壁ドンの上書き~カイルside
「お兄様、書庫を避けていらっしゃいません?」
ある日、マグノリアがそんな事を言い出した。
書庫は、あの事件の現場だ。できるだけ思い出したくは無い。
「不便でしょ? お兄様、前はよくそちらにいらっしゃったのに」
「そうだが……」
言い淀む僕の手をマグノリアがとった。
「ちょっと来てください! あっ、誰もついてこないでね!」
そう言って腕をとって、無理に引っ張っていく。
「おい」
書庫に連れてこられた。グイグイと後ろから押し込まれて、扉を締める。鍵はかけなかったようだが、ここで二人きりは……
「せ、せめて扉は開けておいてくれ」
「かっ 可愛…… 危険だわやっぱりこの人」
マグノリアは自分の口を押さえて赤くなった。いや、この状況で君が赤くなるのはおかしくないか?
じりじりと近づいてくるので、僕も後退る。
本棚の間、まさに後悔のあの場所に追い詰められた。
「ようし!」
「マグノリア?」
マグノリアはなぜか気合いを入れて、ドン、と音を立てて壁に手をついた。
そうしたところで体格差はある。僕は男にしては細い方だとは思うが、マグノリアがそうしようとすると、胴に抱きつく型になってしまう。顔に髪が当たってこそばゆい。
「お兄様、うまくできないので屈んでください」
「何がしたいのか、よくわからないんだが」
「わからないですか!? 壁ドンです!」
当然のように言われてもよくわからん。
なぜかものすごく真剣な顔をして仁王立ちして、しかも手を僕の体を挟んで手をついているから、不安定な体勢でプルプルしている。
何だか真面目に相手にするのがバカらしくなって、笑えてきた。
「ははっ」
「あっ、笑った!」
無理な体制で僕を見上げるマグノリア。
ふと揶揄ってやりたくなって、体の横の腕をとってくるりと体勢を入れ替えた。
「壁ドン? ていうのか? ああ、壁にどんと手をついてるからか」
「かっ壁ドンするキャラのくせに、壁ドンと言う概念を知らない……?」
よくわからない衝撃を受けているマグノリアが壁に追い詰められている体制で僕を見る。腕の中におさまって変な顔をしているのを見て、顔が緩んでしまう。
マグノリアの目が丸くなった。
あっ、調子に乗ってやってしまったか、と、焦った時、マグノリアがカァーっと赤く染まった。
「お、お兄様、そのお顔は反則ですわ」
「顔?」
嫌がってはいないようだが、真っ赤な顔を手で覆って、ただ、目はしっかりこっちを見ている。泣きそうに目が潤んでいる。
「目が、離せません」
「嫌か?」
嫌ならすぐやめなければと思って聞いたのだが、マグノリアはさらに赤くなってフルフルと首を横に振る。
ではやめなくていいと言うことか。とはいえ、ここからどうするのか。壁にドンとしているから、このままでよいのか?
「ここから、どうするんだ?」
「ひえっ?」
「マグノリアは、どうして欲しいんだ?」
純粋に尋ねたのに、さらに赤くなる。どこまで赤くなるのか、少し面白くなってきた。
マグノリアがひっくり返った声で説明してくれる。
「いっ、一般的には」
これに一般的とかあるのか?
「前回お手本のような脅し系壁ドンをやってのけた方に言うのは大変恐縮ではありますが」
か細い声で早口でつづける。
「こう、ラブな感じの壁ドンの場合は顎ではなくて頬に優しく手を添えて」
そういえば顎つかんだな……よくそんな事ができたなとおもいつつ、リクエストに答えて、右手を壁から離してマグノリアの頬にそっと手を添える。
「ひゃっ」
耳に指が触れた時、マグノリアが跳ね上がった。
ああ、これは、……ちょっと楽しいな。茹で蛸の様になってオロオロしているマグノリアはとても可愛らしい。もう少し見ていたくなった。
「それで?」
「そ、それでとは」
「次は? 僕はどうすればいい?」
はわわわと口を開けて真っ赤になっているマグノリアに顔を近づける。
「ねぇ、マグノリア、黙ってたらわからないよ。教えて?」
お許しいただいたのは、頬に手を添えるだけだ。
親指でゆっくり頬を撫でた。
「お、お兄様、」
「こう言う時くらい、カイルって呼んでみてほしいなぁ」
「か」
マグノリアの視線が泳ぐ。そしてもう一度目が合った時
「カイル」
と、ものすごく小さい声で囁き、僕の右手に、スリ、と、頬を寄せた
その時僕はありったけの理性を総動員した。
身体の中をギュンと何かが駆け抜ける。可愛い、愛しいと思う気持ちにしてはもっと強い。抱きしめたい、このまま唇を……だめだ、やりすぎだ、いや、僕のせいか? これ、僕のせいなのか!? 仕掛けてきたのは彼女だ。……だったらいいのか? いや、だめだろ。ああ、クソ、どうしろと言うんだ!
