37.王子のご乱心
<Alfred>
「そろそろ、家に帰りたいのですけれど」
マグノリアが私を呼んでいるというので部屋に来てみると、マグノリアが困った顔で言った。
「皆様には良くしていただいているのですが、聖堂にも通いたいですし、こちらにいても特にお役に立てないので心苦しいですわ」
「不自由がないなら良いではないか。楽しみは探せばいくらでもあるだろう?」
「ええ……でも、アルフレッド様もいらっしゃってくださらないですし。御用がないなら、私は家に帰りたく思いますわ」
マグノリアを王宮で保護したので、私はそれ以上特に何かをするつもりはなかった。
なので、外出を禁じ、面会を禁じたが、その他は特に何もしていない。
特に嫌なことも無いはずなのに、すぐにマグノリアは、私を咎めることをいう。
「そういうなら、もう少し私の気を引くような努力をしたらどうだ? 以前は良く媚を売ってきていただろう。カイルのために。そうでなくなったら私の努力不足のせいにするのか?」
「いえ、そのようなつもりでは……」
マグノリアは少し悩んだような顔をした後、おずおずを私を見上げて困ったように笑った。
その笑顔に見覚えがあった。昔……まだカイルの従妹だった時のマグノリアが、カイルに向けていた笑顔だ。
カイルの様子を伺い、カイルが望むように振舞って、少し間違えると委縮し、おどおどしていた少女の笑顔だ。
それが私に向けられている。
ついに、本当の意味で、カイルの持ち物を奪ってやったのだ。
「そうだな……」
改めてマグノリアを見る。銀色の髪、紫の瞳、小さな唇、白い肌。そして、ドレスから覗く大きな白い胸。
この女は、ひどく煽情的な容姿をしているなと思った。いつもは無邪気にはしゃいでいるか、咎めるような事ばかり言っているのであまり気にしたことがなかったが、このように弱弱しい表情をすると、非常に、魅力的だ。
ごくりと生唾を飲み込む。
この女は私の婚約者なのだ。多少、触れても……
そう思った時に頭の中にルーカスの声が響いた。
『悪魔に育てられた娘は、貴方の清廉さに救われるでしょう』
そうだった。手を出すなんて、あの悪魔と同じになってしまう。
しかし、悪魔の娘の白い肌は抗い難い。つい手を伸ばし、その肌を引き立てている胸元に揺れる赤いペンダントを指で弾いた。
「せめて、私のものである振りくらいはしたらどう?」
「これは……そういうのではなくて」
「でも目障りだな。外して」
マグノリアの手がゆるゆると上がり、ペンダントに手を掛けた。
その時、こんこん、と、ノックの音に邪魔をされた。
「アルフレッド様、緊急の要件がございまして、王がお呼びです」
それで我に返った。
マグノリアの白い顔が、さらに白い。いつも気丈な紫色の瞳がおびえた色をしていた。
「お、王様がお呼びとのことですよ、早くお行きなさいな……」
ああ、そうだ。行かなければ。そう思って踵を返す。
マグノリアがかすかにほっとして力を抜いた気配がした。
どうせなら楽しく、といったのはマグノリアの方だ。楽しくやろうじゃないか。
少し愉快な気分になって、彼女に微笑む。
「では、行ってくるよ。私の姫」
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行くと、父王とともに正装のカイルがいた。ノワール公はいない。マグノリアの事だろうか。
邪魔しやがって、と思ったが、カイルの女が自分のものになったという事実は、私の気持ちを浮き立たせた。
「早速だがアルフレッド。ノワールが代替わりを行ったとのことだ」
しかし、そこで告げられたことは、今私が考えていた範囲の事ではなかった。
「アルフレッド殿下にご報告申し上げます」
カイルが改まって私に頭を垂れる。
「先ほど、父の承認のもと、聖霊ノワールに求められ私が新しく聖霊公爵に任じられました。父は現在、能力を私に委譲したため深い眠りについております。目覚めましたら引き続き宰相の仕事は継続したいと願っておりました。それまでは私が父の名代を致します」
驚いた。候補に選ばれたのも、後継となったときも通常に比べて早かったが、後継が新公爵になるのはせめて成人してからだといわれている。
さすがに早すぎやしないか?
「ご報告感謝する。が、少々、早いのではないか?」
「こればかりは、私の意思だけではございませんので何とも。ただ、一つ子供のうちにどうしてもやりたいことがございまして、強く要望いたしました」
そういってカイルは顔を上げ、にっこりと笑った。
「妹を、お返しいただきたいのです。王子にご意見を申し上げるためにはそれなりの地位と発言力が必要かと思いまして」
「はははは」
父王が、我慢できぬというように笑った。
「そのような事のために、無理をする。しかし、残念なことにここで決めることはできないな。ほかの公爵家の問題もある」
「そうですね。今日の所は、お預けいたします。丁重に扱っていただけていると期待いたしますよ」
カイルはそういうと、笑顔のまま、目だけで私を睨みつけた。
「……マグノリアは、自分の意思で婚約者としてこちらにいるのだ」
「ええ、そのように聞いております。ですが、こちらで、もしも傷つくようなことがあれば……手段は選べないかもしれませんが」
カイルの目にこもった力に背筋が凍る思いがした。怯んだ私に追い討ちをかけるように続ける。
「そのために手に入れた力も有りますし」
何を考えているんだ。たかが1人で何かできるわけがない。
ないのだが、……先ほどのマグノリアのおびえた表情を思い出す。
一人の女の不満が国を動かすなんてありえない。でも、マグノリアはノワールだけではないルージュもついている。
マグノリアがカイルに何か伝えてしまったら、……それこそ反乱の火種になってしまうかもしれない。
私の行動が火種となって、大事になってしまうのではないか……
カイルの目には、そう思わせるほどの迫力があったのだ。
急に不安になった。先程、彼女はどんな顔をしていた? あの顔を見て、カイルは冷静でいられるのか?
……マグノリアを隠さなくては。




