39.怖くないし、大好き
ノワールの屋敷に着いた。玄関前で霧の騎士から降りる。3人とも降りると魔導兵器は霧となって消えた。
地面に立つと、立ちくらみがしてふらついた。魔力のせいではなく、重なる緊張のせいだろう。
「おっと」
レオンに支えられる。私より大変だったはずなのに、しゃんと立っている。
「無理をするから」
カイルが駆け寄ってくる。
「そっと部屋に戻ろう。明日、もう一仕事あるから早く休め」
ふとカイルがレオンを見上げ眉を顰めた。
「ひどい顔色だぞ」
「寝れば治るんでお気になさらず」
カイルは少し思案し、私の顔を覗き込む。
「……僕が運んでも良いか?」
「え、ええ」
カイルが私を抱き上げる。
「ちゃんと掴まっててくれ。僕は騎士では無いからな」
カイルは照れたように、でもそう悟られないようにか、顔を背ける。レオンより細い腕が私の背中と脚を支える。確かに不安定で、思わず私は首に腕を回した。
抱きつく形になって何だか恥ずかしくなり、肩口に顔を埋める。カイルの匂いがする。借りている外套からもだ。男性の香水にしては少し甘い、梔子の季節の夜の公園のような香りだ。
そう思うと顔が熱くなった。
こんなに近く感じるのは久しぶり……いや、初めての事だ。鼓動が速くなった。気づかれるのではないかと思い身を縮める。
「怖かったら……レオンに変わる」
カイルの小さな声。怖かったら、って、運ばれる事が、だけでは無いのだろう。少し不安げに声が揺れている。
何でまだカイルまで気にしているのだ。私は何もされてないし、むしろ気持ちをぶつけてドン引きさせたのは私じゃないか。
「怖くないわ。助けに来てくれてありがとう」
「……無事でよかった」
少し抱きしめる力が、少し強くなった。
「大好きよお兄様」
私は気が抜けたのもあって、カイルの肩に顔を押し付けて少し泣いた。
部屋まで運んでもらった。私を寝台におろし、そのままカイルも腰掛け、ふう、と息をつく。
流石に重かったのだろうか。それともカイルも疲れたのだろうか。
レオンは自分の部屋に先に戻った。明かりのある所で見ると確かに顔が土気色だった。もう限界だったようだ。
カイルと2人きりになったのは本当に久しぶりだ。
「楽にして、早く寝ろ」
カイルが立ち上がろうとした。
一人になってしまう、と思うと急に不安になり、とっさに服を掴む。
「……何だ」
「お父様には内緒にするから」
離れたく無い。
「もう少しだけ、そばに居て」
+++<kyle>
ーー兄貴のせいですかね。男の落とし方とか教えてましたよねーーレオンの言葉が頭に響いた。いやいや、僕のせいではない。教えたのは、こういうのではない。僕が怖いとか怖くないとか、兄だとか妹だとか、そう言う以前の問題で、この状況でその言葉は良くないのでは無いだろうか。寝所で、男と2人きりで、服に縋って、そばに居て、って……君は自分で言っている意味をわかっているのか。
頭の中にぐるぐると言葉が巡る。僕の心中など知らず、マグノリアは不安で一杯の目で僕を見上げている。
自分に何かするかもなんて考えてもいない目だ。
僕を確かに、信用してくれているのだ。
そうだ。今日は色々あった。
レオンが、マグノリアの居場所が突然変わったと伝えてくれて、それで慌てて探しに行った。
王宮の隅の、隠されたような部屋に閉じ込められていたのは、「丁重に扱われている」とは言いようのない状況だった。助けやすいという事ではよかったのかもしれないが。
それでは一人になるのは不安だろう。僕は兄だ。僕が支えてやらなくてどうする。怖く無い、大好きという言葉を、僕が信用しなくてどうする。
その信用を返せなくてどうする。
ベッドに座り直す。マグノリアの手を取った。
