一理あるな」と頷く。


 百人の魔導士、王族、そして新たな勇者たち――

 厳粛なはずの召喚の儀式は、ジロウの飄々とした一言で不思議と温かく、賑やかなものへと変わっていくのだった。


 ジロウの一言で、重々しかった王宮ホールの空気は、どこか和やかなものへと変わった。


 「では、改めて自己紹介を――」

 王女が促すと、隣の少年が真面目な顔で前に出た。


 「僕はミナト。高校生です。剣道が得意です……ええと、勇者ってこういう感じでいいんでしょうか?」

 少し戸惑い気味だが、正直な自己紹介に場が和む。


 続いて黒髪の少女が小さく一礼しながら口を開く。

 「私はリサ。ピアノが趣味です。正直、まだ現実味がありませんが……やれることはやってみます」


 最後に金髪碧眼の少女が流暢な日本語で続く。

 「私の名前はシャルロッテ。フランスで生まれました。異世界に召喚されるのは、映画でしか見たことがありません。……でも、よろしくお願いします」

 異国情緒たっぷりの挨拶に、魔導士たちも感心したように頷く。


 王女は微笑み、

 「私はこの国の第一王女、アリシア・フェルディア。隣に控えるのは妹たち――第二王女セシリア、三女マリアです。どうぞよろしくお願いします」

 王女たちが一斉に優雅な会釈を見せると、勇者たちは思わず背筋を伸ばした。


 やがて、用意されたテーブルに香り高いお茶と菓子が並べられ、ジロウは「これぞ異世界流おもてなしだな」と内心ほくそ笑みながらティーカップを手に取った。


 「さて、魔王討伐のご依頼についてですが――」

 ジロウは紅茶を一口啜り、余裕の表情で話を切り出す。


 「もちろん、お役に立てるならお手伝いさせていただきます。ただ……せっかく異世界まで呼ばれたのです。命のやり取りだけでなく、この国や人々の暮らしも、存分に味わってみたいと思いまして」


 王女が少し驚いた表情を浮かべる。

 ジロウは続けて、

 「例えばですが――現地の料理や文化を体験し、色々な人と交流したい。村や街の生活を知ることで、より良い解決策が見つかるかもしれません。ですので、討伐の任務の合間に、少しばかり自由な時間をいただけませんか?」


 王女アリシアはしばし考えたが、やがて柔らかく微笑み、

 「――そのような願いなら、むしろ我々も大歓迎です。異世界の知識や料理、文化交流はこの国の力にもなりますから」


 王や側近たちも一様に頷き、場の空気が一層和やかになる。


 ジロウはやんわりと頭を下げ、

 「ありがとうございます。それでは、まずはこの国の美味しいもの探しから始めてもよろしいでしょうか?」

 そう冗談めかして言うと、ミナトもリサもシャルロッテも思わず笑い、王女たちの緊張もほどけていった。


 こうしてジロウは、“魔王討伐”の大義名分を受け入れつつ、

 自身のグルメなスローライフ計画を、異世界の王族公認で始めることに成功したのだった。


 王宮の歓迎から数日。

 勇者一行には、王都の学者や魔導士たちによる世界地理や歴史、魔族と人族の関係、現状の魔王情勢など一通りの講義が用意された。


 ジロウは配られた分厚い地図や歴史書を眺めつつ、(ふむ、今回もまた剣と魔法の王国、農村、港町、北の氷原に南の砂漠……要するに“よくある異世界”だな)と心の中で肩をすくめる。

 数度の異世界転生経験はダテじゃない。世界観の仕組みも魔法体系も、過去の世界と大差なかった。


 肝心の魔王についても、現状では民衆への被害はそこまで深刻ではないらしい。

 一部の魔族による盗賊や犯罪行為が“魔王軍の仕業”として誇張されている節も多く、王国も本音では「危険な魔族だけ排除できれば十分」と考えているようだ。

 (魔王が根っからの悪党か、はたまた話の分かるやつか。もし前者なら封印、後者なら味方に引き込んでもいい。

 ……なにより、討伐しちまうとまた現世に逆戻りだからな)


 座学の後、勇者たちは訓練場に集まった。

 「ジロウさん、訓練ご一緒しないんですか?」とミナトが尋ねると、

 「いやぁ、剣も魔法も前の人生でカンストしてますし、今回は“美食家の楽園”の準備で忙しくなりそうなんだ」

 ジロウは飄々と肩をすくめた。


 リサは少し心配そうに「でも、何かあったときにすぐ助けてくれると嬉しいです」と言い、

 シャルロッテは「カフェができたら、絶対最初のお客になりますから!」と元気よく拳を握る。


 「もちろん。その時は真っ先に招待状を送りますよ。みんなで“異世界初グルメ体験”だ」

 ジロウがウインクして言うと、三人とも楽しげに頷いた。


 その日の夕方、王女アリシアとその妹セシリア、三女マリアが見送りに来てくれた。

 「ジロウ様、もう旅立ちのご準備ですか?」とアリシアが声をかける。


 「はい、そろそろ次の人生――いや、次の店の準備ですね。静かな田舎町で、心を込めてカフェを作る予定です」

 ジロウは、王女たちに真剣な眼差しを向ける。


 セシリアが目を輝かせて「素敵です!開店の日には、私たちにもぜひお知らせくださいませ」と身を乗り出し、

 マリアも「ジロウ様のスイーツがまた食べられるなら、どんな遠い町でも駆けつけますわ」と微笑む。


 「ええ、必ずご招待します。王女様方には特製のスペシャリテをご用意しますので、その時は皆さんで食レポお願いしますね」

 冗談めかして言うと、三姉妹は「それは楽しみです」と華やかに笑い合った。


 アリシアはほんの少し声を潜めて、「くれぐれも、ご無理はなさらぬように――ですが、困ったときは必ずご連絡くださいね」と優しく告げた。


 「もちろんです、王女様。お約束します」

 ジロウはにっこりと頭を下げ、勇者三人と王女三姉妹の温かい見送りに見送られ、王都の門を後にする。


 ――こうして、“勇者”ジロウの異世界グルメ青春スローライフ計画が、静かに始動したのだった。

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