41.悪魔の屋敷
<Alfred>
「アルフレッド様、号令を」
ノワール邸の門前に立つ。城とはまた違う荘厳な建物。
マグノリアが連れ去られた。どのようにしたのかはわからないが、部屋に書置きが残されていた。
―― 約束は破られた。姫は返してもらう。
マグノリアはカイルに連れ去られたようだ。父王に訴えたが、父はカイルを高く買っているからか真剣に取り合ってくれない。兵は時間があるものを借りていいから、個人的にやれと言われた。
助け出すために、朝から走り回って騎士団に頭を下げた。10人ほど借りることができた。
ノワール邸は不気味に静まり返っている。
黒い石造りの屋敷は、幽霊でも住んでいるようなおどろおどろしい雰囲気がある。庭に生える木々はうっそうと絡み合い、今にもこちらを吞み込むようだ。
王都の中心の一角にあるはずだが、この場所はまるで別世界のようだ。
後ろに控える王宮騎士団に目を向け、私は決意を固める。
マグノリアを取り戻す。
そのためにはあの悪魔を倒さなければならない。
「行くぞ!」
正面扉を開く。扉の向こうに広がる玄関ホール。螺旋階段が二階へと続いている。
だが、使用人も誰も出てこない。
「カイル、出てこい!」
私は声を上げたが返事はない。声がただ、虚しくホールに響く。
誰もいないのかと屋敷を捜索しようと乗り込んだ時、静かな足音が聞こえた。
私の前に現れたのはこの家の者ではなかった。
なぜ彼がここにいるのだろう?
「ようこそ、アルフレッド。お連れの騎士の皆様方もご苦労様です」
ルーカスは穏やかな笑みを浮かべながら、ゆっくりと私たちの前に立った。
落ち着いた、優しげな、目尻が下がった蜂蜜の様な瞳。こんな雰囲気の男だっただろうか。その声の響きは穏やかで、耳から頭の中にじわりと入ってくるようだ。
その声のせいか、騎士団に張りつめていた緊張感が和らぐのを感じる。
「カイルはどこだ? マグノリアを返してもらう!」
ルーカスは私の言葉には答えず、にこりと笑顔で返し、そのまま静かに騎士団を見回した。そして彼らに向けて優しく語りかける。
「皆さん、どうか落ち着いてください。何があったのでしょうか? ここで騒動を起こしても何にもなりませんよ」
「マグノリアがいるだろう。昨日カイルに連れ去られた。助けに来た」
「そうでしたか。それはそれは……しかし、カイル一人に騎士団はいささか大袈裟だとは思いませんか」
ルーカスは、一人ひとりと目を合わせるように、ゆっくりと視線を動かす。
「か弱い少女を怖がらせてはいけません。カイル一人ですから、アルフレッド一人とならお話しできると思いますよ。騎士の皆様は少しの間ここでお待ちください。私がアルフレッドをご案内しましょう」
何かがおかしい。ルーカスが話すたび、騎士たちの緊張が和らいでいく。すでに何人かは剣を下ろしている。
ルーカスはもう一度騎士団を見回すと、両手を大きく広げる。神官のローブが動きに合わせて広がり、荘厳な何かを相手にしているような、そんな心持になる。
「さあ、皆様は誇り高き王宮の騎士たちです。このようなところで、王子の痴話喧嘩の手助けをするのが果たして使命でしょうか?」
そう言われると、騎士たちは顔を見合わせ、「それはそうだ」とばかりに、剣を納めはじめた。
誰も私に続こうとしない。
「どうした、お前たち、私に従え」
そう言うが、なぜか騎士たちは動かない。
「皆様、王子を諫めるのも家臣の務め。アルフレッドは少々気が逸っておいでのようですよ。王となる者には、国民の規範となるよう落ち着いていただかなければ」
ルーカスが言うと、騎士たちはまるで困った子供を相手しているように私を見る。
……もしや、これが彼等の本音なのだろうか?
私を幼く、従う価値はないと侮っているのか。
呆然としていると、ルーカスが私に微笑みかけた。慈愛に満ちた優しい目だった。
「アルフレッド、自分の道は自分でお行きなさい。姫を助けるのは王子の役目です。お一人でどうぞ二階へ。カイルは大広間にいますよ」
ルーカスは、二階へと続く螺旋階段を指し示した。
彼の言葉には、何か抗えない力があるかのようだった。魔法だろうか?
いや、このようなものは聞いたことがない。言われてみればそうだ、と思わせる話をされ、この男の言葉に突き動かされているだけなのだろうか?