「そうだな。君が落ち着くまでここにいよう。もう大丈夫だ」
出来るだけ優しく微笑んで見せる。マグノリアがほっとしたように笑った。
「お兄様に、渡したいものがあったの」
もぞもぞ動いて、ベッド脇の小さな引き出しから、二つ箱を取り出した。一つを僕に渡す。
「どうしても選べなかったの。だから二つにしちゃった」
開けてみて、と言われて開くと、眼鏡のチェーンが入っていた。今つけているものとデザインは似ているが、銀色の細いチェーンに、紫色の宝石が付いている。
「今つけていらっしゃるの、ジョーヌ公のお嬢様に貰ったものでしょう? そ、そう伺ったので、もう少しノワールっぽい感じの方がいいんじゃないかしらって……」
顔を赤らめてもじもじと言い訳のように言う。レオンにでも執事の話を聞いて、そう連想したのだろう。いわれてみれば、キャンディ嬢を想起させる色だ。
支給されたのは眼鏡の本体だけで、これはそんなものではなく、馬車やら馬やら酒場やら、何度か衝撃で眼鏡を落とし、仕方なくつけていたものだ。
だからと言って、それで、銀の鎖にアメジスト。……これは直球すぎやしないか。そう言われれば僕だって意味はわかる。
急にマグノリアが可愛く見えた。9歳の子と張り合うなんて。
「お兄様をとられると思ったのか?」
「だって、マナーの先生をされたんでしょう? お兄様から教えてもらうなんて、う、羨ましくて」
「本当に、大変だったんだ。君の素晴らしさを解らされたよ。君が妹で良かった」
拗ねる顔が可愛くて、つい、頭を撫でる。
頭に手を置いてから、しまったと思ったが、マグノリアが目を細めたので、以前のようにぽんぽんと撫でた。
「あと、これは土産物屋で買ったものだ。キャンディ嬢の趣味では無い」
「えっ」
マグノリアの顔が、かあっと赤くなる。目が泳いでから、ホッと息をついて、誤魔化すようににっこり笑った。
「ふふ、こうして頭を撫でてくださるの久しぶりですね」
「そうだな」
素直に誤魔化されてやる。
「で、こちらはちょっと、その、渡しておきながら何ですけど、私も恥ずかしくて」
もう一つの方を開けてみせる。
そちらもメガネのチェーンだった。黒い小さい石が連なっている。金具は金だ。ノワール邸の調度品と系統が似ている。正直少し、悪魔を連想させる。
「こちらは純粋に、お兄様に似合いそうなのを選びました。レオンと相談しながら。レオンもお兄様の事、とても信用しているから」
信用されている……?
確かに、今この状況がそれを証明していた。あいつが、どんなに疲れていようと、他人にマグノリアを任せるわけがない。
「これにドクロのチャームつけようっていうのは全力で反対しましたけど」
「それは本当にありがとう」
数年前なら喜んだかもしれないが、少しは大人になったつもりだ。それは少し恥ずかしい。
「お兄様、良かったですね」
マグノリアがふふっと笑う。
「腹心の部下が出来ましたよ」
「アイツは部下じゃない」
咄嗟に言って、自分で驚いた。
「……友達だ」
それから、少し話をして、マグノリアが眠そうになってきたので横にならせた。流石に着替えは手伝えない。
背中の紐を緩めてくれと言われてそれだけやってやったが、白い頸を見て、ふと、5年前まで結婚相手の候補だった事を思い出してしまい、平静を装うのに苦労した。
疲れていたのだろう、横になるとすぐに寝息を立て始めた。
可愛いマグノリア。誓って、二度と君を傷つけはしない。
僕を信じて寝顔を見せる彼女がとても愛しいものに思えて、僕は身を乗り出し、額に流れる銀糸の髪にそっと口付けた。
「僕も、大好きだよ」
呟いてみたが恥ずかしい。何であんなに簡単に大好き大好きと言えるのだ。
いつもの返事と言う事で、このくらいは大目に見てもらえるだろうか。