とにかく離れなければ。
ふうーーーっと、長いため息をついて、手を離した。
「負けた。僕の負け。それでいいだろう?」
「えっ いつから勝負してました!?」
笑って誤魔化して出て行こうとしたら、マグノリアが妙な体勢で僕の腕を掴んだ。
支えきれなくて後ろに倒れる。
「うわっ」
「きゃっ」
そのまま尻餅をつく。マグノリアは僕の上に落ちてきた。咄嗟に支えようと腕を伸ばす。マグノリアを抱えて背中をしたたかに打った。僕はそんなに頑丈じゃない。苦しい。
「だ、大丈夫か?」
「ええ……」
もぞ、と、マグノリアが身じろぎする。僕の腕の中から顔を上げた。目が合う。
そして、幸せそうにくすくすと笑った。僕もつられて笑う。
なんだろうか。この穏やかな時間は。
以前もここで転がった。娘に触るなと突き飛ばされた。それがなぜ抱きついて転がっているんだ。
マグノリアは離れる気配もない。なんだか嬉しそうに僕の胸に張り付いている。
だからと言って引き剥がすのは惜しく思い、そのまま天井を見上げた。
随分と心持ちが変わった事に気がついたら、景色がぼんやりと滲んだ。
「お兄様? 痛かった?」
マグノリアが驚いたように身を起こす。
片腕で慌てて顔を隠した。こう言う時眼鏡は不便だ。起き上がりながら眼鏡を掛け直して誤魔化した。
「いや、何でも」
ない、と、言おうとして言葉が詰まった。
ああ、僕は今、みっともない顔をしている。
髪に何か触れた。マグノリアがおずおずと僕の髪を撫でていた。
気づいたら、抱きしめていた。細い柔らかい身体に縋り付くように。
ごめんなさい、僕は君に酷いことをしていた。なのに何でそんなに優しいんだ。
そう思うけれど言葉にできない。
「ずっと、後悔しているんだ」
「……わかってますよ。もういいじゃないですか。やり直すの間に合ったんだから」
「自分が許せないんだ」
「ふふ、真面目だなあ」
マグノリアの手が僕の背を撫でる。
「ああそうだ、じゃあ……その分、私を甘やかすのとかどうですか。今まで基本塩対応だったし」
いたずらっぽくいう彼女の言葉にふと気が付いた。確かに今まで冷たかったかもしれない。
戻ってきてからはあまり近づかないようにしていた。どうしてよいかわからなかったというのもある。
レオンがマグノリアが寂しそうだったと言っていた。
以前のことを思い出しても確かにずっと構ってほしそうだった。具体的にどうして欲しいのかよくわからなかったが、確かに何かあってエスコートしたりすると喜んでいた。
そうか、僕に甘やかして欲しかったのか。
「わかった」
「え?」
マグノリアは自分で言っておいて、驚いた声を出す。
「やる事」が決まれば、実行するだけだ。
もう一度強く抱きしめて、立ち上がる。きょとんとしたマグノリアに笑いかけて、優しく手を取って口づけた。
「お、お兄様!?」
「そのくらいならお安い御用だ。何でもしてあげよう」
さて、甘やかすという事の、具体的な行動計画を作成しなければ。
そう思って書庫を見渡す。苦手意識は無くなっていたが、今知りたい事の答えはここには無さそうだな、と、思った。
マグノリアがずっと好きだったという酷い僕に、少しだけ力を借りよう。二年前までの僕だったら、どうしていただろうか。
マグノリアがずっと僕のものであれば、僕にとって都合がいい。なぜなら余計なことを考えなくて済む。不安な気持ちもなくなる。なぜ不安なのかを考えてもやもやとしたり、他の男と話している時にどうしようもなく気分が焦ったりもしなくなるかもしれない。
であれば、僕は僕の心のために、マグノリアを束縛するのだ。
幸せそうに笑う、可愛いマグノリアを僕のものにするには、また僕に夢中にさせればよい。
自分でも無茶な理屈だなと思いながら、誘惑するようにマグノリアを見つめてから抱き寄せて、耳元で囁いた。
「すまなかった。愛しているよ、やり直そう」
「ぶはっ」
マグノリアは我慢できないと言うように吹き出した。
でも、嬉しそうだし、問題はない。僕は顔の熱さを感じながら誤魔化すように眼鏡を直した。
しかし。
……これを、どうしたら本心だと信じてもらえるか。これからの課題だ。
読んでいただき、ありがとうございました!
これにて、完結といたします。
またカイル達の話を書くことがあれば、別の作品としたいと思います。カイルの、ルドとの冒険の話が書きたいです。どうしてもジャンルが恋愛では無いですね……
沢山の方に読んでいただいて、ブクマも評価もいいねも感想もいただいて、すごい体験をしたと思います。
最後に、もし少しでも、面白かったなと思っていただけましたら、⭐︎を押していただけないでしょうか。
リアクションぽちっとしていただくだけでも。両方でももちろん。
この話は私の好きなものを詰め込んでいて、私の好きなものを、誰かも好きだとわかると、とても嬉しいのです。
別の作品も書いておりますので、よろしければそちらもよろしくお願いします。
本当にありがとうございました!!




