14.天使かと思った
<Kyle>
あれは、僕が5歳の時だったと思う。
その日、何か小さな失敗をして、昼を抜かれていた。
食べ盛りの少年だった僕は、お腹が空いてお腹が空いて、連れてこられた屋敷の庭で、何か食べられるものを探していた。
父の弟の屋敷だ。僕の家の10倍くらい大きなお屋敷。
庭は広く、木の実とか、そういうものならありそうだ、と、うろうろしていたら、裏庭に出てしまった。何かいい匂いがする。
「あら?だあれ?」
ビクッと僕の肩が跳ねた。余計な所をウロウロしていて見つかった。どうしよう。怒られる。夜もご飯がなかったら、死んでしまうかも。
「ヴィクター様のお坊ちゃんですね。迷子になってしまったんですか? マグノリア様、従兄弟のカイル様ですよ」
メイドに声をかけられる。迷子…そんなこと言われたら…
「いとこ?」
銀色の髪を二つに結い、アメジスト色の大きな目をした僕より小さな女の子が、ガーデンチェアに座っていた。テーブルにはクッキーがある。
甘い匂いにゴクリとのどが鳴る。
「おともだち? 一緒にあそんでいい?」
「もちろんですよ」
メイドに確認したその子は、にっこり笑ってクッキーのかごを差し出した
「おひとつ、いかが?」
これが天使というものなのかと思った。
今から思えば、お腹が空いていたからだろうが。
マグノリアと喧嘩をした。
喧嘩、と言うのだろう、これは。お互いの意見の不一致を、擦り合わせるでも納得させるでもなく、ただぶつけ合った。
喧嘩というものは、生まれて初めてしたかもしれない。
人との関係というのは、上下がある。表面的な上下だけでなく、どちらがどちらの意見に従うか。それで決まる。
話が通じない人間は、そいつの価値観に合わせてうまく操ればいい。喧嘩するというのは無駄なことだ。
マグノリアはずっと、僕の意見に従う側だった。
いつも僕の顔色を窺い、どう行動して欲しいと僕が思っているのかを考えていた。
その考えが余りに稚拙なので、1から10まで僕が考え指示する。余計なことはしないように。
今回のように、僕の意図と反することがあれば、僕が不機嫌なのを勝手に気にして、勝手に反省していた。僕の機嫌が彼女の指針のようだった。
僕が満足する反省の仕方をしたら、頭を撫でて、やさしい言葉をかけてやる。
そういう関係が、ここ5年ほど続いていた。
確かに、僕の初恋は、あの庭での出会いかもしれない。
しかし、人間は変わる。良くも悪くも。マグノリアも、僕も。
マグノリアが僕に秋波を送るようになったころから、僕は彼女に興味がなくなった。
僕がノワール公になったとき、彼女が王妃だととても都合がいい。
それに、婿養子にならなくてよくなったので、彼女を手元に置いておく必要もない。むしろ邪魔だと思っていた。
だから、養父を上手く言いくるめて、マグノリアの為と思わせて、アルフレッドとの婚約話を進めた。
だが、アルフレッドの婚約者と決まった日から、マグノリアは変わった。
僕の言うことを聞かなくなった。以前よりも話しかけてくるし慕ってくるし寄ってくるが、僕の機嫌を窺う様子がなくなった。
自分で考えて動いて、あのルージュ公と渡り合い、"ルージュの騎士”なんてものまでもらってきてしまった。
見習いだというが、あれは一生仕える気だろう。
五公爵家は表面上は関係が良いが、水面下ではバランスを取り合うことで必死だ。ノワールの娘が、ルージュの騎士を持っていることの重大さが、本人は全くわかっていない。
しかし。
しかし、あの見習い騎士はくっつきすぎだ。距離感がおかしい。
なぜ平然としているのだ。マグノリアだけでない、周りもそうだ。
常に付き纏っているのに、さすがルージュの騎士、などと言われ、おかしく思われていないのがおかしい。
彼女はアルフレッドに気に入られようと毎日一生懸命行動している。
その行動の結果が、聖堂への入学であり、ルージュの騎士なのだろう。
その努力は、評価する。
あのダンスを見たか。
アルフレッドと踊ってるマグノリアはそれはそれは美しく、幾人も遠巻きにため息を漏らしていた。
独りぼっちだった、と彼女は言っていたが、そんなことはない。皆があの時、彼女を見ていたのだ。
……だから、成功したと思って、僕は近寄らなかった。
僕に視線を送ったのは気づいたが、彼女が僕の物であると知られるわけにはいかない。
あとで頭を撫でて、美しかったよ、さすが僕のマグノリアだと言ってやろう。そう思って適当にやり過ごした。
それをあいつ……アルフレッドより……僕より下手クソなくせに。
マグノリアは振り回されるように踊っていた。
マグノリアの肌が少し赤くなって、伏せた瞳に、確かに色があった。……あれは恋でも愛でもない。ただの安堵、安心だ。僕にはわかっている。
だが、無骨で不器用な騎士に美しいお姫様が寄り添うダンスに、クラス中が見惚れていた。
マグノリアは、「レオンは慰めてくれただけ」といった。彼女からすれば、そうかもしれない。
だがちがう。あいつは、マグノリアの努力の結果を、食いやがったんだ。
「お兄様、ごめんなさい。言いすぎました。私が悪かったです」
マグノリアが父に連れられて帰ってきた。しおしおと悲しそうな顔をしている。
ツインテールを下ろしている。髪を下ろしたところを久しぶりに見た気がする。
頭を撫でて、「わかればいい」と、やさしく微笑んでやればいい。こういう時は、そうすることにしているじゃないか。
しかし、僕は動けない。
マグノリアが非を認めて謝っているのに、僕がわかればいい、なんて言ったら、……彼女の方が大人のようでは無いか。
「……言いすぎた。悪かった」
僕はそれだけ言うと、逃げるように部屋に戻った。
マグノリアと、養父が、どんな顔をしてたのかは、わからない。
<magnolia>
「謝ったね……」
「謝りましたね……」
予想外の展開に、お父様とふたり、目を丸くしてフリーズした。
カイルはさっさと部屋に戻ってしまった。
「まさか、素直に謝るとは予想外だった。どう言おうか悩んでいたのに」
「お兄様、ごめんなさいが言える人だったんですね……」
なかなか酷いことを言っている気がするが。
それほど、2人ともカイルが謝る事が考えられなかったのだ。
マグノリアに説教を始めるか、わかればいいとか言って頭を撫でてくるか、不機嫌ハラスメントをしてくるか、そのあたりではないかと予想していたのだ。
お父様と私は顔を見合わせて、ほっとして、笑った。
2025/4/24 少しだけ修正