戸惑いながらもう一度騎士団を見渡す。誰一人として私に従おうとしない。騎士たちの目は、私を試しているようだった。
一人で行くしかない……そうだ、私が姫を助けなければ。
私は覚悟を決めて、螺旋階段を上る。
大広間の扉を押し開けると、空気が変わったように感じられた。
巨大な窓から差し込む午後の淡い光が、黒に金の装飾で彩られた広間を包んでいる。
正面は舞台のように一段高くなっている。扉からその中心に玉座のように置かれた椅子に、黒い絨毯が続いている。
その玉座のような椅子に、カイルがふんぞり返って座っていた。その横にマグノリアが寄り添っている。
まるで悪魔の城に招かれたようだった。
「待っていたよ、アルフレッド」
まるで王は自分だとでもいうように、尊大に言い放つ。傲慢な声が大広間に響く。
長いマントのようなガウンを肩にかけ、その下には金糸で繊細な模様が施されたベストが見える。襟元には黒いシルクのスカーフ。眼鏡に黒い小さな宝石が連なったチェーンが下がっている。
まるでーー物語に出てくる悪魔のような、そんな印象を与えていた。
マグノリアは、まるでカイルの一部のようだった。
凝った図案の刺繍が全体に施された美しい白銀のドレス。きらきらと輝く銀糸の髪を紫色の薔薇と黒いリボンが飾り、黒い羽根と宝石があしらわれた金色のティアラを載せている。
ぞっとするほど美しい、黒い兄妹が、私を見下ろしていた。
しかし、ここで怯むわけにはいかない。私はカイルに向かって叫んだ。
「カイル、マグノリアを解放しろ!」
カイルは微動だにせず、冷ややかな笑みを浮かべたまま僕を見下ろしている。
「解放? アルフレッド、君はまだ状況を理解していないようだな」
カイルの言葉は、鋭利な刃のように胸に突き刺さる。
冷汗が出てきたが、私は次期国王だ。その矜持を胸に自分を奮い立たせた。
「マグノリア、今助けてやる!」
そう言って剣を抜き、カイルの座る玉座に向かって進む。
数歩進んだ時、突然全身に悪寒が走り、鳥肌が立った。思わず足を止める。
周囲を見ると、等間隔に並んだ甲冑の目が紫に光った。
「ヒッ」
「この先に進むことは許しません」
いつの間にか、背後に大きな男が立っていた。
レオンが黒い軍服に身を包み、私を見下ろしている。野生の狼のような、冷たく冷静なのに獰猛な目だ。低い声でうなるように言う。
「それとも、俺を倒せますか? あなたが?」
見せつけるようにパキ、と、指を鳴らした。
私の手から、何の造作もなく剣を奪い取る。そしてそれを片手にちらりと私の首を見やったのを感じた。
「ひゃっ」
首を抑えてレオンから離れようと後ずさり、足を絡ませ尻もちをついた。
「レオン、おやめ」
マグノリアの声にレオンが止まる。レオンは不本意そうに私をにらみながら、剣を届かぬ方へ投げた。
カラン、カランと音が響く。
「マグノリア、助けに来たんだ、わかるだろう!? 私はあなたを自由にしてあげられる!」
「アルフレッド様、ならばなぜ、カイルのもとへ行く私を阻むの?」
「その悪魔はあなたを利用する事しか考えていないんだぞ! そしてその目的は私を害することだ。それは国を守るものとして看過できるものではない!」
マグノリアが扇を広げた。その時だった。
「!?」
一瞬、明かりが全て落ちた。窓から差し込む日差しもすべて消えて、広間が闇に包まれる。
そして、ぽっ、ぽっ、と、蠟燭に灯がともっていく。
目が慣れると、大広間は真夜中の野外劇場のようだった。うずくまる私とその先のカイルを揺らめく炎が照らす。
蠟燭の明かりに照らされ、甲冑が壁に不気味な影を描く。まるで、ノワールの伝説、霧の騎士に囲まれているようだ。
「なあ、アルフレッド。まさか君、僕から彼女を奪った気でいたのでは無いだろうな?」
カイルは椅子からゆっくり立ち上がった。
大きな影が私を押し潰さんとばかりに揺れ、近づいてくる。
「これまで彼女が僕に尽くしていたのを見ていたから、彼女は多少雑に扱っても良い人間だとでも思っていたか?」
身体が動かない。カイルから目が離せない。
威圧的な態度。冷酷な笑みを浮かべ、魂を奪う悪魔のように、こちらに近づいてくる。
「残念だったなぁ。そんな事はあり得ない」
ドン、と一つ大きな足音を立てて、悪魔は私の前で止まる。カイルの黒い靴が、私のマントの裾を踏みにじる。
見下す黒い目が紫色に光って見えた。
「二年間、君は何をしていた? 運命に対して努力する彼女に何を返した」
「……私は、マグノリアには結婚相手として誠実に」
「はっ 君なりに、あてがわれた婚約者を仕方なくそれなりにもてなしていたと。……だから他の女に目移りもするわけだ」
が、と、胸ぐらを掴まれる。力任せに引き上げられ睨み付けられた。
眼鏡の奥のカイルの目は、我を忘れたように怒りで塗りつぶされていた。
「ふざけるなよ」
押し潰した声でつづける。
「マグノリアは物じゃない」
お前がそれを言うか、と、思ったが。
その声は少し苦しそうで、……間違いなく今のカイルの本音なのだと感じさせた。
読んでいただきありがとうございます。
最後2話、まとめて夕方に更新いたします!




