第31話 恐るべきハニトラ使い、ハムはむハムスター
そんな経緯の後に、戻った教室で手渡された賞状だ。
先ほどの碇 亜美を思い起こして、鼻白む態度を見せる者が多い中、彼女と仲の良かった者たちは、僅かにでも困惑の表情を浮かべている。
激しい排他感情をさらけ出した彼女は、あまりに異常だった。と、同時に悲しさと悔しさをも滲ませていた気がするのだ。
そんな一部の者たちにとって受け取った賞状は、華々しいけれど、ほんの少し苦い想い出の詰まったものとなった。
「いいかー! 喜びを分かち合うのは、存分にやって良い。けど、外に集まって打ち上げをやるのは禁止だからな。諸君はまだ中学生! 節度のある行動をとって、近隣住民の皆さんに、迷惑をかけることのないように。以上」
合唱コンクールの日は、そんな三浦の教員らしい注意で幕を閉じた。
——わけでもなかった。
放課後。すっかり人気のなくなった教室では、後方扉横の席に、頭を寄せ合う人影が二つ。
言わずと知れた、薮と天麗だ。
揃って薮のタブレット画面に視線を落とし、目まぐるしい動きを見せるプログラムを見詰めている。
「薮りん、わたし違和感に気付いたんです」
流れ行く意味不明の「0」「1」に、却って自身の思考に没頭出来ていた天麗が、力強く呟く。
「個人宛メッセージですよ! 騒ぎになったあの誤爆スクショが眠り姫の仕業だとしたら、お姫様が活発に動いてる時期と、碇さんがおかしくなってく過程にリンクしている気がしませんか!? 誰にも利がないメッセージでも、AIに何か思惑が有るとしたら!」
「え、まさか眠り姫が意思を持って、碇さんをおかしくしているって言うの?」
薮が、大きく見開いた目を向けて来る。
小ぶりなタブレットに二人で頭を寄せていたから、当然その間隔は近すぎて。
「っ!」
「にゅあっ!」
吐く息が相手の鼻先を直撃する距離感に、慌てて身体を仰け反らせた二人だ。ばくんばくんと激しく打つ心臓の音が、やけに煩く聞こえる。けれど、ソレは薮のものか、天麗のものなのか。
(だめです、だめですって、ハニトラです! これは絶対にわたしにものを考えさせたくない、何者かからの甘々トラップなのですぅぅぅ)
頭が痺れて、目が回りそうな天麗が口をパクパクさせて呼吸を整える。そんなダメージ冷めやらぬ中、不意に第二波は来た。
「嫌だったらごめん。僕は、ちょっと、嬉しかった」
照れ臭そうに、節だった男性味の増しつつある手を鼻先で組み、頬を染めた顔を隠しきれない状態で、真っ直ぐに瞳を向けて来る薮。
ハムはむハムスターの種持つ愛らしさと、漢らしい超どストレートな告白。
廊下中に、天麗の奇声が響き渡った。
けれど、今はそれどころではなかったのだ。
「恐るべしハニトラ使い、ハムはむハムスターめ」と、心の中で微妙な悪態を吐きながら、天麗は話を戻そうとする。
「薮りん、可愛カッコいいだけでなく、狡カッコよくもあったのですね。わたしにしかそんな顔見せちゃダメですよ。
で、ですね。だとしたら辻褄が合いませんか!?」
「ぅはぁっ、独占欲っ!? え? えと、ツジツマ?」
真っ赤な顔をさらけ出した薮は、今やタブレット画面から完全に目を離し、じっと天麗を見詰めている。けれど、どこか話が通じていない気がする。
「はい。碇さんの現状が、眠り姫の仕業だってことです」
んん? と不安げに小首を傾げながら自説を繰り返した天麗だ。天使の風貌に小鳥の首傾げの技を重ね掛けされた薮は、一瞬フリーズするも「落ち着け! オーバーヒートしてる場合じゃない」と、ブツブツ呟いて深呼吸する。
再び顔を向けた薮は、若干の頰のピンクは残るものの、ようやくいつもの調子を取り戻していた。
「けど、パーソナルAIである眠り姫は、自立思考はするけど学習支援活動が基本性能だよ? 僕の発掘でバグな動きをしているかもしれないけど、碇さん個人をターゲットに執着する理由が無いし。コンピュータなら尚のこと、そんな感情を伴う行動をとるはずがないよ」
「そんなプログラムの性能だけの話をしている訳じゃあ無いんです。眠り姫の活動時期とを重ね合わせてですね」
真剣に語り出した二人の側、廊下を近付く人影に、天麗らは気付かない。
「あーお水が美味しいわぁ。何だかお水が進んじゃう。美容にも良いし、お水は良いわよねー」
「おーい二人、まだ残ってんのか!? 早く帰れ」
美魔女先生こと2組の綾小路が、微笑ましい視線を二人に向けながらペットボトルの水を口に含み、呆れた表情の三浦が、扉を開ける。
けれども、話に夢中のAIオタク二人は、やっと訪れたAI談義に夢中で気付かない。薮が更に天麗に説明を続ける。
「学習支援AIの情報は、マザーコンピュータに情報集約されるんだよ? 色んな個人情報を得て、満たされているはずのAIが、個人に執着することなんてないはずだよ」
「いや、あるぞ」
突然会話に割り込んできた声で、ギクリと両肩をすくめた二人、はようやく三浦の存在に気付いたのだった。




