第11話 不意打ちの甘い空気に撃沈す
午前も音楽の授業を最後に、あと10分で昼休みが始まる。弛緩しきったタイミング。
「(みつけた)」
不意に、いつものダイブポーズでタブレットに齧りついていた薮 孝志郎が、がばりと身を起こして呟いた。
はっきりとした声が聞こえた訳では無く、微かに唇が言葉を象る。それだけの変化。
それでも未練タラタラで、今朝からずっと彼を見つめていた天麗にとっては、目を惹き付ける劇的な動作だったわけで――
「え? ちょ!? 待って!!」
決定的瞬間見逃しの驚愕に、焦りのまま言葉が漏れ出る。薮に視線を釘付けたまま、ガタリと椅子を鳴らして立ち上がろうとしたところで、ツンと袖を引かれた。
「惣賀ちゃんこそ待ちなって!」
声を掛けたのは来生 稜斗で、さっと手を伸ばしたのは隣の碇 亜美だ。物理的に引き留められれば、さすがの天麗も止まらざるを得ない。つんのめりつつ振り返った彼女の目に飛び込んだのは「惣賀ちゃん」呼びで、鋭くなった亜美の視線だ。
(ぎゃー、怖い怖いっ! 勝手に呼んだのは来生さんの方ですよぅ。わたしは薮りんのもとに飛んでいきたいだけで、軽々しくチャン呼びしちゃうカレピには興味無いですからぁ)
アワアワとするばかりの天麗に、亜美が大きく口角を吊り上げた笑顔を向ける。引き攣り笑いだ。恐ろし過ぎて、天麗は更に口籠るしかない。
「まだ授業中だよ。稜斗まで、アタシを手伝って惣賀サンに注意すんの、大変なんだからねー。終わるまで、立・ち・上・が・ら・な・い。ワカル?」
「ひっでーなぁ、亜美。惣賀ちゃんを子供扱いするなんて、ねっ」
隣の亜美の形相など目に入っていない風で、ニコ・とキメ顔で目配せする稜斗だ。強心臓すぎる。
(ひぃぃぃっ、ちゃん呼びは止めるのです! 軽薄サンは苦手なのです! 女子の敏感レーダーを各所で逆撫でしてるのわかってるんですか!? いえ、その爽やかすぎる笑顔は、分かったうえでの敢えてのもの……女子の気持ちを弄ぶ危険な男なのですよね!?)
恐ろしい決めつけである。しかも、朝の悪夢再びとはかりに、後方からまたツインテール女子の冷たい視線までもが突き刺さって居る気がする……。
(齧歯系男子、薮りんの癒しプリーズぅぅぅぅ!)
薮に縋る視線を送るが、勿論タブレット内の「0」に夢中の彼が気付くはずはない。
「「あ」」
――ワケではなかった。教室の遠く離れた位置で丸く開いた口の形が揃った、薮と天麗だ。
こちらは癒しの面影を引き寄せたい想いを込めて。あちらはヨロコビを伝えて分かち合いたい想いを込めて。多少のズレはあるけれども、求めるタイミングが揃い、カチ合った視線。
「うにゃぁぁぁあぁ」
ボフンと頬を上気させた天麗が顔を両手で覆えば、教室最奥の薮もがばりと顔を伏せる。ただし、この二人のリンクに気付いている者はいない。
「どっ……ど・したのよ!? 急に奇声なんか上げて」
「なに!? 亜美に子供扱いされちゃって怒ったの!?」
お陰で、ジェラシーを向ける者、煽る者の微妙な張り詰めた空気が霧散する。
「なんでもないのです! 思いがけず甘い空気に見舞われて、やっつけられちゃっただけなのですぅぅぅ」
耳まで赤く染まった天麗が、顔面を覆った両手の指の間から亜美と稜斗を覗き見れば、亜美と稜斗は顔を見合わせ、ポッと頬を赤くした。周囲の生徒は、勘違いではあるが、甘酸っぱい空気に当てられて生暖かい雰囲気が辺りを包む。けれど、ただひとり、ツインテールの一色 恵利花だけは暗い視線を二人に向けていた。




