第5話 人を傷つける力を持つ言葉
朝のホームルーム予鈴まで3分。
生徒らがそろそろ席に着こうと、教室の喧騒が一際大きくなった2年1組。
「おはよ、亜美」
いつになくギリギリの時間に登校して来たのは、頭の高い位置でツインテールを結んだ愛らしい面立ちの一色 恵利花だった。
まだ始業前だというのに、疲れの色を滲ませ、溜息でも吐きそうな弱々しい声を掛けられて、碇 亜美は目を軽く見開いた後、慎重に口を開く。
「おはよ、恵利花」
大丈夫? の言葉を飲み込んで、当たり前の挨拶の言葉だけを返した。何も感じないから言わない訳ではない。
ただ――迂闊に口を開けば、小学校からの親友である彼女に、悪意ある言葉を向けそうだったから口を噤んだだけだ。
恵利花が、どんよりと沈んだ気配を漂わせながらも真っ直ぐに窓際の一か所に視線を向け、そこに座る男子生徒を見付けるや微笑みを浮かべた。相手も彼女に控えめな笑顔を向けているのだろう――血色の悪かった恵利花の頬に、僅かに朱が差すのを見て取って、亜美はキュッと唇を噛んで俯く。
男子生徒——来生 稜斗は、彼女らが小学生のころからの同窓生で、つい先日まで大勢の友人の一人でしかなかった。休み時間には他愛ない会話を交わし、休日たまにではあったが大人数で遊びに出掛けることもある仲間だ。
けれど中学1年の3学期になり、亜美は恵利花から「多分、稜斗くんのことを特別に好きなんだと思うんだ。告白しようとかは、ちょっとまだ出来ないんだけど、協力してほしいの」と相談を受けた。
「え、そんなの私無理だよー。アタシ器用じゃないもん。それに、自分でちゃんと告白するのが良いに決まってるって。その方が想いが伝わるよ」
亜美は、じわりと嫌な汗を背中に滲ませながら、断りの言葉を告げた。それ以降、恵利花は稜斗に想いを伝えてはおらず、彼との関係も進展した気配はない。
だから、咄嗟に親友を勇気付ける言葉に変換して、時間稼ぎと協力回避を企てた自分を褒めてやりたいとさえ亜美は思っている。
亜美だって、恵利花と同じく来生 稜斗に想いを寄せているのだから。
亜美は、鬱々とした気持ちに整理をつけられないまま、目の前の親友で障害でもある恵利花に改めて視線を向ける。
「課題……間に合ってないんじゃない?」
言わないと決めていたのに、思わず口を衝いて出るくらいには、親友の顔色は酷いものだった。隠しきれない疲労が浮かんでいる。
「そんなことない! ちゃんとやれてる、追いついてるからっ」
「けど……眠れてる?」
「私に見合うプログラムだって、AIから提示されてるんだからっ。みんな、普通に出来てて、私だけ出来ないわけなんてないんだからっ」
「だから、そう言うってことは、キツイって思ってるってことじゃないの?」
「私だけ、普通ができないなんてあるわけないでしょ!?」
「っ……。分かったよ、もう何も言わないわ」
恵利花は、こんな風に感情的になる娘ではなかったはずだ。しかも教室の人目の多い中で、声を荒げ、悔し気に顔を歪ませるなど――相当追い詰められている証左でしかない。
小学5年生から中学2年生の今に至るまで、同じクラスで過ごしてきた亜美には分かる。けれど、本人がここまで頑固に亜美の思い遣りの言葉を拒絶するのだ。
ここで、亜美が引いても文句を付ける人間は、きっと居ない。恵利花の望みを受け入れただけなのだから。
現に、二人の様子を見ていたクラスメイト達や、想い人である来生 稜斗は、亜美に気の毒そうな視線を向けている。聞き分けの無い恵利花が、意固地に亜美の優しさを踏み躙った構図が出来上がっている。
「いつでも聞くから、その気になったら話してね」
背を向けた恵利花に思い遣りの言葉を掛ければ、この状況にこっそり耳を傾けていた者達の中で亜美の株が上がっているのだろう。対する恵利花には、逆の評価が与えられるはずだ。
「何も問題なんてないわ」
「ううん。いつかみたいに、協力が必要だったらきっと話して、ね?」
協力できなかった、稜斗との仲を取り持つ相談のことを匂わせれば、恵利花は一瞬進む足を止めた。同じ相手を好きな亜美の気持ちを、先回りして抑えつけられたあの相談。罵詈雑言でない言葉が、人を傷つける力を持つと知った相談だ。
あの時の亜美と同じく、今の恵利花は戸惑い、傷付いているのかもしれない。
上辺だけの思い遣りの言葉を振り切って、無言のまま恵利花は歩き出す。その背中に、亜美は心の中だけでこっそりとザマァと呼び掛けた。




